歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:縁結び

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旅ってのは遠遊ばかりでなく、県内や地域内で散策し安らぎや日常生活の中の発見を感じる小旅行も有りますよね?
皆さんの御近所には、どんな安らぎの場が有りますか?
小生は御縁が有って、最近、世田谷にちょくちょく行きます。
その世田谷区の東急世田谷線の駅の近くには、世田谷城址公園と豪徳寺、世田谷八幡宮、勝光院と言う古跡名刹が点在しています。
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この宮の坂駅、駅に地区センターが併設された少し変わった構造なのですが、駅の名前の由来は世田谷区宮坂1丁目に在るからです。
では、その宮坂の地名の由来ですが…
実は、駅の直ぐ目の前、つまり宮坂地区に「世田谷八幡宮」と言う歴史有る八幡宮が鎮座しているからなんです。
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この世田谷八幡宮は歴史は古く、平安時代に遡(さかのぼ)ります。
鎌倉幕府の創始者源頼朝公の御先祖様で源氏最強の武将だった源"八幡太郎"義家公が創建したとの伝承が有り、その境内には厳島神社も抱えています。
更に戦国時代に成ると、この一帯の殿様だった足利家の一族の蒔田吉良家の吉良頼康公が再興された歴史も有ります。
頼康公、実は横浜市の殿様の笠原信為公と間宮康俊公と協力し、戦災で焼失した鎌倉の鶴岡八幡宮も再建しています。
吉良家は戦国時代、北条家の影響下に入ると横浜市南区の蒔田に蒔田城を築き、古河公方の代理として蒔田御所と呼ばれ非常に重要視されていました。
当時、蒔田城の近くには蒔田湾と言う入り江や笹下川が流れていて、その水運を利用し吉良頼康公が材木を調達運搬し鎌倉の材木座海岸の若江島に輸送したそうです。
この鶴岡八幡宮や鎌倉の復興事業はのべ5万人が関わった大事業で、当時の吉良家の経済力が凄まじく豊かだった事が解ります。そして、その事業を成功させた頼康公の実務能力の高さにも敬服するばかりです。


吉良家は小田原北条家に組した大名だったので、安土桃山時代に豊臣秀吉が小田原城を攻めた際に、この世田谷八幡宮の近所に在った吉良家の居城の世田谷城も落城し、吉良家は徳川家の支配下で下総(しもうさ)国に転封(てんぷう=領地の引っ越し)をさせられると、その後は徳川家康公により保護されました
なので江戸時代に世田谷八幡宮は大変な権威を誇り、武家の軍事教練として重要だった「相撲」の名所となり「江戸三大相撲」の開催場所だった為、境内には今も土俵が存在しています
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昔はここの土俵に多くの江戸の町民が相撲の取り組みを観戦に来たんでしょうね~。
※吉良家の関連記事は以下をご覧ください。
●蒔田吉良家の御所、蒔田城の記事は「ココ 」←クリック!
●吉良頼康公が間宮康俊公と鶴岡八幡宮を再建された事績の記事は「ココ 」←クリック!

源義家公は河内源氏と呼ばれた氏族です。つまり源氏の中でも河内国、今の羽曳野市辺りを元々本拠地にしていた、その後の源氏の本流に成った一族の平安時代の惣領(そうりょう=親分)です。
義家公は御父君、鎮守府将軍源頼義公と共に、今の神奈川県鎌倉市に拠点を置き、鎌倉市扇谷(おおぎがやつ)の中の「亀ヶ谷(かめがやつ)」と呼ばれた地域に館を築いて関東地方や東北地方で土地開発や軍事に活躍された方です。その館の跡は今、「亀谷山寿福寺」と言う御寺に成り、源頼朝公の奥さん北条政子様と御次男で鎌倉幕府三代将軍の源実朝公の菩提寺として存在しています。
※以前、寿福寺を紹介した記事は「ココ 」←クリック!

さて、源義家公は神道と仏教の両方の神仏を信奉し、山岳信仰にも熱心だったので、「八幡神」や「権現様」の御社やを各地で創建したり再興したりされています。
この信仰は源頼朝公も引き継いでおり、頼朝公に至っては此花昨夜姫の権化として信仰対象に成っている富士山を、何の登山道具も無かった鎌倉時代に登山し火口を一周されたり、此花昨夜姫の父神の大山祇大神の権化とされる神奈川県伊勢原市の大山を登山したり、その大山信仰の元に成った比々多神社も参拝しています。
※大山阿夫利神社記事は「ココ 」←クリック!
※比々多神社の記事は「ココ 」←クリック!
義家公は御寺の仏様も熱心に信心された方で、その菩提寺は明治時代の廃仏毀釈で廃寺に追い込まれましたが、今も羽曳野市壺井に通法寺と言う御寺の跡が在り、そこに義家公の御廟所が在ります。
そして、その通法寺の近くにもやはり、壺井八幡宮と言う八幡様が在ります。
神仏習合の神様の称号である山岳信仰の対象「権現」を信仰していた痕跡は関東各地にも在りますが、東京都八王子市にも残っていて、それも以前書いた「滝山街道」の記事に有るので御興味有れば御覧下さい。
※源義家公の山岳信仰に関する滝山街道の記事は「ココ 」←クリック!

先に少し触れましたが、この世田谷八幡宮は厳島神社も境内に有ります。
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厳島神社の神様は3柱の姫神様で壱岐嶋媛達が祀られています。
女神さまだから縁結びの御利益が有りますかね~?
古くは海上交通の神様として祀られた神様なので、水神様も信仰していた源氏の義家公や蒔田吉良家らしい神社とも言えるのでしょうか?
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厳島神社自体の御社は小さいものの良く屋根の社紋を見ると…
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蒔田吉良家と血縁が有り、蒔田吉良家を影響下に組み込んでいた小田原北条家の家紋が使用されています。
つまり、この世田谷八幡宮内の厳島神社には小田原北条家が少なからず関わっていたと言う事が解ります。

さて、話を世田谷八幡宮そのものに戻します。
世田谷八幡宮は関わって来た歴代殿様が凄い方達ばかりなので、縮小された現在でも可也(かなり)立派な規模を誇っています。
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説明看板も二種類有ります。
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境内は冒頭で掲載した惣門に当たる大鳥居の他に、参道を進むと更にもう一つ石造りの大きな鳥居が参拝者を出迎えます…
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現在も多くの方から信仰され多くの氏子様を抱える八幡様だけあり、中の鳥居には立派な注連縄(しめなわ)が掲げられていました。
禰宜の藏重さんの御話ですと、最近は世田谷八幡宮で神前式を上げる若夫婦も多いそうです。
ウエディングドレスの披露宴も捨てがたいですが、御話を聞いて、披露宴と別に結婚式を自分の家の氏神様で挙げると言うのも古来の習慣を大切にしていて良い日本文化伝承には良い傾向だと個人的に思いました。
無論、教会でも結婚式も神秘的で素敵ですよね。
まぁ、信仰はそれぞれ、日本人はそんな寛容さを古来から持っているし、日本の神様や仏様は外来の神様にも寛容な側面が有るので…
神前式を選ぶかどうか、教会式を選ぶかは日本の場合は権力を握る御嫁さん次第ですね(笑)!

さて、注連縄の掛かった石の鳥居を過ぎ石段を登ると、いよいよ本殿と社務所と神楽殿が見えて来ます。
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素敵な八幡様でしょ~?
住宅街の中の神社なのに清浄な雰囲気が漂っています。
この手前の石段右手に先程の土俵が在ります。
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土俵の横に何か建物が在ったので、これは昔、土地の領主や名主が相撲を観戦する際に利用した建物なんだと思います…
禰宜さんに聞くの忘れたので詳細は判りません。

ここは手水舎までも雰囲気があります。
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建物の感じだと、江戸時代位から有る手水舎なんですかね~?
手水舎の向こうには神楽殿かな?社務所と別棟の建物が在りました。
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どこを見ても江戸時代の雰囲気が漂っていますね。
そうそう!
この世田谷八幡宮、徳川家康公の庇護を経て、江戸時代に下総国に移住した蒔田吉良家の殿様の御子孫が再び支援したそうなので、江戸時代の雰囲気が現在も漂っているのだと思います。
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なんか…やけに眉毛の立派な狛犬様ですね。
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でも、この↑上の狛犬サン、子狛犬(笑)を優しくなでていて、何だか江戸時代の人のユーモアと人情や愛情が現代に垣間見えてホッコリしますね。
強くて優しいって理想ですよね~。
小生、この狛犬さんや御寺の仁王門の金剛力士みたいな人格に成りたいです。
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本殿も本当に立派でしたよ~。
本殿の御神籤(おみくじ)は24時間の自販機でした。
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現代に奉納された灯篭も立派ですね、そして周囲の雰囲気を壊さない素敵なデザインです。
この灯篭を良く見ると…
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吉良頼康公の家紋「五三桐」の紋ですね。
吉良頼康公が、この世田谷八幡宮を再興した事を感謝し子子孫孫に伝える氏子さん達の気概が伝わります。
そして、吉良家の領民だった誇りが、この世田谷区に昔から住んでいる方々には有るのでしょうね。
どうです?
素敵な神社だったでしょう?
大鳥居前の大きい社務所の駐車場には綺麗な花が元気に咲いて出迎えてくれていました。
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また、何度でも御参りに来たくなる八幡様でした。

さて、この世田谷八幡宮の近所には、蒔田吉良家の初期の居城だった世田谷城址公園や…
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世田谷城の主要部分だった豪徳寺が在ります。
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彦根藩主井伊家の2代目井伊直孝公からの歴代藩主菩提寺でもあり…
実は!招き猫の発祥地でもあります。
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可愛いでしょう?

この豪徳寺や世田谷城址公園も、近いうちに御紹介したいと思います。

では!今回はここ迄!
又、次の記事で御会いしましょう!



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神奈川県伊勢原市にそれはそれは凄い歴史を持つ神社が有ります。

比々多神社と言う神社です。
関東では安産祈願で有名な子易神社の本家本元も、此方(こちら)の管轄に成っている程の由緒ある神社です。

御祭神は…
●豊国主尊(とよくにぬしのみこと)
=土地開発の神様。
●大酒解神(おおさけとけのかみ)
  &小酒解神(こさけとけのかみ)
=酒造・防火・子宝・縁結びの神様。
●稚日女尊(わかひるめのみこと)
=紡績業服飾製造手芸の神様。
●天明玉命(あめのあかるたまのみこと)
=子宝の神様。
●日本武尊(やまとたけるのみこと)
=軍神・陸海交通・縁結びの神様。
…です。
何か若夫婦に人気の有りそうな神様が多いですね。

実はこの神社、もの凄い場所に在(あ)ります。
聖地?歴史遺跡の真ん中に在るんです。
周辺には縄文時代〜奈良時代の祭祀(さいし)場であるストーンサークルや、古墳等が沢山発掘されています。
そして近所には七沢城や岡崎城と言う重要拠点も戦国時代に有りました。


現在の社殿のすぐ裏にさえ、古墳が有ります。
発掘され復元されたストーンサークルも…
こんな風に縄文〜古墳〜平安〜戦国時代の遺跡が神社敷地内や周辺には沢山在(あ)り、神社に伝わる縁起(えんぎ=歴史)に登場する以下に記す歴史偉人との関係を証明してくれています。

開基(かいき=開いた人)
●神武天皇
中興(ちゅうこう=支援した人) 
●崇神天皇
●垂仁天皇
●持統天皇
●孝徳天皇
●聖武天皇
●淳和天皇
●相模国司       布施色布知公…持統帝時代 
●初代宮司       紀    益麿   公…聖武帝時代
●相模国司       橘    峯嗣   公…淳和帝時代    
●征夷大将軍   源    頼朝   公…鎌倉幕府
●相模守護       三浦道寸   公…室町幕府
●征夷大将軍   徳川家康   公…江戸幕府

凄まじく由緒正しいんですよ…

改めて社殿の写真を…
社殿の大きさは、普通の神社より少し大きめ位の規模ですが大山の麓(ふもと)に在るので、凛とした空気の清浄さを感じます。
大山は山自体が古代から信仰対象に成っている聖地です。
大山にも古い歴史を持ち、山伏達の修行場や温泉地として栄えた大山阿夫利神社と言う神社があります。
ココ↓ね。
※大山阿夫利神社の記事は「ココ」←クリック!
因(ちな)みに大山の神様の大山祇神(おおやまづみのかみ)は、富士山の神様の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父神様です。
ですから、伊勢原市からは箱根山越しに富士山が綺麗に見えます。

しかし本当、この比々多神社の周辺遺跡から出土した埋蔵文化財は量も凄まじい…。
比々多神社の社務所の隣には三ノ宮郷土博物館が有り、埋蔵文化財や関わりの深い平安〜戦国時代の大名三浦家所縁(ゆかり)の武具が展示されています。
ここは必見ですよ!

比々多神社は皇室と関わりが深いので、神社の家紋に五三桐紋の使用が許されています。
また、平安時代〜戦国時代の三浦家との関わりから三浦家の「三つ引き両紋」も譲られている様(よう)です。

三浦家との関わりについてですが…
比々多神社の近所に岡崎城と言う城跡が有りまして、そこの初代城主の岡崎義実(よしざね)公と言う方が実は鎌倉幕府御家人筆頭格の三浦家の分家で、それ以来の関わりだと思われます。
征夷大将軍源頼朝公の御父君に当たる源義朝公の時代から岡崎義実公は、比々多神社周辺の領主でした。
義実公は鎌倉武士団中、最も源氏に対して誠実だった様で、頼朝公の父君源義朝公が平家に敗戦し愛知県の長田と言う家臣に裏切られ謀殺された際には、自らの保身に走る事なく現在の鎌倉市寿福寺の場所に義朝公の御廟所を建て弔った方(かた)でした。
※三浦家と祖先の坂東平氏については以下のリンクをクリックして過去記事を御覧下さい。
ココ」「ココ」「ココココ」←クリック!

戦国時代に成ると三浦本家は佐原三浦家が継ぎ、比々多神社近くの岡崎城を本拠地にしました。
しかし、小田原北条家が台頭すると三浦家は敗北してしまい、最後は三浦半島の油壺に有った新井城で滅亡してしまいます。
実はその三浦家と北条家の合戦の際に、比々多神社は三浦家に味方したので戦火に巻き込まれてしまったんです。
その際に昔の社殿は消失しました。

今、社殿の在る場所は、古代の本殿の在った位置から500m位南に再建されたんですね。
しかし現在地も古代比々多神社の境内域内だと思いますよ…
多分広大な範囲が神社だったんだと思います。
なんせ、周りは遺跡だらけですから。

今の境内の裏の女子大や畑を通り抜けた裏山が昔の本殿の跡です。
この↓畑の裏山
そこを通り過ぎると「埒面(らちめん」と
言われる昔の本殿跡地。

元々の本殿の在った場所には今ではミカン畑に成っていますが、祠(ほこら)が祀(まつ)られています。
で…
この元々の本殿の在った「埒面(らちめん)」と言う地名なんですが…
"埒"と言うのは「壁や柵など」の防御施設の事なんですが、解決の手段が見つからない時に使う「埒が開かない」てのは、つまり城を攻める突破口が見出せないと言うのが語素なんですね。
そして「埒面」と言う地名から元々の本殿の在った場所は門や防御柵に囲われた有る意味山城みたいな造りだったのかも知れませんね。
ですから埒面には建物が沢山有った形跡ぽい削平地だらけでした。
そして昔の本殿跡だけ有って風景が綺麗でした。

この丘の近くまで神話の時代に当たる縄文〜奈良時代は海だったんですよ。
ほら↓この通り。
だから古代の遺跡はだいたい丘陵の上に有りまして、必然的に見晴らしも良い場所が多く成ります…
それにしても綺麗な風景でした。

ついでに素晴らしい歴史を持つ比々田神社の巫女さんも綺麗でした(笑)
ん?
神社の歴史と巫女さん達の可愛いさは関係無いか(笑)。

ところで皆さん…
もし安産祈願で比々多神社や子易神社に参拝する機会が有ったり、大山や伊勢原市方面へ何か行く用事が有れば是非、比々多神社の三ノ宮郷土博物館も拝観して見て下さい。
そして…
本殿で神様に自分の御願いを願掛けする時に、神様に歴代の開基中興偉人へ現代の発展の基礎を作って下さった皆さんへの感謝の伝言も御願いしてみては如何でしょうか?
私達現代人の生活は突然発達した訳じゃなく、古代からの先人達の御蔭でもありますから…

あ、伊勢原市からの帰り道、比々多神社の近所の"ふじみ野"と言う地域で、夕暮れの富士山の綺麗な山陰を拝めました!
流石、大山のお膝元…
大山阿夫利神社の神様は富士山の神様のお父さんですからね。
富士山が綺麗に拝めます。
富士山の手前には箱根山系や伊豆の山々が広がっています。

では、長くなりましたが…
今年1年が皆さんにとって良い年に成ります様に〜♫
これが今年の対外的な願いかな?

では皆さん、又、次のブログ記事でお会いしましょう!
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