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横須賀市田浦にある田浦梅林が見頃で田浦梅林祭りが開催されています。


前回記事で少し触れましたが、田浦梅林は今の天皇陛下の生誕記念に植林された広大な梅林です。
昔は山の名前を按針峰(あんじんみね)とか何とか呼んだらしいです。
隣接する町に安針塚と言うのが有るからでしょうか?
安針塚の安針とは、ウィリアム・アダムスと言う人物のアダムスを和名風にした名前で、彼は江戸時代に徳川家康に仕えたイギリス人外交顧問でした。
因(ちな)みに東京駅八重洲(やえす)口も、ヤン・ヨーステンと言う同じく徳川家康に仕えた彼の同僚の名前を和名にしたものと伝わっています。

下の航空写真真ん中辺りの山が全部田浦梅林です。
京浜急行電鉄 田浦駅から徒歩15分くらい。
行く途中には前回紹介した「梅どら」と言う梅を使った美味しいどら焼きを販売している「ふじみや」さんが有るので、田浦梅林見学のピクニックの御供(おとも)に丁度良いですよ♪


田浦梅林は住宅街を抜けないとたどり着けず、少々入り組んだ場所に入口が在りますが、案内看板代わりの旗を目印に辿(たど)って行けばつきます。

上の写真の山裾が見えれば、もうすぐ!
ここの路地が入口です。
ここを入るとニ叉路に道が分かれますが、小生のお勧めは左回りの第六天神社経由登山です。

少し登ると鳥居が有ります。
此方(こちら)側から登山すると途中、梅の林越しに横須賀市田浦の昔ながらの里山の風景を楽しめます。
更に田浦梅林の発祥地である第六天神社の前では…
撮り鉄の人なら歓喜するであろう、梅林と京浜急行電鉄のコラボした風景が見られるんです。

以下、田浦梅林から京浜急行のトンネル出口を見た風景の連続写真です。

写真みたらフォルダ内ぐちゃぐちゃで進行方向分からなくて、逆再生かも…

逆再生かも知れませんが、珍しい綺麗な風景である事は伝わりますよね?

この風景の見れる神社の第六天神は、織田信長公が武田信玄との文通の口喧嘩の中で、武田信玄が自分を「天台座主(てんだいざす=天台宗のトップ)」と書いたのに対して、信長公がトンチを効かせて自称したのが第六天神社の祭神、第六天魔王です。

農民の信仰を集めた神様で、第六天魔王は仏教とヒンドゥー教の神様です。
天台宗等、法華経を重んじる仏教宗派では魔王であり、且つ、真面目に仏教の思想を守る人間には保護者になると解釈されているそうです。
だから信長公は武田信玄が天台座主と称した際に、法華経信者を裁く立場の第六天魔王を持ち出し上から目線で信玄が吹っかけた口喧嘩を買った訳です。
武田信玄は天台座主を名乗る事で、自軍の織田領への侵攻に大義名分を付加しようとした訳です。
ところで、神道では第六天魔王に高御産巣日神(たかむすびのかみ)や天狗を当てはめる事で神主様や氏子さん達が、明治政府の廃仏毀釈政策に由る外来の神様排斥から第六天神社の御社を守り、多くの社殿を破壊の危機から守ってきた様です。
実は…
関西には第六天神社が余り無いのですが一説には豊臣秀吉が織田家を乗っ取った際に、織田信長公の天罰を恐れた秀吉により関西の第六天神社は破壊し尽くされたそうです。
第六天神社を過ぎると、梅林の遊歩道沿いに水仙が植えられたエリアに入ります。
先週の写真ですが、少しだけ水仙も梅も時期が早かった様でした。
が、それでも綺麗な花が見られましたよ。

良い眺望(ちょうぼう=ながめ)です。
この先に広場や子供用アスレチックが有ります。

途中、鶯(うぐいす)の群れに出くわしました。
可愛かったですよ〜♪

で、頂上付近に来ると、梅林越しに横須賀市の海と、更にその向こうに横浜市金沢八景の八景島の絶景が見渡せます。
昔は海も埋め立てられておらず、更に綺麗な風景だったんでしょうねぇ…。
手前が夏島かな?
写真中央が野島…
二つの島は伊藤博文公の別宅があり、大日本帝国憲法の草案が纏められた、日本法治主義の基盤が作られた場所でもあります。

展望台もあり、そこからも東京湾を眺めるれます。

この田浦梅林、元は個人の所有地でしたが、今上天皇陛下生誕記念に横須賀市に寄贈され梅が植林されたので、その寄贈者の方の記念碑もあります。
良い所でしょ?

お弁当持って御花見散歩に行くには良い場所です。
家族連れや恋人同士には尚、良いレクリエーションとなる事必定!

今週末位までが見頃です。
是非、訪れて見てくださいね〜♪

では、又、次の記事で!
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いや〜梅って本当、風味の良い食べ物ですよね〜!
そんな梅を使ったスイーツで、1番美味しいと思うのが横須賀市田浦の「ふじみや」の「梅どら」なんですが…
梅の甘露煮の入ったドラ焼きで、食べると鼻を抜ける香りがとても爽やかなんです!
ふじみや小さい店ですが、とても上品で香りの良い和菓子ばかりなんですよ〜!

この↓「へらへら団子」とか、他の店の草餅よりヨモギの香り高くて、スッゴイ美味しいのに…
「ふじみや」を切り盛りしてるオバちゃんと毎年この時期に話すと、後継者がいないと嘆いています…
息子さんが継いでくれないらしい。
この味が無くなるのは横須賀市の損失だと思う。
地域で表彰もされてるのに…

さて…
何で小生、毎年この時期に成ると「ふじみや」のオバちゃんと話すかと言うと…
その理由は、毎年、梅を見に田浦梅林に来るからです。

ふじみや は、田浦梅林の山の登山口に続く商店街に在(あ)るんです。

写真真ん中の山が田浦梅林の山。
京急田浦駅〜田浦梅林に行く時に、ふじみやを通過します。
もし田浦梅林に行く時は是非!ふじみやのオバちゃん所で「梅どら」か「へらへら団子」を買って上げて下さい!
将来、こんな美味しい物が無くなるのはのは絶ぇ〜っ対にぃイヤだぁ〜‼︎

だから横須賀市や横浜市の人!
週末に梅を観に行くなら絶対に買って食べてみて!
本当に格別に美味しいんだから!
お客さん増えたら息子さんが継いでくれるかも知れないし!

皆んな食べてみて!
食べたら本当に美味しいと思うはずだから!

田浦梅林の記事は別に書きます…
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前回のブログでは神奈川県に梅林が多い理由を解説しましたが…
※前回のブログ「ココ」←クリック!
今回は小田原市の曽我梅林をの写真を沢山載せます。

写真は先週28日に「曽我の里 別所梅祭り」の曽我梅林を見学した時に撮影したものです。
曽我梅林は戦国時代の関東の覇者、北条家のお膝元、小田原市に在(あ)ります…

小田原市の特産品が梅で、北条家の政策で梅の植林が神奈川県では盛んに行われた事は前回のブログでも触れました…
その北条家の梅が今でも小田原市の特産品でして、特に曽我の梅は「曽我十郎梅」としてブランド化に成功しています。

撮影当日は小田原城と戦国時代の小田原城残存部を見学した後に曽我梅林に着いたので少し薄暗く成ってました。
しかし、これが思いがけず幸運となり、美しい富士山と梅林のコラボした夕景を見る事が出来ました♪
曽我梅林は丁度(ちょうど)、箱根山を挟んで富士山と対面する丹沢山系南麓西端に位置します。
航空写真↓を御覧頂けば一目瞭然。
ですから、こんな風景が撮れたんですが、時間的な幸運にも恵まれました。
日没寸前の17:00位だったと思います。
曽我別所地区には何軒も大規模な梅農家さんが居て、果実としての梅の生産用梅林なんで本当に広大な範囲なんです。

梅花も数種類有り、オーソドックスな紅梅や白梅に加えて、枝垂れ梅やピンクの梅等が有ります。
本当に綺麗で、この梅林の中を散歩しても良いんですよ。
…勿論(もちろん)常識を守りながらですよ。
因(ちな)みに梅の話から脱線しますが…
勿論は「勿」+「論」で一つの単語に成っていますが元は漢文です。

「勿」は…禁止の意味です。
日本の古文では「〜するなかれ」と読みますね。
「論」は…まんま「論ず=語る」です。
つまり…
「勿論」は「語らなくて良い(ほど)」と言う意味の漢文が単語化した言葉です。

何で漢字の話しをしたかと言うと、この美しい梅は元々日本には無かった植物です。
昔、中国大陸から輸入された植物なんです。
ですから、漢学と言って昔は最先端学問だった中国の兵法や詩歌を学んだ菅原道真公は、この梅の花を漢学と同様に愛していたそうで、菅原道真と飛梅の伝承が有名です。
しかし、道真公は日本人の魂=思想価値観を根本として大切にしようと言う意味で…
「和魂漢才」=最先端学問を学びつつ日本人としての矜持(きょうじ)を大切にする
…と言う意味の言葉を残しています。

ところで…
道真公の愛した飛梅は、おそらくオーソドックスな梅でしょうかね〜?
小生は日本で品種改良された枝垂れ梅も綺麗だと思いました。

御存知の方も多いと思いますが、菅原道真公は全国で天満宮の神様に成っていますが、そんな理由で天満宮の紋は梅鉢紋に成っています。

梅が特産品の小田原市市章も梅をデザイン化したものです。
オラが町ヨコハマのコレ↓と比較すると…
小田原市はセンス良いですね♪
昔は横浜市も杉田梅が日本で有名なブランドだったんですがね〜。
片仮名のハマをデザイン化とかナンセンス過ぎ。

曽我梅林の枝垂れ梅綺麗でしょう?
富士山も綺麗…

勿論(かたるまでもなく)、菅原道真公が愛したであろう、普通の梅も綺麗ですね!

曽我梅林、良い場所でしょう?
ぜひ、訪れて見ては如何でしょうか?
箱根温泉や小田原城見学と合わせて行けば、かなり充実した観光コースに成りますよね!

残念ながら曽我別所梅祭りは今週3月4日で終了してしまいました。
もし来年行きたい方は以下のホームページリンクを参考にして下さい。
曽我の里 別所梅林」←クリック!

因みに5月3日には小田原城で北条五代祭りが開催され、武者行列等のイベントが有りますよ!

では、又、次のブログ記事でお会いしましょう!
次回は岡村梅林と岡村天満宮と龍珠寺の記事を書こうかな…
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梅干し好きですか?
小生は甘い蜂蜜漬けより、昔ながらの塩っぱくて酸っぱい本物の梅干しが好きです。
特に小田原の曽我十郎梅の梅干し。

神奈川県は梅の名産地であり、観賞できる梅林がいくつか有るのを皆様ご存知でしょうか?
現代、県内で1番有名なのは小田原市の曽我梅林です。
写真は曽我梅林。
先月28日に撮影しました。
枝垂れ梅の向こうに富士山を眺めれる素敵な場所です。

江戸時代、日本で最も有名だったのは、横浜市磯子区〜港南区の杉田梅林。
しかし…教育委員会が保護しなかった為に杉田梅林は姿を消しました。
写真は磯子区杉田の妙法寺にある杉田梅林の顕彰碑です。
江戸時代に観光地として栄えた杉田梅林を植林したのは、北条家重臣の間宮信繁公でした。
杉田梅は江戸時代に紀州南高梅より有名な梅だったんですよ!
ですから明治天皇も杉田梅林に観梅に御幸(みゆき=天皇陛下が外出なさる事)されています。
※杉田梅林関連記事は「ココ」←クリック!

現代横浜市磯子区岡村に、杉田梅林と同時期に造営された杉田梅林の飛び地、岡村梅林の一部が復興されています。
写真は岡村梅林の南側の入口です。
この岡村梅林は元々は岡村天満宮の敷地でした。
先週水曜日の時点では三分咲きでした。
今週末位からが見頃かな?
この直ぐ近所には玉縄北条氏繁公の開基(かいき=開いた)した龍珠院と言う御寺や、足利家一門(いちもん=親族)の蒔田吉良家の蒔田城も有りました。
※蒔田吉良家の記事は「ココ」←クリック!

田浦梅林は横須賀市田浦に在ります。
横浜横須賀高速道路からも見えますね。
田浦梅林は今上天皇の生誕記念に1934年に造営された、80年経った山全体が梅の木に覆われた広大な梅林です。
往時の杉田梅林を想像させる規模です。
昨年も行ったのですがデジタル写真が手元に無いので今週末撮影して来ます。

神奈川のお隣り、静岡県伊豆半島の梅林も超有名ですよね?
現代の東日本では、伊豆の方が有名かもしれません。
熱海梅園や修善寺梅林等が有ります。
熱海梅園は各種様々な梅花と河津櫻(かわづざくら)が観賞できます。
…もっとも歴史オタな小生からすれば伊豆半島は歴史的にも静岡県じゃなくて神奈川県に編入されるべき地域なんですが(笑)。

実はこれ等(ら)の梅林、なんで南関東の最南端沿岸部に集中しているかと言うと天災に関係が有ります。
そして戦国大名の北条家の政策に起因しています。

北条家の統治した南関東は水田開発に適さない土地が多く、為政者である北条家の各武将は食糧生産向上に苦慮していました。
その原因は多摩丘陵の丘だらけの地形と富士山です。
 
平安時代の富士山の噴火による火山灰堆積地層に由(よ)り、畑しか作れない地域が多いんです。
現代の降灰予想範囲を見て貰えば一目瞭然です。
降灰範囲が、正に畑文化地域なんです。
この範囲で富士山は戦国時代以前の平安時代には…
⚫︎延暦噴火800年〜802年。
⚫︎貞観噴火864年。
…以上の2回の噴火しています。
これにより生成された地層のせいの水田に不向きな土地なんですね。
余談ですが…
「かぐや姫」=「竹取物語」は成立年不明とされていますが、物語の最後に富士山名前の由来説明で火口が噴煙を上げている描写を記しているので、かぐや姫の物語は延暦〜貞観年間か、それ以後の成立と推測出来ます。

貞観噴火は貞観大地震と貞観大津波と関連が有り日本全土に重大被害をもたらした災害でした。
東日本大震災以降、地震や津波の発生メカニズムの研究対象として、地震研究者と考古学者が協力して研究している大地震です。
貞観地震と富士山貞観噴火の関係性から、東日本大震災以後、富士山噴火が警戒されている訳です。

延暦噴火では、古代、富士山北麓を抜け御殿場市を通過していた古東海道が使用不能に陥り、箱根経由の険しい現在の東海道を開拓しなければいけなくなった程の降灰がありました。

戦国時代以後も噴火しています。
江戸時代の宝永大噴火では小田原藩大久保家は藩経営不能な事態に陥り、徳川幕府が用意した代替領地に藩ごと一時期引っ越し、小田原藩約6万石は徳川幕府の元で再建されます。

今の富士山の南山麓の宝永山が宝永の大噴火当時の火口です。
まぁ、当時の江戸幕府は優秀でして…
無能な民主党が東日本大震災で始終狼狽して終わったのと異なり、江戸幕府は発災後、直ちに小田原藩領地を直轄地化し全国の大名から16万両の復興資金を集め復興政策を成功させ小田原藩に領地を返還しています。
当時の江戸市民が東京都内で体験した富士山噴火当日の様子を参考に紹介します。
この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。
…富士山が噴火すると東京都内も真っ暗に成り、大気中の火山灰同士が擦(こす)れ合い静電気で雷雲化してしまい、凄い落雷が続くみたいですね…
落雷要因の火災も頻発しそう。

さて、ここまで読んで頂くと水田耕作に関東平野南部が向いていなかった事情がなんとなく伝わったでしょうか?
そこ等辺りは、以前、平安〜鎌倉時代の武士三浦家の本拠地衣笠城の紹介記事でも書いたので御興味有れば読んで見て下さい。
衣笠城記事は「ココ」←クリック!

そこで北条家臣団による梅林の植樹が関係して来る訳です!
この殿様↑北条氏康公の時代に今の神奈川県と静岡県伊豆半島で梅林の植林が盛んに成ります。
※KOEIさんのゲーム画像だと↓コンナ感じ

関東では水稲が育てれない土地が多いので、富士山の火山灰の堆積地層の関東ローム層は古い層は赤土で酸化鉄が固まり硬く、又、新しい黒い層は畑地にしか向かない性質があります。
まぁ、長所も有り石垣を使わずとも削り込むと築城に向く地質でもある訳ですが…
そこで、北条家では梅林造営を奨励しました。
梅は関東ローム層でも植林可能です。果実が梅干しに食用加工出来るので、梅は戦時食料に成る上に、特産品として出荷も出来る訳です。

又、農業的、商業的な理由だけでの梅林造営ではなかった筈です。
北条家は元々の苗字が「伊勢」氏で、家祖の北条早雲公の家は室町幕府で申次衆(もうしつぎしゅう)と言う役職を務(つと)めたエリート官僚の家系でした。
ですから、北条家の殿様は学問を奨励した文化的素養に優れていた方ばかりで風流さも兼ね備えていた様です。
つまり現代人と同じ様に、梅林を見て観賞する意味でも植林を奨励したのだと思います。
だって綺麗だもんね?
上の写真は曽我梅林です。
北条家の家臣団は、梅林を見ながら和歌を詠(よ)んだりしたり、お酒を飲んだのかな〜?
なんか桜の花見より風流ですよね〜♪

恐らく、梅林には宗教的な意味も有ったと思います。
北条家より先に関東地方に土着し鎌倉文化の基礎を築いた平良文公の御子孫、坂東平氏の武士達は氏神様とは別に天神様=菅原道真公を崇拝していたので天神様と関係の深い梅を愛(め)でる文化が有ったのかも知れません。
※天神様と坂東平氏の関係記事は「ココ」←クリック!
鎌倉武士団は戦時食料にクエン酸と塩分を補給出来る梅干しを携行していましたし、梅林は平安時代後期の昔からいくらか有ったのかも知れませんね。

ここまで読んで頂いて、何で神奈川県や伊豆半島には広大な梅林が嘗(かつ)て沢山有り、今も曽我梅林や岡村梅林や杉田梅が残るか何となく御理解頂けましたか?

全ては北条家の大殿様と武将達の内政力を今に伝える文化遺産でもある訳です。

次回は梅花の写真を沢山載せた記事を書きますね〜!

では又、次のブログ記事でお会いしましょう♪
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