歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

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タグ:紫陽花

今日は水曜日で小生の休日…
午前中、役所に日本国民として確認しておきたい用事が有ってお出掛け。
新しい法律の事でアレやコレや御役人に質問の雨を降らせてしまったが、御役人には懇切丁寧に明るく御教授して頂けた。
…親切にされて置いて、こう言う言い回しはアレなのだが、休みなのに役所に行って終わりにするのは癪(シャク)に触る。

次の収入源確保まで残り2日間で自由に成る御小遣いは2000円…
「中学生並の手持ち金で何が出来っかな~?」
「そうだ!紫陽花を見に行こう(土曜日鎌倉で見たばっか)♪」
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…てな訳で、役所出たのが13時半。自動車に乗り込むと東名高速で1時間ちょい、アッと言う間に紫陽花の名所、神奈川県は足柄上郡開成町に到着。
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最初の訪問先は勿論、❝あじさいの里❞に定めていたがカーナビにソンナ地名も無ければ臨時駐車場も位置が解らないので、取りあえず出発時に目的地設定した吉田神社と言う場所に移動した。
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目的地にした理由は❝アジサイ祭り❞の会場に近かったから…
予備知識なし。
着いたら当然、御参りはして置くもんだ。
…てな訳で吉田神社を参拝。
この吉田神社なんと土曜日に御参りした三浦半島葉山町の森戸神社の兄弟社だった!正確に言うと、伊豆の三島大明神の御分霊を源頼朝公が相模国に勧進した場所が8ヵ所有り、その一つが開成町の三島神社だそうだ。
明治時代まで三島大明神と呼ばれていたけれど、地名の吉田島から吉田神社に改名したそうだ。
三島大明神の大明神てのは神仏習合の名前なので、国家神道の成立後の神仏分離令で一時その名は憚(はばか)られたんだろう。
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コレはあれだな!
森戸神社で三島大明神の御分霊と頼朝公と三浦家の殿様の御霊に参拝出来た御礼をしたから吉田神社の三島大明神の御神霊に「久良岐のよしって変な奴が気まぐれでソッチ行くから宜(よろ)しく」って話しつけて呼んで下さったんだな、とか都合良く解釈(笑)。まぁ偶然だけれどもね。
そして、此方(こちら)の御祭神は大山祇神様と大山咋神様と素戔嗚尊と大国主命だった!
大山祇神様、素盞嗚命様、大国主命様は小生が毎日拝む神様・仏様・御経題目・歴史偉人の中の御一柱なので、思いがけず参拝の機会をココで得る事が出来て嬉しかった。
小生は毎日、仕事の始まりに一日の安全祈願、敵人懲服、公民の役に立つ事を祈願して富士山と大山に向かって拝む神様と仏様と御経の題目と歴史偉人が複数います。
それは置いといて…
ここは境内の樹木が、どれも大樹で立派でした。
解説は改めて別記事で詳しく書く事にします。

ここで参拝していたら「そう言えば、すぐ近所の松田町には延喜式内社の寒田神社が有ったよな…」と思い出し、本当に距離が近いので紫陽花より優先して寒田神社に移動した。
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吉田神社から車で5分とかからない。
延喜式内社の中でも立派な境内と社殿を維持している御社。
しかも、御祭神がコレまた全部毎日拝む倭建命・弟橘姫様・誉田別尊(八幡大菩薩)・菅原道真公だった。
う~ん。
西湘の神社の神様は、どちらも小生が崇拝する神様ばかりだ。
この寒田神社も吉田神社も残念ながら宮司様御不在だった。
寒田神社で御朱印頂きたかったけれど、又、来る機会は有るので、その時の楽しみにとっておこう!
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ここは倭建命がお立ち寄りに成られた神話が残っていて、祭器も弥生時代に作られた木製の茶碗だったりする。
本殿の裏の方に変わった供養碑があって、歯医者で抜歯した歯の供養碑。
こんなの見た事無い。画期的。
丁度、歯根破断した歯をインプラントにする治療を決めたばかりなので寒田神社に参拝して良かった。
さて、参拝終わり開成町の紫陽花祭り会場へ移動。
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綺麗でしたよ~!
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丹沢山系と箱根山系を背景にした開成町の水田とアジサイの田舎の風景…
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町の水田の畦道(あぜみち)全部に紫陽花が植えられている。
鎌倉の明月院や長谷寺の紫陽花は群生する様に植えられているけれど、こう言う直線的なラインと水田の水の風景の見せ方も悪くなかった。
又来たいなぁ~。

そんな感じで、広大な水田の中で沢山の紫陽花を散歩して息抜きが出来て、普段、自分が崇拝している神様達にも御挨拶出来たので有意義な休日に成りました。
…と、言う休日雑記。

自宅のある横浜を出発したのは午前11時頃…
北鎌倉までは車で1時間とかからないで到着する。
渋滞に捲き込まれてやっと60分程度、普段なら40分くらいだろうか?

小生の仕事は連休が無い。
世間がゴールデンウィークも仕事した分、本来、6月1日には休暇を使って一週間ぶっ通しで京都~愛知に行ってるはずだった。
京都の阿弥陀寺様に、昨年の間宮家の顕彰活動で訪問した際に追善供養に参加する様に御声がけ頂いていたからだ…
めちゃくちゃ贅沢してやる心算で半年超かけて30万円旅費を積み立てていた。
移動にタクシー借り切って、食事は全て有名な料亭や西洋料理のレストランを予約して食べるつもりだった(笑)。
…しかし、熊本大地震が発災。
京都行の旅費は全て熊本に送ってしまった。

でも、せっかく休むつもりだったのをキャンセルして何もしないのも癪(しゃく)に障(さわ)る。
けど、今月の小遣いは京都に行くいは足りない…
「そうだ!鎌倉に行こう(2週間に一回は来てる)‼」と、成った訳だが、断念した旅行を諦めたくない。
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で、こうなった。
「車で一瞬で帰宅できる距離だけど、宿泊しちゃえば良いんジャネ?」
…てな感じで三浦半島に宿泊中。
1週間ブっ通しの休暇をキャンセルして日曜日1日だけ休暇にし1泊2日の連休。

長者ヶ崎の砂浜に面しロケーション最高の家族経営の旅館「大海荘」。
今は持ち込んだPC叩いてる訳だ。
結局、京都に行かなかった分、❝作家ゴッコ❞みたいな(笑)プチ贅沢な土曜日を
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ここは海辺まで徒歩30歩(笑)と近い。
そして、この長者ヶ崎は❝神奈川の景勝50選❞の一つだ。当然風景は綺麗。
朝食だけの素泊まりで6,500円。家族経営なので規模は小さいが部屋は清潔。
でも天然ラドン温泉。風呂トイレは昭和初期の旅館らしく共用。
車で10~15分程度の近所には以前も記事で紹介した秋谷海岸の地魚地野菜のイタリアン「DON」や、佐島マリーナの海に張り出したウッドデッキの最高のロケーションで食事出来る「海辺」なんてレストランも有る。
だから、ちょっと三浦半島のドライブ兼ねて、もの凄く美味しい料理店でランチをとる事も出来る。
素泊まりにすれば逗子マリーナや葉山マリーナの御洒落なレストランで食事も出来る訳だ。
夕食付にすると8000円。
事前に相談すれば、旅館の庭先では天候に関係なく屋根の下でBBQも出来る。
夕食をBBQに変えるのも家族連れやカップルには良いかも知れないが…
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小生は一人旅なので、和食を頂いた。
葉山だけあって御刺身と魚の天ぷら美味しかった。
サーファーや夏休みの子供連れ家族の海水浴や鎌倉旅行兼ねた旅には丁度良いだろう。
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雰囲気は外観がオシャレな海の家、中は典型的な大正~昭和の日本旅館。
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小さい家族経営の旅館らしく、ロビーもこんな感じ。
江戸時代の旅籠もこんな規模が多かった。坂本龍馬サンの定宿の寺田屋とか近江屋とかね。
小生が箱根で良く宿泊する温泉も、家族経営だが築100年の小さい旅館だったりする。
小生はホテルより日本旅館が好きなので、プチ旅行でシティホテル泊まるよりも風景の綺麗な葉山は長者ヶ崎のこの旅館が好きだ。
本当、帰ろうと思ったら、横浜横須賀道路で30分チョイ(笑)。でも近くに宿泊するチョットした贅沢に満足(笑)。

本当に車移動なら海水浴や鎌倉旅行にロケーション良いからオススメしたいんだよね。
この旅館の部分は別記事でもう少し追記して紹介しようと思う。

こっから6月4日の訪問地域。
昨日は珍しく余り多くの場所を訪問しなかった。
行ったのは北鎌倉と宿泊地の海岸だけ…
●明月院…紫陽花の名所。
●鎌倉五山(と言う飯茶屋)。
●長寿寺…足利尊氏公の菩提寺。
●亀ヶ谷の切通…鎌倉七口(昔の鎌倉の出入り口は7ヵ所の切通ししか無かった)の一つ。
●建長寺…臨済宗の大本山、歴史の授業でも習う鎌倉五山の第一位の禅宗寺院で道場。
●半蔵坊…建長寺の守護神として裏山に鎮座する塔頭とは異なる修験道の神社。天狗様。

横浜を出て35分位だろうか?無事北鎌倉駅近くに到着し車を駐車。
先ず訪れたのが第一の目的地だった紫陽花の名所、明月院。
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昨日は6~7分咲き。
ここは紫陽花が綺麗なだけでなく、鎌倉武士文化中興の祖とも言える北条時頼公の菩提寺でもある。
又、中の草庵で御抹茶と和菓子を頂く事も出来る。
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当然、紫陽花は6分咲きでも綺麗だった。
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明月院は初めてではないのに、今まで裏の庭園(拝観料500円別途)に足を運んだ事が無かった。
警備院サンに質問したら菖蒲が見頃との事で、これも良い機会と思い足を運んでみたら…
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…これが予想外の美しさ!なんで今まで来なかったのか!
そして発見も有った…
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なんか菖蒲庭園の奥に❝通せん棒❞されている場所があり、その更に奥の右側には不自然なツタに覆われた路盤と思しき地形が見えた。古道の跡に見えたので、御寺の園芸部の職員さんや寺事務所の方に質問した所やはり、このツタに覆われた場所は古道の跡で、ここは表通りを通らず此(こ)の道を通って直接、臨済宗大本山の建長寺サンや円覚寺サン行ける昔の古道だそうだ。
今では、御寺同士の関係性は本山末寺の関係よりも現代の法律による土地の所有権等の事で各自境界が明確に成っているので封鎖されているそうだ。
ここを通れば山の尾根伝いに、関東の臨済宗の大本山の建長寺や円覚寺に行ける訳だ。
裏庭だけでなく、通常の順路も紫陽花以外に躑躅(つつじ)が綺麗だった。
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海の向こうに紅葉した山々を表現したような枯山水なのかな?
ところで、不敬無礼無秩序な輩が竹林に落書きをしていたので晒して置こうと思う。
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久保寺誠、松本、この両名の身の上にに釈迦牟尼仏と北条時頼公の仏罰と祟りが降りて以後、悪事を行えなく成ります様に。
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ちゃんと御寺サン書いてるでしょう?

明月院を出てから表通り(鎌倉街道)に移動する途中の風景…DSC_2055
少し趣が京都の哲学の道に似てるかな?水路沿いに在る邸宅は全て石橋が掛かっている。
この地域は山ノ内と呼ばれる場所で、その名の通り、関東管領山内(やまのうち)上杉家の邸宅がこの谷戸の奥には在った。つまり、この道を山内上杉家の歴代殿様や配下武将達が行き交(か)っていた訳で、恐らく上杉謙信も関東管領就任の前後は、この辺りに宿泊したんだろうか。
因(ちな)みに玉縄城の目と鼻の先なので、仮に宿泊したなら危険が伴い防備を怠れなかったはず。
明月院を出て鎌倉街道に復帰するとすぐに鎌倉五山と言う茶屋が有って…
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北鎌倉名物の建長寺汁(けんちんじる)を食べる事が出来る。
けんちん汁は、建長寺発祥の料理なんだな。
御寺の精進料理なので、本来のケンチン汁には肉魚は一切入っていない。
ベジタリアン歓喜の料理。素朴で小生は好き。でも魚食べたい。
美味しく頂きました。

その後は臨済宗大本山建長寺へ…
行こうと思って歩いていたら、普段は一般参拝不可の長寿寺サンが特別公開を行っていた!
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ここは室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏公の関東における菩提寺で、寺の開基(かいき=オーナー)は尊氏公の御子息で鎌倉公方の足利基氏公と言う、由緒正しい格の高い御寺サン。
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庭園も見事だったが、御住職様と御話しさせて頂く機会があり、有意義な時間を過ごせた。
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秋に奉拝出来たらきっと庭の紅葉が綺麗な枯山水の御庭。
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尊氏公は南朝の後醍醐天皇とは政権運営で対立したが、明朝の文化と日本の武士文化を融合した華美と質実を領有した室町文化の礎を築いた偉人である。尊敬すべき先人だ。

ここを出るとすぐの所に鎌倉七口の切通しの一つが在る…
亀ヶ谷(かめがやつ)坂の切通し。
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この切通の先には河内源氏の幼き日の源頼朝公や源義朝公が住んだ源氏の邸宅跡寿福禅寺が在る。
現代は少し広く開削さえているが、当時は人が2人程度しか横に並んで歩けない幅に、騎馬武者が侵入困難な程に急角度で屈曲させた喰い違い虎口(こぐち)が全ての切通しに設けられていて鎌倉市街防衛の要だった。
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事実、新田義貞は鎌倉の切通しを突破できず、一年に数回の大干潮を待って稲村ケ崎の海中に露出した磯から侵入してやっと鎌倉を攻略できた。

ここを歩いていたら、鎌倉文化らしい路地の壁面に掘られた地蔵菩薩様がいらっしゃったので、鎌倉を旅する人達と地域の方々の安全と御地蔵様御自身が末永く存続する様に御祈り申し上げて来た。
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御地蔵様の周りの壁面の形状を見るに、元々は矢倉に掘られていたのが、矢倉部分が崩壊して露出したのだと推察出来る。

そして、いよいよ臨済宗鎌倉五山第一位の建長寺へ…
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ここは桁違いの規模を現在でも維持していて、だいぶん減少したものの塔頭寺院もいくつか現存している。
又、明治時代以前の神仏習合の文化も維持していて、境内の奥院と言う場所には神仏習合山岳信仰の象徴である天狗様を祀る半蔵坊と言う寺の名前の神社が有る。
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総門をくぐると・・・
更に中には立派な門。

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京都の大寺院の南禅寺よりも大きい門。
南禅寺は立派な御堂が現存しているから甲乙つけがたい。
規模は京都の同じ臨済宗の大徳寺にも勝るとも劣らないが、鎌倉は度々戦火に捲き込まれているので大徳寺の方が塔頭寺院は多く現存している。
詳しい事は、いずれ建長寺様だけの記事を改めて書くとして、見所としては徳川秀忠公の奉献された金ピカの唐門なんかも有る。
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奥のやつね。

半蔵坊へ移動。
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半蔵坊は建長寺オリジナル御朱印帳を持つ人だけが入れる。
参道は少し歩く。
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正に神仏を共に大切にされた歴代天皇と武士達の価値観を大切に受け継がれいる証拠。
御寺の守護神として神社がある。
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そして山岳信仰の天狗様。
こちらからは、晴れていると相模湾が一望出来る。
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生憎の曇天で相模湾と曇り空が一体化してしまった(笑)。

その後、建長寺様の参拝を終えて、昨晩から宿泊している葉山の海辺に在る「大海荘」さんへ移動。

で、記事冒頭の長者ヶ崎に戻る。
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昨日は曇天だが、なんとか富士山が見えた。
良い一日でした。

さぁ、チェックアウトだ…
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久しぶりに食べた朝ごはんも美味しかった!
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長者ヶ崎も朝から散歩出来て、朝風呂にラドン温泉にも入れたし満足!
さてさて…もうすぐチェックアウトの時間。

今日は何をしようかな?
生憎雨天、鎌倉の紫陽花は満開の来週に長谷寺を再訪するとして…
…三浦も雨では佐島マリーナの「海辺」と言うレストランに行こうと思ったが、それも変更。
やはり鎌倉に行くか!
う~ん、三崎漁港に行こうか?作兵衛の菖蒲園も見頃だろうし。

そんな休日雑記でした。


北鎌倉駅の近くには浄智寺と言う大寺院が在ります。
現在では自然に囲まれた、広大な敷地に静かに佇(たたずむ)む清々しい空気感に満ちた御寺です。
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この寺院は、鎌倉時代の名宰相北条時宗公が開基となり、当時モンゴル帝国に征服された南宗から亡命して来た兀庵普寧(ごったんふねい)和尚が開山と成られた由緒有る御寺ですね。
北条時宗公と言えば、朝鮮から日本討伐を提言された元帝国から降伏する様に脅迫の使者が送られて来た際に、モンゴル(元)に降伏せず戦う事を決定して日本を守った名宰相ですね。
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鎌倉五山のと言うのは建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺の五座の御寺の事です。
大変格式の高い御寺でして…
鎌倉時代は幕府の執権北条家の当主、室町時代に成ってからは京都の足利家の本家征夷大将軍しか、この鎌倉五山の御寺の御住職様を任命する事が出来ませんでした。
つまり、この歴代の住職は、室町時代までは将軍様の御声掛かりの御寺だった訳です。
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現代では6月にも成れば、参道境内の所々に紫陽花の咲く静かで素敵な御寺です。
ところで…
この御寺の開基(御寺や神社の造営者)の北条時宗公は開山(最初の住職)に招いた兀庵普寧和尚や蘭渓道隆和尚と言った中国大陸の漢族の和尚様達を大変尊敬していらっしゃった様ですが、同時に、南宗からの亡命者を受け入れる事で元の征服により滅びる南宋文化を保護し、更に元(モンゴル軍と朝鮮軍)の動向を詳しく聞いていたのだと思います。
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そして、元(の威勢を利用した朝鮮)との対決を決めたのだと思います。
なんだか今の台湾と日本の繋がりみたいですね。
日本に来た孫文先生がいなければ今の臺灣は無かったし、臺灣の蒋介石先生がいなかったら現代の日本も無かった。
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浄智寺は素敵な場所なのですが、若い世代に余り知られておらず観光客が少ないので、本当にゆっくり時間を過ごせます。
この御寺は、緑と花に囲まれた広大なスペースが有りますが、その規模を史実を用いて表現するなら・・・
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昔は鎌倉公方(かまくらくぼう=室町幕府鎌倉府の将軍)が役職を就任して、鎌倉に入る時や戦地から帰ってくると真っ先にこの御寺に逗留(とうりゅう)する仮御所に成る程、立派な建物が沢山建ち並んでいました。
時代が下り、鎌倉幕府滅亡時や室町時代の戦乱、その時々に支援者が滅亡する度に建造物が維持できなく成り、極め付けは明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈で御寺の領地が接収されてしまい、多くの建物を失いました。
小生は毎回批判しますが、当時の明治政府はキリスト教国を模した国家統治を目指し国家神道と言う新しい哲学に基づいた宗教統治をしたせいで、多くの延喜式内社と呼ばれる縄文文化を受け継いだ古代から続く神社や仏教関連の文化財が荒廃或いは消滅してしましました。
明治政府の唯一無二の失政は、この古来の伊勢系以外の神社弾圧と仏教弾圧により多くの文化財を消滅させた事だけだと思っています。
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ここまで説明すると、何となく御理解頂けたと思いますが、つまり…
この御寺に自然が多いのは、古来多くの堂宇(どうう)が立ち並んでいた場所の建物を、新田義貞軍よる略奪放火や明治時代の宗教弾圧による困窮から、建物が失われた訳です。
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そして、建物の在った場所に歴代の御住職がせめて文化的な心の休まる場に成る様にと、多くの御花や樹木を植えられた訳ですね。
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関東の紫陽花の名所として有名な御寺は鎌倉の長谷寺と、浄智寺と同じ北鎌倉地区の明月院が有名です。
この浄智寺は紫陽花の株は少ないのですが、境内の各御堂の散策路は本当に素敵な雰囲気を醸し出していて、一人でゆっくりしに来ても、カップルで手を繋いで歩いても、良い時間を過ごせます。
ついでに神奈川県の紫陽花の名所も三ヵ所紹介して置きます。
●【北鎌倉駅から徒歩10分の明月院ここクリック!
●【鎌倉市江ノ電長谷駅近くの長谷寺】←ここクリック!
●【横浜市港南区上永谷(旧鎌倉郡)の永谷天満宮】←ここクリック!
この内、明月院は浄智寺や2015年公開の映画「駆け込み女と駆け出し男」の舞台に成った東慶寺からも徒歩圏内です。
東慶寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!
駆け込み女と駆け出し男
この浄智寺、是非、紫陽花の季節や鎌倉江の島七福神巡りで他の御寺や神社サンと一緒に散歩されてみて下さい。
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鎌倉江の島七福神は↑こんな可愛い専用の色紙を購入すれば、こちらに各寺社の御朱印を頂けます。
この七福神御朱印巡りは1日では回り切れないので鎌倉や湘南に遊びに行く良い口実にも成り、数回に分けて充実した休日を過ごせると思います。
鎌倉の各地域を散策する事が出来ますよ~。
話を浄智寺に戻します。
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本当に色んな草花樹木が植えられていて、目の保養に成ります。


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何だか鎌倉時代にタイムスリップした様な雰囲気です。
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この、植木の散策路を歩いていると、そのまま大木に囲まれた道に出ます。
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この日は御婦達のグループもいました。因みに2年前の2014年の6月。
北鎌倉は紫陽花の季節なのに、こんなにユッタリ散歩出来るんですよ。
勿論、この遊歩道も広大な浄智寺の境内の一部分で、この先には昔の武将達の矢倉(やぐら=廟所)や布袋様の祀られているエリアにもつながっています。
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この隧道(トンネル)の先が布袋様。
残念ながら、布袋様の写真は撮り忘れていました。
そして、その先が庫裏(事務所:住居スペース)に繋がる出口です。
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どうやら家康公がちょくちょく旧鎌倉郡の野庭城~玉縄城周辺に鷹狩に来られた際に、浄智寺に山門を寄進されたそうで、それ以来、葵紋の使用を許されたそうです。
徳川家康公と参謀の本多正信公は熱心に神仏を保護された殿様だったので、横浜市や鎌倉市や藤沢市には、結構、徳川家所縁の御寺が残っているんですよ~。

6月、紫陽花の季節に成ったら是非!御隣の東慶寺サンや、北鎌倉の紫陽花寺として有名な明月院と合わせて御散歩してみては如何でしょうか?

あ~!そうだ!
開山の兀庵普寧(ごったふねい/ごつあんふねい)和尚様!
実は現代の日本語のグチャ混ぜって意味で使う「ごっちゃごちゃ」とか「ごったごた」の語源に成った人物だそうです。
鎌倉時代の臨済宗は、講義を中国大陸の華語(中国語)で行っていたので、恐らく兀庵普寧和尚はまだ華語の出来ない若い僧侶の為に、華語だけでなく日本語を交えながら解り易く御講義された様です…
だから❝日本語と華語が、ごったごた混ざってた❞事から、混ざってる事が❝ごったごた/ごっちゃごちゃ❞と成った様です。
建長寺はケンチン汁の発祥地ですし、当時の鎌倉が日本文化を昇華させた強い影響力を持つ重要な場所だった事が解る話ですね♪

では、又、次のブログ記事で。

北鎌倉駅から徒歩で行ける所に明月院と言う紫陽花(あじさい)の綺麗な御寺が在(あ)るのを御存知でしょうか?
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今、その明月院の紫陽花が見頃を迎えています。
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この明月院の歴史は平安時代末にまで遡(さかのぼ)れます。
御寺の起源は鎌倉幕府5代執権の北条時頼公の邸宅に仏様を祀(まつ)り、そこに8代執権の北条時宗公が南宋から亡命して来ていた中国大陸四川省出身の高僧の蘭渓道隆和尚を開山と定めて臨済宗の福源山禅興寺として再興したのが始まりです。
明月院はその禅興寺と言う御寺の塔頭(たっちゅう=会社で言ったら子会社みたいな感じ)として存在していました。
※蘭渓道隆和尚については以前記事、「常楽寺 」←ここクリックで関連記事へリンク。

しかし明月院は本院だった禅興寺よりも古く、そもそも平治の乱で源氏の源義朝公の与力として戦い討死にした首藤俊通(くどうとしみち)公の菩提寺の草庵として、その子の首藤経俊(つねとし)公が建てた明月庵が前身と言われています。
その明月庵を室町時代に明月院として立派な寺院化したのが山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲方(のりかた)公でした。

しかし明治時代に廃仏毀釈と言う愚策が行われ、明治の初めに明月院の本院=本体であった禅興寺は廃寺に追い込まれましたが、明月院はその命脈を保つ事が出来ました。

この明月院は参道に素敵な洋館のカフェも在り、今の季節はデートや散策に最適の散歩道でもあります。
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さて明月院の庭園と紫陽花に話を戻します。 2014-06-14-15-34-54
明月院は中に入ると先ず最初に、日本庭園風の喫茶スペースがあり、その手前の植え込みでは色んな種類の紫陽花を観察出来ます。
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小ぶりな紫陽花ばかりでなく大きい花を咲かせているか株も有り、見ていて飽きません。
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入口から続く平地の散策順路を過ぎると、次の斜面を登る順路には野性的に咲く紫陽花達が出迎えてくれます。
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長谷寺の紫陽花とは又、異なった雰囲気をかもしだしており本当に野性味溢れる感じなので、長谷寺と明月院の紫陽花を見比べる為に両寺院とも回っても飽きません。
実際、小生は両方回りましたが、どちらも其々(それぞれ)素晴らしかったです。

明月院の奥には御堂があり、また紫陽花の散策路とは異なった鎌倉時代にタイムスリップした様な空間も広がっています。
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御堂の付近には矢倉(やぐら)が在り、こちらが首藤俊通公の御廟所と伝承しています。
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どうです?明月院、素敵な所でしょう?
この明月院の近くには最近の記事で紹介した女性保護の文化を持つ尼寺の「松ヵ丘御所こと東慶寺」も在ります。
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この東慶寺、記事にも書きましたが今、公開中の映画「駆け込み女と駆け出し男」の舞台でもあるので…
駆け込み女と駆け出し男
…明月院に紫陽花見物に行くのなら、是非東慶寺も参詣し、後日映画も見るとこの北鎌倉に思い入れを深め良いデートや散策に成ると思います。
「東慶寺」参詣と「駆け込み女と駆け出し男」の映画鑑賞、明月院に行くなら是非!推薦いたします。
※東慶寺の記事は「ココ 」←クリック!
※映画の公式サイトは「ココ 」←クリック!

東慶寺と明月院の途中には「鎌倉江の島七福神」の一つである「金宝山浄智寺」さんも鎮座しています。
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この鎌倉江の島七福神の御朱印専用台紙は七福神の各神社仏閣の社務所で販売しています。
可愛いデザインですよね~♪
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こちらも大変雰囲気の有る御寺ですし、布袋様の御寺なので開運の御寺でもあり縁起の良い御寺です。
鎌倉に紫陽花見物に行くのを契機に、鎌倉江の島七福神の御朱印集めを始めるのも良いかも知れませんね~♪
明月院ともう一寺、前々回の記事で紹介した別の紫陽花の名所長谷寺も七福神の内、大黒様の御寺に成っています。
※長谷寺の紫陽花の記事は「ココ 」←クリック!
この七福神御朱印、鎌倉に小旅行に行く良い口実になり風流な時間を過ごせる切っ掛けに成るのも心が爽やかに成れる清涼剤の様な役割に成ってくれました。
そして毎回、鎌倉に美味しい物を食べに行く理由にも成りました(笑)♪

さてさて、紫陽花を見に鎌倉に行ってみませんか?
もし鎌倉までは行けないと言う人も、明月院や長谷寺よりは規模は小さくなりますが…
前回の記事で紹介した横浜市営地下鉄上永谷駅から徒歩で行ける「永谷天満宮」の鎮守の森天神山でも紫陽花を見物出来ますよ~♫
※永谷天満宮の紫陽花の記事は「ココ 」←クリック!
皆さんが季節を感じ梅雨を楽しんで過ごせますように祈願いたします~♪

では、又、次の記事でお会いしましょう!




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永谷天満宮は…
室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏公の従兄弟、宅間上杉(たくまうえすぎ)家の重兼(しげかね)公の御子孫が開いた天満宮です。
今、その永谷天満宮の裏山では今、山の片面一面に紫陽花(あじさい)が咲き誇りとても綺麗です。
永谷天満宮は勿論、拝観無料で市民が自由に紫陽花を鑑賞出来ます。

この鎮守の森、名前を天神山と呼び頂上には小さな浅間神社の祠(ほこら)と菅秀塚が有りますが、菅秀塚の菅秀とは元々この永谷天満宮と貞昌院の敷地にお住まいだった菅秀才こと菅原淳茂(あつしげ)公の事です。
この結界の中が天神山で、自由に散策出来ます。
御祭神菅原道真公の五男淳茂公が当地にお住まいだったと言う伝承が今に伝わっています。
今の季節、長谷寺や明月院程の規模は有りませんが紫陽花のトンネルの中を散歩出来ます。
とても綺麗ですよ!
横浜に住んでるけれど鎌倉まで紫陽花を見に行く暇が無い…
…と、言う方、紫陽花見るの諦め無いで永谷天満宮を散歩してみませんか?
以前書いた永谷天満宮の歴史を説明した記事は「ココ」←クリック!

では又、次の記事で!お会いしましょう…

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鎌倉に海光山 慈照院 長谷寺と言う、それはそれ素敵な紫陽花(あじさい)が寺域を取り囲む御寺が有ります。
この長谷寺、実は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つで縁起の良い御寺でも有ります。
この可愛らしい七福神様の書かれた専用色紙に御朱印を頂いて回るんです。
ですから紫陽花見物を切っ掛けに御朱印巡りを始める方も少なくない様(よう)です。
因みに御近所には同じ七福神巡りの一つで参道を江ノ電が通り抜ける鎌倉御霊神社さんもあり、由比ヶ浜まで散歩する良いコースでもあります。

長谷寺の紫陽花の見事さは西の三室戸寺、東の長谷寺と言ってもオーバーでは無いと思います。
個々の紫陽花もとても可愛いらしく…
絨毯の様に壁面に咲き誇る色んな紫陽花が見られますよ〜!
珍しいですよね?
恥ずかしながら小生、七福神の御朱印で昨年参詣するまで、こんな種類の紫陽花を観た事が有りませんでした!
この種類は開花前ですが可愛いと言うより何だか凛々しい印象ですかね〜?
紫陽花って女性的な種類や男性的な種類やら両方有り、何だかフェミニストな美男子や男装女子みたいな印象を個人的に受けます。

今の季節を感じるデートや鎌倉観光には持ってこい!…な御寺ですね。
参道にはお土産物屋さんも有りますし、由比ヶ浜まで歩いて行けます。
そして、長谷寺は展望デッキからの眺望も良いですよ〜♪
そりゃそうですよね?
この長谷寺周辺は良くドラマや映画のロケ地に成ってる位ですから。
この長谷寺の御近所には大仏様も鎮座しているので、江ノ電に乗るコースの鎌倉観光には本当にBestです。
江ノ電鎌倉高校前駅は風景の綺麗な駅100選で1位に成った眺望の駅であり、目の前の七里ガ浜から見る江ノ島と富士山がとても綺麗なので、江ノ電観光コースは「間違いない」鎌倉観光に成ります。
そして、鎌倉高校前駅の近くの踏み切りがアニメ「スラムダンク」のオープニングでロケハンされた場所で、台湾や東南アジアからの観光客が沢山来る名所にも成っています。

長谷寺に話を戻すと…
開基は貴族で藤原北家の藤原前房とされていて、藤原家の主流を築いた人物です。
皆さん、週末は鎌倉に紫陽花見物なんて如何(いかが)でしょうか〜?

では、又、次のブログ記事で〜!

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