歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:赤煉瓦倉庫

みなさ~ん!今週末の予定は決まりましたか~?
横浜市中区生まれ、祖母も横浜シルク商の家に生まれた、ガチガチのハマっ子の久良岐のよしから皆さんに週末の予定に一つ提案がありますよ~!
色々と大変な状況の隣国、日本の友邦の台湾の御祭りがミナト未来21地区の赤煉瓦倉庫で開催中です~!

今週末14日が最終日です。
皆さん既に海水浴にも行ってしまって「何しよっかなぁ~?」と思ってらっしる方も多いのではないでしょうか?


そこで小生から皆さんへ、週末の予定の提案です!
臺灣祭りは横浜屈指の観光スポットの赤煉瓦倉庫で開催されている訳ですが、この周辺は狭い範囲にギュッと横浜観光でベタな(笑)コースが集まっています。
なので皆さん、臺灣祭りで美味しい台湾料理を食べるついでに横浜観光をして週末を過ごされては如何でしょうか?
具体的にコースを提案させて頂きたいと思います・・・

元町でショッピング~洋館街散歩~山下公園で潮風を感じ~赤レンガ倉庫で台湾祭~汽車道を歩いて~ランドマークタワーで夜景を見て~桜木町駅から帰る。

・・・なんて休日は如何でしょう?
散歩コースは以下のコースならギュッと1日で沢山の場所を見物出来て良い散歩に成ります。
皆さんにGoogleMapを使って御提案させて頂きたいと思います~♪
横浜中心街さんぽコース 久良岐のよし案
スタートはJR石川町駅/みなとみらい線元町中華街駅!
山手の洋館街を散策して港の見える丘公園のフランス領事館跡を経由して山下公園へ・・・
山下公園から大さん橋を経由し赤煉瓦倉庫へ。
勿論これを逆回りで廻っても素敵なコースなのですが、コースに組み込んだ元町の洋館街は無料で見学出来る分、夕方で閉館してしまうので先に回った方が良いでしょう♪
・・・そして台湾祭で美食を堪能した後は汽車道の夜景を楽しみながら日本丸メモリアルパークへ出てランドマークタワーの展望台から横浜の夜の街灯りを見ながら展望台のスカイカフェで一服。
家族連れは御子さん疲れちゃう前に桜木町から電車で帰宅!
恋人同士はまったり良い雰囲気に成った所で彼氏彼女と桜木町から徒歩10分の横浜最大の飲み屋街、野毛町に行くのも良し、野毛の途中のホテル街に消えるもよし💛
順路は下の地図をクリックして参考にして下さい!



スマホで見てる場合は地図左上の❝その他オプション❞と言う字をクリックすれば、そのままGoogleMapのアプリ画面に切り替わりますよ~♪
さてさて、ではココからは台湾祭のホームページを一緒に見て見ましょう~!
台湾祭 公式
ホームページに掲載されている料理の写真から見て、臺灣の夜市で食べられる有名な料理やB級グルメ的な台湾唐揚げ等、種類豊富な出店件数を誇っているようです。
残念ながら1ヵ月で8kg減量した小生は、まだ減量中なので今回は見て廻るだけにして置こうと思いますが、ここに行けば台湾に行けなくても色んな料理が食べられて良いですね!
しかも台湾祭に食事に来た人には来場得点として御土産の配布迄有るそうです♪
台湾祭公式
これはもう、ミナト未来21地区~大さん橋~山下公園~元町洋館街の辺りを週末散歩する予定の有る人は、赤レンガ倉庫に台湾料理食べに行くしかないでしょう!

さてさて、もう一度公式ホームページのリンクを下に貼って置きますので、皆さん週末の予定の御参考にどうぞ~!
併せて洋館街を紹介した過去記事のリンクも貼って置きますね!

ついでに、ちょっと懐かしい横浜の雰囲気の方が好きっ!と言う人にも過去記事を紹介します。
ミナト未来21地区から徒歩20分、タクシーなら直ぐの瑞穂埠頭は、❝あぶない刑事❞のロケ地にも何回も成った昭和末~平成初期の雰囲気を残すBARが有ります。

StarDustと名前を聞いたら解る人には解る、小さいけど雰囲気の良い御店で、瑞穂埠頭は昔は米軍基地で現在も一部米軍の用地が残っているので仕事終わりの米兵サンも飲みに来たりしており、コロナ禍で山下公園~大さん橋沿いの老舗のCJカフェやJackCafeが移転や閉店してしまいましたが、ここに来るか、少し裏道に入った❝The Hof Brau❞や横浜中華街の中の❝WindJammerに行けば、まだまだ昔ながらのアメリカ文化の横浜らしいBARやCafeやJazzを体験できます。



元町中華街~ミナト未来21地区~伊勢佐木長者町~野毛町は狭い範囲にギュッと近代明治~昭和の横浜らしい場所と、平成以後の新しい街並みが住み分けられつつ上手く景観に行かされている上に、こんな楽しい御店も未だ未だ沢山有ります。
是非!皆さんも、この週末に臺灣文化と横浜の近代西洋文化と未来都市的な景色を満喫して見て下さいな!
ちなみに赤煉瓦倉庫周辺はコンナ夜景が見れますYo~♪
※最近、小生は減量の為に毎日天気が良ければミナト未来まで往復25km自転車で走ってるのですが、その際に撮りためたスマホ写真が皆さんの旅の写真撮影の構図の参考には成るかと思います。
——日本丸メモリアルパーク——
KIMG6649KIMG6654
KIMG6655
KIMG6658
——横浜コスモワールド周辺——
KIMG6696
KIMG3167
——臨港パーク~女神橋~ハンマーヘッド——
KIMG6703
KIMG6719
KIMG6722
KIMG6723
KIMG3168
KIMG3174
——ナビオス横浜~汽車道——
CIMG2780
CIMG2781
DSC_2688
DSC_2712
——赤煉瓦倉庫——
DSC_2691
DSC_2683
DSC_2685
CIMG4632DSC_2685
CIMG4652DSC_2686
CIMG4644
——象の鼻パーク~大桟橋——
KIMG3159
KIMG3158
KIMG3160
KIMG6727
KIMG3204
KIMG3162
KIMG3147
CIMG3192
CIMG3191
CIMG3188
KIMG6123
CIMG3183
CIMG3174
CIMG3177
KIMG6119
——山下公園——
KIMG3194
KIMG3195
——夜の中華街——
DSC_3528
KIMG3183
KIMG3186
CIMG2796
——元町商店街——
KIMG3179
KIMG3180
——野毛町の飲み屋街——
KIMG3149
KIMG3200
KIMG3201
では皆さん、良い週末を御過ごし下されやぁ~♪

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

有名鉄道系Youtuberのスーツ君は横浜国大生だったのですが、昨年末に卒業しこの程、横浜国大の卒業式後に参加されたそうです。
その後で“卒業旅行”と称してコスパの良い無料で見学出来る観光スポットを多く巡る横浜観光を提案する動画を製作し紹介して下さってました。

小生は動画⤴にコメントを残す形で再生時間ごとに各所の解説を共有したのですが、その場所の解説は出来ても住所や公式ホームページリンクや写真付解説の情報共有までは出来ないので、こちらのブログでその辺りの情報を捕捉して解説してみたいと思います。
スーツ旅行チャンネルは鉄道系Youtuberなのに何故か電車に乗らずチャリンコで東海道や中山道の旧宿場町を全て辿るとか意味不明に且つ緻密に計画を立てて身体を貼って郷土史と旧道の景色を紹介したりしています。

実はスーツ君、以前シーサイドラインの全駅の車窓動画をUPしてくれていたので、各駅の解説を捕捉したブログ記事を書いた事が有ります。
彼の行動理念は常に公益に資する事と自分の娯楽を両立させる素晴らしい物が有り、昔の人の言う所の積徳積善や明治天皇の仰った公益世務や孫文先生の仰った天下為明の様な気概を個人的には感じます。
今回は学生向けの低コスト観光スポットを紹介してくれています。
ハマっ子としては素晴らしい動画を補強し、より市内外の観光客に役立てて頂きたく以下に小生が彼の動画に残したコメントをコピペし、そこにGoogleMapリンクと解説の参考写真等を補記していきたいと思います。

※この記事は直接動画にリンクしていないので、上の動画をPCで見る方は2画面開いて片方は彼の動画と私のコメント欄を開き再生、もう一つの画面でこの記事の解説捕捉を読んで頂くとより観光の参考として役に立つと思います。


——では、以下情報補足です~——

今回スーツ君が歩いたコースを地図に起こすとこんな感じです。
歩行距離は6.1km、丁度良い御散歩の距離ですね~。
では動画の再生時間毎に解説して行きます、スーツ君の今回の動画と合わせて皆さんの休日の参考にして頂ければ幸いです。
00:00 冒頭は中華街大通り
2015-07-29-13-01-52
中華街大通りスーツ君歩いてるのは中華街大通り。
食事してるのは華正楼新館、実はモデルの“はな”チャンの実家。

華正楼、聘珍楼、萬珍楼、同発、順海閣、大珍楼、重慶飯店、北京飯店が老舗として有名で、中でも華正楼、聘珍楼、萬珍楼は客単価が比較的高めで会社接待や宴会、結婚式披露宴などで日本の景気が良かった頃は常時予約でいっぱいな程賑わった。
華正楼はお土産の肉饅と月餅が中華街手土産として有名。
個人的にお土産は奶油栗子と言う栗入り月餅がオススメ!
ちなみに聘珍楼は創業100年超、現オーナーは創業家と既に異なるが中華街の顔的な林サン、萬珍楼のオーナーは兄弟。
同発は漫画“美味しんぼ”の北京ダック回の舞台、中華街でも北京ダックの鴨を釜でローストして焼く店は今では余り多くない。
リーズナブルな所では順海閣等比較的高級な店も3000円前後で7品前後出すコスパ良いコースの店も有る。
獅門酒楼や隆昌園等の中規模店のランチは美味しだけでなくデザートまででて1000円切る店も多い。それと山東の水餃子は中国で食べる美味しい餃子LV。
他にも食べ放題以外なら美味しい店は多いので300店近い中からスーツ君の様に開拓するのは通への登竜門で楽しい。
※コメントには残してませんがランチタイムの中華街はワンコインでランチセットを提供する店も有れば良い店も1000円前後で主蔡1品+スープ+ライス+点心(副菜)+デザートを提供するコスパの良い店が沢山有ります。
高級中華料理店も7品位だすコースを2000円~3000円でランチタイムに提供する店も有るので、是非ご自分達で御散歩しながら御店を選んで見て下さい。
※学生がデートで肉饅や小龍包立ち食いで1000円使ってしまうのは実は凄くコスパ悪いんですよ~。

00:33~ 代官坂
DSC_1679
代官坂 旧石川代官所長屋門
港の見える丘に通じ、庄屋の石川家の長屋門が残ってる。
近くに日本最初のパン屋さんのウチキパンが今も営業しているよ~。
CIMG8925
ウチキパン 日本初のパン屋
この石川家は祖先が平子氏、平子有長公は曽我兄弟による源頼朝公暗殺を阻止した人物として有名だよ~。平子氏の更に祖先が平安時代末に旧久良岐郡を統治した久良木三郎で源氏の与力の三浦氏の分家だよ~。
江戸時代の庄屋さんてのは豊臣秀吉や徳川家康公に敗戦し帰農した元武士と言う歴史を辿れる場所でもあるよ~。

※コメントには残してませんが、代官坂を真っ直ぐ行くのではなくスーツ君は代官所の長屋門の少し手前を左折して元町公園の方へ行き、そこから外人墓地の参道に入っていると思われます。
このスーツ君の進路より元町公園へ入ってから右回りに元町公園を登る額坂と言う細い階段を上り山手地区の台地に上がると、エリスマン邸、ベーリックホール、山手234番館をはじめ多くの洋館があり何処(どこ)も入館料無料で見学出来ます。

又、洋館で営業している“えの木てい”と言う可愛いカフェが有り、女性客に人気で横浜市民のデートコースの名所にも成っていたりします。
なので当然ながら色んなドラマや映画でロケ地になっており、小生が以前紹介記事も書いているので御興味有る方は是非、以下のリンクから御覧下さい。

これらの全てが元町公園の額坂を上がって来た場所~外人墓地~港の見える丘公園の500mたらずの道上に有るので是非、元町~代官坂~元町公園入口~額坂を経由して山手地区散歩に訪れる事をオススメします。

00:43 外人墓地
DSC_1839
横浜外国人墓地
ペリーさんの配下兵士を埋葬したのが始まりだよ~。
元は増徳院と言う大寺院の境内だったよ~。
外人墓地に麒麟麦酒の前身の創業者もコープランドさんも土葬で眠ってるよ~。
今ブランド化してる麒麟麦酒のスプリングバレーブルワリーの前名ジャパンブルワリーをコープランドさんが作った。
一般非公開に成ったのは団塊~バブルが昔、夜の外人墓地で青カンする不届き者が絶えなかったのと治安維持と聞いた事が有る。
DSC_1857
DSC_1856
※コープランドサンについては以前、記事で紹介しているので御興味有る方は以下のリンクから紹介記事を御覧下さい。

この外国人墓地から麒麟麦酒発祥地のキリン公園の麒麟麦酒開源記念碑までは徒歩6分で行く事が出来ます。
もし麒麟麦酒愛飲家(笑)の方でしたら隣の北方小学校ののグラウンドの地下にはスプリングバレーブルワリー⇒ジャパンブルワリー⇒麒麟麦酒時代の水源が保存されてるのですが一般非公開で、キリン公園自体は記念碑が有るだけですが行く価値は有ると思います(笑)。


02:32 港の見える丘公園

KIMG6064
港の見える丘公園~
旧フランス領事公邸遺構

今回はスーツ君はスルーしたけど、港の見える丘辺りの洋館街も神戸と違い横浜は無料で入館出来るから機会あれば行くと良い観光に成るよ~。
※コメントには残しませんでしたが、港の見える丘公園と山下公園のバラ園、そして平沼駅近くの横浜イングリッシュガーデンは薔薇の季節とにかく素晴らしいので是非訪れてついでに横浜観光をしてみては如何でしょうか?
御興味有る方は是非以下のリンクの記事が参考に成るかと思います。

先程紹介した近くの“えの木てい”も可愛いカフェで散歩後のティータイム休憩に適していますが、この港の見える丘公園の横のKKRポートヒル横浜のレストランはベイブリッジを正面に見ながら御茶出来るロケーション最高の場所です。

“えの木てい”かKKRポートヒル横浜で御茶するか、はたまた付近のレストランやカフェを自分で開拓するか選ぶのも元町~山手散歩の醍醐味かも知れませんね~♪

05:32 中村川(山下橋)

※スーツ君が中村川を見ていたのは山下橋。その横のメガドンキは平成初期まで“海岸(バンド)ホテル”と言う老舗ホテルで石原裕次郎サン等、昭和の映画スターが良く御酒を飲みに来ていた場所だったが埋立による景観悪化で廃業し、ドンキホーテが入居した。
中村川は昔、アザラシのタマちゃん騒ぎが有った川の一つだよ。
スーツ君が歩いた中華街の辺りは昔、川は無く元町と地続きの洲乾浜と呼ばれた砂丘の半島があり、半島の先端には神秘的な淡水の湧水源の泉が有って源頼朝公がそこを弁天社を開いたよ。幕末の廃仏毀釈で神仏習合の弁天信仰は弾圧され軍に接収され今は横浜市新庁舎がソコに建てられたよ~。
潰された弁天社は厳島神社に改称され御祭神も壱杵島姫に変えられ伊勢佐木長者町と元町に分祀されたよ~。

※この元町厳島神社については以前、休日雑記と言う自分の散歩日記カテゴリーの記事で紹介しているので興味が有る人は上の記事を御覧下さい。
ペリー艦隊の上陸
※後で捕捉を書きますがペリーさんが上陸したのが洲乾浜の名残りの埋立地の海岸。
絵の木の場所が開港資料館の庭に残る玉楠木。現在の玉楠木は三代目。
この洲乾浜の岬を起点にして内陸に市営地下鉄吉野町駅辺りまで有った入江を埋め立てたのが吉田新田で、吉田新田の治水の排水路として洲乾浜を開削し中村川が海に繋げられたよ~。
この洲乾浜が横長の半島だった事から横浜と呼ばれ半島上の人口300人位の横浜村が横浜市の地名由来だよ~。
横浜の字が確認出来る最古の文書は間宮林蔵や杉田玄白の本家の間宮家の祖先で安土桃山~江戸時代の横浜市長に当たる本牧奉行と佐渡(金山)奉行第二代、但馬(生野銀山)奉行を務めた間宮直元公の書いた南区の宝生寺の古文書だよ~。
間宮直元公は徳川家康公の大坂城攻めで豊臣軍が防衛の為に木津川堤防決壊させて自ら水浸しにした市街地の水抜と鉄壁の大坂総堀埋め立てを献策した軍師だよ~。※スーツ君の動画にはコメントしませんでしたが、明治時代の横浜の地形の話は瑞穂鉄橋と田浦引込線の紹介記事で触れているので御参考に以下の記事を御覧下さい。

※宝生寺と間宮直元公の解説も、以前に神奈川県立金沢文庫の企画展で撮りあがられた際に紹ブログで介しているので御興味有る方は下のリンクから記事を御覧下さい。


06:03 山下公園~氷川丸
CIMG3103

山下公園~氷川丸
山下公園に係留されている氷川丸でチャップリンも日本に渡航して来たよ。
スーツ君の解説通り関東大震災で倒壊したり類焼した瓦礫で埋め立て、災害時の避難場所として公園が設けられた。
CIMG3118
2022年現在、AIとかじゃない時代遅れのPCR制御だけど動くガンダム立像も有るよ、ただしガンダムは入館料必要。
※この写真は港の見える丘公園から撮影。

12:08山下臨港線プロムナード
822
山下公園~赤レンガ倉庫の遊歩道は昭和末まで横浜開港記念日にSL走らせてたよ。
※入口は山下公園、大桟橋前の象の鼻パーク、赤レンガ倉庫前の合計3箇所。


12:40 象の鼻パーク~
~国際客船ターミナルの眺望。

CIMG3169
国際客船ターミナル(大桟橋)~
~象の鼻パーク
地下には幕末の神奈川運上場跡の荷物運搬に使った手押し貨車のレールが埋蔵されており一部ガラス張りの床で地下に保存されてる様子が見れるよ。
下の写真が象の鼻。
828
※コメントには残しませんでしたが、この象の鼻パークや大桟橋は夜景もとても美しいので、昼は元町を散策して夕方~夜にかけて来るのも良いかも知れません。
CIMG3188
大桟橋の屋上は芝生と木製のデッキになっていてインターコンチネンタルホテル~クイーンズスクエア~コスモクロック~横浜ランドマークタワー~赤煉瓦倉庫を一望できます。
運が良ければ飛鳥Ⅱが停泊している所の写真も撮影出来ます。
大桟橋の駐車場は最大料金が周辺の駐車場では比較的安く収容台数も多く先ず満車に成らないので自動車での訪問の方には中華街~山手洋館街~山下公園~赤煉瓦倉庫観光が目的の方にはオススメです。

周辺には元々は海沿いに有った老舗のJackCafeやThe Hof Brau等のハマっ子に愛されるオシャレな昔からのレストランやカフェが周辺に多数有る他、新しい店のも海岸通りに多数出展してますので山手地区同様に好みの場所を御自分で探すのも良い地域です。

16:41 神奈川県庁本庁舎
KIMG2113
神奈川県庁(横浜3塔のキング)県庁は建物も立派な近代西洋建築で毎週水曜日に無料公開されてて屋上にも登れるよ~。キングこと神奈川県庁については過去に記事で紹介しているので、以下にリンクを貼っておきます。



20:29 開港記念会館(ジャック)
2015-08-05-14-54-15
横浜開港記念会館(横浜3塔のジャック)
ジャックは内装もとても綺麗で時間に余裕が有るなら立ち寄るのも一見の価値は有るよ~。
横浜税関(クイーン)は税関博物館に成っていて、麻薬の密輸摘発例の解説や金塊の過去のコンテナを偽装した密輸手段の展示なんかを見学出来るよ~。横浜3塔については過去に紹介記事を書いているので、以下にリンクを貼っておきます。




21:46 赤レンガ倉庫
CIMG4652

横浜赤レンガ倉庫(旧新港埠頭税関倉庫)雨上がりの夜に訪れると赤レンガ倉庫の前の石畳と線路が街明かりに綺麗に浮かび上がり昔にタイムスリップしたような景色を見れるよ~。
DSC_2683
DSC_2686

スーツ君が行かなかった裏側には列車のプラットホームや関東大震災で倒壊した税関施設も保存されているから鉄オタや歴史オタは嬉しいと思うよ~。

27:12 ナビオス横浜(ホテル)と汽車道
CIMG2780
ナビオス横浜(ホテル)~汽車道ナビオス横浜一帯は昔の新港埠頭の貨物線路が遊歩道に成っていてランドマークタワー(桜木町駅:みなと未来駅辺り)まで歩いて景色を楽しめるよ~。DSC_2712
途中昔の鉄橋も歩くので非日常感が有り色んなドラマや映画のロケ地にいる実感が感じられるよ~。
昔の運河の埋め残された海の入江の岸壁には綺麗な結婚式場や商業施設がライトアップされていて歴史興味無い人も一見の価値有り!

29:48 ドックヤードガーデンと日本丸
DSC_2690
ドックヤードガーデンと日本丸ランドマークタワー下にはドックヤードガーデンが有り運が良ければコンサート等も無料で見れるかも。
何気に明治二十九年(1896年)に建造の日本現存最古の商船用石造りドックで正式名は“旧横浜船渠第2号ドック”だよ~。
日本丸はスーツ君のが詳しい。

31:30 東横線跡地遊歩道
駅前も遊歩道化されているけど、京急神奈川駅近くの旧神奈川宿の台町にある東横フラワー緑道(高島山トンネル)も一見の価値有るよ~。

CIMG9812
東横フラワー緑道(高島山トンネル)
CIMG9811
こう言う昔は線路だった場所を、小さな御子さんがいるパパさんなんか電車を青木橋の上から見てから一緒に散歩に来ると御子さん喜んでくれるかもしれませんね~。
余談ですが、この初代横浜駅~神奈川駅一帯を戦国時代に治めていた青木城の城主が北条家臣の多米元忠(ためもとただ)公で歴史オタクには有名な河越野戦で活躍した戦国時代の北条家を代表する名軍師でも有ります。
多米元忠公に関しては過去に紹介記事を書いているので興味の有る人は以下のリンクから御覧下さい。

今回のスーツ君の動画の最後の機関車は、スーツ君の解説が正しければ西郷さんが新橋~初代横浜駅まで開通時に試乗したのと同型なのかな?
この明治の機関車は初見でした、スーツ君紹介ありがとう。
以上、スーツ君の動画の解説補強でした~。
実は小生も外国や関西から友人が遊びに来ると案内するコースがドンピシャで今回のスーツ君の歩いたコースでした。
もし横浜に観光に行かれる方は、今回スーツ君が歩いたコースは本当に理想的な横浜観光コースだと思いますので小生からも推薦させて頂きます。

ついでに今回のスーツ君の動画と小生の記事では鉄道史跡の汽車道や山下臨港プロムナードを紹介しましたが、小生から今現在、消滅の危機に瀕している日本現存最古の十字交差線路と日本最古のアーク溶接建造鉄橋が神奈川県内に存在するので、その存在を取り上げ保護と都市の景観に組み込んだ再活用を訴えた解説記事のリンクを以下に貼らせて頂き、今回の記事の〆にしたいと思います。

では、次の動画で又お会いしましょう~♪

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

横浜市中区を舞台にしてヤクザ銀星会を主な敵として活躍するタカとユウジ
舘ひろしサンと柴田恭平サンの二人が演じて再放送でも高視聴率のドラマですが・・・

あぶない刑事
あぶない刑事
2022年01月19日 今夜再放送最終回です。
是非、見てね!
そして興味を持ったらYoutubeでも公式を視聴できるので是非皆さん御覧なって下さい。

これを見て横浜を観光すると根岸~横浜港~伊勢佐木町界隈が又違った景色に見えてとても面白いものです。
この時にギャルだった人達、もう60歳オーバーの人もいるんですね。
舘ひろしサンも71歳だそうです。
・・・映像作品が鮮明に残る現代だと何だか感覚が麻痺して俳優さんの年齢ピンとこないものです。
これ⤵Youtubeのあぶない刑事公式のリストです。



ブログ上は表示されないと思いますが、リンクをクリックして貰うと公式chが開けます。
何で今の時期にあぶない刑事を紹介するかと言うと、このドラマのロケ地は鉄道史跡や素敵な御店が多数登場するんです。
今回はあぶない刑事最終回の拡散だけですが、明日UPする記事にロケ地紹介を含みます。
この記事⤵の続きですね。

書く書く言ってもう2ヶ月放置してましたけど(笑)。
明日の朝07:00、JR京浜東北線沿線と京浜急行線沿線に御住まいの皆さんが朝の通勤電車の中で読める様に、その記事の続きの記事が予約投稿されます。
すると帰りに東神奈川駅や京急東神奈川(旧:仲木戸)駅で途中下車して寄りたくなるロケ地の御店や、歩ける鉄道史跡が紹介してありますので是非、帰りに一杯やって帰って下さい。
今では珍しくなった横浜市の“歩ける線路”を休日に彼女や子供を連れて散歩に行っても良いかも知れませんね。
紹介する場所の近くには勝海舟サンが設計した幕末の“神奈川台場”跡地や“横浜中央卸売市場”の近所の食堂や“みなと未来21地区”のドッグヤードガーデンや汽車道や赤煉瓦倉庫も有り近代史や鉄道史の見学をしながら程良い1時間位の距離の散歩道にも成りますよ!
KIMG3327DSC_2690DSC_2712
CIMG4653
赤煉瓦倉庫⤴の前にも“あぶない刑事”でロケ地に成った税関倉庫引込線の貨物線路が今も残ってるんですよ?照明と月明かりに薄ら照らし出されてるでしょ?
実はこの赤レンガ倉庫を含めた新港埠頭の貨物線路は公的には政府の計画とされますが、伊藤博文公の発願で渋沢栄一公や横浜の大恩人と言える高島嘉右衛門が具現化したのが汽車道の線路だったりします。余り馴染みが無いかも知れませんが、横浜市民や東京都民はアレ?高島って駅名とか有るじゃない?と思うでしょうが、その高島町はこの高島嘉右衛門サンに由来しています。
これ等の近代鉄道史跡や近代造船史跡の都市計画での活用方法、素敵でしょ♪
この様な場所も明日UPする記事で紹介します。
因(ちな)みに“あぶない刑事”のロケされた頃は、この新港埠頭は荒れ果てていました。
下の写真はあぶない刑事が撮影されていた頃の1988年の様子です。
横浜地形変遷1988
※画像をクリックして拡大して見て下さい。
何やら画面左側に砂漠地帯(笑)が有りますよね?これが現在の“みなと未来21地区”です。
信じられないでしょ?

銀政界と言う極悪暴力団が暴れまわっていた時代ですね、ドラマの話だけど(笑)。この頃の貨物輸送は衰退が加速した時期でした。
戦後に旧国鉄が貨物輸送費を殿様商売だった事を良い事に値上げしまくった結果、物流がトラック輸送に移り変って国鉄が民営化されJRに成ると段々と貨物輸送が使われなくなり新港埠頭は悲しい事に荒れ果てていたんですね。砂漠の横の島が今の赤レンガ倉庫や汽車道の新港埠頭です。
各時代比べると伊藤博文公達も国の発展を願って作った鉄道網が当時の国鉄の傲慢経営で貨物鉄道が物流会社にコスト的に避けられ使われなくなるとは思っても見無かったでしょうね~。
各時代の変遷を見て比較すると更に面白いですよ!
私の貿易の先生は良くその事を平成の時代に批判していました(笑)。
確かにガソリン自動車が廃止されようとしている現代こそ鉄道輸送網が必要に成ってきましたからね~。この鉄道網を解体してしまった事は令和の日本に大きな損失に成るかも知れません。
以下国土地理院地図写真時系列より
1945年⤵終戦直後
横浜地形変遷1945
埋立地がまだまだ少なく渋沢栄一さんが作った初代横浜駅に繋がる汽車道が未だ画面左の真ん中より少し上に細く見えています。
1974年⤵全盛期
横浜地形変遷1974
鉄道の留置線が増加したり、今のみなとみらい21地区が未だ海ですね、そこに艀(はしけ)と呼ばれる貨物から荷卸ししたりする荷役の船が沢山見えます。
1988年⤵荒廃期
横浜地形変遷1988
新港埠頭や高島町の倉庫街が廃れて本格的に埋立や再開発計画が始動した時期です。
画面右下に注目して下さい上下からニョキっと棒が伸びて繋がりそうなのが建設中で未開通の横浜ベイブリッジです。この頃はタカとユウジが第1シーズンで活躍していた時代ですがベイブリッジ、青島刑事が10年早く生まれて警視庁湾岸所じゃなくて神奈川県警横浜港署勤務だったとしても「ベイブリッジ封鎖出来ませ~ん!」の心配する必要が無い情態だったんですね。
未だ画面中央下の国際客船ターミナルが細長い時代で、そこに赤煉瓦倉庫前の汽車道から本当に蒸気機関車の走っていた現在の山下臨港線プロムナードの遊歩道が海の上の線路として見えています。
この時代は横浜開港記念日には山下公園まで蒸気機関車を走らせていたそうですが現在、山下公園内の線路は撤去されもう、その光景を見る事は出来ない代わりに歩く事が出来る様に成りました。
2019年⤵現在
横浜地形変遷2019
国際客船ターミナルが空から見るとブッ太く成り、荷揚げ用のクレーンのハンマーヘッドを象徴として再開発されたり、当時の野党から大批判を受けた高秀市長時代の再開発プランが逆に観光資源や購買の大消費地やオフィスタウンとして見事に生まれ変わっています。
あぶない刑事、今この時代にタカとユウジを探偵とかにしてタカとユウジの次世代の別キャラで後継者若手俳優2人くらい作って警察と探偵と協力する推理要素含めたドラマとか製作したら今の横浜の景観とピッタリで良いと思うんですけどね~。
あぶない刑事
さてさて、今夜で“あぶない刑事”も最終回です。
あぶない刑事見て、ここ等辺りを夕方に散歩して、夜景楽しみながらユックリ臨港パーク辺り歩いて、その後で明日の記事で紹介するロケ地のBarにTAXIで行っても良いかも知れないですね。CIMG6679
子育ての手が離れた御家庭の奥さん、今夜番組を見て懐かしかったりオシャレに感じたら旦那さんを“あぶない刑事”散歩に是非誘ってみて下さい。
CIMG4381
明日の記事で紹介するこの線路は北朝鮮と韓国をソ連・中国と連合国の思惑で分断した朝鮮戦争、ベトナム戦争に繋がっていた戦史の散歩道でもあり、非日常的な線路を歩く子供が喜ぶ道であり、その先の瑞穂鉄橋は日本最古の溶接建造されたと言われる鉄道用鉄橋で貴重な史跡であり戦後日本経済復興の道である事も紹介します。
CIMG4379
ここが“みなと未来21地区”の赤煉瓦倉庫~汽車道一帯の様に近代遺産として“ハマの港町”らしい個性を持った都市景観の構築に活用されると良いな~とか瑞穂埠頭への遊歩道に成り商業地としてオシャレに成ると良いなと言う事を記事にしたいと思います。

では今夜19時~あぶない刑事再放送の最終回、TVKで楽しんでくだされや~♪
あぶない刑事みたら、明日の朝、小生の書く、あぶない刑事ロケ地の瑞穂鉄橋周辺の紹介記事、是非ご覧ください!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前回の記事⤵

コレ⤴の写真撮影行った時に“田浦引込線横須賀鎮守府十字交差線路”の存在は知らず、普通に引込線を見に行ったんですが、行く際に先入観に囚われない様に先ずは他の人の記事とか全く読まない様にして、田浦駅から引込線が横須賀鎮守府に伸びていた“七釜トンネル”の写真撮って、現地でGoogleMap見ながら・・・
「ん~当時の路線今の地図じゃ解らんな」
・・・と思いながら方角と地形で当り付けて写真撮影してたら色々と発見が有ったんですね。上の十字交差とか。
で、ちゃんと複数人の詳しい人に話しを聞きに行ってから資料集め始めて、当時の組織の後継団体とか会社とか、国の機関とかスンゴイ色んな所の学芸員とかに・・・
「何か記録無いっすか~?」
「史料無いすか~?」
「教えて下せ~!」
・・・とかの基本中の基本の質問から始めて、軍事機密の史料に行き着いたり、付随する情報として横須賀海軍飛行場(現日産自動車追浜工場)とかに話しが波及したり、今回転載許可出なかったんで掲載できないけれど終戦直後の横須賀飛行場で艦上爆撃機“彗星”が武装解除されてプロペラ外された写真が掲載されている書籍とか、空撮で野島公園にある零式艦上戦闘機を空爆から守る格納庫として造られた掩体壕と横須賀飛行場を繋ぐ土橋に彗星が写っている史料とか教えて貰ったりしました。
「掩体壕って何?」

・・・って人は過去記事⤴に少し写真掲載して書いているので興味有る人は読んで下さい。
で、教えて貰った史料を探して、史料見っけて、関係機関に掲載許可取り、その次は史料がデカイからスキャンする為に自動車部品製造業で設計部門にしか無い様な巨大なスキャナー使わして貰える場所探したり、そこまでやってゲンナリwww。
「あ~歴史面倒臭っ!」
・・・って成って記事の続き書くの放置して暇があると逗子とか葉山行って、ずっと森戸神社とか真名瀬の砂浜で宝貝拾って磨いてましたました(笑)。
KIMG7792~3
これ⤴ね。磨いた中で綺麗なの全部親類の子供達にあげちゃったけど。
因(ちな)みに貝殻拾ってた真名瀬海岸は葉山マリーナも近く綺麗な場所なので、興味が有る人は下の紹介記事を読んで見て下さい。

これ⤴真名瀬海岸の記事ね。
ちゃんと明治の鉄道関連の史跡も行って来ましたよ写真撮影し直しに。
CIMG4627
ここ⤴赤煉瓦倉庫(新港埠頭引込線税関倉庫)とかね。
赤煉瓦倉庫も次回解説する高島線の引込線鉄道史跡の一つだったりします。
今回はコッチ⤵田浦引込線・・・
CIMG4071
では~気まぐれクック風にぃ~1ヵ月半ぶりに歴史解説して行くっ♪

さて、JR田浦駅で皆さん電車を乗降した事はありますか?
多分ほとんどの人が無いですよね~?
2015-03-07-16-18-12
上の写真は今回のJR線ではなく京急田浦駅近くの田浦梅林の写真ですが、ここJR田浦駅を利用する人も地元田浦の人達か、梅の季節に田浦梅林にピクニックに行くハイカーくらい、後は海上自衛官だけですからね~。
で、既に“海上自衛官”と言うワードが出て来るわけですが、田浦駅は明治三十七年(1904年)、国内で早い時期に鉄道省に由(よ)って横須賀駅~逗子駅が開業した際に付属駅として開かれたそうです。
そこら辺は疑問が有ったら小生に聞くより鉄道オタクに聞いた方が早いかも知れません。

この神⤴とかね。
横浜国大留年してまで電車乗りまくってただけでなく、旧中山道をチャリで走破しようとする良い意味で変人要素の強い鉄道古道オタクなハイスペック紳士の動画は“ウメゴールド”さんの動画と双璧を成して歴史オタクの皆さん、街道好きの皆さんにオススメです♪

この二人の動画、小生のブログより100倍面白いと思うので時間が有る人は是非視聴して見て下さい(笑)。
小生は鉄道全体は詳しくないので今回は引込線の中の“十字交差線路”が文化財指定するべき場所として紹介する為に解説させて頂きます。
んな訳で田浦駅のプラットホームに戻りましょう~!
CIMG4069
左に見えている途中でブッタ切られてる線路が昔の引込線で、横須賀鎮守府の弾薬庫や水雷艇訓練学校方面へ続いていました。
先ずは全体像を皆さんに見て貰いましょう~♪
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
※クリックして拡大して見て下さい。
上の画像のGoogleEarthの画像に小生が調べた全時代の横須賀鎮守府の引込線を時系列無視して黄色い線で全て表示した物です。
複雑に線路が有ったのが良く解りますよね~!
この貨物線用の引込線が廃線に成ったのは平成十八年(2006年)の事でした。個人的にこの決定は海上自衛隊にとっても米海軍第七艦隊にとって後々打撃に成ると思います。何故なら化石燃料を使ったトラック輸送は運用比率が下げざるを得なく成ると思いますからね、物理的にコンテナ輸送の運用方法が昭和初期の頃の方法論に戻さないといけなくなる様な気がします。
リチウム使った燃料電池は仮想敵国が産出国で相手にイニシアティブ握られますからね、かと言って水素エンジンを本気で日本政府がやる覚悟が無いしアメリカも全然水素エンジンに興味が無い。
だから将来的に環境問題でトラック輸送は減らさざるを得なく成り、コンテナ車輛の輸送は鉄道が主流に成り、貨物駅から中型の電気自動車か水素エンジン自動車に荷役業者がパレットで積み替える昔の手法に回帰すると個人的には思うんです。
まぁ、そんな訳で貨物線をバッツバツに廃線にしまくってる連中は「海外の思惑踏まえた長期的な視野有る?」と思う訳です。
継往開来と言う言葉を知らない連中が多いみたいですね、今の地方自治体の役人や経営者。
目先の事しか見ておらず都市計画と兵站をマイナーチェンジじゃなくてデチューンしまくり。
そんな感じで貨物線路が神奈川県内の特に横浜と横須賀で撤去されまくっている中、JR田浦駅から延びていた引込線は廃線に成って20年以上経ちますが“七釜トンネル”は今も健在です。
CIMG4070
七釜トンネルこの3つ並んだトンネルは実は戦争遺産の引込線のトンネルとして文化財として価値が有るだけに留まらず日本でも珍しい明治~大正~昭和と武士の時代が終わり日本が近代化を果たした3つの時代の建築遺産が揃っている場所なんです。
右の赤煉瓦のトンネルが明治時代の建造、真ん中のトンネルが大正時代、左端が昭和初期の建造のトンネルで引込線の為に作られた場所です。
ここでチョット、帝国海軍で軍事機密扱いにされていた当時の地図を見てみましょう~。
長浦①明治三十六年第一回修正
※ここから登場する軍事機密の測量図は各時代の測量図の権利者の後継団体である国土地理院に許可を得て掲載しまています。
ん~データ化してスマホやPCで見ても細かすぎて良く解らんでしょうか(笑)?
田浦明治三十六年
※拡大して見て下さい。
先程、田浦駅は明治三十七年(1904年)の開業と紹介しましたが、上の地図は明治三十六年(1903年)の地図です。確かに田浦駅は未開業の様ですし、引込線も存在しませんよね?
更に言えば先程見たGoogleEarthの地形とも全く異なっていますよね?
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
そう!これ海上自衛隊の方々は良く御存知なのですが現在の自衛隊の田浦基地は何と災害に弱い埋立地なんですよ!
岸田総理!海上自衛隊の基地は埋立地に置くのは危険ですよ!
関東大震災が来たら沈下して海没するか津波が来たら東日本大震災の様に地盤が液状化して建物が倒壊する可能性も多いに有ると小生は予測します。
これ海自の基地、嵩上げしちゃいましょう総理。
実は今リニア新幹線のトンネル掘削で排出される土砂の投棄場に困っています。
業務委託された会社が自然豊かな水源地の渓谷に熱海の土石流発生地点みたいに盛土による埋立てを行っており社会問題に成ったりしています。

水源や海の埋立てに関しては嘗て西武グループが三浦市の風光明媚な矢作湾を埋め立てた挙句、景観を破壊しただけで何にも活用せず今も負の遺産に成ってたりもしますよね?
下の古い地図は迅速測図です。
矢作湾 久良岐のよし
※農研機構が“歴史的農業環境閲覧システム”として製作した物で開発者の方から転載の許可を得ています。又、歴史的農業環境閲覧システムは皆さんも農研機構の名前を記載すれば転載して良いとも確認を得ているので是非、明治時代の地形と比較して災害発生予測等に活用して下さい。
そこで提案なのですが、この様に自然地形を埋めて風光明媚な景勝地や豊かな漁場を消滅させたり熱海の様に水害や土砂崩れ等の災害の要因を作り出すのを禁じる為にも埋立技術が未熟だった時代の埋立地である田浦港や横浜の関内地区や鶴見区沿岸部、古文書で海没して海中に消え失せた村が有った事が確認出来る横浜市金沢区並木や幸浦の埋立地を関東大震災に備えて嵩上するのにリニア新幹線と横浜の相鉄線と東横線の直結化と将来のミナト未来線の延伸で発生するトンネル工事の土砂を利用したら良いのでは?
・・・と今回、田浦の地形変遷を調べていて歴史オタクとして思っています。
岸田総理と山口代表、この提案目にしてくれないかな?
で、田浦付近は地形が変わりまくっている訳ですが・・・
ここで又、軍事機密扱いだった測量図を現代まで各時代で比較してみましょう。
明治三十六年(1903年)
長浦①明治三十六年第一回修正
大正十年(1921年)
長浦②大正十年第二回修正測圖
昭和二十五年(1950年)
長浦③(田浦)昭和二十五年第三回修正測量
昭和三十五年(1960年)
長浦④(田浦)昭和三十五年史料修正(行政区画)
うん!やっぱり全体図じゃサッパリ解らん(笑)。
では拡大して迅速測図、軍事機密測量図、国土地理院地図航空写真を比較して時系列で地形の変化を見てみましょう。
これを見ると横須賀線が無かった時代~田浦引込線の延伸~空爆による被害~再建~撤去の過程が有る程度は解ります。
【明治十九年(1886年)】
迅速測図田浦 農研より拝借 久良岐のよし

【明治三十六年(1903年)】
田浦明治三十六年

【大正十年(1921年)】
田浦大正十年

【昭和二十年(1945年)】
田浦港周辺1945年

【昭和二十五年(1950年)】
田浦昭和二十五年

【昭和二十六年(1951年)】
田浦港周辺1961年

【昭和三十五年(1960年)】
田浦昭和三十五年

【昭和五十四年(1979年)】
田浦港周辺1979年

【昭和六十三年(1988年)】
田浦港周辺1988年

【平成十九年(2007年)】
田浦港周辺2007年

【令和元年(2019年)】
田浦港周辺2019年
各写真を拡大して見ながら比較すると引込線の様子が有る程度は見えますよね?
どうやら終戦直前の航空写真では米軍による横須賀空襲で鉄道もバッキバキに破壊されている様です。
田浦港周辺1945年
ところが1970年代には復興された引込線は再大化しています。
田浦港周辺1979年
終戦直後の輸送網の再大戦力が鉄道輸送だったからですね。
でも、その後2007年には画面右側の吾妻島と新井掘割を挟んで対岸の現在の比与宇トンネルを抜けた先、線路が撤去されています。
田浦港周辺2007年
比与宇宇トンネルは鉄道マニアには“スイッチバックする為に作られたトンネル”と言われていますが、この軍事機密の地図と衛星写真から解る通り、田浦駅から引込線は直ぐに更に2本に分岐し比与宇トンネルに向かう線路と直行する線路が存在し、新井掘割で掘り切られて丘に成った比与宇トンネルの山を1周する線路だった事が判ります。
つまり!鉄オタの認識は戦前の歴史を知らない人が流布した戦後の線路の話で、比与宇トンネルがスイッチバックの為に作られたと言うのはデマな事が判りますね。
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
小生が引込線の全路線を再現した上の再現図も同時代に全てが有った訳では無さそうです。
ここからは現地を歩いた小生の写真を交えて解説に移ります。
【明治三十六年(1903年)】
田浦明治三十六年
最初に田浦駅引込線が出来た当初は田浦駅も無く横須賀線は横須賀駅に直進しています。

【大正十年(1921年)】
田浦大正十年
大正十年では田浦駅も確認出来ますし引込線が敷設されています。
田浦駅から引込線が分岐して七釜トンネルを抜け、トンネルを抜けた先で小さな鉄橋を渡って真っ直ぐ進み右手の新井掘割水路に向かっています。
CIMG4104
この鉄橋は草にまみれ線路の枕木は朽ちていますが現存しています。
鉄橋へは地図の青い屋根の堀硝子サンの工場と川の間の歩道を奥まで行くと鉄橋の手前まで辿り着けます。
ただ大正十年には比与宇トンネルは未だ無く新井堀割方面でスイッチバックしてこないといけない不便な構造だった様です。
更に時代が下って昭和に成ると戦時中には既に比与宇トンネルが完成しいた事が判ります。
【昭和二十五年(1950年)】
田浦昭和二十五年
終戦直後の昭和二十五年の地図を見ると比与宇トンネルが山を穿(うが)って線路がグルッと1周回る構造に成っていますが、この地図のままだと田浦駅から直進して比与宇トンネルを通過する1周回るルートでしか地図上で“田浦港町”と記載された地区の方へ行けない不便な構造に成っていますが実際は記載されていない分岐点が有ります。
CIMG4108
その場所が写真の曙機械さんの前にV字型の空き地と線路の2021年現在は未撤去部分が残っている場所で、このV字が正に分岐の有る場所でした。
ここで田浦駅から引き込まれた貨物線は2路線に分かれ、一方は比与宇トンネル方面に右折、一方は直進していた訳です。
つまり曙機械さんの前の分岐が有るので新井堀割へ直進せず比与宇トンネルに向かいトンネル内でスイッチバックすれば効率的に深浦船越方面(西側)の引込線に行く事が出来た様です。
最近までこの砂利に切替ポイントの器具が現存していた様です。
CIMG4110
残念ながら名残りは線路の残存部分以外に残っていません。
比与宇トンネルに行く方面は少しだけ線路が残存していました。
曙機械さんの横から鉄橋への線路も現存していましたが藪化が激しく夏時点ではとてもじゃないけど歩ける状態ではありませんでした。
CIMG4112
これが太平洋を守る自衛隊と米国第七艦隊の兵站をささえた線路へ何の感謝も無い酷い仕打ちに感じてしまいます。線路に乗ると枕木も腐って消滅していたり固定も外れてボヨンボヨンしていました。
この分岐点で比与宇トンネルへ行かず直進した線路は比与宇トンネルを1周して帰って来た線路と交差する事に成ります。
CIMG4106
旧海軍横須賀鎮守府 
比与宇トンネル前引込線交差
これが横須賀鎮守府の比与宇トンネル前引込線十字交差です。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ