歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:足利家

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/古文書本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来」/ar-AAmBsOG#page=2
image

結論から言えば、記事にある島田と言う教授と当該の寺の現住職は・・・ 
宗教的に当時の天皇家の価値観と明治天皇の判断を否定し天皇家をコケにし、神道と真言宗と法華宗に喧嘩を売りたい訳だな? 

この古文書を書いたのは相当馬鹿な住職だったんだろう。 
曹洞宗寺院なので吉良家や北条家や今川家と同じ室町幕府と縁の濃い武将が大旦那な訳で、旦那の言う事を鵜呑みにした情弱振りが垣間見える。 
書いたのが1619年・・・ 
近江国出身・・・ 
な~る!六角家\(^-^)/万歳ってな環境で幼少時代を過ごした和尚だった訳だ? 
実際の所は信長公は当時は法華宗にカテゴライズされた浄土宗と日蓮宗と神道を大切にした偉人で、朝廷内の腐れ藤原貴族がないがしろにしていた有職故実や神事を多く復興した上に、天皇をないがしろにする足利義昭に説教染みた諫言をした程の人物。 
そしてキリスト教宣教師が神社仏閣を破壊させるのを防ぐ為に、自らの権化とした石を御神体に見立てた御社を作らせ、キリスト教布教の権利付与者を御神体にする神仏信仰を敵視出来ない釘を刺した神仏習合時代の日本文化守護者でもある。 

なのに、この古文書を書いた馬鹿住職は、神社仏閣を破壊させた切支丹大名の大内義隆や大友宗麟の悪逆非道には一言の批判も無い訳だ。 
つまり、宗教的な思考から来る批判では無く、若い時の偏見か、この寺を保護し帰依していた武将が信長公の御存命中に徳川家臣でありながら織田家に面従腹背し、丁度その時期に足利義昭が一向一揆と同盟した事に由る政治思想的な文章を追憶で書いた住職の生臭具合がプンプン臭う訳だ。 

この生臭住職が此の手の批判をしたと言う事は、即ち信長公と全く同宗派で同じ神仏習合の価値観を有していた東照大権現徳川家康公をもコケにした事に成る。
では、この古文書を書いたアホ住職は果たして家康公を批判しただろうか? 
恐らくしていない。 
何故なら寺に献金や寺領をくれる権力者の意に沿う事だけを言う俗物だったろうからな。 
臨済宗や曹洞宗は足利家と北条家等の室町幕府の家来がずっと大旦那だった、鎌倉時代からずっと。 
この寺の壇越だった殿様が織田家に面従腹背しており、神道と法華宗の保護者の織田信長公を敵視し、且つ反織田勢力が不利な情況だから面白くない訳だ。 
そして禅宗の親分の南禅寺や大徳寺や相国寺なんかの最大支援者の足利家棟梁の足利義昭が、天台宗座主の名跡を手に入れた武田信玄と、武田信玄と妻同士が姉妹の一向一揆の親玉の本願寺光佐とも同盟した。 
曹洞宗の最大支援者の北条家も、この時に一向一揆と和睦し同盟している。 
つまり、文の内容そう言う事だろ。 
政治的な宗教の権力争い的な事。 
だから織田家は敵、と言うタリバン的な御都合主義で書いたんだろう。 

曹洞宗も臨済宗も素晴らしい宗派で帰依して在家出家していた武将には名将も多いし、太田道灌公や伊勢宗瑞公や太原雪斎公なんか、ずばり、その代表格だ。 
北条家の武将達の内政も素晴らしい。 
この古文書を書いた和尚が極めて政治的な意図を書いている事が問題。 
「神道と仏教と朝廷儀式を復興」し、足利家が軽んじた「天皇の権威をも復興」させた「織田家、徳川家を否定する事を書いている」訳だ。 

因みに、織田信長公は死没直後に朝廷から功績を賞され一品相国を戒名に追贈されている、つまり正一位太政大臣だ。 
明治天皇からは更に建織田神(建勲神)の神号を追贈され古代文化復興と日本に平和の礎をもたらした神として祀られている。 
日本神話を大切にする真言宗も、現代に至るまで安土城址と高野山で織田信長公の菩提を守っている。 

つまり、この古文書を書いた馬鹿僧侶は究極的には天皇批判も行い、全ての神道信者と全ての浄土宗信徒、全ての日蓮宗信徒と、全ての真言宗信徒を否定している訳だ。 
つまりは、天皇に敵対する朝敵に該当する人物であり神道と真言宗と浄土宗と日蓮宗を敵視する人物が、この古文書の製作者であり、その古文書を支持する現代人も当時の価値観に鑑みて朝敵と同じと言う事に成る訳だが・・・ 

稲荷山浄妙広利禅寺(旧名:極楽寺)
【御本尊】釈迦牟尼仏
【御祭神】淡島明神、鎌足稲荷
【御利益】婦人病治癒・立身出世
【開基】足利義兼公
【中興】北条政子、月峰了然
【住所】鎌倉市浄明寺3-8-31
【アクセス】浄明寺バス停で降車、徒歩3分。有料駐車場有り。
2015-12-07-15-37-18
鎌倉市の浄明寺地区に、地区名と鎌倉の地名の由来に成った御寺が在ります。
その由緒は凄まじく、室町幕府将軍家の足利氏が鎌倉御家人だった時代に足利家菩提寺として開かれました。
小生の嫌いな渡来人、中臣鎌足の伝説も有る事や足利家の事績から出世の御利益も有り、婦人病治癒の御利益の有る淡島明神も祀られている神仏習合の文化の残る禅寺です。
CIMG1208
元来、周辺山林含め全てが境内地でした。
始めは源氏らしい真言宗の寺院と開基され、名前も極楽寺と言う御寺でした。
その後、臨済宗に帰依していた北条政子を始めとした北条氏一族の支援があり、鎌倉幕府執権の北条時宗公か北条時頼公の頃に、著名な高僧の退耕行勇禅師、その御弟子さんによって足利貞氏公の法名の浄妙寺殿義観から寺名を現在の浄妙広利禅寺に改め禅宗である臨済宗の寺院に改宗されました。
ここはとても素敵な御寺で、秋には境内の本堂前や裏山に紅葉の朱色が栄(は)えます。
2015-12-07-15-43-49
※昨年2015年12月07日の写真です。
2015-12-07-15-45-44
※昨年2015年12月07日の写真です。
綺麗でしょう?
因(ちな)みに2016年11月12日現在の写真はこんな感じです。
CIMG1209
まだ少し、紅葉には早いですが既に色付き始めていますね。
多分、来週位末には見頃に成るでしょう。
CIMG1211
境内の本堂を正面に見て、右手の道路の向こうには離れた神社も在ります。
この神社も含め、明治時代以前は周辺の山も全ての浄妙寺でした。確か、北条政子の持仏を安置した御堂が建てられたのが記録上は写真の神社辺りだった筈(はず)です。
写真は現在手元に有りませんが、その小山の上に石碑が有った様な気がします。ここ最近は直に本堂を拝んだ後で境内の草庵に御茶を飲みに行ってしまうので余り記録が確かでは無いのですが。
今、少し話題に上げたので先に紹介すると、浄妙寺の境内には素敵な喜泉庵と言う和菓子と抹茶を頂ける素敵な日本庭園を抱える草庵が在ります。
2015-12-07-15-57-08
秋にはコンナ素敵な風景に成ります。
CIMG1216
外国人向けにテーブル席が今年から設置されましたが、日本人は今まで通り、望めば畳の上で御抹茶と和菓子を頂けます。
小生は今日は足利家の❝二つ両引き紋❞の家紋をあしらった落雁(らくがん)を頂きました。
CIMG1218
抹茶の御菓子は落雁等の干菓子のセットが600円、その日の和菓子のセットが1000円です。
2015-12-07-16-15-10
昨年秋の写真。秋らしい柿の形の練り切りでした。
CIMG1220
素敵な空間なので、ここで抹茶を飲んでユックリするのは幸せな時間を過せます。
直ぐ近所の報国寺も竹林の中の草庵で御抹茶と干菓子を頂く事が出来ます。2012-11-04-07-12-50
※報国寺の竹林。
※以前、報国寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!
話を浄妙寺に戻しましょう。
CIMG1212
浄妙寺の本堂も、他の鎌倉五山の御寺と同様に立派です。
屋根の造りから想像するに、近年までは茅葺屋根だったと推測出来ます。
茅葺は屋根の吹き替えに数千万円単位の御金が必要なので、明治政府以前の様に将軍家の支援の無くなった現在では維持も難しく、管理しやすい銅葺き屋根に吹き替え本堂を維持しているのだと思います。歴代御住職様と檀家さんの努力の結果ですね。
CIMG1213
昔は数十の塔頭寺院を抱える大寺院だったので、この本堂の畳も朝に昼に、多くの学僧で埋め尽くされ禅問答や座禅が行われていたんでしょう。
現在のこの浄妙寺の魅力は歴史と、先に紹介した自然の風景にあります。
左手から奥の裏山に続く参道が有ります。
2015-12-07-15-58-50
紅葉の季節だと、参道をこんなきれいな紅葉が彩ってくれます。
2015-12-07-16-09-34
綺麗でしょう?
更に奥に進むと、素敵な洋館が見えてきます。
2015-12-07-16-00-10
この洋館は明治時代に建てられた文化財であり❝石窯ガーデンテラス❞と言う鎌倉の地野菜と石窯で焼いたパンを提供するレストランにも成っています。
2015-12-07-16-00-42
素敵な店構えですね。
石窯ガーデンテラスの詳細については公式ホームぺジ「ココ」←をクリックして御覧下さい。
この石窯ガーデンテラスを通り過ぎて山の奥からの眺望も素晴らしいんです。
2015-12-07-16-07-42
昔の鎌倉の山林を連想させる、大きな建物が視界に入らない風景が見られます。
そして、ここに祀られる鎌足稲荷は中臣鎌足の伝承が有り、鎌倉市の地名由来の伝説の内の一つ舞台でもあります。
実はこのもう少し先に行くと、室町幕府初代将軍の足利尊氏公の御実弟、足利直義公の御廟所が有ります。
そんな訳で、この浄妙寺は足利家の鎌倉御家人時代~室町時代初期の重要な御寺として機能していた歴史と、鎌倉五山の第五位の格式を持つ将軍家御声掛かりの凄い御寺と言う事が御理解頂けたでしょうか?
そんな格式と歴史を持ちながら、現在では小生達の様な一般の参拝客にも美しい風景と安らぐ御茶と空間を提供してくれる御寺として存在しています。

近くには先程紹介したミシェランガイド3星評価の報国寺が在りますし、明治の皇族の華頂宮邸の旧館の庭園が無料で公開されています。
DCF_0135
そして、浄明寺地区のもう少し先の十二所(じゅうにそ)地区まで歩くと、そこには鎌倉七口の一つ朝比奈切通しも在ります。
皆さん、是非、秋も深まり紅葉が綺麗に成った頃に、この浄妙寺周辺を散策して見ませんか?
きっと歴史を感じながらの鎌倉市の中でも自然豊かな地区を散歩すると、清々しくてリフレッシュ出来ると思いますよ!

では、又、次の解説記事で御会いしましょう!

ブログネタ
日々の生活 に参加中!
日々の生活の疲れを忘れさせてくれる場所があります…

鎌倉市街地の少し外れ…
浄妙寺地区に在(あ)る報国寺と言う名古刹(こさつ=歴史の古い御寺)です。
こちらは室町幕府 初代征夷大将軍 足利尊氏 公の御爺様の足利家時 公と…
関東管領上杉家筆頭四家の一つ宅間上杉家の創始者の宅間上杉重兼 公
…その御二人が開基された御寺です。
宅間上杉家は以前紹介した永谷天満宮を開基し、榎下城を築城した足利家と親密な家柄でした。

秋は特に綺麗な御寺です。


つい5〜6年程前まで小生達歴史好きだけが行くような落ち着いた安らぎの場所でした。
歩いて直ぐの近所に旧皇族:華頂宮家の邸宅も保護・無料公開されています。

報国寺は近年、迷惑なミシェランガイドで三ツ星認定されて以来、文化に関心の無い客が増えて大声で話したり、反日某国人観光客が庭園植物にハングルで落書きしたり迷惑千万な状況に陥ってしまいました。

が!

風景は変わらず綺麗です。
この御寺は先述の通り開基された方々からして由緒ある御寺でして…
室町幕府設立後は、室町幕府鎌倉将軍府の鎌倉公方足利家と関東管領上杉家の菩提寺として栄えました。
鎌倉将軍府や関東管領とは何ぞ?
…と言う方の為(ため)に文末に関係記事リンクを貼ります。
もぐりの寄せ集めWikipedia(笑)なぞより詳しく写真付き説明のブログ記事があるので御覧下さい。
他にも報国寺周辺の文化財や風景の記事を書きためて有るので御興味有れば是非、御覧下さい。

コンナ場所とか。

さて…

報国寺は竹林の中でゆっくり抹茶とお茶菓子を頂ける安らぎの場所です。
関東特有の谷戸の切岸に囲まれた地形の放つヒンヤリとした(以前は人も少なく)落ち着いた雰囲気と、竹林の放つマイナスイオンを肌で感じられる場所です。
この奥に東屋(あずまや=休憩小屋)が在(あ)り、そちらで抹茶を頂きながら椅子に座りボぉ〜っと時間を過ごせます。

歴史の深い寺院なので、当然、歴代の武将の矢倉(やぐら=墓:関東では武士の壁面に高い位置に掘れた横穴式墳墓、戦時には本当に砦の矢倉として使用する)もありますが…
偉人の皆様、死して尚(なお)風流と言いますか、安寧の地は真に美しい日本庭園の体を成しておられます。

本当にこの御寺は美しい…
可愛い金魚さん達もお出迎えしてくれますよ(笑)!

皆さん、どうか、この子達のいる報国寺に訪れる機会がありましたら…
素晴らしい文化財、歴史遺産を私達に遺(のこ)して下さった歴代足利家の御当主様達と関東管領上杉家4家の皆様に…
一言、御堂でお参りする際に感謝を伝えて手を合わせてみませんか?

きっと鎌倉公方様も関東管領の皆さんも、喜んで下さると思いますよ♪

あ!
約束したリンク貼ります!

以下が鎌倉公方と関東管領上杉家、報国寺関連の過去ブログ記事のリンクです。

●関東管領上杉家筆頭4家の説明と菅原道真公の五男淳茂公と三男景行公の永谷天満宮の記事「ココ」←クリック!

●関東管領宅間上杉家と榎下城址の記事は「ココ」←クリック!

●関東管領上杉謙信と実家の長尾家長尾城の記事「ココ」←クリック!

●釈迦堂の切通しの記事は「ココ」←クリック!

他にも関係記事多数有るので御興味有りましたら以下のカテゴリーリンクから御覧下さい!

↑このページのトップヘ