歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

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タグ:紀の代

これの続き。
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休日雑記2017年07月15日の【前書き】。
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さて、前回の【前書き】の冒頭で書いた通り、この日は三浦義意公と御父上の三浦道寸公と叔父上の三浦道香公と関与した歴史偉人達の供養の納経の為に海蔵寺を訪問し、その後に天然記念物の諸磯隆起海岸の地層の写真を撮影に移動した。

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何でここに来たかと言うと、歴史偉人の顕彰活動にこの8万年前には海底だった丘の説明が必要だから。ここでは詳しい事は書かないが…
まぁ、一部のステレオタイプ考古学者が後生大事にしている通説は神奈川県に関しては通用しませんよ!と言う話を書くのに隆起速度だけでなく気温変化による海岸の後退速度や河川の土砂の堆積も、御城にも関係しているし多くの延喜式内社の位置関係にも関係してますよ!
…と言う説明の資料の写真撮影の為。
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昭和初期の文部省や地方自治体ってのは本当に地域単位での文化財や史跡の保護に熱心で、多くの天然記念物や重要文化財を史跡指定して我々に残して下さったのだが、戦後の左派染みた役所の連中は無文化で歴史も知らんし先人が残して下さった神奈川県下の歴史遺跡を僅か50年足らずで破壊し尽くした。三浦の場合、ちゃんと発掘したり郷土史を大切に伝えていたりするので、こうやって昔の天然記念物指定された場所も看板が作り直されたりしている。
う~ん、横浜市の水準は三浦に比べて雲泥の差(笑)。
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この地層が露出した部分が断層であり隆起した昔の海岸でもある。三浦にはこんな地形が多く有るが、ここは特に説明の看板の通り太古の時代のマテ貝の一種が掘った巣穴が小さい岩盤の穴なんだな。
この穴の露出で、どれだけ昔の地層がどれ位の期間を経て現在の地層に成ったか判る。
地質調査総合センター様にも色々と御教示頂いたのだが、2万年前の氷河期は現代の海水面より100m程下がっていた。逆に温暖だった縄文時代は現在よりも内陸にまで海が入り込んでいた。
つまり、地球が温暖化すると海面が上がると言うのは縄文時代に近づくと言う事なんだな。
さて、海の位置は現代では縄文時代よりも大分遠い場所にまで後退している訳だが、これは気温要因だけでは無い。
実際には大河川の土砂の堆積でどんどん海は埋め立てられる。海岸の岸壁の崩落でも岩が崩れ砂に成り砂が流され砂州が出来る。例を挙げるならこれが横浜の地名の由来に成った中区日本大通りに有った砂州の半島だな。あとは現在の川崎駅周辺。
そして気温変化の水位の変化と、河川の土砂の堆積以外に、もう一つ要因が有ってそれが地盤の隆起だ。
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この諸磯隆起海岸は8万年前に海だった所が既に標高30mにまで隆起していると、地質調査総合センターの担当者様から御教授頂いた。
この1万年でも5mも隆起したそうだ。つまり縄文時代ころから比べて地盤だけでも4~5mも上がっている。これに現代に近づく程に気温の寒冷化によって海水位が下がり海岸線も後退し、更に土砂の堆積で砂州が形成され陸地と成って行った訳だ。
ちょっと昔の考古学者は地質学者と違ってステレオタイプに「河川敷の近くの平地には弥生時代も人は住んでいなかった」と持論を展開する連中が多く、河川敷近く集落が在ったとする多くの古い神社の伝承をコケにしていた。所が最近になって出るわ出るわ川の近くの平地から弥生時代の集落の遺跡。
…以前、延喜式内社や式外社の伝承をコケにした考古学者達は「最近は川の近くでも人の生活の痕跡が発掘されています」と白々しい解説をしているが「おい、どの面下げて行ってるんだオマエ」とツッコミたくなる(笑)。
まぁ、そんな事を説明する参考の写真として、この諸磯隆起海岸は大切な素材に成るんだな。
観察してから写真をとり、満足して次の目的地へ移動。
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三崎漁港。この日は海南神社の夏の例大祭。
だから普段は都心部に出て働いてる三崎の出身者も皆帰って来て大賑わい!
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御神楽を演奏するチームが町内会毎に分かれて編成され、観光客を出迎えてくれる。
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当然ながら屋台も沢山出店する。
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そして本当に沢山の神輿が町に繰り出し熱気に溢れたパフォーマンスを展開する。
横浜市では絶滅してしまった古来の相模国の習俗だな。見ていて興奮する。
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子供達は屋台の方が気に成る様だね(笑)。
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左の屋台、アナと雪の女王って…許可取ってるのかな(笑)?
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三崎の商店街は昭和がそのまま残っていて小生はとても好きだ。だからたまにドライブに来てはブラブラしたりしてる。
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丁度、お昼も過ぎて小腹が空いてきた所に珍しい屋台を見つけた。
あげもんじゃ
興味が有ったので食事前に食べて見る事にした。
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もんじゃ焼きを春巻きかなんかの皮に挟んで揚げてあるんだな。
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皮も美味しいが、とにかくアツアツで食べるのに火傷しない様、注意が必要で大変だった(笑)。
でも御薦め!
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途中、新しい店が出来ていたので気に成った。ミサキ ドーナッツと言う店。
喫茶店?名前からするとドーナツ屋さん?今回は入らなかったが次回の訪問時は入って見よう。
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海南神社に着くと、既に全ての神輿は町内に出払って巡行中。割かし静かに参拝出来た。
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参道に民家を利用した喫茶ってんがオープンしていた。最近の開店の様だな。
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ここ海南神社は明治までは筌籠弁才天と言って三浦一族の信仰を集めた弁天様の神社だった。
鎌倉幕府で初代侍所別当に成った和田義盛公が船で房総へ渡る際に遭難したのだが、それを助けた御利益が有る神社で、更に前身の御稲荷様は三浦家が源頼朝公に付いて反平氏の軍勢を決起する切っ掛けを作った神託を与えた勝負の神様としても御利益が有る。
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そこに本宮神社の藤原資盈(すけみつ)公と、その御妻女である盈渡姫様を祀った御神霊を合祀して現在の形に成った。藤原資盈公御夫妻は京都で悪どい貴族の謀略で政争に敗れ、太宰府に逃げようとしたが船が遭難して東日本に来てしまったと伝承するが、そんな訳ゃ~ない(笑)!
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絶対に狙って坂東平氏を頼って亡命して来ている筈だ。だからこそ、三崎の領主に成れた訳だ。
御二人は三浦で庶民に文化教育を施した、謂(い)わば教育者の先駆け的な人物だった。その事を今でも感謝されており三崎の人々から神様として崇拝されている訳だ。
ところで海南神社には立派な御神木が有る。
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源頼朝公御手植えの銀杏だ。
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鶴岡八幡宮の大銀杏は台風で折れてしまったがコチラは健在だ。
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銀杏はなんか得体の知れないデッカイこぶがぶら下がっている。
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神社では前時代の事は良く解らなく成っている様だが、三浦家が崇敬した稲荷社なので水辺が昔は大切にされていた痕跡が有る。
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湧水地に石碑が建っていた。
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何だか陰に隠れているが昔の人が大切にした霊場としての池。
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まぁ、海辺の漁師町の神社なんでこんな絵も飾って有る。
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神楽殿で神職さんが御着替え中だった(笑)。
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本殿はどっからどう見ても弁天社や八幡社に近い様式なんだな、朱塗りの社殿で。
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境内には他にも金毘羅様が祀られている。これも海の神様、流石漁師町。
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境内には可愛い子猫達が沢山いた。何だか癒される(笑)。
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再び町に戻る。昔ながらの写真館…映画のロケ地に成りそうな雰囲気。
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何か知らないけれど東北の宮城県から来た人達が奉納舞かなんかを披露してらっしゃった。
観光客も足を止めて見入っていた。
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本格的に遅い昼食を食べる為に行きつけの寿司屋の紀ノ代に移動する途中、又、神輿が有った。
どうやら宮城県から祭りに参加に来ているのだろうか?
まさか?
宮城と言う地区が有るのだろうか?今度聞いてみよう。
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三浦映画社の前を通る。三浦半島での映画のロケに一役買っているNPOで、以前は多くの撮影した作品の関連展示が有ったが今回行ったら大半が撤去されていた。残念。
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とにかく過疎の三崎も賑やかなんだな、この1日は。
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目的地に到着。
紀の代(きのだい)サンと隣の黒羽亭は自分一人でも今回みたいにフラフラ散歩がてら三崎に来ては食べに来るだけでなく関西なんかの遠方からの来客や海外から友達が来たり外国人の友人が帰国する時等、機会が有る毎に来ている半ば行きつけの店。
以前も紹介した記事が有るので参考にして貰うと良いかと思う。→ココをクリック!
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この日も、いつも通りに前菜代わりに絶対に頼む“皮ポン”、鮪の皮のサラダみたいな料理を注文。
これがコラーゲンの塊なのだが程よい弾力が有って美味しい!
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それに小鉢丼セット。2つ頼んで確か1000円。この日は鯵の丼と鮪丼。味噌汁はセットでついてくる。
もしデートで行く人や子連れの人は、これを注文して別に料理を頼むと色々と楽しめて御薦め。
住所と連絡先は以下の通り。

御腹も満たして満足し、店を出て12日水曜日のリベンジで美味しい西瓜を買いに西瓜の直売所のザ・作兵衛へ移動…
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国道134号線沿い引橋の交差点から三浦海岸へ向かう道沿いに在る。派手な店なので直ぐに解る。
google mapで「直売ザ・作兵衛」と検索するとナビしてくれる。車じゃないと少々不便な場所。
ここは2年前まで看板娘の御婆ちゃんが店番をしていたのだが、骨折してから今の女将さんと若女将に看板娘の役目が引き継がれた。
まぁ、御婆ちゃんも今でも家で元気にしているそうなので何より。
夏は西瓜とメロンを直売、あと夏野菜も有る。
秋季には近くの蜜柑林を運営していてミカン狩りもやっているので子連れの家族には良いレクリエーションにも成る農園なのだ。そちらは石井みかん園で検索すれば出てくるだろう。
ここの店の西瓜は絶対に!外れが無い。どれを買って良いか解らない際は「甘そうなの選んでね~」と御願いすると美人若女将が選んでくれるので誰でも安心して買える。
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この日は15日土曜日、前回の11~12日に三浦半島に宿泊した帰りに立ち寄ったが店が休みで買えず、仕方なく別の店で西瓜を買ったが甘くなかった。やっぱりザ作兵衛がイチ押しの直売所な訳だ。
それでリベンジに来た。
その時の記事
   ↓

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ザ作兵衛では西瓜とメロンを購入。あと石井みかん園の蜜柑ジュース。
家族で食べたが、やはりとても甘く良い1日の〆に成った。

ふむ…三浦市の人々が無形文化財や天然記念物、そして農業と漁業をとても大切にして下さる御蔭で良い週末を凄し癒されました。ありがとう。

この三崎漁港や油壷周辺の他にも三浦市には城ヶ島や荒崎海岸、和田長浜海水浴場、江奈湾や毘沙門堂、剣崎灯台等沢山の封子明媚な観光地が有り夏の海辺を楽しむには持って来いです。
是非!お盆休みもその後も、皆さん三浦市を訪れてみては如何(いかが)でしょうか?
タグ三浦半島の記事→http://yoshi-kanagawa.blog.jp/tag/三浦半島

この記事を午前中に少し書いていたらいてもたっても居られなくなり、夕方に和田長浜(わだなはま)海水浴場と荒崎公園を散歩しに行って来ました。
とても綺麗でしたよ!

和田長浜海水浴場
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荒崎公園(神奈川の景勝50選、荒崎海岸)
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では、又次のブログ記事で御会いしましょう!





ドラマ“いつかティファニーで朝食を”を見ながらタイピング中…
森カンナさん、綺麗だな~♡
いつかティファニーで朝食を
結婚したかった昔の彼女にソックリだ。

…それはどうでも良いけれど、今日は凄い泣けた。
今日は三浦半島の漁村、小網代(油壷)に行って泣いて来た。
そして帰りの運転中も泣いた。
泣いた理由は…

1、油壷の新井城址の写真を撮りに行ったら、地元の普通の御婆ちゃんや農家さんが、未だに戦国時代の殿様に恩義を感じて殿様の事を慕い語り継いでいたから。
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2、三浦一門が最後の合戦で大将の三浦義意公が降伏せずに自ら敵兵300人を棍棒で撲殺しないといけない様な作戦とも言えない無理な戦いを挑んだ、その理由が何でかずっと考えていた…
普通は自決するか降伏する。
これは守るものが有ったから、簡単に死ぬ訳にはいかなかったんだろうな?と思っていた。
関連文書を読んで予想していた通り、御当地新井城址の油壷地区の御婆ちゃんから説明されたのは「一族の女子供や、責任の無い身分の低い家臣を逃がす為に、自ら殿軍に成り皆が小船に乗って房総半島に逃げるまで踏ん張ったから」だった。
…すんごい泣けた。
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3、戦国時代の三浦家の殿様が逃がした家臣や一門の幼子や婦女子の御子孫が未だに恩義を感じていて、日本全国、遠くは北海道からも殿様の御墓参りに来ると、衝撃の事実を御婆ちゃんから聞かされて、又、すんごい泣けてきた。
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今まで油壷を散歩した事は無かったけれど、今日は三浦一族の大名としての終焉の地「新井城城址」と「神奈川の景勝50選油壷湾」と「小網代湾」の周辺をゆっくり散策して来た。

現地に到着して直ぐ、駐車場で小さい売店を営む御婆ちゃんから先述の予想外の歴史談話を聞かされ、自分の予想通りだった事で当時の殿様の気持ちを思うと胸が張り裂けそうに成り泣けてきた。
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昭和初期はヨットハーバー併設した観光地として金持ちに人気の有った油壷だが、今では寂れてしまった御当地の、普通の優しい御婆ちゃんらしい御婆ちゃんの口から出るわ出るわ、三浦家の神奈川の拠点の名前。
そして殿様を慕って、今でも日本中から御墓に御参りに来る家臣や一門の御子孫達がいる事を聞かされ、散策が終わり三崎漁港に移動する車中、運転しながら又、泣けて来た。
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油壷湾の地名は新井城址の激戦で、戦死した武者達の遺骸で新井城址下の湾内が血油が満ちて、さながら油壺の様な景色に成ったからだそうだ。
昔はどんな名前で呼ばれた浦だったんだろう?
昭和後期、この油壷湾は❝神奈川の景勝50選❞に選ばれた。
現在は東大地震研究所のせいで雑木林が荒れ放題、景色も伸びきった樹木で見難(にく)い遊歩道だが、それでも木立の隙間から見える油壷湾はエメラルドグリーンで綺麗だった。
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新井城址は油壷マリンパークと東京大学地震研究所に成ってしまっていて、城跡としての遺構は略、消失してしまっている。
それでも、小生、三崎漁港にマグロを食べに行ったり石井農園にミカン狩りに行く度に、当時の広大な城域に引橋と言う地名や、それと思しき自然の堀切地形と人口の堀切地形の複合地形をいくつか確認していた。
今日の散歩中も東大地震研究所の敷地にも外から空堀跡と思しき地形も見て取れた。
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風景も綺麗だったし、眺望の良い素敵なレストランも又見つける事が出来た。DSC_0224
夏に成ったら、油壷のレストランに御飯を食べに行き、三浦道寸公と三浦義意公の御墓参りに行こう!
そして、又、御婆ちゃんに約束通り会いに行こう。
その時は横浜の御土産を持って行ってあげよう。

…とりあえず、まずは夏、7月11日まで元気に生きよう。
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帰る前、三崎の行きつけの御寿司屋さん「紀の代」で、今日は1980円の本日の握りと、鮪の胃袋の湯引きを食べてきた。
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相変わらず美味しかったし、約1年間くらい御無沙汰してたのに女将さん、小生の事をちゃんと覚えててくれた。

…覚えていてくれる人がいるって嬉しいよなぁ。

小生だけは、神様として祀られている古代人や、平安~江戸時代の殿様達が神奈川や日本の為に行った偉業と殿様の名前、忘れないで置こう。死ぬ迄。
さて!
とりあえず、明日の朝は地元の殿様所縁の御寺で座禅会だ!ちゃんと武士文化の礎と成った八幡様にも御参りしてこよう。

神奈川県の三浦半島の南端に"城ヶ島"と呼ばれる地形的に色々な種類の海岸が見られる美しい場所が有ります。
…関東地方とは思えない岸壁でしょ?
かと思うと…
こんな風に変わった砂浜も有ったりして、太平洋に突き出した雄大な景色や、東京湾側の黒潮がぶつからない穏やかな風景も見られる場所です。

更に関東地方は太古の昔から大地震が多い影響で、大正時代の関東大震災で三浦半島南部は海底が50cm隆起したばかりなので城ヶ島では神秘的な風景も見られます。
変わった海岸ですよね〜?
この写真は城ヶ島東側の東京湾側に面した海岸です。

南側と西側は流れの速い太平洋の黒潮に侵食され荒々しい表情を見せます。
しかし、こちら側には海鵜(うみう)の自然繁殖地が有り、人間が近づく事の出来ない反面、野鳥の生命を育(はぐく)む場所にも成っています。
そして展望台からは天候が良ければ富士山も見えます。
生憎(あいにく)、ここから見た富士山の写真は有りません。

城ヶ島の周辺には"三崎漁港"と言う"鮪(まぐろ)の水揚げ漁港"も有ります。

そんな訳で、城ヶ島で美しい風景を満喫した後に三崎漁港周辺に沢山ある鮪料理店や寿司屋で鮪をたらふく堪能(たんのう)出来ます。
例えば…
鮪の胃袋とか。
こう言う料理は鮪水揚げ漁港ならでは…
鮪の白子の天ぷらも美味しいですよ♫

又、"三浦の名物"は「」以外に…
築地でも高値の「松輪鯖(まつわさば)」とサザエ、農作物では西瓜蜜柑三浦大根があります。
三崎漁港と城ヶ島〜三浦海岸へかけて、夏は西瓜、秋は蜜柑(みかん)、冬は三浦大根を栽培する大農園がそこ彼処(かしこ)にあり、夏には西瓜の直売所が道路沿いに立ち並びます。
今の冬前の季節はミカン狩りも楽しめます松輪鯖の季節でもあるので、是非オススメしたい観光スポットなんです。
家族でもカップルでも楽しめる観光地ですね。
チビっ子のいるお宅向けの推薦は、"油壺マリンパーク"と言う皇室御用達の水族館で、そちらではイルカショーも見れますよ!

因みに油壺マリンパークは昔、新井城と言うお城の在(あ)った場所です。
そこでは北条家vs三浦家の3年間に及ぶ篭城戦が繰り広げられた歴史のある場所でもあります。
油壺の地名の由来も…
3年間の激戦で油壺の湾に戦死した武士達の血油が溜まり浮いていたからなんですが…

おっと!
少々黒歴史に成りましたが、何にせよ戦国大名三浦家の三浦水軍の本拠地であり、勇壮な水軍武将達の開拓した歴史ある地域でもある訳です。

城ヶ島〜三崎〜三浦海岸へ連休は足を運ぶのも良いかもしれませんよ?

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