歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:綺麗な風景

横浜市中区の日本大通りに、1931年に建築され英国領事館として1972年まで使われ続けた素敵な近代西洋建築遺産が在ります…
2015-08-01-13-55-40
現在は横浜開港資料館と言う名前の博物館 兼 近代資料の図書館に成っています。
横浜市の開港の歴史に関する資料を保存していて市民に公開している場所です。
…公文書館と博物館の中間で近代に特化した感じ?

※ここで注意!※
名前が似ていますが以前紹介した「横浜市開港記念会館」とは違いますよ!
これ↓開港記念会館。開港記念会館の記事は「ココクリック!
2015-08-05-14-53-34
…開港記念館と開港資料館の区別をつけて貰った所で話を「横浜開港資料館」に戻します。
この横浜開港資料館は近代に建てられ近年までイギリス領事館として機能していたので、余り目立たない場所に在りますが建物は素敵です。

これ、以前紹介した県庁旧本庁舎
2015-08-05-14-13-31
そちら側から見た開港資料館の入口。
県庁旧本庁舎の記事は「ココクリック!
2015-08-01-13-55-15
ね?目立たないでしょう(笑)?
でも、この緑豊かな生垣に囲まれた中に入ると、建物は素敵なんですよ。
英国領事館だったから、外から余り中が見えないようにしたのか…
…中から道路の喧騒が見えないように生垣で囲ったのでしょうかねぇ~?
では、入ってみましょう…
2015-08-01-13-55-40
県庁側の入口は、こんな感じですが、実はこちら側は正門ではない様です。
ここは昔は海に面した場所だったので、北東側の海側が正門だったようです。
位置関係はこんな感じ…
横浜開港資料館位置関係
横浜開港資料館の右、北側の「キング」が県庁旧本庁舎。そちら側から見る開港資料館の構造より、明らかに海側から見た開港資料館の方が設計的に「正面」ですよね?
因(ちな)みに、開港資料館の海側の入口はこんな↓感じです。
2015-08-01-14-25-28
海側には資料館として別棟で増築された建物があり、中の素敵な英国領事館時代の眺望を台無し(笑)にしています。
この正面に見える樹木有りますよね?これ「たまくすの木」なんですが…
実はペリー提督が横浜の市名の元に成った、この地に有った「横浜」と言う名の半島に上陸した時から存在している樹です。
横浜港幕末
ね?右側に生えてるでしょう?
この絵を見ると、今は伊勢佐木町(羽衣町)に遷座された洲干弁天神社(現:厳島神社)は元々、この旧英国領事館のタマクスの木の前に在ったんですね~!
羽衣町の弁財天様が横浜半島の上に在ったのは知っていましたが、まさか英国領事館に成っていた場所がそうだったとは知りませんでした。
このタマクスの木、正確には、一度燃えたのですが残った幹から又、枝葉が芽吹き、この様に大樹として元気に往時の姿を取り戻してくれました。
…健気ですね。そして横浜の歴史の生き証人として残ってくれてありがとう!

さてさて、旧英国領事館=開港資料館の建物そのものに話題を戻します。
県庁側から入ると正門じゃないので、すごく素っ気ない廊下が冷たい感じで出迎えてくれます(笑)。
2015-08-01-13-55-54
消火器とかね、全然っ!風情(ふぜい)無いけれど、防火設備は大切よね(笑)。
そんでも、まぁ~中に入って天井とかみると「おっ!」と思う漆喰の彫刻っぽい天井と、何やら権威を感じる様な冷たい光沢のタイルさんで作られた壁で装飾されています。
2015-08-01-13-56-06
この廊下の左手には金属製の銘板がはめ込まれています。
2015-08-01-13-56-19
鶴見区の生麦村で起きた生麦事件から勃発した薩英戦争(薩摩藩島津家vs大英王国)の際に戦死した英国士官だけ弔う為に作られたモニュメントですね…
…これ、日本人だったら英国人日本人の区別なく弔うよね、普通。流石、白人様って感じですかね。
しかも、この生麦事件ね、どう考えても英国側が悪いんですよね。
少し脱線して生麦事件の経緯を辿ってみましょう…
2015-08-01-13-56-31
実は生麦事件、横浜の殿様、間宮家一族も関わっているんですよね~。…なんと被告側で
先ず最初に言っておきたいのは、生麦事件は白人至上主義の当時の英国人が、土人と馬鹿にしていた日本人の社会ルールを無視し、事も有ろうに英国なら貴族に相当する大名の島津家の大行列に平民英国人が騎馬のまま乱入した事に、島津家警護の人間がこれを島津の殿様を守る為に切り殺した事が国際事件化したのが生麦事件の概要です。
それに対し日本人を下に見ていた白人様の英国政府が見くびり幕府に対して賠償金を請求して、それを島津家の責任と突っぱねた徳川幕府の代わりに島津家の本拠地鹿児島を英国軍が海軍で攻撃したと言うのが薩英戦争の概要です。

この事件、主犯(日本側から見たら正当防衛)は間宮一(はじめ)と言います。
実は元は笹下城跡の本丸跡に建つ由緒ある御寺の成就院の身内で、還俗(げんぞく=僧籍から一般人に戻る事)して間宮家に養子に入った人物です。
因みに成就院↓の山門は、江戸時代の笹下間宮家の屋敷から移築したものです。
2014-09-11-14-09-53
事件の際、当然、この横浜市(旧久良岐郡と橘樹郡)を通過する大名を地元の人間が警護するのは参勤交代でも定められている規則ですからね、当然、川崎市や横浜市に領地の有る在地武士の間宮一族から誰か出て行くでしょう、農民と一緒に。
実は、この事件、発生直後、島津家と徳川家で言い合わせて幕臣の間宮一と別のダミー犯人を仕立てあげ英国人殺害犯として処刑して事件を片づけた「つもり」でいました。
…別に、英国なら貴族に相当する薩摩藩の大名の行列に騎乗したまま突っ込んだ英国人が悪いんだから、下に出ず堂々とその問題を突き付けて抗弁すれば良かったと思うんですがね。
でも、当時の幕府は国際問題に敏感な時期に事を荒立てずに処理したかったんでしょうね…
本当!日本人って外交下手糞(ヘタクソ)ですね。
海外で一般人としての生活経験の無い、日本しか知らない育ちの良いボンボンに外交なんか出来る訳が無い(笑)。
中国や韓国じゃ、買い物する時に商売人の言値を飲むのは阿呆の極み、言われた金額の半値じゃないと買わないと言って交渉始めるのが通常ですからね(留学と仕事の実体験)。
契約書交わしたって、インボイスと全く違う物勝手に送りつけて来るのが外国人なのに。
中国韓国に限らず、欧米でも海外では訴訟や交渉で妥協したら「被告確定/負け」なんですがね。
日本の常識なんて日本国内でしか役に立たないっつぅ~の!
…今の外務省も本当に朝鮮韓国中国との外交で同じ失敗繰り返してますけれどね(笑)。
…で、時間が経過するにつれて間宮一が真犯人じゃないかと、段々、解ってきてしまう訳です。
そこで、間宮一は「急進的な攘夷主義(じょうい主義=外国人排斥主義)者」を演じて自首し、徳川幕府の参勤交代制度と関係の無いテロの単独犯として名乗り出ました。
そして幕府役人は英国の介入が有る前に間宮一を打ち首にして事の解決を計りました。
しかし!
この幕府と間宮サンの打開策はまだまだ甘かった!
当時の大英帝国は白人至上主義で中国に阿片(あへん=麻薬)を大量に流通させて社会混乱を起こし中国王朝転覆を計っていたような国だったので、日本の徳川政府の迅速な「打開策」にも難癖付けて払う必要の無い賠償金を請求して来た訳です。
そして徳川幕府が賠償金を払わないと解るや、英国内の世論を納得させる為に八つ当たり的に起こしたのが薩英戦争だった訳です。
結果どうなったでしょうかね~?
英国に負けた薩摩藩、この後は今の横浜市中区本牧に在る妙香寺の敷地に駐屯していた英国軍に入りびたり、様々な技術を導入するように成りました・・・つまり、事実上の従属同盟ですよ。
まぁ、しかし…
この薩摩人達の学習能力の高さや、幕府や間宮家の対応が他のアジアより素早く意識の高いものだったので英国人の日本人に対する評価はこの事件後一変し、一貫して日本新政府には「"超"が付く位に協力的」に成ります。
そして対馬海戦での東郷元帥率いる連合艦隊がロシア帝国バルチック艦隊と対決するに当たり、英国政府は世界に日本軍に協力する様にロビー活動をし、ロシア海軍がアフリカ喜望峰を回って日本の対馬海峡に辿りつくまで、バルチック艦隊にろくな補給を出来ない様に政治工作をして多数の港湾を封鎖し東郷元帥と秋山中佐の丁字戦法成功の切っ掛けを演出して下さったのも友好的な歴史事実でもあります。
ちなみに間宮一族には杉田玄白や間宮林蔵なんて国際人がいるので、どちらかと言えば開明的な要素が強い家系だったってのも真相です。
戦国時代に間宮家の属した玉縄城主北条綱成公の部隊は既に鉄砲隊が存在していたのも、「三増峠の戦い」でも記録されていますからね~。
…間宮家は、どちらかと言えば主君に対する忠誠心は強いけれど、新技術導入には積極的な家風と言うのが実態ですかね。
おっと!
脱線が過ぎましたかね。
開港資料館に話を戻します…
2015-08-01-13-56-53
廊下を過ぎると、簡単な説明の有る部屋に行き当たります。
そこには関東大震災で犠牲に成った英国人を追悼する銘板が有ります。
2015-08-01-13-57-06
あと、当時の横浜の様子を再現したレリーフ状の模型。
2015-08-01-13-57-30
その部屋を出ると、直ぐに中庭への出口が有ります。
2015-08-01-13-58-19
その中庭に通じる出入口、この日、玄関には特別展示の内容の看板が有りました。 
2015-08-01-13-58-41
本来の英国領事館時代の玄関からの風景なんですが… 
2015-08-01-13-58-35
玄関の正面に樹が見えますよね? 
これが、ペリー提督の来航時代から有った、さっき紹介したタマクスの木です。
2015-08-01-13-58-58
一度燃えたけれど、今では当時と同じ大きさに…
2015-08-01-13-59-50
横浜の開港~国際港湾都市への文明開化~関東大震災~原財閥による横浜復興支援~太平洋戦争の横浜大空襲~昭和の復興~高度経済成長期~バブル崩壊~現在…ずっと横浜の歴史を見守って来てくれた、横浜市民の仲間でもある樹木です。
2015-08-01-13-59-15
玄関横の石柱。…道路に面してないから今じゃ意味なし(笑)。
さて、このタマクスの生えている中庭には、横浜の開港の歴史が解り易いモニュメントが設置されています。
2015-08-01-14-00-22
2015-08-01-14-00-34
2015-08-01-14-00-40

2015-08-01-14-04-56
2015-08-01-14-05-13
2015-08-01-14-05-24
これを見ると、横浜開港の歴史の基礎の基礎の部分がザックリ理解出来ますよ~。
中庭には、昭和初期から残る共用水道も有ります。
2015-08-01-14-05-44
当時の水道は共用だったらしいのですが、デザインが格好良いですね!
2015-08-01-14-05-32
この中庭が昔の玄関口だったので、こちら側から見た英国領事館の建物の装飾の方が、県庁側より綺麗です。
ここにはベンチも有り自由に出入り出来るので、お弁当持ってきてココで食べるのも良いです。
2015-08-01-14-04-43
ここなら日陰もありますからね~。
この日も観光客や読書に来たハマっ子がベンチに数人居ましたが…結構穴場で人は多くはいません。
おちついて御弁当箱を広げれますよ~(笑)。
でも、せっかく港に来たんだから向かいの象の鼻パークや国際客船ターミナルの芝生で食べるのも良いですね♪
2015-08-01-14-26-23
この開港資料館の目の前、海側にはCJ Cafeと言う、アメリカンなカフェレストランが有ります。
2015-08-01-14-26-46
…オムライスとかもアメリカンサイズで女性だと食べ残しちゃうくらいの量ですが、太平洋戦争後の米軍占領時代っぽい雰囲気を味わえると思います。
小生はこの近くのJack cafeにも良く行きます。 2015-08-01-14-31-52
ここはハンバーガーが絶品!
2015-08-01-14-55-21
ランチに御勧めですが、料理が美味しいだけでなく御酒も飲めるので夜来るのもお薦めです!大桟橋の夜景も綺麗ですしね。夜景散歩に来てからここで食事するのも良いですよ。
また、Jack cafeの記事は別個に書きますね!
あと、古き良きアメリカ的な雰囲気を味わいたい時はだいたい、中華街の中のWind Jammerと言うJazz Barに行きます。
※Wind jamerは以前、記事にしていると思うので興味ある方はカテゴリー「Hotel Restaurant/Restaurant-Bar/Jazz-Bar/Bar 」←ここクリック!
…又、開港資料館からすんごい脱線しましたが、話を戻します。
本来の玄関、彫刻が凄いでしょう!
2015-08-01-13-59-24
これ見に来る価値有りますよ。
この凄い彫刻の玄関の前のタマクスの中庭で、ベンチのある日陰を探して、そこで読書して時間を過ごすだけでも良い休日に成りますね。

最後に、この開港資料館が英国領事館だった頃の、この前に広がる横浜港の風景を現代と比較した画像を載せます。
横浜港今と昔
写真は県庁(KING)の屋上から撮影したものです。
右の森が開港資料館=旧英国領事館です。
昔の写真とほぼ、同じ位置。
昔の写真の方は、今は象の鼻パークに成ってる辺りに在った「神奈川運上所」か、CJ Cafeなんかが入居している当時から有る煉瓦造りのビルの屋上から撮影した物と思われますね。
開港資料館の展示を観覧して、横浜の発展の歴史の基礎知識を付けてから中華街や山下公園や山手地区の一帯を散歩すると、感慨深い物が有ると思いますよ~♪
皆さん、近くを通りかかって時間が有ったら、是非!開港資料館、立ち寄ってみて下さい!

では!又、次の記事で!
来月10月1日~5日は彦根、安土、京都に行ってるので第1週は更新できないかも知れないです。
今月、時間が有ればまとめて書き溜めしておいて、予約投稿出来る様にしておきますね~!

ブログネタ
リフォーム に参加中!

家を建てる時やリフォームする時に個人では出来ない規模の建築物と言うのがありまして…
ビルでも無い、それは文明開化の明治時代~昭和初期に建てられた横浜や神戸の近代建築遺産群の様な美しい洋風の塔を持つ建築物です。
そして、恐らく関東地方で最も美しい外観を持つのが横浜市中区の「JACK」の愛称で呼ばれる横浜市開港記念会館です。
2015-08-05-14-54-15
この「横浜市開港記念会館」は、大正15年、前政権の江戸幕府大老で旧彦根藩主井伊直弼公により横浜が開港されてから50周年に、新都市「横浜」に参集し日本武尊の開拓したこの土地に鎌倉武士の気概を持ちながら新たな西洋文化の息吹を積極的に取り入れようとする横浜市民の強い郷土愛の寄付金に由(よ)って建てられた記念講堂です。

前回の「KING」こと旧県庁本庁舎の記事でも横浜の三塔伝説を紹介しましたが、この横浜市開港記念会館「JACK」に横浜税関のQUEENを含めた3つの塔を持つ近代西洋建築を横浜港の船上から同時に見る事が出来る位置に船が停泊出来れば、見た人に幸運が訪れると言う伝承です。
横浜三塔
これが3塔の位置関係図。
横浜山下地区:3塔位置関係
…で
横浜三塔と周辺位置関係
…海からの位置関係はこんな感じ。
さて今回は、このJACKを紹介します。
2015-08-05-14-55-08
横浜市開港記念会館の前には近代西洋建築遺産群の一つなので、建物前の歩道には当然、この説明銘板が在りますので散歩や通勤中に気が付いたら、是非!足を止めて読んでみて下さい。

このJACKは本当に美しい近代西洋建築なんです。
外観の美しさも然(さ)ることながら…
2015-08-05-14-54-53
…内装の美しさもずば抜けています。
2015-08-05-14-55-36
入口入ると正面に大講堂の扉。
この日は講堂内は県教育委員会による教科書採択会議を開催中で撮影不可能でした。
しかし、天井を支える石柱の彫刻の美しさは見て取れると思います。

このJACKが他の西洋建築と比較して、特に異なる造りは協会の様なガラス窓からの採光を美しく見せる工夫がなされている点です。
2015-08-05-14-56-21
2Fに上がる階段の何気ない鉄格子も、武骨な物ではなく美しくデザインされています。
2Fに上がった瞬間にも建物の造りこみに「凄い!」と思う人は少なくないと思います…
2015-08-05-14-57-17
本当に綺麗でしょう~♫
1Fと2Fを繋ぐ階段を2Fのフロア側から…
2015-08-05-15-03-47
美しいでしょう~?
しかし「まだまだ感動するには早い!」んですよ~♪
なんと2Fには大型ステンドグラスが2枚有ります。
2015-08-05-14-58-16
それが教会の様な雰囲気を演出してくれます。
それと同時に、幕末から一気に近代化を成し遂げた明治~大正時代の人々の美的意識の高さにも驚きを感じますよね~。
2015-08-05-14-58-28
本当、鉄格子ですら素敵なデザインです。
JACKの時計塔にも登ってみたいのですが…
2015-08-05-14-58-45
残念ながら時計塔の螺旋階段は進入禁止で上に登る事は出来ません。
ここを奥に進む通路には、このJACKの建築模型や説明展示物が有るのですが…
2015-08-05-14-59-33
…展示物より、この廊下その物の空間の雰囲気と建築の美しさに見惚れてしまいます。
まぁ、展示されているものも少し…
2015-08-05-15-03-04
この様に中区日本大通り周辺の近代西洋建築の説明文なんかもあり、一応読んでおくと他にも行ってみたい建物が見るかるかも知れませんし、何気なく前を通り掛かった時に「ここがアレ~!」なんて町に対する理解が深まって楽しいかとは思います。
このスペースを過ぎると、いくつか部屋が有ります。
2015-08-05-15-03-41
貸し会議室としても利用出来ます。
なので、大切なお客様を迎えての会議、ここでやって昼食は周りのオシャレな老舗ホテルのランチを食べに行ったり海辺のカフェでコーヒー飲んで一服すると、良いアイディアが思い浮かんだり生産性の高い打ち合わせの時間に成るかも知れませんよ?
2015-08-05-15-04-16
いくつかの部屋を繋げる通路も全てレトロで高級感が有りながら落ち着いた雰囲気で素敵です。
2015-08-05-15-04-32
少し、公開されている元貴賓室の中を見て見ましょう…
2015-08-05-15-05-39
部屋は八角形…
大きくは無いですがシックで高級感がありながら、現代の下品な成金趣味とは異なり、質実に美しさを兼ね備えています。
天井は…
2015-08-05-15-06-09
現在は特に彫刻は有りません。しかし、これは修復された際に簡略化されたもので、開館当初は天井には彫刻がされていました。
写真が残っています。
2015-08-05-15-06-03
鳳凰のデザインですね。
日本風の意匠を上手く西洋建築と融合させていたんですね~。
昔の人って芸術的な感性が優れていたんですね。
現代の建築デザイナーは訳のわからない品の無いコネクリ回した奇抜な汚い建物を造りたがるので、この時代の建築物の美しさを少しは見習って欲しいです。
東京オリンピックの競技場、いっその事、大正時代の近代西洋建築ぽいデザインとか逆に奇抜で格好良いんじゃないのかな?
一応、貴賓室の説明も。
2015-08-05-15-05-49
貴賓室の窓の夕日の光が、黒光りする机に反射してなんだか…
2015-08-05-15-06-29
…当時の正装をした紳士達の幻影が見えそうな雰囲気でした。
さて!
近くの階段には日本に対する米国大統領の開国要求の親書を持参したペリー提督の旗艦:ポーハタン号を描いたステンドグラスが有ります。
2015-08-05-15-04-59
2015-08-05-15-04-50
こちらも綺麗ですが、神々しさの有るステンドグラスでは無く、近代横浜の発展のきっかけに成った歴史を伝える為のモニュメントとしての存在意義を強く持っていますね。

他にも、何気ない壁のデザインや…
2015-08-05-15-11-14
天井の灯り…
2015-08-05-15-08-06
全てのデザインが、周辺の近代西洋建築の中で特に優れていると思います。

中庭は殺風景ですけれどね(笑)。
2015-08-05-15-07-01
当時は中庭にベンチが有って、職員がお弁当食べたりしたんでしょうかね~?

如何でしたか「JACK」こと横浜市開港記念会館?
美しい建物だったでしょう?
誰でも入って見学出来るので、近くの中華街や、老舗のニューグランドホテルや、小生御勧めのJack Cafeでランチする時は是非!ここに立ち寄って見て下さい!
近所のKINGこと県庁旧本庁舎屋上や、大桟橋:国際客船ターミナルからの風景もお薦めですよ!
全部、過去に記事に書いて有るので是非!御覧下さい!
カテゴリー「風景の綺麗なスポット/映画・ドラマのロケ地 クリック!
カテゴリー「Hotel Restaurant/Restaurant-Bar/Jazz-Bar/Bar クリック!
カテゴリー「中華料理店 クリック!
カテゴリー「近代西洋の建築・文化・鉄道の史跡/文化財 クリック!

では!又、次の記事で!

日本武尊(やまとたけるのみこと)と
弟橘媛(おとたちばなひめ)の夫婦神
漁師と料理人の神様の大伴黒主(おおとものくろぬし)
…その三人の神様をお祀(まつ)りする神社が三浦半島の走水海岸の御所ヵ崎近くに在(あ)ります。

付近は風恋明媚(ふうこうめいび)な漁村です。
釣船屋さんと地魚料理の食堂が立ち並びます。

今回ご紹介する神社の神様は川崎市高津区子母口の橘樹神社とも同じ夫婦神様の日本武尊と弟橘媛です。
川崎市の橘樹神社には弟橘媛様の古墳も一部分現存しています。
詳しく知りたい方は以下の関連ブログのリンクをクリックして見て下さい。
橘樹神社のブログ記事はココ←クリック!

さて、横須賀市の走水神社の御祭神(ごさいしん)が日本武尊と弟橘媛と大伴黒主である理由は、実は御三方はここに住んでいらっしゃったからなんです。
日本武尊と言えば日本を代表する武神であり軍神です。
弟橘媛はそのお妃(きさき=王様の妻)で、海上交通の神様で、浦島太郎伝説の乙姫様のモデルでもあります。
夫婦が揃うと文字通り"日本最強の縁結びの神様"の御利益を発揮される訳です。

走水神社のすぐ近くに小さな半島の"御所ヵ崎(ごしょがさき)"が在ります。
正に其処(そこ)が御二人が夫婦生活を営まれた「御所=高貴な人の館」の所在地だったのです。
だから神社の目の前は海♪
写真左上が御所ヵ崎。

そして御二方に海鮮料理を作り接待したのが"大伴黒主"様なんですね。
走水神社の氏子さんの話では大伴黒主様は後に日本武尊にスカウトされて古代大和朝廷(やまとちょうてい)に仕え総料理長に成ったそうです。
だから料理の神様なんですね。

関係有るかは不明としておきますが…
逸話の内容や古代服装からして、"大伴黒主様は七福神の大黒天"の日本でのモデルだと思います。
大伴黒主の時代の服装の方がより大黒天に近いですからね。
ただ、大黒様はインドのヒンドゥー教由来の神様です。
歴史的には古代の豪族大伴氏は天皇の近衛兵と水軍の管理を任された名族です。

走水神社の上からは走水神社を中心にした漁村が良く見えます。
港の左手には御所ヵ崎…
…海面の高かった古代では"浦"に浮かぶ"島"…浦島に見えたでしょうね。
湾を挟んで対を成す神明神社の在った半島…
埋めたてられる前は、走水神社を中心にして鶴が羽を広げた様な風光明媚な海岸だったんでしょうね。
航空写真を見て頂ければ、その位置関係と地形も一目瞭然…
しかし
明治時代に御所ヵ崎と神明神社の半島は明治政府に接収され破壊され砲台が築かれたので、それ以来入る事は出来ません。
誠に不敬で遺憾な事です。
ですので、心を痛めた東郷元帥や乃木大将や伊東祐亨閣下等の有志により、湾の中心に有る走水神社に橘樹神社と神明神社を合祀(ごうし=同じ神社の敷地内に神様をお引越しする事)しました。
日本武尊と弟橘姫の仮御所だった走水海岸の御所ヶ崎周辺からの眺望は素晴らしく、海に突き出し昔は島だったであろう御所ヶ崎と地続きの丘の上から見る三浦半島の海岸線の先には富士山に夕日が沈む姿が見られ、正に乙姫伝説の海の中の竜宮城の形容に相応し場所です。
image
御所ヶ崎の社殿は砲台建設時に明治政府によって接収され破壊されました。
御分霊だけ明治の元勲の中の信仰心厚い面々によって奥宮に保護合祀されたが古代の仮御所の史跡は永遠に失われ訳です。
CIMG1998
冬季であれば雑草も枯れて門の入口から中の様子が少しだけ見えます。
見学されたい方は横須賀市公園管理課に問い合わせて予約すると、御所ヶ崎砲台史跡として見学する事が出来ます。
走水神社から御所ヶ崎に行く途中には下の看板も有り簡単な説明が掲載されています。
CIMG1996

因みに神社には弟橘媛と日本武尊の暮らした御所ヵ崎の砂を"縁結びのお守り砂として無料配付(はいふ)"しています。
スプーン一杯分くらい持って帰ってお守りにして良いそうなので、小さなジップロックみたいな袋か和紙を持参して行くと良いですよ!
この神社の手水(ちょうず)は正に御神水とも言える自然湧水で、富士山系の腐り難いバナジウム天然水らしいです。
ですので、昔は船に積み込むミネラルウォーターに用いられたそうです。
同じ泉質の横浜市中区の打越の霊水は、やはり明治時代に遠洋航海する船の飲水や、同横浜市中区に在った幕末のキリンビールの最初の本社工場で使われた水も同じ泉質でした。
走水神社本殿自体は建て替えられたばかりの綺麗な社殿です。
写真撮り忘れましたすいません…
…面目無い_| ̄|○
神社内には弟橘媛と日本武尊が詠(よ)んだとされる和歌が刻まれた石碑も有ります。
走水神社は古代から此方(こちら)に在ったそうで、伝説では日本武尊が来る西暦2世紀より以前の紀元前には有ったそうです。
建て替えの際に社殿の床から伝説通り日本武尊から奉納(ほうのう=神仏への寄付)された冠(かんむり)を保管する石室の壁が出て来たそうです。
本殿横には弟橘媛の侍女を祀るお社もあります。
今も古代の石造りのお社が走水神社の奥宮に移築され祀らています。
右から…
須賀神社=素戔嗚雨之命(すさのおうのみこと
神明神社=天照大御神(あまてらすおおみかみ)
諏訪神社=建御名方神(たけみなかたのかみ)
つまり…
須賀神社=軍神と水運=日本武尊の信仰した神様。
神明神社=大和朝廷皇族の祖先神
諏訪神社=弟橘媛と大伴黒主の祖先神と同じ渡来系技術の神様。
…と言う感じです。
大伴黒主は別名:久応と伝わります。は日本武尊達を歓待した地元の豪族で漁民で料理人。横浜市神奈川区六角橋の宝秀寺は大伴久応の邸址と伝わり、そこに日本武尊が滞在した伝承が有る。走水神社の伝承では大伴黒主は日本武尊を接待した後に請われて後に古代大和朝廷の料理長に成ったそうだが、日本神話では日本武尊は岐阜県と滋賀県の県境に在る伊吹山辺りの神(豪族)に帰路を阻まれ三重県の鈴鹿辺りで病没しています。
史実としては大伴一族は水軍を率いて天皇家の御林軍も率いた一族なので、走水で日本武尊を大伴黒主様が歓待された事は神話とも整合性が有り、六角橋の大伴久応の伝承とも整合性が有ります。
つまり、大伴久応黒主様の正体は、東京湾沿岸部西部を支配した豪族だったのでしょう。
六角橋の近くには塩嘗地蔵(しおなめじぞう)と呼ばれる御地蔵様が鎮座していて、そこは火事で戦国時代に廃寺に成った神大寺と言う大寺院の参道入口と伝承します。
image
大伴久応邸址の在る六角橋近くには浦島町が在り浦島太郎伝説の舞台で有る事や背後の浦島町~新横浜駅近く篠原城址に繋がる丘は古代に海に面した半島で亀甲岬と呼ばれた事、その半島の一部だった鶴見区に亀甲山の地名が現存する事、現在の新横浜に太田道灌公が小机城攻略の前衛拠点として‟亀甲山城”を築いた記録が残る事、陸奥話記にも登場する源義家公与力武将の丸子宿禰家の所領も中原街道沿い川崎の対岸に丸子の地名が残り大伴家と同族である事から、古代の大伴家が支配した地域が陸海交通の要所だった事が解ります。
江戸時代に東海道神奈川宿が置かれた京急神奈川駅近くの幸ヶ谷~台町一帯は足利尊氏公の時代も交通の要所で権現山城が築城された亀甲岬の一部の小さい半島でした。
その重要性から古代に大伴家が支配したこの一帯は戦国時代も北条家臣で間宮林蔵や杉田玄白の一族の祖先に当たる間宮信冬公が活躍した権現山合戦の舞台に成っています。
2013-10-18-13-22-47

2015-11-11-15-18-51
出雲大社はじめ古代の水軍を司った出雲神族の家系は家紋に亀甲紋を用いる事から、現在の浦島太郎の物語は関東の日本武尊神話が元に成っている事も判ります。
浦島太郎が帰る家が無くなる様は、兄王成務天皇に皇位継承権を巡って帰京を阻まれた日本武尊の悲運を抽象化したものでしょう。
そして、その東征の目的は佐賀牟国の国司の内紛鎮定だった筈で、現在の神奈川県の地名由来に成った神奈川と呼ばれた地域、久良岐郡~橘樹郡~多摩郡(川崎市域)は古代大和朝廷の直轄地とされ神(かみ=支配する豪族)奈(無し)の地域が川の様に細長く設置されました。
郡衙と国府と延喜式内社と古墳と縄文弥生遺跡 久良岐のよし
それは、あたかも国境非武装地帯の体を成し武蔵国と相模国の国境地帯に重っています。
この佐賀牟国が相模と武蔵に分割され争乱を鎮めた事が垣間見える神無しの地域こそ、‟初代か二代目の”日本武尊の偉業が豪族紛争鎮定であり、天皇家介入による非武装地帯の設置の聖跡だろうと推測出来ます。
それを示す様に同地域には延喜式内社が存在していません。
本来ならば、この走水神社も延喜式神名帳に載るべき場所なのに掲載が無いのは奈良時代~平安時代初期に支配者豪族不在で上奏が無かったか大和朝廷から派遣された代官が働くに郡衙政庁として機能していた為でしょう。つまり、古代からの政庁機能が生きたまま神社には成らなかった場所だと推測出来ます。
更に、日本武尊の人物像に習合されている可能性の有る人物がいます。
雄略天皇の時代450年代~500年頃にも武蔵国造(むさしくにつくりのみやつこ)の乱が勃発しており、埼玉県稲荷山古墳出土した金象嵌鉄剣に彫られた‟獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)”の名こそ雄略天皇であり多支鹵=武尊(たける)の名を継承した大将軍職の尊称だろうと推測出来て、日本武尊神話に複数人の事績が後から習合されているとされる説が根強く有る事も理解出来ます。
応神天皇の別名が大鞆和気命(おおともわけのみこと)や誉田(=多)‟別”尊(ほんだわけのみこと)である事から「和気(わけ)」「別(わけ/わか)」の「わか/わけ」が獲加多支鹵大王の「獲加(わか)」に通じ、「稚」にも通じる音である事から、「ワケ/ワカ」は仁徳天皇以降使われなくなり現代には伝わらない皇族の青年将軍に対する尊称であったと解釈出来ます。
下の写真は延喜式神名帳に掲載される相模国四之宮前鳥神社です。
CIMG1722
相模国四之宮前鳥神社の主祭神で京都の宇治市から神奈川県平塚市に移住した応神天皇の皇子、莵道稚郎子(うじのわけのいらつこ)命(のみこと)は、やはり御名に「稚」の字を含んでいます。
前鳥神社の近くには、その御陵と推測される真土大塚山古墳も在り古代大和朝廷や卑弥呼が魏の皇帝曹叡と丞相の司馬懿仲達から送られた200枚の銅鏡に繋がる三角縁神獣鏡が発掘されています。
莵道稚郎子命は日本で最初に漢学(兵法や儒学や雅楽)を学んだ人物とされています。
中世~近世の武士達が当主の嫡子を「若(わか)様」と呼んだのも、この古語の名残でしょう。
この関東で活躍した日本武尊の叔母君の倭姫命が卑弥呼で景行天皇が卑弥呼の弟ならば、走水神社は初代日本武尊の聖跡となり時代的にも史実と誤差が近く成ります。
そもそも卑弥呼も卑弥呼(ヒミコ)=日巫女(ひのみこ)や媛御子(ひめみこ)の音に通じる事から、皇女(内親王)が受け継ぐ斎王職の原型の役職名だった可能性も有る。奈良~平安時代に斎王が支配した伊勢神宮で日本武尊が叔母の倭姫命から神剣を貸与され与力に大伴家を付けられている事からも、六角橋と走水の伝承に整合性が認められ、倭姫命は古代の斎王で正体は卑弥呼本人か、中国で卑弥呼の当て字に翻訳されたを官職名として斎王職の原型の女性宮司を継承し務めた皇女(内親王)でしょう。
この走水の海岸から日本武尊は房総半島の富津へ渡って行きました。
パワースポットでもありますが…
古代へのロマンを感じる場所です。
そんな訳で、景行天皇の皇子で関東鎮撫の大将軍を務めた初代の日本武尊であろう神様と、御妃様の弟橘姫様が仲睦まじい御夫婦の神様だった事と、更には走水神社の社伝で料理達者であったであろう大伴久応黒主様の家系は親衛隊や水軍の将を務めた歴史事実、東郷平八郎元帥達、対馬海戦でロシア帝国の大軍勢を撃破した名将達の崇敬した神社としての実績も有ったりする場所なので戦勝祈願の聖地として紹介しても過言では無い事、それら全ての御利益に預かれる場所である訳です。
皆さんもどうぞ、参拝して日本武尊と弟橘媛様と大伴黒主様に想いをはせてみては如何でしょうか?
近くには「かねよ食堂」と言う素敵なCafeレストランBarと、走水名物の海苔の生産直売をする「ながつか水産」さんも有ったり、昔から東京近郊の御金持ちにリゾート地として親しまれた観音崎灯台や観音崎要塞史跡、多々良浜も有ります。
走水神社に関連する橘樹神社さんもブログ冒頭でリンク貼った関連記事も読んで見て下さい!
きっと皆さん中で歴史の紐が結ばれ繋がりますよ〜♫


周辺の観光地も素敵な場所です。
皆さん、ここに来て散歩してみませんか?
そして、御近所の神社仏閣や城址も御散歩して見て下さい。
近所の小さな神社や御寺や御城の址の山にも思わぬ歴史偉人や武将との関わりが有るかも知れませんよ?

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!

新横浜の日産スタジアムの近く、JR小机駅の側に在(あ)る小机城址で今年も竹灯籠祭りが開かれるよ〜!
竹灯篭祭りのホームページURLは↓こちら。
http://takefan.jp/taketourou/index.html
これ↓去年のポスター
綺麗だから彼氏彼女家族と是非見に来てね!
去年の↓写真
綺麗↑でしょ?
本丸跡には屋台も沢山出ますよ〜♬
CIMG7535
CIMG7536
CIMG7539
CIMG7543
CIMG7545
ところで風魔忍者って知ってます?
今の箱根峠一帯を本拠地(ほんきょち)にしていた忍者集団で、リーダーは代々、風魔小太郎を名乗っていたんです。
歴史やゲーム好きな人は知ってるかな?
その風魔忍者の管理者が、この小机城主だった北条幻庵さんなんです。

そんな歴史も感じられる場所ですが…
竹灯籠祭りでは城址内全箇所が竹のランプで照らされ神秘的に成ります。
是非!楽しんで下さい!

↑このページのトップヘ