歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:神社

今日は水曜日で小生の休日…
午前中、役所に日本国民として確認しておきたい用事が有ってお出掛け。
新しい法律の事でアレやコレや御役人に質問の雨を降らせてしまったが、御役人には懇切丁寧に明るく御教授して頂けた。
…親切にされて置いて、こう言う言い回しはアレなのだが、休みなのに役所に行って終わりにするのは癪(シャク)に触る。

次の収入源確保まで残り2日間で自由に成る御小遣いは2000円…
「中学生並の手持ち金で何が出来っかな~?」
「そうだ!紫陽花を見に行こう(土曜日鎌倉で見たばっか)♪」
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…てな訳で、役所出たのが13時半。自動車に乗り込むと東名高速で1時間ちょい、アッと言う間に紫陽花の名所、神奈川県は足柄上郡開成町に到着。
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最初の訪問先は勿論、❝あじさいの里❞に定めていたがカーナビにソンナ地名も無ければ臨時駐車場も位置が解らないので、取りあえず出発時に目的地設定した吉田神社と言う場所に移動した。
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目的地にした理由は❝アジサイ祭り❞の会場に近かったから…
予備知識なし。
着いたら当然、御参りはして置くもんだ。
…てな訳で吉田神社を参拝。
この吉田神社なんと土曜日に御参りした三浦半島葉山町の森戸神社の兄弟社だった!正確に言うと、伊豆の三島大明神の御分霊を源頼朝公が相模国に勧進した場所が8ヵ所有り、その一つが開成町の三島神社だそうだ。
明治時代まで三島大明神と呼ばれていたけれど、地名の吉田島から吉田神社に改名したそうだ。
三島大明神の大明神てのは神仏習合の名前なので、国家神道の成立後の神仏分離令で一時その名は憚(はばか)られたんだろう。
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コレはあれだな!
森戸神社で三島大明神の御分霊と頼朝公と三浦家の殿様の御霊に参拝出来た御礼をしたから吉田神社の三島大明神の御神霊に「久良岐のよしって変な奴が気まぐれでソッチ行くから宜(よろ)しく」って話しつけて呼んで下さったんだな、とか都合良く解釈(笑)。まぁ偶然だけれどもね。
そして、此方(こちら)の御祭神は大山祇神様と大山咋神様と素戔嗚尊と大国主命だった!
大山祇神様、素盞嗚命様、大国主命様は小生が毎日拝む神様・仏様・御経題目・歴史偉人の中の御一柱なので、思いがけず参拝の機会をココで得る事が出来て嬉しかった。
小生は毎日、仕事の始まりに一日の安全祈願、敵人懲服、公民の役に立つ事を祈願して富士山と大山に向かって拝む神様と仏様と御経の題目と歴史偉人が複数います。
それは置いといて…
ここは境内の樹木が、どれも大樹で立派でした。
解説は改めて別記事で詳しく書く事にします。

ここで参拝していたら「そう言えば、すぐ近所の松田町には延喜式内社の寒田神社が有ったよな…」と思い出し、本当に距離が近いので紫陽花より優先して寒田神社に移動した。
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吉田神社から車で5分とかからない。
延喜式内社の中でも立派な境内と社殿を維持している御社。
しかも、御祭神がコレまた全部毎日拝む倭建命・弟橘姫様・誉田別尊(八幡大菩薩)・菅原道真公だった。
う~ん。
西湘の神社の神様は、どちらも小生が崇拝する神様ばかりだ。
この寒田神社も吉田神社も残念ながら宮司様御不在だった。
寒田神社で御朱印頂きたかったけれど、又、来る機会は有るので、その時の楽しみにとっておこう!
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ここは倭建命がお立ち寄りに成られた神話が残っていて、祭器も弥生時代に作られた木製の茶碗だったりする。
本殿の裏の方に変わった供養碑があって、歯医者で抜歯した歯の供養碑。
こんなの見た事無い。画期的。
丁度、歯根破断した歯をインプラントにする治療を決めたばかりなので寒田神社に参拝して良かった。
さて、参拝終わり開成町の紫陽花祭り会場へ移動。
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綺麗でしたよ~!
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丹沢山系と箱根山系を背景にした開成町の水田とアジサイの田舎の風景…
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町の水田の畦道(あぜみち)全部に紫陽花が植えられている。
鎌倉の明月院や長谷寺の紫陽花は群生する様に植えられているけれど、こう言う直線的なラインと水田の水の風景の見せ方も悪くなかった。
又来たいなぁ~。

そんな感じで、広大な水田の中で沢山の紫陽花を散歩して息抜きが出来て、普段、自分が崇拝している神様達にも御挨拶出来たので有意義な休日に成りました。
…と、言う休日雑記。
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ブログネタ
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前回、年末の「凄い神社まとめ」で少し紹介しました御霊神社と御祭神に成っている平安時代の武士鎌倉景政公ですが…
※前回の神奈川の凄い神社まとめ記事は「ココ」←クリック!

先ずは御霊神社その物の話から…

実はこの御霊神社は参道の風景がとても面白いんですよ!
なんと参道を名物列車の江ノ電が横切ります(笑)。
神社側から見るとこんな感じ…
江ノ電通過を連写!


ね?
本当に鳥居の目の前を江ノ電が通過するでしょう(笑)?

さらに!
この御霊神社ですが、鎌倉江ノ島七福神の一つで縁起の良い神社でも有ります。
御存知(ごぞんじ)無い方も居ると思うので御説明差し上げますと…
鎌倉には鎌倉江ノ島七福神と言う礼拝コースが有りまして、専用台紙に御朱印を集めて回ります。
可愛いデザインですよね?
●弁財天…江ノ島弁財天
と鶴岡八幡宮旗上弁財天
福禄寿御霊神社
●大黒様…長谷寺
●布袋様…浄智寺
●毘沙門天…宝戒寺
●恵比寿様…本覚寺
●寿老人…妙隆寺
このコース、朝から頑張れば1日で回れますし、数回に分けて回れば鎌倉観光に行く口実が出来て楽しめます。
小生は3回に分けて行きましたが、毎回小町通りや八幡様の屋台やら江ノ島の商店街で食事を楽しめました(笑)。

さて、御霊神社の御祭神の鎌倉景政公に話を戻します。
鎌倉景政公の御先祖様は、鎮守府将軍を務めた皇族出身の武将:平良文(たいらのよしふみ)公です。
平良文公は東京神田明神の神様の平将門(たいらのまさがど)公の叔父に当たり、御両人共に醍醐天皇の忠臣でした。
※詳細は以前書いた記事「ココ」←クリックして御覧下さい。

良文公の系統の平家は今の神奈川県藤沢市村岡〜渡内地区から関東中に拡散し、平安時代まだ荒野の多かった関東地方を文字通り開拓し領地を拡大して行き、その後、子孫からは鎌倉幕府の中枢を担う武将達を多く輩出しました。
実は関東の御霊神社は元々は平良文公と主だった子孫を神様として祀(まつ)っていました。
しかし、鎌倉景政公が武将達から尊敬されていた為か、後に関東の御霊神社は一般的に景政公を御祭神として祀る様に成りました。

鎌倉景政公は、源義家公に与力し従兄弟の三浦為継公と共に後三年の役で大活躍しました。
後三年の役の際、自分の片目を敵将に射抜かれても臆(おく)せずに矢を射返して敵将を討ち取る等の大活躍で日本全国の武士から崇拝される事と成ります。
その後、鎌倉氏は河内源氏との同盟の中で繁栄します。
鎌倉景政公の子孫には大庭景義公や梶原景時公、戦国武将の長尾景虎=上杉謙信等がいます。
長尾景虎の祖先の居城長尾城もやはり、鎌倉景政公が開拓した土地でした。
※長尾城に関する記事は「ココ」←クリック!

そんな経緯も有り、景政公の登場以後、一般的に関東の御霊神社では武士の鑑(かがみ=手本)として景政公が祀られる様に成りました。
ですから鎌倉の御霊神社は東日本の御霊神社の総本社に当たる訳です。
鎌倉の御霊神社は別名権五郎神社とも言いますが、これは景政公のフルネームが鎌倉権五郎景政だったからなんです。

権五郎神社こと御霊神社には末社として稲荷神社や秋葉神社も有ります。
稲荷神社は農業の神様なので、土地開発に熱心だった名君の景政公の御霊神社の末社に相応しい神様ですね。
景政公が開拓した土地は今の横浜市戸塚区栄区港南区と鎌倉市藤沢市付近一帯です。

そして秋葉神社の方は武士の信仰を集めた神社です。
いずれも景政公らしい神社ですね。
或いは昔、景政公御自身が信奉されていた神様だったのかも…

因(ちな)みに御霊神社は眼病や目の怪我の治療の御利益が有るとされています。

今回は鎌倉権五郎景政公を御紹介しましたが、現在の神奈川県湘南地区の繁栄は鎌倉権五郎景政公がいたからこそ有ると言う事を、是非、皆さん認識して頂ければ幸いです。

もし!

アジサイの季節に長谷寺に行ったり、夏に由比ヶ浜に海水浴に行く機会が有れば、どちらからも御霊神社は近いので是非にもお参りされては如何でしょうか?
その際は鎌倉景政公に関東の繁栄に寄与して下さった事に一言お礼を伝えましょう…

因みに御近所には有名なお土産用の和菓子の店「力餅家」さんも有りますよ〜♪
是非お立ち寄りあれ!

では皆さん、今年もよろしくお願いします。
又、次の記事でお会いしましょう!
またね〜♪
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