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タグ:豪徳寺

ブログネタ
紅葉の写真 に参加中!
さて今年も秋に入り、もう直ぐ紅葉の季節です。
過去に書いた記事をベースに新しい写真に差し替えて、何ヶ所か追記して紅葉の名所紹介をリニューアルします。

●各所紹介の下に個別の解説記事へのリンクが貼って有ります。
この記事の各所一覧と異(こと)なりリンクから各所個別の解説記事を御覧頂くと更に多くの写真と情報を追記して有ります
個別の解説記事では住所をクリックするとGoogleMapにリンクし場所が表示されます
GoogleMapをスマホで使うと電車乗換検索やカーナビとして機能しますので非常に便利です。

現地写真と現地を訪問した小生の個人的感想で各項目毎に評価します。
最良を★★★★★5~最低を1で相対評価します。
(参考例)
【景観】
    ←本数ショボい、もしくは見る価値無い景色。
★★   ←まぁ、近所なら悪くはない。
★★★  ←紅葉少ないが景色が綺麗。
      又は
      紅葉綺麗だけど景色普通。
★★★★ ←紅葉も景色も両方素晴らしい。
★★★★★←スペシャル!
※電車アクセスに関して
    ←2kmは歩くよ~。
★★   ←バス乗換え乗車30分超。
★★★  ←バス乗換え乗車30分内。
★★★★ ←駅を降りて徒歩圏内。
★★★★★←駅の目の前。

【紹介箇所】
東京都中央区  

浜離宮恩賜庭園(甲府松平家邸址)

東京都世田谷区 

大谿山豪徳寺(世田谷城址)~世田谷八幡宮

東京都世田谷区
九品山淨眞寺(奥沢城址)

川崎市宮前区
東高根森林公園(神奈川の景勝50選)

川崎市麻生区
星宿山王禅寺(聖武天皇勅願寺)

川崎市多摩区
生田緑地
岡本太郎美術館~生田緑地菖蒲園のセコイアの林
~日本民家園~桝形城跡


横浜市中区
山下公園~横浜スタジアムの銀杏並木
と彼我庭園(旧岩亀楼庭園)の紅葉

横浜市中区   

国指定名勝:横浜三渓園(原財閥邸址)

横浜市戸塚区
舞岡公園


鎌倉市雪ノ下

鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館

鎌倉市浄明寺地区①

稲荷山浄妙寺(足利家菩提寺)

鎌倉市浄明寺地区②
功臣山報国寺(宅間上杉家菩提寺)~華頂宮邸(旧皇族邸宅)~釈迦堂切通し

鎌倉市二階堂
金屏山瑞泉寺~天園休憩所

伊勢原市大山

大山国定公園~雨降山大山寺(関東三不動)~大山阿夫利神社(延喜式内社)

秦野市曽屋

弘法山公園~鶴巻温泉

秦野市今泉    

震生湖~福寿稲荷社

南足柄市大雄町

大雄山最乗寺

足柄下郡箱根町 
←リニューアル予定
公時神社~金時山周辺(伝:金太郎出生地の一つ)


浜離宮恩賜庭園
(旧甲府藩松平家邸址)
〒104-0046 東京都中央区浜離宮庭園1−1
【景観】★★★
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豪徳寺と世田谷八幡宮
徳川四天王井伊家の豪徳寺
(世田谷城址)

世田谷八幡宮
(鎌倉将軍代理吉良家の守り神)
【世田谷八幡宮】
【景観】★★★★
 紅葉と寺院仏塔の景観凄い。
【電車】★★★ 
 東急世田谷線宮の坂駅~
 ~徒歩5分
 小田急小田原線豪徳寺駅~
 ~徒歩8分
【  車  】
 豪徳寺境内に10台程度。
 世田谷八幡宮に10台程度。
【休憩】
 周辺に数件レストラン有り。
 豪徳寺境内に自販機有り。
 世田谷八幡宮近くにタコ焼き屋。
オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )       
 紅葉と仏塔や御堂のコラボが綺麗◎
 ❝招き猫❞発祥の御寺だよ

 大名井伊家の菩提寺で建物凄い◎
 豪徳寺は戦国時代の世田谷城址◎
 八幡宮は江戸三大相撲の内の1つ◎
注意するpoint(•ω•)       
 駐車場少ないし解り難いよ!
 住宅街だから運転注意!
――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
豪徳寺の三重の塔がコラボした風景がとても美しい御寺。
この御寺は招き猫発祥地でもあり紅葉を楽しめるだけでなく招福祈願の寺院としても有名。
近年ではNHK大河ドラマ“女城主直虎”の人気で観光客も増えている。都心から近いのに京都や鎌倉の様に美しい紅葉の景色が撮影出来るので外国人観光客にも人気。
世田谷城鎮守の世田谷八幡宮は源義家公が開き、戦国時代に足利幕府鎌倉将軍の代理を勤めた吉良頼康公によって復興されたと伝わる由緒ある八幡宮な上に、江戸時代に徳川家康公に支援されると現在の大相撲興行の元に成った江戸三大大相撲の内の一つの開催地に成った。
【偉人】
源義家公、蒔田吉良成高公、吉良頼康公、吉良氏朝公、井伊直孝公、井伊直弼公等。
歴史も由緒正しく、戦国時代には鎌倉公方の代理も務めた蒔田吉良家最期の本拠地として機能した世田谷城址の持仏堂から大寺院化した御寺で、更に江戸時代初期に成ると徳川四天王の井伊直政公の跡継ぎ、彦根藩第二代藩主の井伊直孝公によって井伊家菩提寺に定められた。
井伊直弼公は横浜(東海道神奈川宿)の開港を決めた人物で近代日本発展の門を開いた人物だが、桜田門の変で攘夷派志士達に江戸城桜田門外で邸宅への帰路に暗殺された人物。
豪徳寺境内には井伊直孝公以来、歴代当主と奥方様達の立派な御廟所が現存し、参拝客に一般公開されている。大出世した井伊家の殿様達を御参りし御線香上げたら立身出世の御利益有るかも♪
【名物】
招き猫
井伊直孝公と当時の御住職の逸話の中で、井伊直孝公を御寺に招き入れた猫チャンが招き猫の由来に成った。
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彦根城の‟ゆるキャラ”の‟ひこにゃん”は招き猫が井伊家の殿様の兜を被(かぶ)ったデザインに成っている。豪徳寺の寺務所では現在も招き猫の置物や御守りを販売しており、参拝者は購入する事が出来ます。御朱印も拝受出来ます。
【交通】
駐車場は台数少なく直ぐに満車に成る上に周辺に駐車場が無い住宅街なので電車での訪問が良い。
電車での交通の便は非常に良い。
【周辺】
戦国時代は世田谷城と言う御城だったので、近くには世田谷城址公園として一部空堀と土塁が保存されている。
世田谷城址公園と豪徳寺と世田谷八幡宮は徒歩直ぐの距離なので歴史好きなら全部廻(まわ)りたい所。
隣町はサザエさん一家の住む桜新町だったりする。
——豪徳寺境内の紅葉——
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——招き猫の招福殿——
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——世田谷八幡宮——
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紅葉の名所一覧へ⤵

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本日、日本は旧暦の小正月。
いよいよ、旧暦の正月も終わり季節も本格的に花やぐ春に入ります。
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今年は猪年。
因(ちな)みに日本で猪(いのしし)の意味で使われている“猪”の漢字ですが、本来の意味は“豚”です。
“豚”の本来の漢字の意味は日本語の“瓜坊(うりぼう)=子猪”の意味です。
日本人の言う所の豚は漢字では白猪と呼ばれています。黒豚なら黒猪に成るのかな(笑)?
中国、台湾、香港、マレーシア等の中華文化圏では豚は富の象徴であり財運と結び付けられています。
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日本で言えば井伊家の殿様を出世させた事で幸運の象徴化された世田谷豪徳寺発祥の“招き猫”文化みたいなモノかな?
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まぁ、だから彦根市のゆるキャラは彦根城主の井伊家の殿様、井伊直孝公の兜(かぶと)を被(かぶ)った豪徳寺の招き猫をデザインした“ひこにゃん”なんですよ。
そこら辺は以前、豪徳寺紹介記事で解説してるので御興味有る方は読んで見て下さい。
下⤵️クリックで記事リンク

それと小正月は満月を見る古代の祭事に由来しているんですよ~♪

明晩は満月🌕ですね~♪
だから猪=豚+金色の満月=金豚=発財=財運向上の日です(笑)。
なので写真も金豚(笑)。

神話の時代は考古学の縄文~弥生~古墳時代に当たりますが、当時の人々の生活と神社に残る神事は実は密接にリンクしてるんです。

現代の太陽崇拝の影響を受けた太陽暦で活動する欧州文化圏の暦に明治時代に改められる以前は、タイや台湾等のアジアの友邦と同じく日本でも月の満ち欠けを暦の基準にした陰暦(旧暦)で世界を見ていたんです。
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この間の皆既月食の写真ですが、古代の人にとって皆既月食はさぞかし恐怖に感じたんでしょうね~。
渡来人が来て稲作が持ち込まれる以前の我々日本の本来の在来種は縄文系の海洋民族遺伝子なので、海の潮の満ち引きに深い関係の有る月が生活の基準で、太陽信仰よりも月読(つきよみ)の神様つまり月読命(つくよみのみこと)が生活基盤だった名残りが今も有るんですよ~♪
今でも神職の方々が念じる蘇民祭=半年毎の大祓神事で祝詞(のりと)の口上は、天皇家の直接の皇祖神の天照大神ではなく、日本の原形=民族集団=各氏族の祖先神(部族長)の治める村々=原初の国々を生み出した、つまり初期の統治機構や交易の流通網を作り出したであろう伊邪那美命と伊邪那岐命の女夫(めおと)神様の名前ですよね。
その女夫神様から夜の世界を任せられたのが月読命で、大祓神事で半年間の“厄除”“魔除”“悪行をチャラ(笑)に”する御利益を授けて下さる素戔嗚命(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)=武塔天神(むとうてんじん)様が治められた“海の世界”の生活にも深く関わっているんです。

あぁ~そうそう。
小生は敢えて夫婦(ふうふ)の字で夫婦(めおと)と書かずに江戸時代迄の人と同じ様に女夫(めおと)と書きます。
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“めおと”に夫婦の漢字を当て嵌めるのも近現代の漢字誤植ですから嫌いなんですよ。
同じ意味だから当て嵌めちゃったんですね。
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鎌倉観光すると昔からの鎌倉名物は女夫饅頭なので知ってる人も多いかも知れませんね。
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溝(みぞ)と書いて溝(どぶ)と読ませるのも近現代の漢字誤植です。
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田舎の人や城廓ファンは知ってますがドブは発音の通り“土腐(どぶ)”と正しくは書きます。
これは漢語ではなく、ずっと使われている日本語です。
よく城の沼堀の解説なんなかで目にします。

そして大祓は半年毎ですが、古代の人の1年は半年間でカウントしてたのだろうと言うのが最近の考古学の説だそうです。

途中から天照大神が重視されたのは、卑弥呼の頃の弥生時代の終わり~古墳時代の始まりに稲作が大々的に普及して生活基盤が農耕に移行したから、作物の実りや農耕に必要な灌漑用水の水の確保に支障が出る旱魃(かんばつ)=日照り=気温や日照時間、つまり天候と直接関係関係深い太陽信仰が重視されたからかも知れませんね。

さて!
今日、明日が発展と財運向上の金豚(笑)の日、御目出度(おめでた)い日です。
我々日本人の使う平仮名、片仮名、和体漢字のルーツ、漢字発祥地の漢人や友邦台湾の人なら日本の恭喜發財の日(笑)かな?

そして明日の満月の日~水戸市では水戸梅祭りが始まりますね~。
土曜日は皇太子殿下が天皇に即位される前の皇太子として最後のお誕生日でもあります。

皆さんにとっとも小生にとっても世界中の親日国の人にとっても向上と進歩と実りと幸の多い1年間に成ります様に~。



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皆さんは、水分補給と言うか…
一息つく為に何を飲みますか?
小生は御茶を良く飲みます。
御茶と言っても煎茶では無く、鉄観音の緑茶ですが。

さて、昔の御殿様達も御茶を良く飲まれた様ですが、世田谷の大谿山豪徳寺と言うそれはそれは立派な御寺にも御茶を飲みに立ち寄られた、ある殿様の御話が残っています。
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この豪徳寺さん、幕末の大老井伊直弼さんの御先祖様、徳川幕府直参大名の彦根藩井伊家と非常に所縁の深い御寺でして、大凡(おおよそ)以下の様な内容の伝承が伝わっています。

ある日、徳川家臣の井伊家2代目、井伊直孝公が今の世田谷の辺りを通りかかった時、ある御寺の前でネコが手招きしていました(出オチだよね)。
それを見た直孝公、これも縁だなと御寺の和尚さんに「ネコに呼ばれて訪問してみたんだけれど、和尚さんの話でも聞かせてくれません?」みたいな事を言った所、あっと言う間に外の天気が大崩れ、和尚さん、殿様達にお茶を出す間に…
「御寺の外は激しい雷雨に見舞われ、御寺をスルーしていたら今頃落雷で大変な目に遭っていたかも知れない」
…と殿様も一安心、これも何かの縁と和尚さんの御話を一しきり聞いた所、その説法に非常に感銘を受け、以後、この御寺を井伊家代々の菩提寺として定め支援する事に決めました。
…この逸話のネコこそ、招き猫のモデルなんです。 2015-06-13-19-06-53
これ↑豪徳寺で販売している招き猫さんです。
本家本元、元祖の招き猫だから古典的なデザインだけれど、可愛らしいでしょ♡?

井伊家の居城、彦根城のマスコットは「ひこニャン」ですよね?
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ここまで話を聞いたら、何で彦根のキャラが「ひこニャン」かお分かりですよね?
つまり、彦根城主井伊家と東京都世田谷区の豪徳寺が招き猫の発祥の由縁であるので、ネコに初代の井伊直政公の兜を被せてキャラにしたんですよ。
…こうして話を知ってしまうと以外にヒネリが無いキャラのデザインでしょ(笑)?
でも可愛いですよね?

実はこの豪徳寺は元々、蒔田吉良家の居城「世田谷城」でした。
「世田谷城」の事は後半部分で詳しく書きますが、その城内に城主の吉良政忠公が叔母の弘徳院様の菩提を弔う為に立てた私設の仏院が北条家滅亡後、その影響下に在った蒔田吉良家が下総国(千葉県)に移転してしまい支援者を失いほそぼそと寺院として命脈を保っていたのを新たに支援したのが井伊家に当たる訳です。
先程の招きネコの発祥の逸話ですね。

江戸時代を通じて大大名の井伊家の菩提を弔い代々支援を受けた御寺だけあって鎌倉の円覚寺や建長寺や京都の大徳寺や相国寺に迫る規模を有しています。
ですので、参道もとても素敵な雰囲気です…
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緑豊かでしょう?
この参道を抜けると立派な三重塔が出迎えてくれます。
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歴史にあまり関心の無い方の為に一応ご説明差し上げますが…
この様な仏塔、よく大寺院に有りますが、実は中は登れない構造に成っており元々の役割は「仏舎利(ぶっしゃり)」と呼ばれる、仏教の開祖「ゴーダマシッダルタ=お釈迦様」の御遺骨を納め奉(たてまつ)る為の建物なんです。
勿論、現代の日本の仏塔にお釈迦様の仏舎利が有る訳ではありませんよ!
あくまで文化的宗教的な役割を担い、かつ御寺の景観を美しく演出する役割が主な所になっています。
この豪徳寺の三重塔の前には楓や紅葉の木が生えていて、ボランティアガイドの方の話ですと秋は非常に美しい風景を参拝客に見せてくれるそうです。

さて、この三重塔の右手を参道にそって真っ直ぐ行くと本堂が在るのですが、そちらを紹介する前に…
こちらから!
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三重塔の前の参道の分岐点を本堂に向かって左手に曲がるとすぐの所に上の写真の御堂があります。
この塔頭(たちゅう=御寺の支店とか別部門みたいな感じ)の門をくぐると…
こんな建物↓があります。
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これだけでも、住宅街の中の小さめの御寺の本堂位の規模があります。
この写真の左側を良く見て下さい…
何か白いの居ませんか?

実は、ここが「招き猫」の御利益に与(あずか)れる御堂なんです。
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この招き猫さん達は願いが適(かな)った参拝客が納めたネコさん達かな?
この招き猫達は寺務所で購入できますよ~!
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小生が購入したのは2cm位(左)のと、右の10cm位のです。他にも同様の物を家族と友人の御土産に購入しました。

三重塔と、招き猫達がいる御堂を過ぎて真っ直ぐ行くと、その先に井伊家との歴代の殿様と、その奥方様達の御廟所が在ります。
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この奥が御廟所なのですが…
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今回も失礼に当たるので御廟所の写真は載せません。
その代わり、幕末の彦根藩旧臣達が明治時代に奉献した、御廟所入口の石柱を載せますね。

さてさて、では三重塔から本堂に向かいましょう…
本堂に向かうと、大きな大きな線香を炊き上げる炉が有ります。
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すんごい立派でしょ!!
御寺の寺紋は井伊家の菩提寺だけあって、井伊家の橘樹紋ですね。

ここを右手に行くと庫裡(こり=寺務所)が在ります。
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招き猫のパネルが有るので直ぐに解ると思いますよ~!
こちらで招き猫や御土産を買ったり、御朱印を頂けます。
御朱印の写真を掲載したい所ですが、小生の御朱印は少々特別な物を御好意で頂いているので掲載できません。御了解の程を…

で、線香炊き上げる場所の更に奥が下の写真の…
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最初の大きな仏殿が在ります。
確か…
こちらが阿弥陀如来様が祀られている方の仏殿だったと思いますが、記憶は定かではありません。

で、寺務所を右手に見ながら、この仏殿の更に裏手に本殿が在りますが本殿を紹介する前に、こちらの仏殿の屋根を見てみましょう。
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彦根藩井伊家の、もう一つの家紋「平井筒紋」が金色にキラリと輝いていますね~。
そして御堂の大きさが伝わると思います。
見切れてる狛犬さんも凛々しいですね。
この写真は仏殿を裏側から見た写真です…

…その向かい側に本殿が在ります。
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本殿前の炉も井伊家の家紋が刻まれていますね~。
如何に、この豪徳寺さんにとって井伊家が大切な存在だったかと言うのが伝わってきますね。
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現在、こちらの本堂は鉄筋コンクリートに成っています。
こちらには確か、釈迦如来様が安置されていたと思います。
入口のガラス戸ごしに拝む事が出来ます。

この豪徳寺、冒頭で少し触れましたが元々は蒔田吉良家の居城「世田谷城」だったので、境内には城時代の土塁遺構がちょこんちょこんと残っていました。
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まぁ~城好きな人以外には「ただの土のこんもりしたの」位にしか見えないでしょうけれど…
これは御城時代の土壁の名残なんですよ。
ですからこの、土塁の延長線上には「世田谷城址公園」も在ります。
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世田谷城址公園には、豪徳寺の山門を出て左手に進むと100m位さきに在ります。
この↓道ね。
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現在、世田谷城址は大部分が宅地化されてしまい余り残っていませんが、公園内には空堀と北条流築城術特有の二重土塁が石垣で補強され保存されていました。
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世田谷城址は吉良家の館を、吉良政忠公或(ある)いは吉良成高公の代に拡張し城郭化したと言われています。
小生の個人的な予想では戦国時代に当たる吉良成高公の代には横浜の蒔田城が吉良家の本城として機能していたと推測しています。
しかし、この世田谷城が本城だと言う意見が主流の様です。
ちょっと蒔田吉良家の所領を見て見ましょう…
吉良家所領域
赤いタグと黄色のピンで表示された地名と施設名が支配域の中心部です。
世田谷一帯・多摩川と中原海道沿いの川崎市高津区と中原区一帯・海運の拠点東京の品川辺り・同じく海運と河川水運の拠点横浜市南区一帯…

多くの学者の意見では、世田谷城が本城だったが、成高公は文化人だったのでしょっちゅう風光明媚な蒔田城に行ってたんじゃないの?…と言うのが定説に成りつつある様です。
小生が蒔田城が北条家時代の本拠で、世田谷城は元の本城として重視された拠点だったと思う根拠は…
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吉良成高(しげたか)公が開基(かいき=御寺を創建する事)された勝國寺が横浜市南区蒔田城址の丘の下に在るからです。
そして、この蒔田城址の大手口に当たる場所に在る勝國寺さんには「吉良政忠公の御廟所」が有るからです。
つまり、小生の予測はこうです…
吉良成高公は扇谷上杉家の執事だった名将太田道灌公と盟友でした。しかし太田道灌公は君主としての器に乏しい主の扇谷上杉定正に今の神奈川県伊勢原市に在った別荘で入浴中に暗殺されてしまいます。
この時期の前後、吉良家は扇谷上杉家の影響下に在ったはずですが、同時期に伊豆国を制圧していた北条早雲こと伊勢盛時公も主を今川氏親(うじちか)から古河公方足利成氏(しげうじ)公に乗り換えていましたので、扇谷上杉家は古河公方家との関係上、伊勢盛時公とも関わりが有ったはずで、当然、伊勢家と蒔田吉良家も関わりが有った筈です。
では何故、伊勢盛時公が伊豆を支配下に治めれたですが、これは正に古河公方家を主家とし仰いだから敵対勢力である堀越公方足利政知の支配地域である伊豆を攻める大義名分を獲得する事が出来た訳です。
ですので、伊豆と隣接する小田原城主の大森家と伊勢(北条)家は友好関係にあった訳ですが…
この関係を揺るがす政変を古河公方家が起こしてしまう訳です。
突如、古河公方は対立する堀越公方派だった山内上杉家と和睦してしまい古河公方派の扇谷上杉家と山内上杉家の関係も改善してきましました…

つまり!
伊勢家の伊豆統治の大義名分が怪しく成って来た訳です。

…しかし、この古河公方=扇谷上杉家と山内上杉家の同盟は、元々山内上杉家と戦う事で領地を拡大していた扇谷上杉家与力の大名たちに大いに扇谷上杉家に対する不信感を与える原因に成ったようです。
しかも!
吉良成高公は太田道灌公の暗殺以来、扇谷上杉家に対して恨みの様な感情すら抱いていた事でしょう。
結果、吉良家は世田谷~中原街道を攻めのぼり太田道灌公の遺領だったと思われる横浜市南区辺り迄攻め込んで来て、同じ様な動機で直ぐ隣の鎌倉郡まで制圧していた伊勢(北条)家と友好関係を結んで、前線に当たる世田谷から蒔田城に本拠を移したのだろうと、個人的に推測しています。
因みに、何故、横浜市南区が太田道灌公の遺領と推測するかと言うと南区には京急線「南太田駅」が在るのですが、その一帯は太田と言う地名で太田小学校は太田道灌公の城跡と伝わっています。
そして!
吉良家が戦国時代に蒔田城の方を主要拠点にしていた決定的な証拠は…
勝國寺の政忠公の御廟所の周辺を取り囲む様に、「森家」「佐々木家」「並木家」の立派な御廟所が有るからです。
吉良家家臣団を知っている人は直ぐに解るのですが、森家、佐々木家、並木家は全て吉良家の主要な家臣なんですね。
つまり主要家臣が戦国時代に御廟を構える場所が当然、本拠地の可能性が高い訳です。
更に言えば、隣の港南区上大岡側と磯子区峰一帯には大地主の「北見家」と「苅部家」がいます…
この北見家も「北見」=「喜多見」であり、やはり吉良家の重臣に当たる姓です。苅部家も同様に吉良家重臣の家柄の姓です。
そして、「森」や「並木」の地名は、蒔田城と一つの丘「久良岐の丘」で繋がっている地名として残っていて磯子区「森」と金沢区「並木」が現在も地名に在ります。 吉良家所縁の地名
この吉良家、北条氏の影響下に入った後の明確な支配域を見ても中原街道沿いの川崎市中原区や東京湾岸等、穀倉地帯よりも交通の要所を抑える傾向が有りました。つまり、海運と陸運を重視した家だった訳です。
そんな関係で…
船舶関係の事業に精通した家系…喜多見家、並木家等が配下にいたのでしょうね。
実際、この輸送能力を生かして吉良家は吉良頼康公の代に鶴岡八幡宮再建で材木の大量輸送に成功しています。
これは羽柴秀吉における蜂須賀小六の比ではない実務能力と経済力の高さを史実として残しています。
そんな関係で、流通の拠点として内陸の街道が沢山通る世田谷と海川の水運に適した蒔田を重視したのは言うまでも無い訳です。

まぁ、そんな吉良家ですが、北条家滅亡時に世田谷城は落城してしまいます。
その際に、吉良の殿様は千葉県に退避していて難を逃れ、そのまま江戸時代に千葉で旗本として存続しました。
江戸時代に成ると、御子孫が前回の記事で書いた世田谷八幡宮を吉良頼康公の故事に習い再興しています。
豪徳寺は井伊家の菩提寺でもありますが、そんな吉良の殿様の室町時代の居城で蒔田吉良領の中核だった訳です。
世田谷城址の豪徳寺を継いだ井伊家は、その後、吉良家の治めた横浜村を開港しています…
これも何かの御縁なんでしょうかね~?
豪徳寺は吉良家と井伊家と言う、とても偉い殿様の関わった御寺で凄いと言うのは何となく伝わったでしょうか?

きっと皆さんの御近所の御寺や神社も、思いがけず凄い殿様や歴史偉人や古代の神様の縁起が伝承して居るかも知れません…
だから少し御寺や神社を散歩してみて、説明の看板を読んで見ませんか?
思わぬ歴史人物との関わりを発見したら、きっと自分の住む地域への愛着も深まる筈です…

では、又、次の記事で御会いしましょう!





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