先月04月21日に一人で訪問した青梅市塩船観音の躑躅がとても綺麗だったので・・・
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「こんな所に行って来たヨ~」
・・・と実家のテーブルにパンフレットを置いておいた所、母と母の友人に・・・
「私達も行きたい、連れてって!」
・・・と言われた。
なので、たまには親と一緒に行動するのも良いかと思い立ち、塩船観音だけでなく旧庄屋の福島家住宅や清酒千代鶴の中村酒造見学などを含めて計画を練って、早朝6時半に自宅を出発して奥多摩観光に行って来た。
無論、小生の組む予定に相手の年齢や性別や体力等は僅(わず)かな考慮しか無く(笑)、容赦なくギッチギチにスケジュールを組んで置いた。
当初の予定では塩船観音と3個所+母達のニーズに現地で応える臨機応変候補地だけの訪問だったので、GoogleMapに行きたい場所リストを登録して置いた上で更に現地の観光案内看板で臨機応変に行動した所、訪問先は9箇所に増えた。
先に訪問先を列挙すると以下の通り・・・
・AM:06:30円海山の麓の自宅を出発
・AM:07:00能見台の母の友人宅へ迎えに行く
・圏央道厚木PAで朝食
・青梅市 塩船観音寺
・澤乃井櫛かんざし美術館
・福島家住宅(古民家)
・澤乃井酒造と多摩川の渓流と寒山寺
・海禅寺(天皇家勅願寺)
・奥多摩かまめし←小生は昼寝タイム
・へそ饅頭総本舗とへそ観音
・武蔵阿蘇神社
・千代鶴 中村酒造
・PM19:30位に能見台に到着
さて、当日の行動と訪問先を写真で紹介すると・・・
この日の前日と言うか当日の午前のまだ夜明け前、小生は深夜に仕事から帰宅。
そしてAM:05:00に成っても結局目が冴えて寝れず。
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レッドブルを2本飲んで脳味噌を強制起動、結果的には小生だけ昼食を取らず車で仮眠したので睡魔にも襲われず良い旅行と成った。
最初に休憩したのは厚木PA、残念ながらここでは今回は写真は撮影しなかったがウチのBBA共が未だ奥多摩の観光地にも着いてないのに神奈川県内のしょっぱなの休憩所で阿呆(アホウ)の様に御土産(みやげ)を買い漁ろうとしたので「説教するハメ」に成った・・・
「これから沢山、神奈川県では買えない物を売っている場所に行くのにいきなり神奈川県内の土産を買って、先の事を考えて計画的に買い物する場所連れてくから今飲食する物だけ買ってね!」
・・・と。BBA共は無計画、特にウチの実家では母は最近は冷蔵庫の在庫管理も出来ない人なので小生が消費期限の切れた食品は容赦なくポリ袋に入れて捨てないといけない。その度に母には「毎日食品買物したいのならば在庫を手帳にメモって仕事に行きなさい」と説教をしないといけない。
それと同じ行動パターンだな。
オバさんも軽く凹ませたが小生は「この先もっと良い物を売っている場所に行き小生の説教に納得する」と確信していたので意にも介さず、取り合えず二人に朝食を買い与えてお腹を満たさせ機嫌を回復させて再出発。
最初に二人を連れてったのは青梅市勝沼城址近くの塩船観音寺だ。
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小生が前回訪問したのは04月21日、そしてその時が見頃だったので二人には予(あらかじ)め警告しておいた「ゴールデンウイークの頃にはもしかしたら見頃が過ぎてるかも知れないよ~」と。
その懸念は現実の物と成ってしまい、母とオバさんとの訪問前日の05月03日の台風の様な天候で咲いていた躑躅は大半の花弁が散ってしまったそうだ(笑)。
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いくらか咲いていたが略(ほぼ)全滅。
でも塩船観音寺はとても雰囲気の良い山寺。
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そもそも日本初代の大僧正と成り東大寺大仏建立の立役者である行基大僧正が開いた御寺と伝わる。
行基大僧正が開いたと言うのは有る意味本当だろう。❝有る意味❞ね。
当時、行基大僧正は日本神話の聖地保護や寺院建立の為に❝行基集団❞的な現在で言う所のNPO法人の財団の様な巨大な組織を擁(よう)していた。なので行基集団のボスの行基大僧正は保護すべき聖地霊場の報告を取捨選択した上で保護する目的で修験道的な仏教寺院を大分多く造営している。
神奈川県だと修験道や神道や仏教の聖地だった八菅七所権現(現:八菅神社)や石山権現大山寺と阿夫利神社等が神奈川県では最たるものだろうか?
鎌倉市長谷地区近くの坂ノ下地区にも虚空蔵菩薩堂を造営したりしている。
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大悲山 観音寺(塩船観音寺)


そんな行基大僧正の関わられた塩船観音寺を人魚姫の不老不死伝説の有る八百比丘尼様が再興したそうだ。この御寺の雰囲気は、本当に往古の山寺の雰囲気と、観光地化されたエリアの棲み分けと保護がバランスよく素晴らしい。
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だから躑躅の花は散っても雰囲気を楽しめる。
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いぬケツ(笑)、可愛い(笑)。
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しかし母達は躑躅が咲いていない様子を見るや真っ先に売店に走り、又、衝動買いを始めた。
・・・流石に、ここの物はここでしか買えないので、ここから先は止めないで置こうと思い放置した。
まぁ、買い物が楽しかった様で機嫌を悪くする事もイジケル事も無く、二人共それなりに満足した様で駐車場に戻っても機嫌は良かった。二人して巨大な筍(たけのこ)とか刺身蒟蒻とか買っていた。
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小生も梅漬けの沢庵と自分様に刺身蒟蒻を購入、これ、どちらもスンゴイ!美味しかった。
青梅市観光の際はおススメ!
さて次の目的地は吉川英治記念館だ。
目的地に向かい青梅街道に車を進ませると、青梅市が力を入れている❝昭和の街並み❞と❝映画のロケ地&映画の街❞のコンセプトの実現されている素敵な商店街を通り抜けた。
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母の友人は大興奮、まぁ又、来年に二人を塩船観音の躑躅を見に連れて来てあげたいと思うので、その時にはユックリとこの街を散歩しても楽しいかも知れない。
今回はスルーし、車を先に進ませた。
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吉川英治記念館に到着。
吉川英治記念館
小生は横浜の戦国時代の殿様の間宮康俊公の顕彰活動で横浜市鶴見区の間宮家菩提寺の寶泉寺の初代住職が青梅市二俣尾の福禅寺(現:海禅寺)から御招きした歴史を知って昨年に海禅寺の御住職様に会いに来た際に、ここの存在を知って来てみたいと思っていた。
吉川英治先生事は小生達昭和生まれ世代の男子ならば、漫画の横山光輝サンの著作の三国志の原作者として知らない人間はいないだろう。小生は政治外交軍事を民間交流に持ち込み反日感情を利用する中国の現政権が嫌いで良く批判を展開するが、基本的に三国志の英雄達や南宋の岳飛将軍や明の鄭成功将軍が好きで中国料理屋中国文化はリスペクトしている。端的に言えば日本の共産主義はクソだと思っている。
その日本共産党なんかを日本経済破壊的政策の指示を煽る煽動に利用する今の中国政府も嫌いなだけ。
元寇を撃退出来たのも蘭渓道隆和尚や兀庵普寧和尚等、南宋からの亡命者達が情報を齎していたから鎌倉武士達の作戦と精神修練が成功したのを鎌倉市に良く足を運ぶ神奈川県民として当然ながら知っているから。鎌倉文化は南宋と仏教文化との繋がりと反元朝無しには、あの形に落ち着かなかっただろうから。今の悪い面と過去の良い文化はソレはソレコレはコレと分けて考えているし、中国人に対しても反日中国人と親日中国人と中立中国人で関わるスタンスをコチラも相応にやり方を変えている。
目には目をひん剥いてやる歴史事実を突きつけ、歯には歯を叩き居る鉄球を叩きつけオーバーキルしてやり、友情と恩義には友誼と恩返しで報いる訳だな。
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さて、この吉川英治記念館は実際に戦時中に吉川英治先生が東京から疎開する為に買い取った絹糸生産者の豪邸なので非常に見応えの有る日本家屋と庭園として保存公開されている。
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入口から既に御金持ちの象徴の❝長屋門❞だ。
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本当に立派な古民家なのが、この時点でお解り頂けるだろう。
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幕末~明治初期の昔、日本は世界有数の良質な生糸の輸出国だった。だから八王子の旧家には蔵屋敷も有る。吉川英治記念館も例に漏れず。
特に八王子~群馬県にかけての奥多摩や上州では生糸生産が特産に成っていた。
実はこれ、戦国時代に善政を布いて産業振興や荒川の治水や税率軽減や農地開拓や領民に優しい法制度の公平性等で実績を残した偉大な北条家の殿様達の遺産なのだ。
特に八王子を治めた北条氏照公と埼玉県北西部を治めた北条氏邦公は生糸の殖産振興を政策として実施して農民達は潤った。そして、それが近世~近代にまで経済基盤の屋台骨となり世界にまで進出する特産品と成った訳だな。
本当に小田原北条家の政治は素晴らしく、後の江戸幕府は北条家と比較して劣っている面が非常に多かったりする(笑)・・・のだが関西や濃尾三遠方面の人はソレを知らない。
余談だが、横浜三渓園を自宅としていた原財閥の原三渓サンが上州に開いたのが世界遺産と成った富岡製糸場で、アレは原財閥の持ち物だったのだがソレを群馬県の人は余り知らない。
横浜銀行も原財閥の持ち物だったんだな。
何故、原財閥が群馬に生糸の製糸工場を作ったかと言えば、それはシルクは全て横浜港から出荷されヨコハマシルクとして世界に有名なブランド化に成功していたからだ。
間宮家の居城、笹下城下の笹下川~蒔田吉良家の蒔田城下の大岡川~蒔田湾(現:横浜中華街~吉野町は海だった)の河川では戦国時代より染物が産業として有り、昭和初期までシルク等を染色する捺染工場が多く残っていたが、20年程前に全滅したそうだ。
こんな生糸の歴史を通じても青梅市と横浜市は北条家の殿様達の御恩と御縁で繋がっていたりする。
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母屋は昔は現在とは違って草葺きだった様だ。
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御庭は本当に手入れが行き届き美しい。
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母とオバちゃんは大喜びで・・・
「素敵な場所ねぇ~」
「連れて来てくれてありがとう~」
・・・と言ってくれていたのだが、小生も正直、ここまで見応えが在るとは思わなかった!
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玄関の土間までは入る事が出来るが建物の内部は拝観不可。
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でも各部屋の当時の生活の様子の写真と解説が展示されており、これはこれで良かった。
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本当に立派な建物なんだなぁ~。
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御庭は新緑で美しかった。後で知るが、この庭の大きな木の下で吉川英治さん達家族は良く一家団欒を楽しんでいた様だ。
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執筆活動をする書斎は洋風の増築だった。
ここが又素晴らしい。
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床のモダンなタイルと・・・
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母屋との渡り廊下の細かい格子戸。
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庭からの入口には立派な漆喰彫刻。
本当に素晴らしい!
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書斎の中はコンナ感じだった。
地図を見ながら執筆するスタイルだったんだろうか?小生達旅行や歴史ブログ書く人と同じスタイルだねぇ~♪
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母屋から展示館の方へ抜ける道。
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中国から輸入したと思われる石像。
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ここから多摩川の方を望む景色も良い。
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展示館は内部が撮影禁止なのだが、見学して初めて知った・・・
吉川英治先生って横浜市中区の出身、しかも超低学歴なのに独学で会社経営して一定の成果を上げた特異な経歴を持ち、しかも作家として一流の成功を収めていらっしゃると言う。
・・・凄まじい才能の塊、小生、吉川英治先生に肖りたい。一番現代に近い人物で尊敬する歴史偉人がここへの訪問で吉川英治先生に成った。
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一頻(ひとしき)り見終わり母達も大満足で一先ず、塩船観音の次は幸先(さいさき)良い再スタートを切る事が出来た。
そこから昼食を❝奥多摩かまめし❞に行こうかと思ったが、吉川英治記念館に来る途中で渡った鉄橋に有った❝澤乃井櫛かんざし美術館❞と言う看板に母とオバさんが「行きたい!」と食いついていたのと、吉川英治記念館到着直後に澤乃井櫛かんざし美術館が近い事も地図で確認していたので次の訪問地と定めた。
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澤乃井櫛かんざし美術館吉川英治記念館から本当に近い、渋滞したが車で10分かかっただろうか?
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残念ながら展示物の写真撮影は不可との事、先に結論を言うと「ここの櫛と簪(かんんざし)の展示物は美しさも展示数も櫛と簪に特化すれば東京国立博物館を凌ぐ素晴らしさ!」だった。
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ここの紹介の跡で紹介するが、実はここ入口で日本酒を打っているので店員さんに「何で日本酒売ってるんですか?」と質問した所、澤乃井酒造の経営者の開いたコレクション展示館だそうだ。しかも存じ上げなかったが、直ぐ近くの吊り橋を渡った先が澤乃井酒造の酒蔵だそうで、そちらも見学したり試飲したり出来ると聞いた。
恐らく、吉川英治記念館や天皇家勅願寺の海禅寺と合わせて躑躅や桜の時期に訪問すると、ゆっくりするなら半日は余裕で楽しく過ごせるだろう。
展示物の写真は撮影出来ないが、館内から見る青梅市沢井地区の多摩川の渓流は一端の景勝として成立しておりとても美しかった。
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川面(かわも)は碧(あお)く、透き通り、そして優しい。
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つり橋の傍に何か御堂の様な建物が見えたので店員サンに質問した所、そちらも澤乃井酒造さんの建立された御寺で❝寒山寺❞と言う寺名だそうだ。・・・寒山寺は昭和の歌手の渡辺はま子サンと平成の歌手の平原綾香サンが歌った蘇州夜曲にも登場する春秋戦国時代の呉王国の首都だった中国蘇州市の名古刹寺院と同じ名で、蘇州と御縁の有る小生は「奇遇だなぁ~」と思った。
下の階に降りると切り絵の様な物の製作展示販売を行っていた。
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この方、高井先生とおっしゃる東京都調布市で代々続く着物の柄の染色型紙の作家の先生だった。
色々と横にいた綺麗な秘書の様な方に御話をお伺いして居た所、実はその女性は娘さん、そして高井先生御本人から「弟子募集中」との事、小生が趣味で指輪作ったり小さい時から美術造形を勉強していたので趣味として好きな事を話したら「是非、習いに来ませんか?」とリクルートされた(笑)。
弟子と言っても後継者がいないので教室を開くそう。横浜でもやろうかと思っているそうなので、もし横浜で開くなら参加して見たい。
ジムで身体づくりを完遂したら日野市の天然理心流の道場にも通いたいので、日野市の隣の調布市ならついでに車で通えると思う。工作好きだしねぇ~♪
高井先生の作品については写真撮影しても良いとの御許可を得たので、その緻密で精密な江戸時代から受け継がれている幾何学模様の型紙を沢山写真撮影した。
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驚く事に、この神は新聞紙だそうだ!
それを柿渋に付けて乾燥させると極薄で凄い強度の紙に変化するそうだ。
良い事を聞いたが、横浜では柿渋は手に入らないだろう。やはり先生の弟子に成るか別の代用紙を探す必要が有る。
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これ、もし作る事が出来たら銀粘土で指輪に模様を転写したらとても美しいデザインに成ると思う。
こんど写真を紙にプリントしてトレッシングペーパーに写しとって見ようと思う。
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う~ん綺麗だ。
外国人が御土産として喜んで買っていきそう。羽田空港とかに取り扱って貰えないのかな?
さて、一頻り見学が終わり澤乃井酒造へ移動しようと思い地図を見たら、実は当初の訪問地として定めていた福島家住宅の古民家の目の前が澤乃井酒造の酒蔵だと気が付いた。
なので先に澤乃井酒造の駐車場を目指し、車を降りてから福島家住宅を見学した。
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福島家住宅
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ここは東京都青梅市の奥多摩、昔の多摩郡三田領二俣尾村の庄屋だった福島家の古宅だ。
小生はこの福島家と玉縄城主北条綱成公の生家は何某か関係が有ると感じているのだが、まだ福島家の御子孫と面会に至らず御話を聞けずにいる。ちゃんと家系図も有るそうなのだが、東京都ロケーションなんちゃらが間に入って来て一個人での面会を勝手に拒否るのでまだ会えない。
こんど海禅寺の御住職経由で御話を通して貰おうと思う。
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う~ん…酒林が吊るされており尚且つ澤乃井酒造さんの隣って事は、福島家は澤乃井酒造と関係が深いのだろうか?確認出来ないので何とも言えない。
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澤乃井園(澤乃井酒造)澤乃井酒造は本~当~ぉに!立派だった。
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この昔ながらの酒造の蔵や漆喰の蔵や茅葺の母屋等と道を挟んで反対には食事処や試飲出来るスペースや売店なんかが有り、それが一つのテーマパークの様に完成されていている。
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家族連れと恋人達で山奥なのに大変な賑わい!ゴールデンウイークだしね。
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ここで御猪口を買うと試飲出来る。
無論小生は運転手だし御酒は梅酒以外は好きでは無いので飲まないが、母は試飲したがり何種類か有料だが試飲を楽しんだ。
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食事も出来る。
又、こことは別棟でちゃんと和食レストランと軽食の売店も有る。
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櫛かんざし美術館から見た寒山寺の水墨画。
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やはり蘇州市とも御縁が有る様だ!奇遇だなぁ~。
両方とも風景の美しい場所として有名。
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この軽食をとれる❝ままごと屋❞の横が日本酒の売店に成っている。
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小生は梅酒を見つけたので購入しようと決めたが、母もオバさんも自分も小腹が空いてきたので酒饅頭を購入した。
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ここの直ぐ下の渓流にも降りる事が出来る。
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う~ん!良い眺め!
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家族とカップルが水遊びをする様子は微笑ましい♪
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吊り橋の先には青梅市の寒山寺が見える。
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ここの多摩川の水は本当に綺麗!
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もし彼女が出来たら是非、泊りがけで青梅市~羽村市~あきる野市観光に来て飲酒もしたいと思う。
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この橋の後ろに澤乃井櫛かんざし美術館は在る、歩いて10分位なので美術館に車を停めて来ても良いかも知れない。
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皆ゆっくりと良い時間を過ごしているね。
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小生も母もオバさんも大満足で、食事の為に車に戻った。
食事場所に決めていた❝奥多摩釜めし❞に行く途中に間宮家の殿様が戦国時代に御世話に成った天皇家勅願寺だった福禅寺(海禅寺)が在るので、二人にも付き合って貰い御参りに立ち寄った。
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瑞龍山 海禅寺(天皇家勅願寺:旧寺名:福禅寺)御住職には御挨拶はしなかったが御参りに上がった所、予想外にオバさんが大変喜んでくれたので良かった。躑躅も少し残っていたが、綺麗な花が咲いているのが嬉しかった様で嬉々として写真を撮っていた。
御本堂で御本尊の釈迦牟尼仏様と三田綱秀公と間宮家歴代の殿様達に御参りし、いつもの御礼とこの日1日の旅の無事と海禅寺と海禅寺関係者と二俣尾地域の皆さんの無事を祈願した。
母達には付き合って貰ったのだが喜んでくれて良かった。
車に乗り昼食目的地に移動・・・
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奥多摩釜めし❝奥多摩釜めし❞に到着。
実はここで小生は食事をしなかった。
徹夜が限界に来て睡魔を感じ始めた・・・
「これ以上無睡眠は危なぇ~なぁ~」
・・・と思い、海禅寺で三田と間宮の殿様と御釈迦様に旅の無事を祈願したばかりだし、母達には好きに食事して貰う事にして自分は車中で仮眠する事にした。
1時間位は寝れただろうか?御釈迦様と殿様達の御利益か、1時間寝てスッキリ!眠気も覚めた♪
母達も「それなりに美味しかったよ(笑)」とそこそこ田舎の釜飯屋サンとして美味しかったそうで笑顔で店を出て来た。
小生、ここで食事をしなかったのは、直ぐ近くに❝へそまんじゅう総本舗❞が存在しているのを前回の訪問で知っていたので、そこで小腹を満たせば良いし母達にも良いデザートに成ると考えての事だった。
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へそまんじゅう総本舗ここは隣に旅の安全を見守る観音様が鎮座するので、御土産物屋として饅頭屋が名物に成った様だ。
歴史的には100年続くとか凄い古い訳では無い。
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ちゃんと御参りしました。
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「観音様、無事へそ饅頭本舗まで辿り着かせて下さりありがとうございました、二人を家に送り届けるまで御加護御願い致します。そして観音様が多くの人にずっと大切にされます様に」
・・・とお祈りして、御饅頭を購入!
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ここは蒸(ふ)かしている暖かい物を出してくれる。
母達も喜んで食べていた。素朴だけれど美味しくて、奥多摩観光に来る人達で賑わっている店なんだな。
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三田綱秀公の紹介が店頭に有った。
この殿様は責任感が強くて誠実な人だったんだな。以前書いた唐垣山城の記事が有るので、ブログのタグで唐垣山城と検索してくれれば以前の記事を読めると思います。御興味の有る方はどうぞ。
再び出発・・・
最後の目的地はあきる野インターチェンジ手前の清酒千代鶴の中村酒造、その途中に先の熊本大地震で熊本県民を僅かな犠牲者で抑え神様が自らを犠牲にして熊本県民を守る様に社殿崩壊した阿蘇神社の関東唯一の分社、武蔵阿蘇神社が在るのでそこに寄る事にした。
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武蔵阿蘇神社ここは関東人にとっては、とっても由緒正しい聖地だ。
神社前の多摩川に在った淵は古代からの龍神信仰の舞台であり、何と平将門公が肥後国阿蘇大社から建磐龍神(たけいわたつのかみ)の御分霊を勧進された由緒ある神社だ。
そして羽根用水と言う❝と~っても古い!❞現役の灌漑用水史跡が現存する場所でもある。
平将門公は腐れ藤原貴族には自分達の既得権益を脅かした悪人だが、実は桓武天皇の末裔で親王赴任国の上総国下総国を治める権限も有していた。そして関東人にとっては善政を布いた名統治者でもあったので東京都のみならず埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、福島県でも今現在に至っても慕われ、東京の神田明神では経済の神様としても民衆の信奉厚い。
武蔵阿蘇神社は目の前の多摩川対岸がパワースポットで古代からの聖地だったのだが、平安時代の渡河地点に平将門公が神社を築いたのだろう。そして平将門公が戦死された後は、将門公を討ち取った将軍の藤原秀郷も阿蘇神社を大切にし将門公の意思を継いで関東の民を安んじた。だから羽村市の阿蘇神社には藤原秀郷手植えの古木も現存する。
ここを御参り出来て母の友人も母も、羽根用水と多摩川の風景の綺麗さも有り喜んでくれた。
阿蘇神社を出発し最後の目的地の中村酒造に到着・・・
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清酒千代鶴 中村酒造(千代鶴酒造り資料館)DSC_0668
ここは売店に酒造の道具の展示が有るし❝試飲も無料❞なので運転手以外には見学する価値が絶対に有る場所だ。小生は無論飲まないが、文化的な物が好きなので3年前に始めて立ち寄って御土産に清酒と梅酒を購入して以来、羽村市チューリップ祭りを見物に来る度に立ち寄る様に成った。
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展示物色々。
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色んな賞で金賞も受賞している酒蔵だ。
母と母の友人は色んな清酒を試飲して、数本づつ御土産に購入していた。
「ね?最初に余計な物を買わなくて良かったでしょ?」
・・・と言う所だね。
母と母の友人も結果的に今回の小旅行全体をとても喜んでくれたので良かった。

この後、神奈川県の藤沢市域に入ってからが凄まじい渋滞に巻き込まれ夕方17時位に出発したのだが、母の友人の住む横浜市金沢区能見台に到着した時は既に20時近くだった。

そう言えば能見台の地名が出たので今回の旅とは全く関係無いけれど別記事にもしますが少し映画の紹介を・・・
恋は雨上がりのように 公式ホームページタイトル画像 久良岐のよし
恋は雨上がりのように
公式ホームページURL→http://koiame-movie.com/#/boards/koiame
2018年05月25日(金)、もう直ぐ公開のこの映画では能見台を中心に周辺地域がロケ地として頻繁に登場します。能見台駅や桜木町駅を皮切りに・・・
恋は雨上がりのように 能見台駅 久良岐のよし
恋は雨上がりのように 桜木町駅 久良岐のよし
富岡~能見台~氷取沢に抜ける住宅道路をヒロインの❝橘あきら❞を演じる小松菜奈さんが疾走しまくす・・・
恋は雨上がりのように 能見台 久良岐のよし
恋は雨上がりのように 氷取沢 久良岐のよし
恋は雨上がりのように ヒロイン 久良岐のよし
全然関係無いけど、この小松菜奈サン、小生の学生時代の彼女にソックリ(笑)。
恋は雨上がりのように 円海山 久良岐のよし
そしてもう直ぐ蛍の見れる季節に成る磯子区~栄区~港南区にまたがる円海山もロケ地に成っていますね。
蛍のいる瀬上沢から、このロケ地は徒歩8分くらいと直ぐ近く、更にはこのヒロインが走ってる道の左手の山の上は横浜市で最高所なので絶景の夜景スポットとして栄区上郷町と港南区港南台の地元民には知られています。
ついでなので以前、蛍を見られる❝瀬上沢❞と瀬上沢の綺麗風景や蛍の様子を紹介した記事のリンクと蛍の見られる場所も紹介して置きます。
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円海山の展望台とベンチ~横浜の大森林を守ろう
(洋光台地域ホームページから)

東急が開発破壊しようとしており林文子市長がそれを容認する様な発言をして横浜市民から大ヒンシュクなのも紹介しています。
こんな映画のロケ地に成ったり、横浜市最後の蛍大生息地が見られたり、横浜市一の夜景が見られる場所を横浜市役所に破壊されない様に、彼女さんや彼氏さんや奥さんや御子さんと❝恋は雨上がりのように❞の映画を見て聖地巡礼に円海山に来て、ついでに蛍と夜景を見て、その素晴らしさを感じて見ませんか?
横浜市にも奥多摩の様な最後の大自然が残っています、ここを破壊しようとする政治家と土建屋に止める様に、林文子市長には❝歴代市長が守て来た❞貴重な自然を子供達に開発の魔の手から守って下さる様に陳情して頂ければ幸いです。

●林文子市長への陳情窓口
林文子事務所 
〒231‐0007 横浜市中区弁天通4-53-2 DOMONビル2F
TEL:045‐228‐9780
横浜市教育委員会庶務課
TEL:045-671-3240
●東急建設
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