歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:秦野市

最近全く遊ばず睡眠も削り、嫌いな教科の学習、しかし、その対価を保証するべき人間の発言は紆余曲折有り安定せず、御蔭で当方は当惑と不安に苛(さいな)まれストレスが溜まるのに反して遊びに行く暇も作れなかった。
ここ2ヶ月間、仕事を終えて帰ると睡眠を削って資格取得の為に学生時代嫌いだった数学の参考書を毎日20~30ページのペースで黙々とやっていた。
そんだけでも結構ストレス溜まってたんだけどね。
ブログの読者の方は覚えている人もいるかも知れないが夏頃に職場で事実無根の「ヤった派遣の女を雇わせた」とか「愛人を雇わせた」なんて妄言の流言飛語を拡散されて対人関係でもずっとピキピキ来ている。
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知り合いの年近い和尚様から貸して頂いた御釈迦様の言葉集を読んで何となく落ち着いたりしたが・・・
そもそも小生の堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)は今年の1月に居酒屋で酔っ払いに絡まれて以来既にはち切れ駄々洩れなのにね。
思えば今年は1月1日の朝の3時頃にセルフのガソリンスタンドで酔っ払いに絡まれて喧嘩売られたり散々だったな。
酔っ払いに振り回された1年間だった。
本当(怒)酒乱嫌い!
酒乱なんてシンナー中毒者や麻薬や覚醒剤依存者と大して変わらんと思う。
悪だ悪。
そんな酒に纏わる嫌な事も有り飲み会なんて誘われても行きたくない。
最近も仲良くしてくれる職場近くのコンビニの女性店長サンに回転寿司に飲みに行こうと誘われたが酒は嫌いだからと嫌な思い出を説明して断った。
そして先週末までの火傷である・・・
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・・・自宅療養で仕事を休んでる間もずっと学習。しかも太腿(ふともも)の皮膚が回復して無かったから肉が露出しててズボンも履けないから仕事復帰直前まで出掛ける事も出来ず、その時点でMAXストレスを放り込む❝堪忍袋❞の緒(お)じゃなくて本体の袋が破け弾け飛ぶ寸前・・・

てかキレた(笑)!
夜中に帰宅して入浴中♨とうとう爆発 💣した。
(ꐦ°д°) ノㇱ やってられっかオラぁ!

・・・みたいな(笑)?風呂を上がると何も考えず机にも向かわずに部屋着では無く外出用の服に着替えてデジカメと教材と筆記用具とノートを黙々とBILLABONGのリュックに詰めていた(笑)。
身体が勝手に紅葉溢(あふ)れる自然と静寂な霊気の癒しを欲して夜中の3時半に車に乗り込み南足柄市の大雄山最乗寺に向け出発した。略何も考えず。
高速道路を使わず下道で60km離れた略(ほぼ)1時間半で大雄山の駐車場に到着した。
下道使ってカーナビで最適コースや有料道路設定では無くて❝最短距離設定❞で走ると不思議と古代の矢倉沢往還や中原街道を走ってくれるから面白いんだな。

駐車場にて1時間程車中仮眠。
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真っ暗!
山の中の駐車場でクソ怖い((((;゜Д゜)))!

恐怖も睡魔に負けてから暫くしてスマホの目覚ましで起きると、もう大雄山は曙を迎えており石畳と紅葉、杉の巨木の並木の参道が視界に御目見得したので散策を開始。
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今年は台風に運ばれた海水の塩害で木によっては葉が萌える前に枯れ落ちてしまっていたが、それでも緑~黄~朱にと色付く過程を含め若い葉~役割を終えた葉、色付く前に海水で枯れ落ちた葉まで、人生の岐路に立つ小生には感じる事が有った。
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紅葉と最乗寺の幽玄な風景を楽しみながら散策出来るのが、この大雄山最乗寺。
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紅葉も朱に染まってから落た紅葉(もみじ)が参道に落ちている。
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余談だが楓(かえで)と紅葉(もみじ)は手みたいな葉の形状が3又だと楓、それ以上のを紅葉(もみじ)と認識して良いそうだ。
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大雄山 最乗寺・・・
鎌倉公方与力大名大森家、関東覇者の北条家が支援した曹洞宗大寺院
小生は四季折々の植物を鑑賞するのは好きなのだが、名前や種類には全く詳しくない。
今年は大雄山の紅葉も台風の塩害でダメだろうと思っていたが、杉の大樹に守られている参道側はとても綺麗だった。
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でも境内の内、堂塔の建ち並ぶエリア周辺は紅葉が少し元気無かったかな?
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それでもこの辺りは綺麗だった。
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でもやはり、葉の大半が朱に染まる前に落ちてしまっている樹も多く見られた。
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まぁ、毎年違う表情を見られるのは、それはそれで良い。
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各所伽藍に神仏を1年振りに小1時間御参りして廻った。
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不動堂と滝の前を通過して・・・
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奥院への入口を通過・・・
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ここ辺りの紅葉は今年も綺麗だった。
ここを右手に上がって大雄山最乗寺の異名の道了尊(どうりょうじゅん)の元とも成った禅宗系修験者として大雄山で修行したと伝承する❝道了和尚❞を祀る御堂を2年ぶりに再訪。
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ちゃんと1年無事に過ごせと感謝と改めて心願を御伝えし天下親日家万民の幸福と大雄山の安寧とを祈願した。
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まぁ性に合わない奴でも倫理観のちゃんとした親日家の善人なら幸せに成れば良いし仮に不道徳不倫理な事をしている人間には神様仏様は❝必然的に天罰を与え❞改心の機会を与えて下さるだろうから、人の幸せと自分の諸事向上の御加護をお願いさせて頂いた。
この御堂の横には巨大な下駄が有って、まぁ道了和尚様は禅僧修験者でもあったので天狗に昇華されたと伝承しており、その御縁から下駄が奉納される様に成った様(よう)だ。
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その道了和尚様の御霊の御利益を授かる為に下駄をくぐると道了尊の御導きで良縁が結ばれるとか。
一応潜(くぐ)った(笑)。
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まぁ、神奈川県~東京都~埼玉県~群馬県等は天狗信仰の舞台が古来多く、そのどれもが古代からの聖地と関係したりしている。大山阿夫利神社や高尾山なんかそうだな。
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この後で横浜市で用事が有るので奥院を訪問する時間的な余裕が無く、奥院参道の階段下から御参りして駐車場に戻る。
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途中、来た道と違う不動堂内を御参りする参道を経由。
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三体の御不動様に日頃御加護御守護下さる御礼、再訪出来た御礼、新たな心願を祈願し大雄山最乗寺の安寧も御祈りした。
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不動堂から降りて来た時の景色も又、先程下から見上げた時とは見え方が異なって綺麗だった。
再び車に乗り込み秦野市の震生湖へと向かう。
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大雄山最乗寺の山の中腹の一番最初の仁王門も一応再訪した。
震生湖へ向かう道は古代の矢倉沢往還を整備した場所を多く通るのだが、その途中の渋沢駅辺りには毎年立ち寄る九州拉麺の名店❝なんつっ亭❞も在る。
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今年は開店前の時間だったし待つには時間に余裕が無いので食事せず通過、そこから15分で震生湖に着いた。
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震生湖
一昨年、初訪問の際は時期が早くまだ楓も紅葉も未だ未だ青々とした様子だったが、まぁ空気が爽やかで湖畔に静かに鎮座する福寿弁財天様に御参りして清々しい気分にさせて頂けたのを今も思い出す。
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やはり震生湖の樹々も塩害で枯葉が目立ったが綺麗に朱に萌えた紅葉や楓も多く有り、とても良い散策が出来た。
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途中、石碑の前に仏様みたいに佇(たたず)み❝日向(ひなた)ぼっこ❞している猫チャンに会った。
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神様や仏様は南や東を向けて鎮座している場所が多いので、そう言う視点で猫チャン見てると南東の太陽を向いて日向ぼっこしてると何だか本当に❝猫様❞的な感じに見えて来る(笑)。
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う~ん綺麗だ!
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大雄山から車で30分程度と近いので、車で移動される方に小生は大雄山&震生湖はsetで紅葉見物される事をお勧めしたい。
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暫く湖の周りを散歩する・・・
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御世辞身も水質は綺麗とは言えないが、昨日11月30日の天気が良かった事と朝方の気象条件の御陰か鏡の様に湖に紅葉が写り込んでとても綺麗だ。
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う~ん癒される。
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まだ青葉が残る樹も、色が変わって行く人間の青春の頃を見る様で爽やかな気分に成れる(笑)。
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暫く湖畔の林道を歩いていると福寿弁才天様が見えて来た。
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福寿弁財天社

ここ震生湖は大正時代の関東大震災で水源地の山が崩壊し湧水が堰き止められて湖に成ったのだが、どこの川からも水が流入せず、そして水が出て行く川も無く、水量が一定している不思議な湖なんだな。
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弁財天様は辯財天、辯才天とも書き本来はヒンドゥー教由来の仏教に習合された女神様で、男の神様達からモテモテだったので女性の美の女神であると同時に、軍神や音楽神や財神として幅広い御利益が有る神様だんだな。
だから貨幣経済が普及し始めた平安時代末期~鎌倉時代に源頼朝公が水=農業の豊穣=豊かさの神様である江ノ島や鎌倉の宇賀福神社の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に弁天様を御祭りし習合した崇拝した歴史が有ったりする。
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この震生湖の福寿弁財天様は神奈川県下では珍しく竹生島弁才天様の御分霊では無く奈良県天川村の❝天河伝説殺人事件❞なんて昔の映画でもモデルに成った天河弁財天様の御分霊なんだな。
福寿弁財天様にも前回の御参りから今日まで無事に過ごせた御礼と新たな1年間の祈願をし、福寿弁財天様がこれからも多くの人に大切にされる様にも御祈りし車に戻った。
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震生湖駐車場からの眺望は実に良く、三角形の山体の形状から古代縄文人~江戸時代の人々まで崇拝の対象とされた大山や丹沢山系が見渡せる。実に良い景色だ。
今日も少し肌寒いくらい、湖畔の清々しい空気と紅葉の隙間から射す陽光にリフレッシュさせて貰えた。
横浜市中区の中央図書館近くの駐車場に向け出発した。
横浜への帰路は高速道路を選んだ。 まぁ取り立てて書く様な事も起きず渋滞もさして嵌らず順調な横浜への復路と成った。
三ツ沢で高速を降り、野毛の駐車場に車を停めて少し歩き、着席し持参した教材を開き一頻(しき)り学習した。

昼下がり御腹が空(す)いたので野毛の商店街を散歩してランチする事にした。
店は東京庵と言う蕎麦の食べれる居酒屋にした。
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日本そば東京庵
最初、最近は中央図書館に行くと野毛で洋食屋を開拓しようとしているので洋食屋を探したが、たまたま行こうと思ってた店の料理単価がクソ高くて(蟹クリームコロッケで2000円位)で絶望し(笑)寒い桜木町の海風に晒されながら飄々と野毛の町歩きをしていた所・・・
「和食食べたい」
・・・と思い付き、店構えがとても清潔で雰囲気良く、美味しい蕎麦も食べれる東京庵のランチを選んだ。
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名前は東京庵セットと言って蕎麦や刺身や小鉢等、沢山セットに成っていて1000円ととてもコスパも味も良いランチだ。 これで1000円だよ?信じられるかい?東京で食べたら2000円とかとられそう(笑)。
学習もして昼食も食べて帰宅・・・

さっき、この記事の下書きの文字を打ちながら、先週購入していた❝恋は雨上がりのように❞のDVDを見終えた。
恋は雨上がりのように 公式ホームページタイトル画像 久良岐のよし
うん、やっぱり大人が大人として役割を果たすこの映画は見ていて胸がスッとする気持ちに成る。
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最近、身の回りに不倫に不倫を重ねる奴とか不倫肯定したり風俗通いばっかしている倫理観の無い連中(ソイツ等も酒乱の利己的快楽主義者)と一悶着有ったりしたのだが、まぁ普通に資格使って会社員として働いたり会社経営してる小生の友人達や、一般社会とは違う大学勤務やら和尚様達や宮司様達はジャンル問わず「オマエが普通でソイツ等オカシイ」と言ってくれるのだが、身の回りに変な事を言う人間が何人かいると「あれ?俺がおかしいのかな?」と錯覚してしまったりしてしまうんだな。
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恋は雨上がりのようには、主人公の女子高生がバイト先の店長さんを好きに成るんだけれど、その店長さんや先輩達がちゃんと大人として対応して主人公が高校生として真っ当な道を進む手助けをする青春の爽やかな恋愛の映画なんだな。
小生は大人の男性とは恋雨の登場人物達の様にあるべきだと常日頃思う。

・・・恋雨を見終わってからAmazonで購入した新しい教材の配送不在者通知が家に居たのに何故かインターホンも押されずポストに入っていたので事業所に受領に行って来た。
クレームじゃないけど「不在者通知入れる前に不明の電話に出ない受話設定にしている人もいるからインターホンは鳴らした方が良いと思います。」と個人的な意見も窓口の女性にお伝えして来た。

よって今日から新しい教材に着手する訳だが・・・  
ふむ、昨日は充実した休日に成った。
神様仏様、自然を守る土地神様、御寺や神社を御守り下さる皆さんに感謝!恩師や恩人や友人、両親や御先祖様にも感謝!
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前回
 ↓
【休日雑記】2017年11月22日の訪問先その③源実朝公首塚~金剛寺・・・源氏将軍暗殺ミステリーの史跡と御寺と解説編。
 ↑
コレの続きの記事・・・
22日訪問その③
前回の記事で紹介した金剛寺を出発してから弘法山に向けて暫く車を走らせるとカーナビの「まもなく右折です」のガイドが自分の思ってる道と違って何だか無視したくなり(笑)、そのまま暫く直進してから弘法山方面に行く別の道を進むと偶然とても気に成る店構えの建物と看板が目に入って来た・・・
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強烈に目立つ「ゆばとうふ」&「とうふ」「とうふ」「とうふ」「とうふ」「とうふ」の看板と幟(のぼり)のラッシュ(笑)・・・
これを見た瞬間に妙に印象に残り「そう言えば秋なのに今年は大山阿夫利神社に紅葉見に行ってないし、丹沢山系大山名物の大山豆腐食べてないなぁ」
・・・と今回の小旅行で何にも特産品を食べていない事を思い出し、無性に丹沢山系の美味しい水で作られた名物豆腐を夕食に買って帰りたくなったので店を過ぎてからUターンして(笑)戻って来た。
幸い店の前に駐車場が在った。
店の名前を五右衛門と言うらしい。
(株)五右衛門 本店店の中に入ると意外な光景が小生を待っていた。
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何と只の小売店では無く客の目の前で豆腐や湯葉を生産しているのだ。これは外国人の来客が有った際に弘法山の桜や紅葉見物と合わせて連れてきたら喜びそうだ。
無論、小生も帰宅してから夕飯(減量中)と家族の御土産にする為に❝石臼なまゆば❞・❝石臼とうふ❞・❝生揚げ❞・❝なめらか絹揚げ❞の4品を購入してみた。
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帰宅してから小生は湯葉と豆腐を食べたら当然ながらメチャクチャ美味しかった♪
質問に色々と親切に答えて下さった店員のお姉さん、ありがとう。
遠回りで思わぬ美味しい発見。
五右衛門本店サンから車で僅か10分の距離に弘法山は在る・・・
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弘法山に夕方に差し掛かる15:30頃に到着。当日は天気予報が晴れ後→雨だったので心配していたが、やはり雨が降り始めた。
この弘法山は春が特に綺麗な富士山の景勝地として有名で、天気が良ければハイキングを楽しむ人と多くすれ違う。
因(ちな)みに春の風景はコンナ感じ・・・
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弘法山展望台そう言えば一昨年に弘法山で桜と富士山を見た時も天候が芳(かんば)しく無かったんだ(笑)。
まぁ、あと4ヶ月も過ぎると桜が咲くので、ここは新たに見つけた五右衛門本店サン、そしてこの後で訪問する“鶴巻温泉”と合わせて行くと良い休日に成るだろうと推薦できる場所だな。大山も近いので車での移動の人なら合わせて訪問しても良いかも知れない。
さて、22日に話を戻す。
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天気も悪く日暮れも近いので車を駐車場に停めて展望台まで10分位急いで登ると慌ただしく紅葉の写真を撮り始めた。
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一応、ハイキングコースとして有名で紅葉も楽しめる。
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ここはやはり展望台に登のが御薦めで・・・
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丹沢山系~箱根山系~(晴れてれば富士山)~伊豆半島の山並みの絶景が一望できるんだな。
そして春には手前に桜が、秋には紅が差した山の木々が景色を化粧してくれる。
この日は生憎天気が悪かったが、それでも爽やかな空気と箱根の絶景を楽しめて大満足だった。
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曇りのせいで余計に光を感じれたし、山々に雲が掛かり、これはこれで楽しめた。
まぁ、正直この日の最大の目的は最初の大雄山最乗寺の紅葉(笑)と、弘法山の後に訪問する予定の鶴巻温泉の秦野市市営銭湯“弘法の里湯”だったので、多少天気が悪いのも風情の内と楽しめる余裕が有ったんだな(笑)。
これが一人だから自己責任で良い訳で、外国の友人やらと一緒に来ていたらエスコートする責任から正直、悪天候を楽しめなかったかも知れないな。
弘法山の駐車場に戻り、車に乗るとナビでは弘法の里湯まで15分と出た。
しかし実は小生、以前来た時は弘法の里湯への道が解らず、時間的にも余裕が無かったので小田急鶴巻温泉駅周辺まで来てもスルーしてしまった事が有る。
今回はカーナビ先生に事前に位置登録しておいたのだがこれが実際に車で走ると路地の細い変な道に入られるわ~、温泉街じゃなくて住宅街化していて全然解らん!
仕方ないのでスマホのGoogleMap先生に登場して貰った。
鶴巻温泉周辺 久良岐のよし
あっさり到着(笑)。
小生の車の某自動車メーカー純正カーナビはクソだ(笑)。iPhoneとの接続不良も度々起こすし変な道走らされたり高速の出口を変な場所で降ろされたりするので、基本的に旅に出る前には小生は道順をだいたい地図見て丸暗記する様にしている。でも、こういった住宅街の路地はどうにも成らん!
そこの当たり、スマホの登場でGoogle mapが使える時代に成り非常に重宝する。
行きたい場所を事前にやたらめったら登録して置くと、距離感が解り易くて道路状況に合わせて柔軟に計画の変更も出来るし。
Google先生にガイドを頼んだらアッサリ到着(笑)。
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弘法の里湯何だか思っていたのと違う、銭湯と言うよりスーパー銭湯だな。
でも駅前なのだが駐車場もそれなりに有り交通の利便性は良い。
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綺麗だし。
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秦野市の御土産も売っていた。小生は秦野市と言うと特産品は“煙草の葉”と“美味しい水”のイメージなんだが店員さんに聞いたら落花生も有名だそうだ。
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まぁ当然混浴では無い(笑)。
中は箱根の中堅ホテルの内風呂位の大きさの大浴場と、小さな露天風呂が一つ。
料金は2時間と1日の2種類、曜日によって違う。
平日は2時間800円、1日1000円(秦野市民は800円)。
土日は2時間1000円。
フロントに最初に申し出れば駐車場料金のサービスも受けれる。
弘法の里湯の温泉は横浜・川崎市民や東京都民に馴染み深い黒湯炭酸泉と全く異なり、無色で若干硫黄ぽい匂いがする気がする物だった。何でも世界有数のカルシウム含有量が有る温泉で、擦過傷や打ち身とリウマチの治癒に効果が有るそうだ。昔は湯治場でも有ったので飲湯すると薬代わりとしても持てはやされたそうで胃腸病の回復にも効果が見込めるそうだ。
・・・朝から山を2つ登り、史跡と御寺を廻って書いた汗をゴシゴシ洗い落とし、鶴巻温泉のサッパリした湯で疲れを癒すとリフレッシュし、睡眠不足の帰路の運転に堪えるだけの鋭気を養う事が出来た。
メンバーカードみたいのも頂いたので、又来年の紫陽花の季節に開成町の紫陽花祭りと寒田神社参拝の帰りに寄らせて頂こう。

この日、最終的には真土大塚古墳を訪問して写真を撮影する予定だった。
2017年11月22日訪問予定地
真土大塚古墳は日本に文字を齎(もたら)した神であり大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)=仁徳天皇の弟皇子の莵道稚郎子命(うじのわけのいらつこのみこと)の御陵(みささぎ)=古墳の跡で、アホの神奈川県教育委員会が一昔前に保護を怠り事も有ろうに農地改良と称して破壊してしまった歴史がある。
挙句の果てに教育委員会が伝承をナメてたら本当に古代王族と繋がりを示唆する三角縁神獣鏡が出てきてしまったから、さぁ~大変!
はからずも前鳥神社の由緒を証明する事に成り、神奈川県教育委員会は己らの不見識で天皇祖先御一族の皇子の被葬されたまま保存されていた古墳を破壊した訳だからな。
昭和中期から時代が経ち現代、市民が増えて認知度が上がる程に責められる訳だ。だから現代の古墳を復興した。
復興した古墳だが、それでも昔そこに莵道稚郎子命が眠っていた事には変わらない。
学問の神様として崇拝する莵道稚郎子命の復元御陵を改めて参拝し写真撮影したかったのだが、残念ながら弘法山の時点で既に日没を迎えタイムアップだった。
22日訪問その③
それでも帰りの順路に組み込んで横は通って見たが、やっぱり真っ暗で何にも見えなかった(笑)。
正月3賀日のどこかで伊勢原市の比々多神社と平塚八幡宮と前鳥神社も参拝する予定なので、その時に改めて訪問しよう。

さて、今回の旅、やはりハイライトは最初の大雄山だった(笑)。
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まぁでも“なんつっ亭”で久しぶりに美味しい九州風拉麺も食べれたし、出雲大社相模分祠も御参り出来たし、源実朝公にも命日の前日に御挨拶に伺え参拝で来たし、全体的には満足な旅と成った・・・

この後、日にちは前後したが訪問したのが下の記事で紹介した“三渓園”・“山下公園前銀杏並木”・“報国寺”・“鶴岡八幡宮白幡神社”での紅葉見物だったんだな。
コレがその時の記事
 ↓

更にその後日、小生が顕彰活動を行っている宅間上杉家の殿様所縁の神社である下永谷の神明社・・・
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そして三浦半島の富士山の絶景スポットにも行って来た。
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又、改めて解説記事で紹介したいと思います。

さて、これから年末年始に向けて、又、神奈川県内の凄い御利益の有る神社仏閣紹介記事をボチボチ更新して行きます。
コレね。
 ↓

何とかクリスマス25日の夜には更新完了できる様にしたいと思いますので、興味が有る人は年末年始の神社仏閣参拝の参考に紅白歌合戦でも見ながら片手間で見てやってください。

では!又、その記事で御会いしましょう♪良いお年を!










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前回【休日雑記】2017年11月22日の訪問先その②震生湖~福寿弁才天社~八坂神社~出雲大社相模分祀編・・・秦野市北西部の震災の生んだ紅葉名所と神社編。←コレの続き。
22日訪問その③
出雲大社本社の分社であり関東における出雲大社の拠点である出雲大社相模分祠での参拝を終えると車に乗り込んで最初に向かったのが源実朝(みなもとのさねとも)公の首塚だ。
実は源実朝公が鶴岡八幡宮の階段の大銀杏横で暗殺され首を切断された際に、その御首は紛失して行方不明に成ったとする学者がいたりするが、ちゃんと鎌倉と一見関連の無さそうな地域でも歴史を紐解くと実朝公の首塚が記載されていたりするもんなんだな。
現在では、その首塚は秦野市の田原ふるさと公園と成った広場の片隅に御廟所と石塔が有り地域の人に鎌倉時代からずっと守られている。
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普段なら初見の人は解りづらい農道と住宅街の道なのだが・・・
小生の訪問した11月22日は初見でも訪問し易い状況だった。
市指定史跡源実朝公首塚(田原ふるさと公園)CIMG5612
翌日の23日が鎌倉幕府第三代征夷大将軍の源実朝公の命日なので地域の人が総出で八百回忌の供養と毎年行われる実朝公顕彰の御祭りである“実朝まつり”の準備をしている最中で天幕やら実朝まつりと書かれた看板が用意されていたのだ。
この日は土曜日、小生は翌日の日曜日は仕事だったので1日早い実朝公の追善供養の参拝と成った。
実は偶然の命日直前の訪問。こう言った尊敬する先人の命日には何故か御縁が有る小生・・・
オカルト的なものじゃなくて、普段の尊敬から来る行動と興味でエンカウントする確率が自然に高くなるんだろうと思う。
小生は毎日、祖先神と母方の祖先が崇拝していた神様、そして両系統の御先祖様、自分が崇拝する土地神様、それぞれの時代の神様と仏様、妙法蓮華経、般若心経、無量寿経の題目、それに加え尊敬する歴史偉人、幼少期に御世話に成った義祖母と、学生時代の恩師の名を念じ、或いは心の中で唱え毎日の御挨拶と前日1日無事に過せて新たに1日を迎えられた御礼をする。
・・・その歴史偉人の中に横浜に深く関わった河内源氏の殿様達も含まれていて、特に源頼義公・源義家公・源義朝公・源頼朝公・源頼家公・源実朝公にも名を唱え感謝を伝える様にしている。
無論、時間が無い時は「源頼義公、義家公、頼朝公始め河内源氏の殿様方」と簡略化させて頂く場合も多いが。
だいたいスポーツジムでウォームアップに30分走る間に丁度、全部言い終わる位だ。勿論、ジムでブツブツと独り言を言っていたら危ない人なので(笑)そんな事はしない。周囲に人がいるなら心の中で唱える。
そんな訳で、源実朝公の命日の前日に御参りで来たのが偶然でも良かった、普段から守って頂いていると勝手に思っている感謝を伝えられたから。
因(ちな)みに「念」と言う言葉について一つ解説をしておきたい・・・
余談だが頭の中で言葉を読む事を“念じる”事だと勘違いして“念”の動詞を使う日本人が多いが、これは誤用で漢字の意味を間違っている。念(ねん)は中国語の念(Nian=ニエン)を古代日本人が朝鮮訛りで読んだ結果、先ず発音が念(ニエン)○ではなく念(ねん)×で伝わってしまった。そして次に意味も間違って用いられる事が現代では多い。
中国語で学習を促す時に「念書(Nian Shu)」と現代でも言う事が有るが、これは丸暗記する為に音読して精読する事を指す。
本来の“念”と言うのは声に出して唱える事を意味する動詞なのだ。
だから「念じろ!」と言われたら言葉に出して唱えないといけないのだ。決して「頭の中で念じる」と言う事は成立しない。あくまで“声に出して言う”事を“念”と言う。
もし教養が無く嘘ばかり言ってる偽霊能者が「頭の中で念じる」とか言ったら「コイツ馬鹿な詐欺師だな」と思って置けば良い。
そんな“念”の一文字が動詞として浸透したのが、丁度、鎌倉時代、源実朝公が生きた頃の話で浄土宗の開祖の法然上人と直弟子の親鸞上人、そして日蓮上人と踊念仏の一遍上人達が布教した念を精神修養に取り入れた“法華宗”にカテゴライズされた仏教の影響だな。
現代では完全版が伝わらない法華経の教えを元にした宗派で、源頼朝公や源実朝公そして北条義時公も大切にしていた経典だったりする。源頼朝公や河内源氏の歴代殿様は、法華宗の他に真言宗と修験道と神道も非常に大切に信仰していたりする。
源実朝公は法華経を“転読”しているので、つまり“題目を念じた”らしい事も現代に伝わっていたりする。
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上の写真は鎌倉市浄明寺地区衣張山の釈迦堂切通し。
北条義時公の子で鎌倉幕府第三代執権と成った北条泰時公が、北条義時公の没後に供養の為に付近に釈迦堂を建立した事に名前が由来する。
話を源実朝公に戻す。
甥っ子で出家していた公暁(くぎょう)に暗殺された際に首は持ち去られたとされている。ここまでしか調べない或いはメジャーな文献しか読まない連中は「首は行方不明」で終わっている。
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上の写真は鎌倉市の寿福寺の参道、今の季節は多くは無いが紅葉も美しい。
現在の源実朝公の菩提寺は鎌倉の亀谷山金剛寿福禅寺とされているが実は全く関係無い。まぁ、鎌倉市の扇谷地区に存在する“臨済宗南禅寺別格 鎌倉五山の第三位”の格式を歴代将軍から与えられていた御寺で由緒正しい事と母親の北条政子様の菩提寺なので合祀されているのだろう。寿福寺の所在地は元は源氏の邸宅跡でもある。
しかし本来の御廟所は鎌倉市浄明寺地区大御堂谷(おおみどうがやつ)に存在した廃寺:阿弥陀山勝長壽院(しょうちょうじゅいん)に亡骸が葬られたと記録されている。しかし御首は見つから無いまま亡骸が葬られたので勝長壽院には“胴塚”が存在したのだろう・・・
まぁ、源実朝公暗殺には伯父の北条義時公が不可解に鶴岡八幡宮参拝の式を途中で早退したとか中門で待機していたとか各文献の記載が矛盾していたり、肝心の実朝公の“首が見つかっていない”とされていた事からミステリー満載で実は首謀者とされる義時公が暗殺を察知し実朝公を逃がした生存ルートも小生は推測していたり・・・
北条義時公と三浦義村公が結託して源氏の血を根絶やしにした従来の有力説も有り得るとも思っている。
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写真は横須賀市衣笠城址の衣笠山大善寺。
大善寺は三浦一族郎党の学問所として機能した元は真言宗で現代は曹洞宗の寺院。
小生が実朝公の生存シナリオも有り得ると思うのは、実は暗殺の前に源実朝公は朝廷から高い官位をバンバン与えられているが・・・
実はこれは日本の歴史を見ると解るのだが、天皇子孫の平氏源氏等の元皇族や古代豪族有力者を藤原家が暗殺する際の悪い兆候なのだ。官位を上げておいて朝廷に参内させたり、官位受領する相手へ使者を送っておき使者によって相手の側近を内応させる。そして毒殺させたり謀反を起こさせたり陰謀に嵌(は)めるのが汚い藤原家の常套手段な訳だ。小生と多くの歴史家が指摘するが藤原家は蘇我嶋大臣馬子=蘇我馬子を暗殺し蘇我の財産と地位を乗っ取った“百済王族”と言うのが現代では説の1つに成っているが、彼等藤原家は古代から天皇家と血縁の有る豪族を陰謀で暗殺したり、天皇家から臣籍降下して源氏や平氏として豪族に成った関東の武士を平安時代から度々陰謀に陥れている一族だったいたりする。
源頼朝公
実朝公の父上の源頼朝公も落命前日と当日の症状はヒ素中毒が推測出来て、暗殺の容疑者は北条時政の婿の稲毛重成だろう。首謀者は北条時政。そして北条時政は色ボケと勘違い権力欲から源実朝公も暗殺しようとした悪人で子の北条義時公や孫の北条泰時公からも嫌われてロクに供養もされていない。
この老害の北条時政は京都に滞在していた期間が有り、藤原貴族に欲を突かれて煽動される動機が有るし性格的にも自己中心的で利己的な面が強いのでやりかねない。
暗殺事件発生の数年前、源実朝公が急速に官位が上がると側近の大江広元公と北条義時公は“不吉=暗殺”を憂慮していたので諫めている。この憂慮が後に実際の事件に成ってしまう・・・
建保七年(1219年)に鶴岡八幡宮に参拝した際に暗殺される。この参内に先んじて源実朝公に対して側近の大江広元公は「腹巻(歩兵用の体にフィットした胴鎧)を衣服の下に来て下さい」と用心する様に進言していたりする。更に北条義時公も中門に待機しているが中には入れない。
・・・結果的に甥の公暁に暗殺された(事に成っている)。
つまり実は大江広元公も北条義時公もアンテナを張っていたので何か察知していたのだろう。源実朝公は血縁的に北条家と縁が深く、兄で先代将軍の源頼家公は北条時政に暗殺されたのだが頼家公の方は比企家との縁が深かった。つまり鎌倉御家人達の間では“兄弟のどちらを傀儡(かいらい=飾り)将軍にするか”で自分達の出世が関わり権力闘争に図らずも巻き込まれていたのだ。
①従来の説通り北条と三浦に煽動された公暁に殺された。
②藤原家(朝廷)に煽動され謀叛した暗殺者達から北条義時公と大江広元公が守ろうとしていたが失敗。
③藤原家(朝廷)に煽動され謀叛した暗殺者達から北条義時公と大江広元公が実朝公の影武者を用いて南宋に逃がした。
④暗殺を察知していた源実朝公は波多野家と共謀し影武者を立て自力で南宋に逃げた。もしくは別人と成って生き延びた。
上記のどれかだろう。
暗殺の数年前から実朝公は南宋に渡航つまり亡命しようと試みた節が有るのも暗殺の兆候が有ったからだろう。
一般的に源実朝公は文化傾倒し武人らしからぬ暗愚の“迷”君と認識されがちだが鎌倉の町を歩くとそうでは無い事が非常に良く解る。
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鎌倉市の二階堂川に有名な逸話を残す石碑が有る。
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澁河兼守(しぶかわかねもり)と言う武将が幕府重臣の合議で謀反人の嫌疑をかけられた。
この事件の発端は先代将軍の源頼家公に忠義を感じる御家人や、源実朝公ー北条義時公ラインによる権力占有を懸念した“反北条派閥”による謀反が発覚した際に、渋川兼守公は無実の罪を着せられた訳だ。しかし貴族カブレの振りをしながら藤原家による幕府御家人内部分裂誘発の陰謀を察知していたのか、源実朝公は御家人達の団結を促したり権力で冤罪を晴らしてやったりして度々、父の代からの御家人の命を救おうとしている。
この澁川兼守公も真実が伝わる様に和歌好きな実朝公の目に入る様に和歌を10首程詠んで暗号を入れたかして当時は鎌倉から東に向かう時に参道の前を通る荏柄天神社に和歌を描いた紙を掲げておいた。
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すると実朝公の耳目に触れ真実が伝わった様で、澁川兼守公は“実朝公の独断と権威による命令で命を助けられ”御礼に当時は通行不可能だった二階堂川に“歌の橋”を掛けて新たにショートカットの街道を開いて謝礼を表したりしている。
他にも畠山重忠公の御子息の畠山重慶公が謀反の容疑をかけられると、捕縛に向かう長沼宗政に「活かして捕縛する様」わざわざ指示を出したのに長沼は“将軍実朝公の命令を無視して畠山重慶公を殺害”してしまった。この際も実朝公は「何で殺したか!無実かも知れないだろう!」とかなり怒っているので、鼻から無実だと確証が有ったのだろう。
因みに長沼家は“藤原一族”であり反実朝公の人物だったんだな。
源実朝公は武士達の貴族の陰謀に乗っかった権力闘争に飽き飽きして南宋に亡命しようと画策した痕跡も有ったりする。
まぁ、そんな歴史が有って複雑なのだが、小生は実は実朝公暗殺は朝廷を私物化した藤原一族による御家人を巻き込んだ陰謀で、防げないと思っていた北条義時公により替え玉が準備されて“実は南宋に逃げた”ので“人物特定される首が行方不明”に成ったんじゃないか何て可能性も少しは有ると思っている。
仮に北条義時公が源実朝公暗殺の首謀者ならば、首を紛失させる意味が解らない。寧ろ、助ける側なら身代わりの人間の首を隠すのは意味が解る。
そして・・・
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そうだとしたら、替え玉と成って殺されたのは11月22日に訪問した、この実朝公首塚に眠っている人物のはず。
・・・実は首塚の有る“田原ふるさと公園”は鎌倉御家人で北条義時公に味方した波多野家の邸宅跡なのだ。
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ここの事を知らないメジャー文献しか読まない歴史学者も多いだろう。
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そして波多野家の詰め城も近い。
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仮に首塚に御首(みしるし)を葬られた人物が実朝公の替え玉なら、主君を藤原家の陰謀から救う為に北条義時公と隠密裏に実朝公を逃がす為に一族から犠牲を出した証拠に成り忠臣と成るだろう。
そして本当に源実朝公が暗殺された張本人ならば、御首を取り返し北条家に粗末に扱われない様に隠密裏に自家の邸内に埋葬した忠臣と成るだろう。
どちらの仮説を用いたとしても、実は当時の波多野家には源氏に対してそれだけ忠義を尽くす動機が十分に有る事を歴史オタクでもないと知らない。
波多野家は波多野義通公の姫が源頼朝公の御父上の源義朝公の側室と成って、頼朝公の兄の源朝長公を生んでいる。残念ながら源朝長公は保元の乱に参戦した際に傷を負い、それが元で発病し自害しています。そんな訳で源氏と縁が深い上に実朝公暗殺事件発生当時の当主の波多野義重公は妻が北条義時公の姪っ子だった。つまり北条義時公とも血縁が有った北条派=実朝派の先鋭だった訳だ。
・・・だから十分に一族から実朝公の替え玉を出すなり、首供養する成りの動機が有る。
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今では御廟所は綺麗にされて石碑も有る。
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立派な御神木も目印に成っている。実朝公は白幡神社の御祭神の内の一柱の神様なのでここは霊廟であり日本古来の価値観では白幡神社の代りの場所でも有る訳だ。
そんな首塚の近くには金剛寺と言う御寺が在る。
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正式名称は大聖山金剛寺・・・波多野家が建てた御寺であり、源氏所縁の笹竜胆を寺紋にする御寺だ。
大聖山金剛寺本来、笹竜胆紋は勝手に使って良い物ではない。だからコレも小生が「実朝公生き延びた説」と言う可能性の一つを示す証拠だと思う。つまり、実朝公御自身が自らの身代わりに成った波多野家の武者の供養の為に御寺の建立を事件直後に指示して源氏の笹竜胆紋の使用を許した可能性が有るなんて事も有るんじゃないかと少し思っていたりする。
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まぁ、今と成っては解らないから歴史は面白い。
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金剛寺は臨済宗の御寺なのだが、山門をくぐると右手に・・・

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御地蔵様がいらっしゃる。この様に御地蔵様が沢山入口にいらっしゃる場所は、元々は真言宗寺院か天台宗寺院だった場所が多い。河内源氏の殿様は真言宗と御縁が深く、古くから源氏の御家人だった武士の家は鎌倉時代初期までは真言宗を宗旨にしている武将達も多かったので秦野市東田原に在るこの金剛寺もスタートは真言宗だったのかも知れない。
なんと鎌倉の臨済宗の高僧の退耕行勇和尚様が中興開山と成って大きな寺院に成っているそうだ。
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鎌倉市大船に在る北条泰時公の菩提寺の粟船山常楽寺とも御縁の深い高僧だな。
つまり、この一、御家人の波多野家が開いた秦野の金剛寺には常楽寺と同等にする“それだけの格と意味が有る”と言う事だ。
実朝公を救ったか・・・実朝公を葬ったか・・・どっちにしても忠義に溢れた波多野家らしい御寺だな。

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現代の境内は整備されておりとても綺麗だった。
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可愛らしい小僧様。

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本堂も立派。

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本堂に向かって左手に寺務所。ここで御朱印を頂ける。
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生憎、当日は実朝公没800年の追善供養の前日で準備に慌ただしく、予め用意された紙の御朱印しか頂けなかった。
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又、桜の季節に弘法山を訪れて今度は御朱印帳に頂きたいと思う。
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金剛寺の御庭にもユーモラスな石仏?が有る・・・何だか千と千尋の神隠しに出て来る“坊”みたいだ(笑)。

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御庭はとても綺麗だった。
本堂の右手に庫裡(くり=厨=厨房=現代では居住部分の意)が在るのだが、その庫裡の裏にとても重要な神社の御社が在った。

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余り目立たないし、鐘も突けない様に成っているが実は臨済宗にとってとても大切な神社なのだ。
もしかしたら現在の御住職の御家族は知らないのかも知れない。
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半蔵坊権現と言い、臨済宗鎌倉五山第一位の格を有する鎌倉の建長寺こと巨福山建長興国禅寺の守護神が奥院の半蔵坊権現なのだ。
下の写真は鎌倉建長寺の奥院、半蔵坊権現の参道の写真。
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山岳信仰の神様で、天狗信仰とも結びついている。だからもっと檀家さんにも御参りして貰いたいと個人的に感じた。
日本神話も大切にして来た臨済宗の寺院らしく、境内には稲荷社も在った。
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ちゃんと御参りして毎回行く先々で旅の安全を御守護下さる御礼を、この日も宇迦之御魂神に御伝えした。
その稲荷社の在る場所はどうやら“田原学校跡”と言う場所でもあるらしい。
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調べても判らなかったが、恐らく江戸時代末期か明治時代位に設立された学校の跡なんだろう。
寺子屋が昔は児童学問所の役割を果たしていたので、明治時代に小学校が設立される様に成ると多くの神社や寺院の境内が小学校建設に提供された歴史も有る。
まぁ、詳しい事は今もって何も解らない、今度、秦野市の教育委員会にでも聞いてみようと思う。
この金剛寺は当初の訪問予定には無かった場所だが車の中で地図を見ていて気が付き実朝公の首塚近くの御寺なので「もしや」と思い予定を変えて参拝したが、忠臣波多野家と実朝公の御縁を辿れてとても有意義な時間を過ごせた。
そう言えば波多野家の後日談だが・・・
波多野家は鎌倉幕府の中央ではなく、後に京都に赴任して六波羅探題(ろくはらたんだい=西日本監視の組織)に評定衆(ひょうじょうしゅう=役員)として活躍する事に成る。
室町幕府でも評定衆に成り、後に丹波国で大名化する。この大名化した波多野家と戦ったのが織田家臣だった明智光秀公な訳だ。明智光秀公は母親を波多野家に人質に出して、波多野家と停戦して織田家臣に成る様に独断で講和するが信長公は波多野家を許さずに決裂したことで明智光秀の母親も殺されてしまう。これが一説には本能寺の変の遠因に成っているとする場合も有るが、まぁ可能性の一つでもあるだろう。小生としては波多野家は足利家に忠節を示して足利義昭の煽動で反織田の姿勢を貫いたのだと言う可能性も有ると思うが、まぁ詳しい事は解らない(笑)。

こんな風に色々と歴史に思いを巡らす事が出来たり、実朝公に御挨拶出来て満足し、次の目的地の弘法山から見る紅葉と富士山の撮影、そして鶴巻温泉に日帰り入浴しに行く為に再び車に乗り込んだ・・・
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→次回その④へ続く。
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前回の休日雑記→2017年12月01日

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コレの続き。

南足柄市の大雄山最乗寺、足柄上郡の寒田神社を巡拝し、秦野市渋沢の“なんつっ亭”で昼食を終えてから再び車で移動する事15分くらいだったろうか?
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震生湖の駐車場に到着すると、そこからは神奈川県で最古級の神社であり山体その物が御神体でもある大山が良く見えた。恐らく天気が良ければ西の方には富士山も見えたのだろう。
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東の方に目をやると遠く桜の名所の弘法山も見えた。天気が良ければ、その先に海の輝きも見えるのだろう。
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震生湖の入口は丸でキャンプ場の様な雰囲気。
自然災害で生まれた湖なのだが団塊世代達には紅葉の名所として知られデートコースだった様だ。
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なのでバブル期にも自然散策の客がいたので食事が出来るテーブルも備え付けられていたりする。
震生湖は大正十二年(1923年)09月01日に発生した関東大震災で生まれた自然の池である。
地震で起きた山体崩壊による土砂崩れで山の水源と沢が堰(せ)き止められて出来た小さな湖だ。
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まぁ、この湖の透明度は余り良くはないのだが、ここが凄いのはそもそも水源だった湧水地と沢が土砂崩れで生まれた堰き止め湖なのだが水源なので水の流入も無い代りに外に水が流れ出る川も無い。水は地下水脈で外に繋がってると解説されている。
だから水が澱んでんだな。
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この日、11月22日はまだ紅葉には少し早かったがそれでも少しは震生湖の樹々も赤く色づき始めていた。
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きっとこのブログを書いている12月第2週には見頃に成っているだろう。
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完全に釣り堀として営業している東側の方もそれなりに紅葉が有る。
きっと小さな子供がいる家族が釣りをしながら紅葉見物したりすれば良い思い出に成るだろう。
どうも小生は自分が結婚していないのに「子供を連れてきたら喜ぶだろう」とかいつも評価基準の一つにして見る癖がある。可愛い甥っ子と姪っ子がいるのだが、二人とも幼少ながら総合格闘技道場に通っていて忙しく中々“遊んでもらえない(泣)”。
先日は東京の目黒区に住む妹夫婦の所まで甥姪を迎えに行き、横浜市磯子区の科学博物館に二人を連れて行ったりした。
まぁ神奈川県民の小生から見れば、甥も姪も小さな時から格闘技をやっているとは言え東京のモヤシっ子(笑)。
自然の楽しさと綺麗さを教えてあげたいのでいつか震生湖や丹沢に釣りに連れて行きたいと思う・・・
まぁ、小生に釣りのセンスが無いのが一番の問題だな。
実は震生湖、湧水地なので自然信仰の対象にも成っている。
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福寿弁財天だ。
1974年の造営と非常に歴史の浅い神社なのに古来の湧水地に弁天様を祀る習慣を踏襲している正しい日本文化を継承した神社だな。
そもそも弁才天様はインド神話の神様で財神だが、本来は川の象徴だったり軍神や音楽神でもあり、更には男神にモテモテだった女神で女子力アップの御利益が期待出来たりする多くの御利益に預かれる神様なのだが特に財神としての性格が注目される事が多い。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の原形と成った縄文時代の湧水地信仰は清涼な飲用に堪える洞穴の水源や泉が聖地化され神様が祀られたが、これが初期の湧水地に龍神が多く祀られる初期の日本の信仰に成り宇迦之御魂の原形神と成る。以後、室町時代まで宇迦之御魂神は女性の上半身又は顔面に龍又は蛇の身体を持つ御神像で表現され祀られていた。弥生時代位から稲作が普及し富の象徴が水から“稲”に変わると宇迦之御魂神は御稲荷様として祀られる様に成った。あくまで狐は神様の使いで神様ではない。
更に奈良時代に貨幣が中国から輸入され、平安時代末期に貨幣経済が浸透し富の象徴が稲から“貨幣”に変わった事で鎌倉時代に源頼朝公達武士や貴族によってインド神話の財神である弁天様も稲荷神社や宇賀神社に習合され、日本では弁天様は水源であり富の象徴である神社に祀られる様に成った訳だ。
福寿弁財天社の鎮座する場所は自然の堰止湖の傍らの森の中でとても神秘的な雰囲気だったりする。
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傍らには水子供養の御地蔵様もいらっしゃった。
御地蔵様はヒンドゥー教文化由来の閻魔(えんま=ヤマ)大王様の本地仏なので、中国渡来の解釈では冥界の裁判官であり、本来のインド神話ではヤマーとして死者の国の王であり、仏教的な解釈では全ての世界の人々を救う仏様だったりする。だから幼くして亡くなった子がちゃんと彼の世に行って次に幸せな運命に成る様に御地蔵様に御願いする訳だな。
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肝腎の弁天様だが、奈良県の天河大弁財天社から勧進したそうだ。
神奈川だから江島神社か、その元の滋賀県の竹生島の弁天様かと思いきや奈良から御分霊を頂いてるとはレアケースだな。
宮司様不在の神社だが良縁繁栄の御利益が有るそうだ。
震生湖の紅葉を見物し福寿弁財天様に御祈りすると車に戻り、近くに気に成る神社が前々から有ったので行って見る事にした。
出雲大社相模分祠(いずもたいしゃさがみぶんし)だ。
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この神社は一昨年の11月に大雄山の紅葉を見に来た際と、昨年10月初頭に愛知県旅行からの帰りに東名高速の片側車線規制渋滞に巻き込まれ、渋滞を避けて大井松田で下道に降りて伊勢原市の叔父の家に立ち寄り御土産を持って行く際に偶然前を通り看板を見かけていて非常に気に成っていた神社だった。
無性に気に成ったのだが、前の2回は当日の予定が逼迫していた事もあり前を通過してしまった。
この日は改めて訪れる計画は無かったのだが震生湖の入口へさしかかる時に再度看板を見て・・・
「そう言えば!」
・・・と思い出したので震生湖の紅葉見物の次に訪問する事に急遽決めた次第だ。
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しかしいざ駐車場に車を停めてから一度、神社の参道と思しき道へ戻り鳥居に正対して正面を歩いて見ると説明の看板が違う神社の名前に成っている。
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御嶽神社と八坂神社だ・・・
「おんやぁ~?」
・・・と思いつつも境内へ入ると立派な御神木が出迎えてくれた。
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どうも神奈川県下の古社はどこも楡(ニレ)の大樹が大切にされている。もしかしたら昔の習慣で何か神事と関係が有ったのだろうか?招霊(おがたま)樹等は古代の神事と関係が有ったのは存じているが、ニレについては余り解らない。今度、博学の師と仰ぐ宮司様に聞いてみようと思おう。
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御嶽神社は屋根が銅(あかがね)葺(ふ)きだが社殿その物は恐らく再建されたのものだろう。
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彫刻が立派だった。木材の状態を見るにこの欄間は比較的古いので江戸時代末位の部材を再利用しているのだと思う。
一方で拝殿と言うか覆い殿?は明らかに新しいので現代の再建か増築だろうと思う。
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扁額も真新しい
しかし現在も繁栄している神社なのが良く伝わる。
その隣には八坂神社が在った。
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小生の崇拝する神様の内の一柱、素戔嗚尊(すさのおのみこと)牛頭天王、武塔天神と各時代で色々な神号で呼ばれた武神であり疫病治癒の神であり荒神であり、御妻君は櫛名田姫様と夫婦の縁結びの神様でもあったりする。
又、御妻君と成られた櫛名田姫様を助けた神様なので女性を守護する神様とも言える。
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まぁ、小生は独身で守るべき妻もいない。
いつか素戔嗚尊様と櫛名田姫様、あるいは同じく崇拝する日本武尊様と弟橘姫様、又は崇敬する建勲神織田信長公と生駒御塁様御夫妻の様(よう)に、大切な家族を守る力と度量が備わり御縁の有る女性と神様を見習って伴侶ともども幸せを享受する運命を授かれたら良いなぁ~と思ってたりする。
・・・まだ自分の実力不足から時が来ないらしい(笑)。
御嶽神社と八坂神社を参拝し、拝殿の中を外から見学すると何やら画が飾って有った。
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見た感じ江戸時代末期位に書かれたものだと思う。京都の八坂神社こと元の祇園社の神楽殿か何かにも同じ様な風化具合の絵が有った。
こちらの八坂神社の絵には“笹竜胆紋”が刻まれている。(?)源頼朝公や頼家公、或いは実朝公と関係が有るのだろうか?まぁ、頼朝公は近隣の開成町の吉田島地区の吉田神社を伊豆の三島大社から御分霊を勧進し開いたりしているし、この出雲大社相模分祀の直ぐ北側には古来主要街道だった矢倉沢往還(古代東海道)が存在する。その矢倉沢往還と中原街道(古墳時代以後の主要街道)を接続するのが眼前の参道の先を通る街道なので、この御嶽神社その物は歴史が有るのかも知れない。
まぁ、定かでは無い。
一頻り参拝を終えて、駐車場の方に戻ろうと奥に進むとわき道から出雲大社の境内に繋がっていた(笑)。
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普通は出雲大社と言うと正真正銘の出雲国の出雲大社の事なので、何で出雲社を名乗ってないのだろう?と思ったが、美人さんの巫女の女の子に由来を聞いてパンフレットを頂戴し名前の由来を見た所、この出雲大社相模分祠(さがみぶんし)の出雲大社部分その物は歴史が浅いらしい。
明治ニ十一年(1888年)に出雲大社から勧進され開かれたそうだ。しかし由緒は凄まじかった。
出雲大社は代々、素戔嗚尊の御神孫である千家(せんけ)が宮司を務めているのだが、この家は国造(くにつくりのみやつこ)と言う古代の知事の役職を代々継いだ家であり神職でもある。
まぁ・・・小生の御先祖様も某国造なのだが、出雲大社は格が違うのね(笑)。
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その島根県の出雲大社の御本社の第八十代国造千家尊福さんの要請で出雲大社から直接分祀された場所だそうだ。仏教的な表現には成るが関東に於(お)ける出雲神族信仰の本山格として親分直々の命令で開かれ拡大された聖地と言う訳だな。
つまり出雲大社相模分祠は名前の通り、相模国に置ける出雲大社分社と言う高い格式を持つ神社と言う事実がそのまま社名に成っているそうだ。
そりゃ立派な社殿も境内も有る訳だよ。
そして歴史が浅いから風土記読んでる小生でもノーマークな訳だわ。
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ここは今話題の“暴行犯罪者”日馬富士も来たらしい。
後輩の頭を“同国籍”の癖に“態度が気に食わないから”と理不尽で犯罪的思考に基づき、武人にも関わらず感情の抑制も出来ず“殺傷能力の有る鈍器で殴打し”頭を割り血塗れに“暴行したのを「教育」と言い張った”挙句に、一般の会社なら解雇される暴行事件なのに引退(退職)願いを受理され退職金2億円せしめる大悪人だな。
こんな奴が塩を撒き退魔の弓を使う神事を行う相撲取りである事が小生は個人的に文化的側面から心情的に許せない。
そして法治国家の日本国民としても暴力肯定する日馬富士と白鳳、同席し傍観し警察への通報も救急車を呼ぶ責任も果たさず“保護責任遺棄”の犯罪を犯した鶴竜等同席者にも相撲とりたる資格は無いと個人的に思っている。
だから出来れば、出雲大社相模分祠からはコンナ非法治主義者で非武人倫理観の大悪人の写真は撤去して欲しいし相撲界からも懲戒解雇して欲しい。
朝青龍一般人暴行事件や時津風部屋門弟リンチ殺人事件後に改革も失敗したばかりか暴行犯日馬富士を擁護する相撲協会役員を全員解雇すべきだし、文部科学省から正式に非難して欲しいとも思っていたりする。なんなら相撲協会も一度公益法人格を剥奪し文部科学省の統括下に置いて、反社会的で暴力を肯定する様なヤクザや日本赤軍やオウム真理教と何ら変わらない価値観の親方連中を全員解雇して再建しても良いんじゃないかと個人的に思う。
出雲大社相模分祠に話を戻す。
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社紋は亀甲に剣花菱があしらわれた紋様だった。
出雲系の神々や大伴一族や吉備一族の関わる古社と弁天様には亀甲紋を用いる場所が少なくない。
小生は浦島太郎伝説にも関係が有ると推測しているが、それは川崎市と横浜市と横須賀市の神話に纏わる事なので今回は解説しないでおく。
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御霊社が本殿の横に鎮座していた。
ここは他にも小生の祖先神と共通性の有る龍神の神格を持つ水神様が祀られていた。
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龍蛇神の社だな。
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少し変わった現代芸術的な鳥居?の先に湧水地があり、そこが霊場に成っているらしい。
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先に進むと御社と水汲み場が有った。
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どうも江戸時代に掘られた井戸水で、清酒醸造にも用いられ“環境庁名水百選”にも選ばれているらしい。
歴史の浅い神社だが、縄文時代に始まる湧水地信仰から聖地化した古代神道のルーツの一つである文化をちゃんと守り伝えている様だ。流石、出雲大社様だけある。
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他にも平安時代に神様に成られた天満大自在天神こと菅原道真公や、筑紫社には宗像三女神様、そして祓社には祓い清めつまり退魔の御神威をもつ瀬織津姫等が祀られていた。
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様々な時代の神様が一同に会し大切にされている。
本当に素晴らしい神社を偶然でも御参り出来て良かった。
又来年に開成町の紫陽花祭りが開催される際には、出雲大社相模分祠に御参りに来ようと心に決めた。
新しいのに清々しい聖地だった。
出雲大社相模分祠御朱印 久良岐のよし
社務所で参拝の証、そして個人的には御分霊を勧進する心算で御朱印を受領し、社務所で売っていた美味しそうなお饅頭が有ったので一つ購入した。
出雲大社相模分祠の参拝を終え、次は秦野市東田原に在る源実朝公の首塚を目指し車に乗ると再出発した・・・
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訪問先その③に続く














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休日なので寝ずに桜の写真撮影に・・・
多分、今週末までが撮影のチャンスだけど今日が一番の見頃と予想し、かねての計画通り強行軍で色々回ってきた。
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朝七時に家を発ち、九時過ぎに伊勢原市の渋田川河畔に到着。
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芝桜と染井吉野の咲く遊歩道を散歩。
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地域の人が守る池田神社を御参り。

厚木市七沢地区小野の延喜式内社、小野神社目指し移動。

途中、高部屋神社により、今年2月16日に社殿が国指定重要文化財に成ったので御挨拶の御参りをした。
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隣接する丸山城址公園の桜も満開だった。
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再出発。
通り道の七沢地区も山々に桜が咲き綺麗だった。
途中、立派な御寺らしき建物が北条家の三つ鱗紋の幟(のぼり)を掲げているのが目に留まり寄り道。
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龍散寺と言う御寺だった。
何と、自分が趣味で調べている戦国時代の鶴岡八幡宮再建時に、神器を一時的に移し保護した寺院だった。
そして同寺は北条氏綱公の御実弟、神保輝廣公の開基である事も知った。
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偶然だけども、光栄な参拝が出来た。
三つ鱗紋を見て飛び込んで良かった。
小野神社に到着。
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御参りした。
宮司様は御不在だったが御家人とは連絡が取れた。
面白い事に気がついた。
宮司様は恐らく戦国大名の毛利元就公と同族だ。
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又、改めて御朱印は頂きに上がろうと思う。
厚木市飯山観音(飯山温泉)地区に向け移動。
飯山地区に着いて、真っ先に橋のたものとの龍蔵神社が目に入ったので御参りした。
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その後、桜並木の綺麗な曹洞宗金剛寺の参道を散歩した。
どうやら先に御参りした龍蔵神社は元は龍蔵院と言い、金剛寺の塔頭寺院だったのが明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈で神社として独立したらしい。
檀家の御婆さんに曹洞宗なのに真言宗の体を成している事を質問した所、昔、弘法大師空海和尚が開かれた太子堂が始まりで後に源頼朝公と御家人足立(安達)藤九朗盛長公が支援していた寺院らしい。
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次代は下り小田原北条家の影響下で真言宗から曹洞宗に改宗したようだ。
御婆さんの話がクソ長くて、話を断ち切るのに1時間かかってタイムロスした。
長谷観音まで登りたかったが、やむなく断念。
次の目的地の伊勢原市上粕屋の太田道灌公菩提寺幡龍山洞昌院公所寺に向け出発。

公所寺に向かうに当たり、七沢リハビリテーションセンター脳神経外科経由で向かう。 この所在地が扇谷上杉家の重要な支城で、戦国時代初期当時、扇谷上杉家当主定正の実弟の七沢朝昌が城主を務めていた堅城だった。DSC_0741
敵対する山内上杉家に攻められた際は城兵200で防衛に成功した実績を有する。
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地勢的に津久井~甲斐や武蔵北部に通じる重要な街道を抑えている。
公所寺に到着。
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扇谷上杉定正の居城とされる大庭城の麓に、寺院の歴史は戦火で途絶えている公所寺と同じ曹洞宗の寺院の宗賢院と言う寺院が有り、公所寺と同じ寺紋”太田桔梗紋”な上に山号まで全く同じ”幡龍山”である事から、御住職に宗賢院さんとの関連性を質問する為に再訪した。
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枝垂れ桜が見事だった。
道灌公の御位牌と御廟所を御参りしてから、まだ訪れていなかった太田神社まで散歩した。
行く間、戦国時代に作られた疎水(そすい=用水道)を大山街道沿いに見る事が出来た。
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あと上粕屋神社も。
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太田神社についてがっかり。
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北条早雲公がリスペクトする太田道灌公の御霊を御祭神として造営した太田神社の社殿が、管理人の子孫かなんかに私物化され一般宅かしてしまったいた。
明らかに形状が拝殿と本殿の造りで鳥居と太田神社の石碑まで有るのに、個人の自宅にされている…
神奈川県神社庁、何とかしろよ。鎌倉に鶴岡八幡宮の観光用の鳥居なんて再整備してないで、偉人達が残した物をちゃんと保護する仕事にも力を入れて欲しい。
その後、当初の予定通り延喜式内社比々多神社へ御朱印を頂く為に移動。
比々多神社で御参りを済ませて御朱印を頂いた後、大山桜を見に大山阿夫利神社の社務所へ移動。
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大山阿夫利神社の御神体でもある大山=丹沢大山国定公園では山々に咲く桜が綺麗に見れた。
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社務所の裏山には樹齢400年前後の桜が数本ある。
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一昨年の夏に水不足で枯れていた愛宕の滝が復活していた。
うん、良い一年に成りそうだ!
残念な事も…
桜の季節で稼ぎ時なのにも関わらず、商店や旅館、懐石料理やが悉(ことごと)く開いていなかった。
かろうじて造り酒屋の遠州屋さんが開いていたので義叔父に御土産の日本酒を買い、昼食とってない自分の間食用に酒粕飴を買い移動。
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車の中で飴を舐めながら、本日の計画上、桜の撮影の最終目的地だった秦野市弘法山へ向け出発。
途中、空腹に耐えられなく成り刀削麺の店に入った。
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主菜に牛肉刀削麺、副菜に豆腐干と砂肝の前菜を頼んだ。
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店員全員中国人で、山西省大同市で食べた時と同じレベルで美味しかった。
近くの鶴巻温泉に入りたかったが、写真撮影優先しスルー。
改めて弘法山に向け移動開始。
弘法山からの眺望は素晴らしかった。
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桜の後ろに大きい富士山が見える。
ただ、頂上展望台への山道の傾斜は結構な角度でキツイ。
しかし登る価値は有ると思う。
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権現山展望台へ登山中、どうも山一帯の地形が腰曲輪らしき形状に見えてしかたなかったのだが…
頂上に行って案内板全て読んで廻ったら自分の推測は当たっていたらしく、権現山は南北朝期の詳細不明の城塞だったらしい。
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麓に古東海道に接続する矢倉沢往還が通っているので、その守りの為に山城化された時代もあったのだろう。
ひとしきり写真を撮影して伊勢原市の義叔父の家に向け出発。
義叔父の家に向かう途中、鶴巻温泉~秦野の東海大学の辺りを通り過ぎ、平塚市内を走行中、たまたま赤信号で止まった交差点の右側に気に成る地形が見えた。
カーナビを見た所”塚越古墳”と表示されていたので近くのスーパーに車を止めて、見学に立ち寄った。
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前方後円墳。
弥生時代までの関東の古墳は方形周溝墓。
古代大和政権の影響下に入った時代の古墳が前方後円墳な訳だから、この古墳の主は邪馬台国もしくは大和に関係が有ったのだろう。
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この古墳を見学していて、すぐ近くに真田城址である天徳寺が有るのを思い出し、又も寄り道の為に移動。
天徳寺を参拝。
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天徳寺の在る段丘が嘗(かつ)ての真田城の本丸に当たる曽我曲輪だったそうで、歴代住職の廟所と思しき場所は土塁と思われる地形の上に在った。
城としての遺構は不鮮明だが、近くのファミリーマート側から天徳寺の台地を見ると笹薮に囲われていた。
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城址は地形の保全の為に笹を植えるのは良く有る事なので、これが昔からの地形だとすると真田城址の遺構の可能性が高い。
もっとも、墓地の宅地開発されていない側には、昔の曲輪の境目が解る地形も一部残存していた。
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近くに真田神社もあったので、合わせて御参りして来た。
特に説明書きは無く御祭神も素戔嗚尊のようだったので三浦一族と関連が有るか不明だが、或いは佐奈田義忠公在城時からの鎮守の御社だったのかもしれない。
ようやく義叔父の家に到着。
御土産を渡してさっさと退散するつもりが、夕食に及ばれして出発したのが19時過ぎに成ってしまった。
夜は下道で1時間程度で着く距離だったが、さすがに24時間以上寝てなかったので睡魔に襲われ自宅まで残り1kmまで帰って来たところでコンビニの駐車場に車を止め仮眠。
僅かな距離でも眠く成ったら寝ないと自己の元。
なかなか眠くならないから耐えれるが、一回眠く成ったらもう駄目だね。
なんだかんだ…
色々回れたけれど、今日、特に感動したのは最初の渋田川の芝桜と、弘法山の桜と富士山の共演の景色だった。
まぁ~中の上の休日に成った。
写真も沢山撮れたし良かった。
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