歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:近代西洋建築

江ノ島観光の休日雑記の途中だけれど少し近況報告を三浦の海岸沿いの某宿泊先から・・・

小生は梅雨に入って気温も上がり初夏に突入すると繁忙期、だいたい毎日の睡眠時間は常人の1/2とか1/3程度しか寝れない日が多くなってしまう。
先月はジムに2回しか通えなかった。今月もまだ行けてない。
だからブログの更新も疎かに成るし気のせいか昨年より体力が落ちた。
まぁ、今年は休日は出来るだけ寝て体力回復を計る事にしていたのだが、そんな中でも休日の午後位は動いていた。

今年はTVで鎌倉が沢山特集されたせいで観光客が多く、とうとう鎌倉~江ノ島巡りで4回目の鎌倉市長谷の長谷寺紫陽花見物チャレンジも失敗、なので小生の住まう円海山の裾野から車で程近い永谷天満宮の鎮守の森、菅秀塚の紫陽花を見に行って来たりしていた。
CIMG4508
永谷天満宮の社殿の左手が菅秀塚の入口なのだが、結構地元の人もここへ来ない様だ。
CIMG4511
神奈川の名木100選の一つ、“上永谷の天神社のカシ”なんて大樹も有ったりするんだが・・・
その名木の前を通り過ぎると直ぐに紫陽花のトンネルが出迎えてくれるんだな。
CIMG4513
陽当りが余り良ろしくない場所だが、山の斜面の一面に紫陽花が咲き誇る。
・・・う~ん、咲き誇ると言うよりは毎年健気に数少ない見物者を優しく謙遜しながら出迎えてくれると言う感じだろうか?
CIMG4514
CIMG4518
一輪一輪が大振りで立派、確かに北鎌倉の明月院や長谷の長谷寺程の規模は無いけれども季節を感じて散歩するには十分!
CIMG4519
CIMG4522
CIMG4523
今年も綺麗だ。
CIMG4525
CIMG4526
永谷天満宮の紫陽花君達、今年も綺麗な花を見せてくれてありがとうね~!
CIMG4528
頂上には浅間神社が在る。
永谷天満宮の社殿の方向とは明後日の方向を向いて祠が建っている。
何でこの向きに浅間神社の祠が向いてるのか、ちゃんと神様に対して信仰心を持って神社を観察する人なら直ぐに気が付くのだが、当然、この祠の真後ろに浅間権現此花咲耶姫命様の化身である富士山が在るんだな。
CIMG4537
既に横浜は夏日なのに珍しく相模湾上の水蒸気が薄く、そして雪化粧している此花咲耶姫命の富士山が姿を見せてくれた。富士山の頂上に浮かぶ雲が此花咲耶姫命様が市女笠を被って日差しを除けてらっしゃるようで可愛らしく思えた。
因みに市女笠と言うのは↓こう言う奴。
IMG_7334
以前撮影した小机城址祭りの様子。
DSC_0898
小生には、こんな可愛らしい御姫様の格好に脳内変換されんだな。
まぁ、江戸時代の和装は余り好きじゃなくて、女性は室町時代の格好の方が可愛らしと思うからなんだが。
CIMG4529
永谷天満宮の地は伝承によれば御祭神の天満大自在天こと菅原道真公の五男で菅秀才と呼ばれ醍醐天皇に重用されたが藤原氏の出世妨害で官位は高位には成らなかった菅原淳茂公が移住してきて一時期住んでいた居館跡と伝わっているんだな。まぁ実際に関東に亡命して平将門公や平良文公達の坂東の桓武平氏を頼って来たのは三男の菅原景行公が茨城県の大生郷天満宮の社伝にも伝わっているし、永谷天満宮は旧鎌倉郡で、平良文公の御子孫の村岡家の一族達が治めた土地であり村岡一族の鎌倉景正公、梶原景時公、俣野景久公、大庭景義公、長尾景春公等々、鎌倉郡を統治した人々は“景”の一文字が入っている事から三男の菅原景行公との関連と考えた方が自然なのかも知れないが、そこはそれ、どっちか解らないならば“どちらかがいらっしゃった”として“両二方とも大切に史実と伝承を両方伝えれば良い”訳だ。
そうすれば御子息が二人も永谷天満宮で大切にされて、御祭神の菅原道真公も喜んで下さるかも知れない。
塚に手を合わせながら、そんな事を考えていたりした、この日。
CIMG4551
月が変わって7月初旬、野島公園のキャンプ場を予約して妹夫婦と甥姪とBBQをした。
CIMG4553
この日、燃料を予約していたのだが炭だけ渡されて火を付けるまで上手く行かなかった。
家から先日の木目金鍛造の為に買った1500°の火炎が出るガスバーナーも持参したのだが、ガスバーナーで炙っても窯が大きすぎて熱が上手く籠もらずに肉を焼ける様に成るまで30分近くかかってしまった。その間に姪っ子も甥っ子も飽きてしまって母が持参したオニギリを食べて御腹一杯に成り、もうまともに食事してくれなかった。
折角、南部市場でサザエやホタテも沢山買ったのだが、食べきれなかった分は保冷材も無いので廃棄した。

先週の事・・・
DSC_3525
ライチが美味しい季節に成ったので夕刻近くに漸(ようや)く起き出して昼食ついでに横浜中華街の八百屋に生ライチを買いに行って来た。
DSC_3524
妹の家もいると言うので綺麗な物を1ケース分選別して購入。
DSC_3520
その後は中国超市で肉まんと月餅を買い食いして昼食とした。
DSC_3521
コンビニのとは違って皮が甘くフワフワで美味しい。
DSC_3522
まぁ、日本で肉饅と呼んでいる物は中国では三丁包(さんでぃんばお)と呼ばれる餡なのだがね。本来の肉饅の餡は本当に肉しか入っていないんだ。これは少し違うが美味しい。
DSC_3528
先一昨日、京都から歴史仲間が出張で横浜に出て来たので中華街に行き、一緒に食事をした。
途中、久しぶりに横浜スタジアム方面から歩いて見たら変な専門店が出来ていた。
DSC_3527
香菜(シャンツァイ)=パクチー料理の専門店・・・
小生は香菜が大嫌いなので絶対に行かないだろう(笑)。でも女性には好きな人も多いので、まぁ、狭い範囲のファンが定着しそうだなとは思う。
DSC_3529
夜20時過ぎだったが土曜日と言う事も有って中々の人数だった。
残念な事に行きつけの店が閉店したので、山東と言う、もう一つの行きつけの水餃子の美味しい店に歴史仲間を連れて行った。
DSC_3530
写真は豆腐干絲(ドウフガンスー)=干し豆腐の千切りの冷菜、それと牛肚(ニィウトゥ)=牛の胃袋の冷菜。さっぱりして夏でも食欲が湧く小生の夏季御薦め料理。
他にも空心菜の炒め物とかトンポーローとか山東名物の水餃子を注文して二人で7000円分位食べた。
親友のO型君が転職して東海地方に行ってしまう際に転職祝いで食べに来て以来、2ヵ月ぶりくらいだったかな?たまに食べたくなる。
食事後は車を停めた大桟橋(国際客船ターミナル)まで徒歩戻る際に、夜間でも見れる史跡を少し回りながら移動した。

DSC_3533
日本最初の下水管とか。
DSC_3532
何故か横浜市は中区の近代史跡だけ大切にし、鎌倉の隣で武士文化の遺産が多く有るのに其方は破壊しまくるんだな。意味不明。所詮、田舎者ばっかりの市職員はヨコハマのイメージしか無いんだろう。
横浜市はヨコハマで有る前に鎌倉郡の一部であり久良岐郡であり橘樹郡であり都築郡なんだが、そんな事も知らんのだろうな。
CIMG4558
様は移民が文化財保護担当してる様なもんだから理解が足りないんだろうか?
まぁ、政治家の建築利権の方が大きいんだろう、現代の役人はアウシュビッツの職員よろしく善悪の判断をせずに政治家の要望通りに破壊してんだろう。でなければ、自然公園として歴代市長が守って来た円海山の史跡も自然環境を東急グループの建設利権の為に開発しようとしたり、日本的に見ても重要な意味の有った笹下城も蒔田城も青ヶ台城等の城址も発掘せずに破壊したりしないだろう。
CIMG4560
まぁ、ハッキリ言って観光向けに街づくりしてる筈なのに、外国人観光客に不人気なのは文化を大切にしてないから魅力が無いって気が付かない田舎者が仕切ってる横浜市の役人と建築利権臭プンプン臭う執政者って事に成る訳だ。
まぁ、この明治の元勲、伊藤博文公が作った新港埠頭=みなと未来21地区の夜景は綺麗だ。
これは高秀前市長が建築族だっただけでなく高文化で、港から見た時の景観と文化財の保護を考えて街づくりをして下さった御蔭なんだな。
今の市長は語るに・・・不足の極み。待機児童問題も停滞中、一瞬良い時だけ発表して印象操作。
折角期待されてるのだから史跡保護や最後の蛍の広域生息地の自然環境保護も頑張って立派な市長に成って欲しい。
待機児童問題も上手く行ってないなら、それはそれで正直に言えば皆も本気で考えるだろう。
一々自分の印象を良くしようとする様な発表の仕方をしたってダイエー再建失敗した時の様に、結果は数字でしか出ないんだから。これは補佐役が悪いのかもな。

まぁ、そんな訳で最近も休日は夕方から少しは動いていたが、もう学生時代の様に半徹夜の仕事連勤+自分の活動を平行してやる体力が無くなって来たようだ。
筋力増強も上手く行ってない。
体力付ける為に、夏が終わって繁忙期が過ぎたら本気でトレーニング頑張ろう。

では、皆さん、休日雑記江ノ島編の続き③でお会いしましょう~♪


先日、山手に在る素敵なプロテスタント系の教会、横浜山手聖公会の教会を紹介した。
DSC_1819
ここは週末、運が良ければ一般公開していて無料で入館出来る。
山手の教会の内装展示資料 久良岐のよし
この教会は、幕末、横浜の山手地区や関内に駐留する英国軍人や英国人のモラルを保つ為、精神衛生の安定の為に建てられた教会だそうだ。
当時の欧米人は、まだまだ信仰心が強かったので、こういった施設は治安維持にも一役買った訳だ。
そして、日本の近代化に寄与して下さった異人サン達の心の拠り所にも成ったはずだ。
横浜は素戔嗚尊の御神孫や日本武尊とも御縁深い土地だが、こう言ったキリスト教の文化も横浜らしい近代文化の一部だと言える。

実は、現在のキリスト教が確立される以前の原始キリスト教は日本にも早くから伝わっていた事が多くの歴史学者の指摘する処である。
もっとも小生はキリスト教の元に成ったゾロアスター教の事だと推測しているが。
小生の尊敬する小説家、司馬遼太郎先生も小生と同様の認識だったので、❝街道を行く❞シリーズの京都か奈良の回で太秦氏の事を紹介している。
この太秦氏と言うのは読んで字の如(ごと)く、今の中国の基礎を築いた秦の始皇帝の統治した根拠地の中国の西方に居た部族で、この部族「太秦」は中国の歴史書にも記載が有る。
中国 秦
秦と言うと、この統一された地方を思い出す人が多いと思うが、元々は中国の西北の一部の国だった。
中国戦国時代 ネット拝借
現在で言うと陜西省や甘粛省辺りを治めた騎馬民族の地方部族。
秦 領土
自分達より歴史の古い貴種や都合の悪い事を認めたく無い藤原氏が、他の氏族の出自を改竄しまくった形跡だらけの日本書紀では秦氏は百済人扱いされているがとんでもない。
朝鮮半島なんかより遥かに歴史の有る氏族で中国の歴史書にも登場するのだから。
しかし、同じ渡来系でも朝鮮系統より古いなんて歴史は認めたくない連中が、太秦氏を百済人とか中国の記録を見れば簡単にバレる改竄をしてしまったのだろう。
残念、世界の距離が近く考古学の発達した現代、そんなメンツに拘った嘘は通じない。

この中国の戦国時代、秦が精強に成り得たのは西方の優れた文化を交易で導入出来たからだ。だから、この地方に小麦の麺文化も逸早く根付いた。
実は中国人は麺文化は中国文化と勘違いしているがとんでもない話で、元々は騎馬民族の文化だ。
だから拉麺の本場は今でも蘭州だったりする。
同じ様に羊肉の料理で羊肉串と言うのも有るが、これも中国人は中華料理と言い張るが新疆ウィグル族の料理だ。
2014-12-14-01-08-31
スパイシーで美味しい。
※羊肉串を紹介した記事は「ココ」←クリック!
因(ちな)みに中国大陸で拉麺と言うのは本当に拉(ひっぱった)麺(めん)の事で、刃物で切ったり機械で裁断した面は拉麺とは呼ばない。最近では日本の拉麺が逆輸入され、日本の様に機械での押し出し麺や裁断麺も拉麺と言う❝逆輸入ジャンル❞として確立されたが。
2014-12-04-15-45-37
※横浜家系拉麺の名店、環2家の以前の拉麺。現在はオーナーが家系創始者吉村社長では無い。
日本の様な❝汁ソバ❞は本来の中国語では湯麺と言う。湯(スープ)麺(めん)だな。
日本で湯麺(たんめん)と誤解された料理は、❝スープに入った麺❞と言う訳だ。
本来は❝拉麺❞と言う字は麺の種類を指した意味しか無い。これは日本人の漢字の意味の理解不足が原因だ。
この麺文化や騎馬文化や刀剣の製造技術と同じ様に、古代の交易で宗教も伝わった。
つまり、古代のユダヤ人のゾロアスター教か原始キリスト教が太秦氏に伝わったのは、この騎馬民族の交易によって伝播した訳だ。
この交易路が後にシルクロードの基礎に成った。
日本の牛頭天皇もヒンドゥー教のシヴァ神が原型だが、このルートを通って中国から直接入って来て、似たような神話の有る日本の素戔嗚尊と習合され等しく信仰された。
武塔(むとう)神とも同一視されるが、この武塔神と関わりの有る土地が牟田(むた)や宇田(うた)を地名に含む場所だと思う。
たまたまだが、九州の大牟田市には八剣神社があり、水神様だった素戔嗚尊の八岐大蛇退治の神事が今も行われる。
武塔(むとう)は日本で朝鮮訛りに毒された発音だが、本来の華語の発音では武塔(WuTa)と読む。
もうそのまんまムタかウタに成る訳だ。そして武塔神も素戔嗚尊もシヴァ神も水神の性格を持つ。
シヴァ神の下の神様がナーガ神を含めた(ガンジス河の神様)なので、そうされている。
牛頭天皇の子、八王子も素戔嗚の神話では無くて習合されたシヴァ神のこの神話が元に成っている。
つまり八王子と言うのは仏教で言う所の八大龍王だ。
2014-08-31-12-43-08
…そして西暦600年頃に応神天皇を習合した八幡大菩薩もこの八大竜王の事を指すはずだが、天皇家の祖先神を習合した事で、出雲系の神様の素戔嗚尊より下に置かれては困るので❝八幡大菩薩と八幡宮の神様が自称した❞のだろう。現在の八幡宮では八幡大神とされているが、奈良時代~鎌倉時代の人達の認識では神様の神託による自称を元に「八幡大菩薩」と呼ばれていた。八幡大神で統一されたのは明治時代に成ってから、160年しか歴史が無い。
素戔嗚尊も、八幡大菩薩も日本神話でもインド神話でも似たような水神様だから、水に関する神社では一緒に祀られている事も多々ある。それに弁財天様が加わるケースも多い。
IMG_3526
※写真は源頼朝公が軍神として信奉した江ノ島弁財天こと江島神社。
❝弁天様❞は今日では❝弁財天❞と書くが、昔は❝弁才天❞と書いた。
それには以下の理由が有る。
実は、素戔嗚尊に習合された牛頭天皇=シヴァ神は奥さんがパールヴァティーと言う女神様だ。
このパールヴァティー神は軍神や学問と美の女神で水にも関係が有る、似たような美と水の女神の女神サラスヴァティー、美と農業の女神ラクシュミーと言う神様と一緒に三人の女神として崇拝され後に習合されて、デヴィ神と呼ばれる様に成る。
このデヴィ神のイメージが日本における弁財天の本来のイメージなんだな。
軍神の要素が有るからこそ、源頼朝公や坂東武者達は江ノ島の弁天様を信奉した訳だ。
若いデヴィ夫人
…余談だが、タレントのデヴィ夫人もスカルノ大統領から今の名前を貰った意味はデヴィ神=弁天様みたいに美人だったからだろうか?
今ではクソBB…今でも御綺麗ですが。若い時の写真は本当に弁天様と呼んでも弁才天様が認めちゃいそうな美人。
すっごい美人‼
そんな訳で、日本には古くからインドや中東からの文化がシルクロード経由~中国経由~日本へ直接流入していた。

日本の聖徳太子のイメージは古代京都の豪族太秦氏が中国経由でもたらしたユダヤ人の聖典を翻訳した福書を参考にして、誰か別に実在した偉人の功績を無かった事にして象徴的に粉飾した聖徳太子と言う人物とさも別に記載したと言う説が最近の学説だったりする。
京都太秦周辺
そんな感じで日本にはかなり早く初期キリスト教、若(も)しくはキリスト教の元に成っているゾロアスター教的なものの考え方も太秦氏経由で入って来ていた歴史が有るんだな。つまり、秦帝国の滅亡が西暦紀元前200年頃だから、その頃に日本に渡って来て、稲作や織物の作り方や金属器の製造なんかを少しずつ日本に広めた一族と成る訳だ。
そして古代は神様の集まる場所、一時期日本の中心だった出雲の神様を彼等太秦氏が開いた土地の人々が多く信仰するのは当然な事だ。
日本人は無意識にアジア人や西洋人やアラブ人と違う名前の同じ太陽を神様として拝んでいる。だから文化的に似てはいなくても日本人は、アジア人とも西洋人ともイスラム教のアラブ人とも仲良く出来るんだろう。
出雲で神様達は太秦氏を受け入れ、京都辺りを任せたんだろう。
東映の太秦撮影所の一帯が太秦氏の居住域だった場所。これも有名な話し
話は逸れるが京都北部は映画撮影所の関連で、俳優の芸名の由来に成った土地が多い。北大路とかね。
画像真ん中下の梅宮大社なんかは梅宮辰夫サンの芸名由来地だけれど、実は神社でも神奈川県とも所縁(ゆかり)が有り、梅宮大社も関東総鎮護の延喜式内社と鎌倉武士に崇敬された大山阿夫利神社も共に主祭神大山祇神様を御祀りしている。
渡来人の太秦氏が出雲神族を崇拝するのは紀元前から出雲神族の眷属たる一族に技術開発等で協力していた証拠。太秦氏は受け入れられ亡命し帰化し日本人に成ったからこそ、出雲神族を崇拝したんじゃないだろうか。
太秦辺りは出雲の神様を祀る神社が少なくない。
素戔嗚尊の御神孫は、神話と考古学の符号を考えて古代邪馬台国の発展に寄与した伊都王の一族と関連が有ると思っている。以前も書いたが志賀島出土金印と蘇我氏もそこに関係が有りそうだ。
出雲大社の本殿の裏には素我(そが)社が有る。
奇しくも神奈川県や東京埼玉千葉は、出雲系の神様の一族が開拓した事が古い神社を回ると御祭神や伝承から察する事が出来る。

DSC_1477
※上は東京国立博物館の聖徳太子木像。髪の毛を両脇で結ぶ本来の日本人スタイル。
※下は中国唐帝国の文化を受けた聖徳太子画像。
聖徳太子
※日本神話に熱心だった仏教の真言宗宗祖、弘法大師空海和尚が開いた神奈川に有る太子堂の聖徳太子像は上の日本人スタイル。
ところでキリスト教徒が「アーメン」て祈るが…
そのアーメンが神様の名前なんだよね、イエスやマリア様は救い主と聖母様。
キリスト教の「アーメン」て言葉こそ神様の名前なんだな。ゾロアスター教の拝火(太陽神)信仰の影響でペルシャ南部やエジプトで崇拝された太陽神アメン神が崇拝対象に成っていた。キリスト教の布教の過程で太陽神の名前が使われた訳だ。
もっと言えば古代エジプト神話の神様のアメンラーとして太陽神ラーと融合したアメン神の事なんだな。キリスト教と別派同根のイスラム教では神の名前は「アラーフ」とされるが語源は良く解らないそうだ。
もっともイスラム教とキリスト教では神の名前だけでなく天使の地位が異なるらしい。
・・・でも天使の名前は同じミカエルやイスラフェルがいる。
西洋でキリスト教で主神=ゼウスとされるのは、古代ローマ神信仰者を改宗させる為に、イスラエルから時代を経てローマに辿り着いた宣教師達が、ローマ人の信仰する全能神ゼウスをアメン神と習合して布教した結果なんだな。
つまり「アーメン」てのは神様の名前、英語で「イエス」て返事するのも「救い主=Jesus Christ=宗祖」の名前なんだな。Jesusをラテン語で発音するとイエズスに成り英語では省略して発音表記でYESに成る。
これはラテン語勉強しない英語圏キリスト教信者が認めたがらないらしい。そして英語圏の信者はかつてキリスト教がローマ神話のゼウスを習合した歴史も知らない人間が多いし、アメンの意味も解ってないで言ってる不勉強な奴も多い。
ザビエル
イエズスとカタカナで書くと歴史好きは思い出す人もいるだろうけれど、ザビエル神父の所属したイエズス会の名前は「救い主(メシア)」キリストの名前を冠した宗教会派て事だね。
このゼウスとアメン神を習合するのと似たような布教を日本でもキリスト教宣教師達は行っていて…
日本に浸透していた神道や仏教で天照大神の別の姿とされた大日如来にアメン神を習合させようとして、切支丹(キリシタン)達に「アメン=大日如来=神=大日」として「大日」と言わせ布教した歴史が残っている。
インカ帝国時代のペルーにキリスト教布教させた時も、現地の神様を習合したしね。
…彼等の問題は自分達の宗教観しか認めず、多くの神社仏閣を破壊させ先人と偉人達の文化を破壊しようとした事。奴隷を当たり前に持っていた事。
そして織田信長公は宣教師の神社仏閣破壊の様な要求を飲まなかったし、譲り受けた奴隷を解放し白人と黒人を平等に扱った。
そして神道の価値観を守る為に、己を御神体とした奇岩=御嶽(おんたけ=みたけ=うたき)を安土城内に築いた。
信長公本人を神としてしまえば、信長公の保護下で布教を許されている宣教師達も日本古来の神道文化や信長公の信奉する法華の教え=仏教にイチャモンつけれない訳だ。
だからキリスト教の宣教師から悪魔扱いされた。

イスラム教はキリスト教とは源流は同じだけれど教義と人種問題で数千年間も対立してきた。
しかしゾロアスター教とも融和した名残りがうかがえる日本人は、その両方とも上手くやれている。

まぁ、日本人の思想は多神教の寛容さや仏教的な自省と武士文化的な礼儀が根幹に強く有るのは間違いない。
だから日本人が神道や仏教の信者でも素直に教会の建築の美しさやキリスト教の友愛の善の面、イスラム教の互助思想を肯定的に受け入れられるのは日本人の本来の神道的な多神教の文化と日本の神様の寛容さなんだろう。
この日本の神様の寛容さが、日本人の精神的な文化の根幹に有るんだろう。
モスクの写真を見ても素直に綺麗だと思うしね。
日本文化大切にする日本人とも西洋人ともアラブ人とも仲が悪いのは、無宗教の唯物主義の共産主義者と親族の利益だけを追求する儒教主義者だけ(笑)。
2011-03-16-12-42-16
日本の法律と日本の文化と秩序を守り、先人の残してくれた偉人や自然を神として奉る神社や祖先を大切にし自省を根幹にした仏様の価値観を肯定してくれれば、別に異人サンが幕末みたいに日本に住んで日本で働いても問題ないんだよ。
牛頭天皇=素戔嗚尊と草薙剣=熱田大神と法華宗(主に浄土宗と日蓮宗)を信奉した織田信長公も、山科羅久呂佐勝成(ラクローサ )てイタリア人武将や、弥助(ヤスフェ)って言う元奴隷のアフリカのモザンビーク人武将を召し抱えていたからね。
織田信長公を無宗教者扱いするバカ小説家やアホな漫画家は、実際に文献も読まなければ現地も歩かないクズばかり。
実際の織田信長公は多くの神社仏閣を復興し朝廷の宮殿を再建したりしていらっしゃった。朝廷の伝統儀式を神道に則り復古されたのも信長公だ。
浄土真宗東本願寺派(高田派は親幕府親信長派、後に本願寺光佐顕如も武装解除し豊臣政権と友和)の石山本願寺や天台宗の比叡山延暦寺が攻められてのは、当時は彼らの一部が軍事力を持った現在のISみたいな武装テロリスト集団に堕落していたからなんだな。
image
だからこそ、法華衆徒を堕落させるが真剣に修行に励む物は救う「第六天魔王=伊舎那天・伊舎那后=シヴァ神」の代理人と名乗り、天台座主と自称する武田信玄と宗論で喧嘩した歴史も残っているんだな。

どこの宗教も過激派が問題なんだけ。
image
その過激派から国を守る為に、豊臣秀吉がスペインとポルトガル人宣教師を追放した。
理由は宣教師が勝手に日本に教会の領地を持ったり日本人を奴隷として連れ出した犯罪者だったから。
これは日本人として正しい対応。白人が同じ事されたら怒り狂って戦争をけしかけるだろう。
同じ様にイギリスのプロテスタントを徳川家康公が日本入国禁止にしてキリスト教禁止たのは彼等がやはり日本人を奴隷として強制連行したから。
外国ではオランダと清が江戸時代に日本と交易を許されていたのは、オランダは日本人を奴隷にしたり日本に植民地を持つ領土的な野心が無く純粋に交易が目的だったから。
キリスト教国も時間が経って日本に遅れる事、千数百年、漸(ようや)く奴隷禁止に成ったけれどね。

そんな訳で、横浜には幕末~大正時代に花開いた西洋渡来の洋館や西洋料理の文化が今も根付いているけれど、元々、日本の宗教の中にも色んな国の神様が平等に祀られていたんですよ~!とか、色んな外国人も日本に帰化して頑張ったり発展に寄与して下さったんですよ~って話と…
信長公・秀吉・家康公然(しか)り、犯罪犯したら罰しろ、犯罪を起こしそうな奴は入れるな、日本が大好きで日本の価値観を尊重してくれて日本の為に成る人物なら外国生まれでも身内として受け入れてやれ!
…って話でした。

これは土曜日の2016/05/28の休日雑記を兼ねた山手の丘の紹介。

小生は真夏には余り城址に行かない…
城好きな人は同じ経験してると思うのですが、夏は❝藪蚊❞とか❝ブヨ❞に刺されまくり一回の登城で10ヵ所以上は刺されるし❝蛇❞も出る。
箱根方面とかの田舎の山城だと猪が出るかも知れない。
地方の山城なんか熊も出るかも知れないしね。
それと、一番痛いのが❝野薔薇❞ね。
既に5月にも成ると分厚いGパン履いてても普通にグサグサ足に刺さって来るから❝藪漕ぎ❞出来なくなる。
…野薔薇痛いんだよ本当に。

その代わり、この季節の楽しみは西洋式庭園の有る公園が薔薇の花に彩られて一番綺麗な季節に成る。
DSC_1917
横浜は神戸と同じく幕末の開港以来西欧式の文化が早くから根付いたので、こう言った環境には恵まれていて城に行けなくても素敵な洋館や庭園が多数有り、目の保養に事欠かない。
無論、日本文化、こと武士文化に関する庭園公園もいくつか有り、日本の季節の風物詩も楽しむ事が出来ます。
山手の丘の洋館史跡 久良岐のよし
まぁ、横浜市なんて❝市❞は160年位前まで存在せず、この地域は武家の本拠地である旧鎌倉郡と旧久良岐郡と旧橘樹郡と旧都筑郡で構成されている。だから日本的な古代の神話や武家文化は神社仏閣に行くと十分感じられる。
久良岐郡と橘樹郡、それと隣接市の横須賀市(旧三浦郡)は日本武尊の通った道で横浜市の中心部の旧久良岐郡には古代から多くの港湾が在り大和朝廷の直轄地として軍馬生産の牧場も有る。
隣の旧三浦郡(横須賀市)には日本武尊と后の弟橘姫様が仮御所を築き滞在された走水の御所ヶ崎も有ったりなんかして、日本文化的な楽しみも事欠かない。
ま古代から日本武尊含め軍閥の文化なので、京都のソレとは大分雰囲気が異なるけれども…
日本武尊の仮御所だった横須賀なんか明治時代から日本の帝国海軍や自衛隊、アメリカ第七艦隊の総本山みたいな状態だしね。

さてさて、今回の訪問の主目的は、あくまで薔薇だった。
先日、横浜イングリッシュガーデンの訪問で、今月末は西洋式庭園巡りと洋館巡りもする心算と腹を決めていたので、この山手の丘は打ってつけの場所だった。
DSC_1834
ブログネタ確保の洋館の写真撮影も兼ねて、何度目か解らない再訪。
今回は中華街付近のいつもの駐車場に車を止めてスタート…
DSC_1649

…したら何か関内地区全体で祭が開催されていて、至る所が歩行者天国。
たまに、こう言う事が有る。横浜開港記念日とかね。
因みに、この歩道のカフェは晴天時常設。左端に見切れてる人達が車道に出ているの判るかな?
この辺り、右から左に少し傾斜して地面が盛り上がってる。
DSC_1650
実はココが横浜の地名に成った、細長い砂州の半島、その名も❝横浜❞が在った場所。
横浜の地名由来説明
以前も使った衛星写真。この赤い範囲がつまり、この地面の膨らみが昔の半島の上って事だ。
ここを抜けて中華街でランチしようと思っていたら、安倍政権に成ってから景気が回復してきている御蔭で中華街は土曜日とも成るとバブル時代と同じ位の観光客でゴッタ返している。
DSC_1653
なので、一先ず昼食は後回しにして散歩を続ける事にした。
関帝廟の前の細道を突き抜けて元町へ。
DSC_1655
元町商店街の入口、元町5丁目東の交差点、その先に在るトンネルは実は明治時代~昭和初期の鉄道史跡だったりする。このトンネルを蒸気機関車が昔は走っていた。
今のJRの軌道とは大分違う方向に線路が伸びて根岸方面へ直結していたんだな。
横浜は移民だらけで歴史に興味ない人は余り知らない事。
DSC_1657
元町のこの道は幕末の外国人居留地だった時代から存在するが、海側の突き当り、ウチキパンが在る辺りには江戸時代末までは御寺サンが在った。DSC_1674
外国人の要求で寺を移転させ、ここに一般外国人向けの居留地を開いたそうだ。
これは、同じく当時英国に領事館として土地を提供した妙香寺様の学僧サンに教えて頂いた郷土史だ。
丁度、この丘を左手に登っていくと旧フランス軍駐屯地兼領事館の土地に行き当たる。
DSC_1673
因(ちな)みに、このウチキパンさんは130年近くの歴史を有る日本史上初のベーカリー(パン屋)さんだ。
確かチョコレート製造工場は神戸が日本初だったかな?
神戸一帯も横浜周辺も嘗(かつ)ては武家の首府だった時代があり、くしくも貿易港として似たような歴史を歩んでいる事からも源平の大将は共に土地を見る目に優れていた事が良く解る。

小生は元町の表通りより、一本裏の道が好きで其方(そちら)を好んで歩くのだけれど、そもそも裏通りに多くの老舗や個性的な店、歴史が残っている。
DSC_1659
元町厳島神社、最初に紹介した昔の❝横浜❞の名で呼ばれた半島の上に在った弁財天様が発祥。
砂州の横浜半島が外国人居留地として開発されたり江戸幕府によって神奈川運上所と言う税関が設置された際に、今の元町厳島神社と伊勢佐木長者町の厳島神社に分祀された。
この厳島神社、実は結構歴史が有り源頼朝公が伊豆時代に崇敬していた土肥郷の弁天社の御分霊を頂いて勧進されたそうだ。
昔は弁財天様は弁才天と書き、軍才の神様であり水神様の性格も持っていたので、源頼朝公が石橋山の戦いで平清盛勢力に敗れた際に海路を船で無事、房総半島に逃げれた事で弁天様を信仰したのだろう。
実際、観光名所になっている江ノ島に弁財天を勧進したのも源頼朝公で、この江ノ島弁財天は有名な滋賀県琵琶湖の竹生島弁財天様の御分霊だそうだ。
DSC_1661
この神社の御神紋は北条三鱗に浪切紋…
禰宜様と話したのだが、この元町は嘗(かつ)ては蒔田湾と呼ばれた港湾だった事や、頼朝公以来の鎌倉幕府との関係性から、執権北条家の家紋❝三鱗紋❞の使用を許可されたのではないかと推測している。
もう一つの可能性としては、関内・元町地区が蒔田湾と呼ばれた戦国時代、北条氏綱公による鶴岡八幡宮再建の際には、蒔田城を治めた蒔田吉良頼康公が蒔田湾から鶴岡八幡宮の材木を海路輸送し、北条家相模十四騎筆頭の笹下城主間宮康俊公の一族が治める杉田湊(みなと)に材木を輸送し、間宮家や吉良家が鶴岡八幡宮再建で活躍した歴史が有る。
この戦国時代の事を考慮すると、戦国時代に現在の御神紋に成った可能性も高い。
小生は、江戸時代までの殿様達の習慣に従って神仏を平等に崇敬しているので、ここで三鱗紋の御神紋の弁天様に御参りする機会が有る事は非常に嬉しい事だ。

元町は個性的な町。
DSC_1667
ベルトの輸入バックル専門店とか…
DSC_1670
幕末の開港以来150年余の歴史を持つ会社、フランス料理の名店霧笛楼。
夜はデートで気張って来る位の店だけれど、ランチタイムなら庶民も来れる(笑)。
この先に進むと先程紹介したウチキパンの坂道や右手には山手の丘に登る数本の坂道が有る。
DSC_1679
ウチキパンの坂道は、この地域の庄屋だった石川家の居所だった。
DSC_1680
だから代官坂の地名が残る。
小生が山手の洋館巡りでオススメするのは額坂から丘に登っていく道。
DSC_1678
この小柴サンと言う御宅が入口の目印。ここを左手分岐する方に進むと…
DSC_1681
元町公園の入口に辿り着く。
元町公園も幕末の史跡で、ここの湧水を汲み上げ国際線船舶の飲み水として販売していた西洋人商人が住んでいた邸宅跡があり、その為、水屋敷と呼ばれていた。
この一帯の水は富士山系の湧水でバナジウム天然水の為に腐り難く、遠洋航海の飲み水に適した物だった。
その為に、ウィリアムコープランド先生が山手地区、今の麒麟公園や北方小学校の場所にスプリングブルワリーを開いたのが日本初のビール醸造工場と成り、後に坂本龍馬さんの友人だった岩崎弥太郎とグラバーがコープランドさんのビール工場の土地を買い取り開業したのが❝麒麟麦酒❞だったりする。
この辺は以前にも記事で紹介したのでカテゴリー「明治時代の偉人」から見て貰うとより、横浜の近代の歴史が解ると思う。
DSC_1688
この額坂付近も多くの歴史史跡が有る。
DSC_1685
DSC_1686
このパプテスト神学校跡地は関東学院や多くのミッション系大学高校の源流と成った場所だ。
DSC_1692
緑深く歩いていて気持ちが良い。
そして…
DSC_1696
関東大震災の史跡もある。
DSC_1693
地震で倒壊した山手80番館。
今回の記事は、山手の丘のザックリした紹介なので、洋館は又、内装の写真を複数掲載し詳しく別記事で紹介したいと思いう。
この額坂、名前の由来は定かではないけれど…
恐らく傾斜がキツイ階段が続くので「額に汗する様な坂道」って事なんだろう。
因みに、日本の古代語では❝坂は下り坂❞で❝登り坂は平(ひら)❞と言った。
そんな訳で、このヒラを登り切ると左手に素敵な洋館が見えてくる。
※各洋館は、いずれ個別に紹介するので写真と説明端折ります。
DSC_1705
エリスマン邸だ。
入館料無料、でも美しい幕末~昭和初期の西洋建築を楽しめる場所。
高校生の時に初めて来て以来、ちょくちょく気分転換に散歩に来る。DSC_1708
一昔前まで、こんな洋館が沢山あって優雅な暮らしをしていた人達がいたんだなぁ~とか思うと、自分も内面的にそうありたいなぁ~とか思う場所。
このエリスマン邸を背にして前の道路に向かって右側に、更に立派な洋館が有る。
DSC_1736
ベーリック邸、通称ベーリックホール。
無論、入館料無料。
英国人で名誉フィンランド日本領事を務めたベリック氏の私邸。べリックさんは香水なんかを輸入していた商人。
このベーリックホール、入口が地味で見落としがちだけれど一番来た方が良い洋館。
DSC_1735
中は丸で小貴族の宮殿みたいな感じ。
DSC_1753
ここで彼女をモデルにして撮影開始してるバカップルとか…
どう見ても怪しい女子高生か女子大生みたいな女の子と頭ハゲ散らかしてカメラ3台くらい首にかけた変な組み合わせのカップルが写真撮影してたりします(笑)。
でも、ここで彼女の写真を撮影したくなる気分は解るわ。
御姫様みたいに大切に思う人が西洋の御城みたいな場所いたら恋人フィルターかかってメチャメチャ可愛く見えるよな…
ハゲは金払ってる援助交際かなんかのクズだろうか(笑)?
主に、女性同士や女性単独で来てる西洋文化好きそうな御嬢様風の人達が一番多いね実際は。
ベーリック邸を抜けて港の見える丘公園方面に進むと、エリスマン邸の斜め左前に❝えのき亭❞と言う可愛いケーキ屋さんが在る。ここも一人でもたまに来る。
DSC_1790
ここも歴史的な洋式建築遺産。そこでケーキ屋さん兼喫茶店を営業している。
DSC_1791
夏は余りオススメ出来ませんが、春先や秋なんか庭でもケーキセットとか注文して食べれる。
因(ちな)みに冬も庭にはストーブを焚(た)いてブランケットを配ってくれるので、秋が過ぎても暫くは外でのお茶も楽しめる。
勿論、中の内装は洋館なので素敵ですよ。
DSC_1792
小生、土曜日に行ったときはケーキセットを注文しました。
DSC_1794
クリームチーズケーキアプリコットソース添えとストレートティー…
男一人で(笑)。
一番後に入ったのに、他の客より早く完食して一番最初に店を出た(笑)。
えのき亭を、もう少し港の見える丘側に歩くと、また入館無料の西洋建築遺産が在る。
DSC_1796
山手234番館。
ここは、つい数十年前まで人が実際に住んでいた場所。
だから、シンクなんかは実用性の有るガスオーブンレンジが据え付けられている。DSC_1814
心なしか、人が住んでいたぬくもりが有る部屋。
DSC_1830
その先が山手236番館。ここは塔みたいな建物で少し可愛い外見だ。未だ中に入った事は無い。
その先には横浜山手聖公会教会が在る。
DSC_1819
この協会はプロテスタンの教会で日本国内では歴史が古い部類に入る。
DSC_1821
と、言うのも幕末に英国軍が山手の丘に駐留するに当たって、英国が自国兵士が横浜で乱暴を働かない様に綱紀粛正する為に作った教会だからだ。
実はこの教会が日本人に解放されたのは太平洋戦争終結以降の極最近の話し。
幕末にはフランスやイタリアやイギリスやアメリカは領事館護衛の兵士を駐留させていたが極めて治安が良かったそうだ。
太平洋戦争直後は朝鮮進駐軍や韓国GHQによる日本人女性暴行が多発したのと大違いだ。
現在は日本人による性犯罪発生率を大きく下回るものの、米兵による凄惨な婦女暴行殺人事件がたまに起きてしまう。
日本人がモラルが高いのは恐らく仏教文化と神道や武士の精神文化が根幹に有るからだが…
山手の教会の内装展示資料 久良岐のよし
当時の欧米人も信仰心や軍人として騎士道精神を強く持っている方々は礼儀正しく皆紳士だった様だ。
その精神を保つ場所がこの教会だったんだな。
ここは一般公開されている日とそうでない日が有るので、運が良ければ教会内で西洋人の神様に純粋に日本が好きで横浜の近代化に貢献した異人サン達への感謝の伝言も御願いする事も出来る。

さて、教会が有れば当然、墓地も有る。
DSC_1839
昔は一般公開されていて有名な観光地でもあった外人墓地だ。
バブル世代のバカ共が、夜な夜な恋人同士でここに来てア〇カンしたりするもんだから、墓地の主の御遺族や教会の決定で墓地は通常非公開に成ってしまった。…バブル世代の初老の人達、反省して。
DSC_1840
でも御堂みたいな場所は公開されていて…
DSC_1841
綺麗なステンドグラスや、この地域の歴史を簡単に説明した掲示物が展示されているので、横浜の郷土史に興味が有る人は是非来た方が良い。
DSC_1848
土曜日はたまたま特別公開されていて墓地に入る事が出来た。
ここには小生が尊敬する人物の一人であるウィリアム・コープランドさんが眠ってらっしゃる。
この人は大変な親日家だった商人で、世界中に日本の特産品を輸出して販売したりした方なのだが晩年は事業が上手くいかず余り経済的には幸せではなかった。
それでも母国に帰らず、日本を大好きでいてくださった人物だ。
DSC_1856
このコープランドさんは横浜の大恩人で、日本にビール醸造所を最初に造りビールを販売した偉人でもある。
そのビール会社を後に買い取って大きくしたのが坂本龍馬サンの友人だったグラバーと岩崎弥太郎だ。
その岩崎弥太郎とグラバーのビール会社が「麒麟麦酒」な訳だが…
キリンホールディングスの広報も認めているが、キリンビールのロゴが竜馬=麒麟なのは出資者の二人が坂本龍馬さんをリスペクトしていたから世の中に竜馬さんの事を残そうとしたと伝承している。
この辺の話は以前にも記事に纏めたので、❝カテゴリー❞の中から「明治の偉人」を選択し、コープランドさんや坂本龍馬サンの奥さん御龍さんを紹介した記事を探して読むと書いて有る。
土曜日はたまたま中に入れたので、入って良い場所で出来るだけコープランドさんの御墓の近くから感謝の御参りをして来た。
コープランドさん、ありがとうございます。

外人墓地を出ると…
港の見える丘公園の前には岩崎ミュージアムが在る。
DSC_1860
ここは博物館としては小さい上に入館料300円取られるが、女性陣には良い記念に成る事が出来る場所でもある。
DSC_1862
中にはたくさんの各時代毎のドレスが展示されているのだが…DSC_1866
この様な衣装を着て記念写真を撮るサービスが有るのだ。
無論有料(笑)。
まぁ~綺麗な内に若い子は記念に写真撮るのも良いと思うし、小さい女の子の居る御家庭ならば、子供向けの服も有るので良い記念に成るのは間違いない。
DSC_1878
岩崎ミュージアムを抜けるといよいよ港の見える丘公園。
DSC_1958
ここからはミナト未来地区や…
DSC_1920
…横浜ベイブリッジが綺麗に見える。
デートスポットや観光名所として有名だが、小生の土曜日の訪問のメインは、ここのローズガーデンに薔薇を見に来る事だった。
DSC_1886
西洋式庭園に薔薇と初夏の植物が咲き誇る。
DSC_1884
DSC_1889
DSC_1895
綺麗だ~!
小生は花に例えるなら梅か桜の花か山吹の様な女性が好きなんだけれども・・・
薔薇も捨てがたい(笑)。
DSC_1917
ここは小生の荒んだ心を少し明るくしてくれる(笑)。
ところで、この港の見える丘公園も歴史史跡で西洋建築遺産が2軒、それと博物館が1軒在ったりする。
DSC_1896
横浜市イギリス舘。
イギリスなんだか横浜なんだかハッキリしろよ!と言いたくなる名前だが、ここは駐日イギリス総領事の公邸として1930年代に建造された。その後、終戦後も暫く公邸として利用されたそうだ。
DSC_1910
ホテルよりゴージャスなベッド。
そして寝室に付属する休憩スペース。
DSC_1913
よく旅館やリゾートホテルなんかにあるアレね。
これが自宅に在るとか考えらんないね。
DSC_1921
もう一つの建物が大仏次郎記念館。
昭和の大作家大仏次郎の遺品を収蔵した博物館で、日本の経済が良かった頃に作られた。
DSC_1930

中はとても綺麗。
DSC_1929
現在アニメとコラボしたスタンプラリーをしているらしく、彼氏を無理やり突き合わせてる彼女さんと思しき男女がここでスタンプ押してた。
DSC_1941
大仏次郎さんの愛用品とか。
大仏次郎記念館を出ると、右手に下の写真の橋が有る。
DSC_1948
たまに刑事ドラマなんかで撮影に使われて、この橋の上で犯人が追いかけまわされたりしている。
DSC_1954
橋の反対側は、旧フランス領事館の史跡があるフランス山に向かう道。
DSC_1956
途中にはKKRと言うホテルがある。
ここのレストランからは横浜港が一望出来て、正面に横浜ベイブリッジが綺麗に見える。
ここも高校の時に先生に連れてきて貰った思い出の場所だ。
えのき亭と並んでデートで御茶するには持って来いの場所だよ。
KKRの下を通り過ぎると…
DSC_1959
フランス山地区の入口。
昔、このウッドデッキで人がいっぱいいるのにディープキスしてるバカっプルを冷やかそうとしたら、当時の彼女に怒られた事が有る。

DSC_1961
ここも、もう紫陽花が咲き始めてるね。今週末が見頃だろう。
DSC_1962
この井戸は煉瓦で出来ていて、当然幕末にフランス領事館の為に掘られた物。現在では水は枯れているが深さは30m有る。
DSC_1970
そして、フランス領事館跡。
関東大震災で破壊された後→再建→更に太平洋戦争の横浜大空襲で焼失、二度と再建されなかった。
DSC_1969
昔の写真を見ると、かなり立派な建物だったようだ。
DSC_1971
少し、日本建築的な要素が有る様に感じるデザイン。
ここを下りきると、元町地区に戻る。
DSC_1979
みなと未来線の中華街元町駅は直ぐ近く。
小生は、この日、中華街の行きつけの店に食事に行くつもりだったので、この歩道を渡り、中華街に向かった。
DSC_1980
ちなみに高速道路の下に流れる❝掘割川❞は自然の川では無く、幕末に掘られた川。
ここに20年位前か?アザラシのタマちゃんが顔を出して大騒ぎに成った。
DSC_1984
元町から中華街は徒歩5分。
山手地区散歩がてら、中華街でランチや夕食を取ると胃袋も充実した日に成る。
DSC_1987
DSC_1986
この日は行きつけの東新飯店でセットメニュー頼んだ。
このボリュームで850円。
さて、次は鎌倉に紫陽花見に行って葉山の海で散歩だ!


以上、5月28日の休日雑記。































 



ブログネタ
神社・仏閣 に参加中!
前回、君が代の発祥地である妙香寺さんを紹介する記事を書きましたが、今回はより詳しく説明する為に「テニスの発祥地」でもあり元々は妙香寺さんの寺領だった「山手公園」を紹介したいと思います。
2015-07-29-12-47-44
この建物、何かのオカルト記事とか、都市伝説のTV番組とかで見た事が有りませんか?
実は、この建物は日本で最初に吹奏楽=ブラスバンドのコンサートが行われた場所なんです。
今では山手公園として整備されており、後で説明しますが若かりし頃の今上天皇陛下御夫妻もこちらに来られた事がありました。
そして、この場所は…
フリーメイソンの日本最初のロッジが在った場所でもあるんですね。
今では山手の中の端っこの野原みたいに成っていますが、実は凄い由緒の有る東屋なんです。
最初のコンサートの場所だからでしょうか?ベンチも東屋を取り囲む様に配置されています。
…まさか幕末当時のままの配置ではないでしょうが。

この山手公園は近くに「日本のビールの発祥地」麒麟公園や…
※麒麟公園記事は「ココクリック!
2015-07-29-11-22-13
この山手公園を含む広大な寺院で空海和尚や日蓮和尚と直接の所縁の有る妙香寺サン
※妙香寺の歴史の話しの記事は「ココクリック!
2015-07-29-12-29-33
…から歩いて直ぐの距離に在ります。

位置関係を下の衛星写真を御覧下さい。
山手公園位置関係
全て徒歩圏内です。
因みに前回の記事でも少し触れましたが、この妙香寺の丘一帯が幕末時、イギリス軍の駐屯地として利用されていました。
衛星写真の右上、今の港の見える丘公園の辺りはフランス山と呼ばれていますが、そのまんまフランス軍の駐屯地でした。
港の見える丘公園からも近いので、山手の洋館見学がてら散歩に来て歴史に触れるのも悪くない休日を過ごせる事間違い無しですよ!
幕末、この本牧半島には沢山の外国の領事館が在り、軍人も居た訳ですが…
まぁ~、軍と言っても、在日外交官を守ったり移動に利用される軍船の将兵程度で恐ろしい占領軍とかではありませんでした。
…占領されるのは太平洋戦争の敗戦後です。
本題に戻りましょう!
山手公園に行く目印は、住宅街の中に見えるこんもりとした森の麓の下の写真の道標ですかね。
2015-07-29-12-34-20
これならトイレに困ってる人も助かりますが、公園を強調したいのだかトイレを強調したいのかサッパリ解らない(笑)!
因(ちな)みに、この付近には麦田トンネルと言う隧道が在り、明治時代に新橋~横浜(現・桜木町駅)間で開通した蒸気機関車は、その先まで延伸され麦田トンネルを通っていました。
それだけでも想像するだけで大正浪漫を感じるのは小生だけでしょうか(笑)?
小生の横浜の祖母の家は明治~大正時代にシルク商人だったのですが、大正時代まだ女性の学生が珍しかった当時、日本初の女学校「フェリス女学院」に「蒸気バス」で通学したと言っていました。
…英米との戦争さへ起きなければ、日本は和洋折衷の大正文化が花開いた頃の栄華を更に発展させた美しい時代を実現できたんでしょうかね~?

「歴史に「if」は無いし考えるのは無駄」

…と、言うのが持論の小生なので、この話は置いておきましょう(笑)。
フェリスや麦田トンネルも近い山手公園ですが、冒頭で申し上げた通り、「日本の国家」である「君が代」の発祥地であり、吹奏楽の発祥地であり、テニスの発祥地でもあります。
最初に吹奏楽の話をしているので、次は国家君が代の話をしましょう。

今回の記事のタイトルは「歴史を知らないアフォ左翼が発狂しそうな題字」ですが(笑)、実は歴史を知ってるつもりの極右も発狂する歴史事実を説明しないといけない回なんですよ~。
な~んにも知らない人が多いと思いますが…
日本の国家君が代は、天皇陛下礼賛云々以前に、日本人では無くて「イギリス人が作曲した曲」と言う事実を御存知でしたか(笑)?
国旗
国家「君が代」は明治02(西暦1869)年の秋、英国領事館の護衛武官として来日していた英国陸軍常備歩兵隊第10番大隊長付きだったジョン・ウィリアム・フェントン軍楽長により作曲されました。
その後、明治03(西暦1870)年の09月08日今の東京都江東区に当たる江戸時代当時の「越中島公式に御披露目されました
薩英戦争以来、島津家と英国は協力関係に在った関係で、島津家薩摩藩は英国から様々な近代技術と西洋文明を技術供与されていました。明治02(西暦1869)年の戊辰戦争終結後、島津家薩摩藩と毛利家長州藩を中心に樹立された明治新政府は日本の早急な近代国家化を目指す必要が有りました。フェントン軍楽長に近代国家として国歌の必要性を説かれた新政府は、島津忠義公と共に鹿児島を出港した汽船に乗船して横浜に来航した薩摩藩の軍学生を当時の妙香寺に寄宿させ吹奏楽を学ばせました。君が代の歌詞選定は当時の砲兵隊長で後の陸軍大将と成る薩摩藩士の大山巌(いわお)公が中心と成って古今和歌集の賀歌部の中から選定されたんですね。
大山巌↓陸軍大将
大山巌
…だからね、全然、右翼の民族主義の歌でも軍国主義の曲でも無ければ、寧ろ、国際社会から必要性を説かれて後押しを受けて作曲作詞されたのが君が代なんですね。
その後、ドイツの海軍軍楽教師で音楽家のフランツ・エッケルト先生によって現在の曲調の君が代が完成されたそうでう。
…どうです?君が代って超!国際的で平和的で、更に外国人の方々が作曲の中核を担ったのに凄く日本的でしょう?
よく、日本の良さって日本好きの外国人の方が知っていたりしますけれど、それと似た様な感じで本牧半島の海に面した情景を日本らしい感じでフェントンさんやエッケルトさんが表現して下さったんですね♪
フェントン軍楽長とエッケルト先生に感謝!

因みに君が代が御披露目された越中島の地名の由来は、戦国武将で徳川四天王の1人、榊原康政公の兄君である榊原清政公の御孫サンの榊原照清公の屋敷が在った事で、その照清公の官職名の越中守に由来して命名されています。
偶然ですが、照清公は横浜の殿様間宮家と榊原家の血を引いた方でした。
戦国時代~江戸時代のこの横浜市東部を本牧奉行として治めた間宮家の分家、今の横浜市磯子区杉田辺りを領地にしていた杉田間宮家の当主である間宮信繁公の御姫様が榊原清政公の御子息の榊原照久公に御嫁入されていて、その照久公の御子息が榊原照清公でした。
つまり間宮家と榊原家の血を引いた方が江東区に屋敷を構えていたので、横浜市の本牧は江東区越中島と殿様同士の御縁が有ったりします。

薩摩とイギリスに話を戻します。
薩英の結びつきに関しては、薩英戦争で大英帝国様に敗北した薩摩藩が事実上の従属同盟をしていた的な解釈も成り立つので微妙ですが、その後のロシア帝国のアジア植民地化計画を打破した対馬海戦の折りにイギリスが国際社会に日本に協力する様に呼びかけて下さった御蔭で、ロシア帝国のバルチック艦隊は補給を満足に受ける事が出来ず、ヘロヘロな状態で大日本帝国海軍と交戦する状況を演出して下さったり、太平洋戦争で決別するまでは日本と英国は良き師弟の様な協力関係にあった訳で、正に、外交と戦争の良い面と悪い面、必要性と危険性の両方を示した逸話とも言えます。
そこら辺りは以前の記事「横浜開港資料館=元・英国領事館」を紹介した記事で詳しく書いているので、そちらを読んでみて下さい。
※横浜開港資料館の記事はココクリック!

…ここまでハッキリとした歴史事実が伝わってるんですが、何故か極左教師や歴史事実を直視しない左派は「右翼の曲だ」とギャ~ギャ~大変な誤りを騒ぎ立てたり…
…右翼は右翼で「外国人作曲」と言う不都合な歴史は伝えようともしないんですよね(笑)。どっちもどっち。
…横浜生まれ横浜育ち以外のハマっ子でも知っている人間は少ないですが、知っている人は知っている君が代の成り立ちでした。
因みに、小生は「中道寄りの保守派」「法治主義者」だと思っています。
よく中国政府をコケにしながら中国文化好きだったり、矛盾した記事書いてるので皆さん、御存知だと思いますが(笑)。

さて、テニスの話に話題を移します。
2015-07-29-12-37-53
この、元・妙香寺の敷地である山手公園は、テニスの発祥地でもあるので、今でもテニスコートとテニス発祥記念館が在ります。休日は多くの初老の先輩方が男女で半合コンみたいな感じでテニスを楽しんでらっしゃるのを良く御見掛けします…
…小生等、現役世代はテニスしてるオッサン達世代の負の遺産で四苦八苦してるのに何だか不平等だよな…
とか思っちゃいますが、まぁ~、明治大正の先人が残して下さったテニス文化を発祥地で満喫するのは風流だから棺桶に片足突っ込んだ日本工業商業没落の戦犯世代ジジババも風流に免じて見逃してやろう(笑)。
…と、上から見るとイライラしないで済んだりする、心の狭い小生(笑)。
2015-07-29-12-38-34
このテニスコートは、若かりし頃の今上天皇陛下と美智子皇后様からもテニス発祥地として御来訪を賜り、テニスをされた事の有る、なんだかほのぼのとする聖跡でもあります。
あ、聖跡ってのは、皇族が何かした史跡の事ですよ。
東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘も、明治天皇が鷹狩りを楽しまれた場所だから「聖跡」って付くんですよ。
つまり、軽井沢のテニスコートも今上天皇陛下と美智子皇后様が愛を育まれた恋愛の聖跡=パワースポットって事に成りますね~。
…ここでテニスしたら、女の子にモテる様に成るだろうか?
…ここでテニスするのが似合う様な大人に成ってたらオシャレでモテるのか?どっちが先だろう(笑)。
…又、脱線してしまいました。
先程の道標に「テニス発祥記念館」って有りましたよね?
2015-07-29-12-39-03
それが↑コレです。
後ろ姿は全然セクシーじゃない建物。
2015-07-29-12-39-20
ステンドグラスは綺麗でしょ?繰り返しに成るけれど後ろ姿は地味だけれど。
でも前から見ると…

……
………一生の不覚!なんと、正面からの写真を撮り忘れてました!
…今度、近く行く時に撮影してきます。でも、中の写真はちゃんと撮影しているので、見て見ましょう!
このテニス発祥記念館は無料で拝観できます。
中にはテニスの歴史や、当時のテニスの様子や道具が再現されたり保存されています。
2015-07-29-12-43-53
小生、不勉強で知らなかったのですが、テニスは昔は貴族のスポーツでドレスコードだったらしいです!
ドレスなんか着ながらテニスやるとか、御婦人方、オシャレの為に動き難いわ~熱いわ~で大変だったでしょうね。
壁のいたる所にコンナ↓解り易い年表とか資料が展示されています。
2015-07-29-12-44-04
あと、昔のテニスラケットがどんな物だったかとか、道具の発展もよく解る展示物が有ります。
2015-07-29-12-44-37
昔は木製だったんですね~…って当たり前か。
しかし、こんなんでやってたら、今のプロスポーツ化してアホみたいに凄いサーブ打とうとしてもラケットの方が折れちゃうでしょうね?
2015-07-29-12-44-29
それだけ、昔のテニス…と言うか、本来のテニスは上品にゆったりしたラリーを楽しむような大らかなスポーツだったんでしょうかね~。

今回はテニスとブラスバンドと国家の発祥地としての妙香寺=横浜の歴史の御話しでしたが、皆さん如何でしたか?

次は京都とか安土の事を書こうかな~♪
それとも今週24日土曜日の小机城址竹灯籠祭りの見学報告でも書こうかな~♪
以前の小机城址竹灯篭祭りの記事なんかは「ココ」←クリックして御覧下さい!

では、又、次の記事で御会いしましょう!



横浜市中区が、日本初の物や事が多いのは何となく御存知の方も多いと思いますが…
その中区の更に限定した地域、クレイジーケンバンドが自らの音楽活動の本拠地と標榜する「本牧半島」には、日本近代化の象徴とも言うべき発祥がやはり、幾(いく)つか有ります。
以前、ビール発祥地で麒麟麦酒前身会社のスプリングブルワリーと、そのオーナーのコープランドさんの記事を書いた時も少し触れているので御存知の読者もいるかと思いますが…
※ビール発祥地の記事は「ココ」←クリック!
本牧は「君が代」と「吹奏楽(ブラスバンド)」や「テニス」の日本における発祥地なんです。
…ついでに言うと日本初のフリーメイソンのロッジも同地。
其(そ)れ等の場所が半島の地名を山号に頂いた上の写真の「本牧山妙香寺」です。
 この地がブラスバンドや君が代の発祥地である事は今では学校で教わりません。
山門までには上の長い階段が有ります。
切通し状の階段の途中、壁面に石板が嵌(は)められています。
昔の人は商売人も学者も歴史や文化や自国発展に寄与した人物や場所を大切にしたので、この様な事をされたのでしょう。
今でこそ山門の大きさは普通、境内の御堂も鉄筋コンクリートですが、これは太平洋戦争の戦火に遭ったからです。
昔は隣の山手町公園を含めて広大な敷地を有する大寺院でした。
規模縮小の始まりの原因は江戸時代末期の横浜開港時に江戸幕府が、この御寺の敷地に駐屯した英王国軍と英国人の要望と圧力に応じて、寺敷地を無償貸借契約で接収した事に始まります。
衛星写真で見ると広大さがよく分かりますね。
左下、妙香寺と山手公園の敷地を合わせた範囲が本来の妙香寺でした。
しかし、こちらでも他の神社仏閣同様に不見識な横浜市行政が土地を寺に渡さず市の物にして接収してしまいました。
本牧の地名由来の由緒有る御寺なのにね、市の対応は意味が分からない。

そもそも、この妙香寺さんは日本仏教の二大開祖の一人、真言宗の祖師である空海和尚こと弘法大師様が開いた御寺です。
空海和尚と言えば日本神話の神様も大切にされ布教しながら日本の歴史を庶民に教えて回った方ですね。
その後、法華宗の高僧で日蓮宗の祖師である日蓮上人様が御宿泊された御縁で妙香寺さんは改宗し現在、日蓮宗と成っています。
因(ちな)みに日蓮サン(あえて親しみを込めて)、此方(こちら)に滞在中は浴衣で過ごされ本牧半島をリラックスして満喫されたそうで、御寺には日蓮サンが浴衣姿の木像が伝わっていたりするそうです。

…仏教史上、偉大な方が二人もこの御寺に関わりが有った訳です。

だから昭和中期までは本牧文壇とか異名で呼ばれた寺院でもあり、何百年も昔から〜最近までは多くの学僧が此方(こちら)に寄宿し仏法と諸学問の研鑽に励んでいたそうです。
そんな場所だったので広大な敷地を有していたんですね。
今では訪れる観光客は少ないですが、昔は有名な場所だしブラスバンドや君が代の発祥地としてハマっ子の誇りでもあったので、当然、昔の人は、その歴史と御寺の果たされた役割りを顕彰し境内に石碑を寄進しています。
この地に駐屯した英国軍人から薩摩藩士達が吹奏楽を習い、君が代を作曲しました。
日本吹奏楽発祥に関しては、又、別に山手町公園の記事を書くので、その時にテニス発祥と合わせて詳しく説明します。
薩摩藩士が何で英国軍人から吹奏楽習う事に成ったかは以前の書いた元英国領事館の記事を読んで下さい。
元英国領事館=横浜開講資料館の記事はココ」←クリック!
さて、有名で重要な役割を果たしてきた寺院だけあり、昔の檀家さんにも凄い人がいました。
日本の近代造船の父、渡辺忠右衛門さんです。
渡辺忠右衛門さんは現在も海上自衛隊や米海軍の建造や整備を行い、世界各地でエネルギープラントや航空機開発、重機開発で有名なIHI(石川島播磨重工)の前身である「石川島造船所」を開いた近現代日本に偉大な功績を残された人物です。
その事を詳しく書いた石碑が下の写真です。
…この石碑は墓地の入口前に在るので、訪れた方は是非、読んでみて下さい。
せっかく昔の人が我々に歴史を伝える為に残してくれた遺産ですから。

忠右衛門さんの他に、もう一人偉大な功績を残した方が此方に眠っておられます。
最近では歌手の平原綾香さんがカバーした「蘇州夜曲」を最初に歌った歌手の「渡辺はま子」さんです。
渡辺はま子さんは、太平洋戦争終結時にフィリピンで捕虜に成った日本人兵士達の解放と帰国に御尽力された偉大な人物です。
この方の御陰で、今、生を受けて人生を享受出来ている人が沢山います。
もし、この方がいなければ帰国出来なかった兵士達と奥様達の間に生まれてない人が沢山いる訳です。
蘇州夜曲の蘇州がどんな町が知りたい人は以前の記事を御覧下さい。
蘇州の記事はココ」←クリック!

…国歌や吹奏楽の発祥地である事も凄いけれど、この御寺に関わった人、みんな凄いでしょう?
近くをお散歩し通る際は是非!この妙香寺さんで歴史に触れてみては如何(いかが)でしょうか?

横浜は日本武尊と弟橘媛の神話や浦島太郎伝説が伝わり、旧鎌倉郡を含み、近代化の舞台なので、有名な神様や高僧や武士との関わりが深い妙香寺さんみたいな神社仏閣が沢山有ります。
是非、横浜に住んでいるなら御近所の神社仏閣をお散歩してみて下さい!
…今は小さい神社にも凄まじい歴史が有ったりします。それを知ると益々、地元に愛着が湧いて好きに成ると思いますよ〜♪

では、又、次の記事で!


横浜市中区、桜木町もすぐそこ位、関内や桜木町、旧新港埠頭の万世橋地区のすぐ近くにオシャレな近代西洋建築が有ります。
2015-09-02-15-10-23
近くを歩けば、その立派さにギョっとする、まるでギリシャの古代神殿の様な荘厳な造りの近代西洋建築遺産ですが、余り目立たない場所に在(あ)ります。
実はコレ、旧富士銀行横浜支店…
2015-09-02-15-05-46
周辺の建物が現代、高層化してしまったので見事に周囲の風景に埋没してしまっていますが、単体で見ると非常に整った美しい建物です。
2015-09-02-15-04-36
…富士銀行と言うのは太平洋戦争の敗戦後に、やむを得ず改称した元の安田財閥グループの安田銀行の事です。
2015-09-02-15-06-24
もう、ブログの読者の皆さんには御馴染みに成りつつあるかと思いますが、ここも建築遺産の一つなので、例によって建物の前の歩道には金属製の説明銘板が設置されています。
この旧富士銀行横浜支店(以下、安田銀行と略します)は昭和4年(1929年)に建築された石造りの近代西洋建築です。
2015-09-02-15-11-13
う~ん、立派ですね本当に。
2015-09-02-15-06-01
こんな場所で働けたら、本当に誇らしいでしょうね~。
先程、現在は目立たなくなってしまったと書きましたが、理由は申し上げました周辺ビル群の不必要な高層化にあります。

横浜市第二合同庁舎が外側だけを残し、内側を高層ビル化した事、周辺も昭和初期の最先端建築技術より遥かに高い高層建築に変貌した為に、安田銀行はその美しい姿がコンクリートジャングルに埋没してしまいました。
コレこの通り衛星写真を見て貰えば一目瞭然…
旧安田銀行横浜支店
ほらね~、周りのビル群にかくれんぼしちゃってるでしょう(笑)?
しかし、歩けばまだまだ!その美しい風景を我々に見せてくれます♪
実は、この旧安田銀行横浜支店、今は、この芸術的な建物が東京芸術大学横浜キャンパスに成って芸術家の卵達が成長する様子を見守ってくれています。
2015-09-02-15-06-10
ですから、ここは現代の芸術の文化醸成地と成り、近代に日本の経済を支えてくれ更に今は精神的な豊かさを育んでくれる優しい場所として学生や市民に愛される存在に成りました。
東京芸術大学なのに「市民にも愛される」と言うのは、実は芸大の御好意と志と学生の協力で頻繁に市民向けの音楽会をやったりイベントを行って下さっているんです。
2015-09-02-15-06-56
10月28日18時30~入場無料でピアノリサイタルが開催されるようですね!
11月17日18時30~も入場無料で弦楽四重奏のコンサートが開催されるようです。
素晴らしい、芸大と市民の文化醸成の志し♪

この建物、ちゃんと入場していいか許可貰えば入らせてもらえると思います。
小生はこの日アポなしで訪問しましたが、皆さんン寛容で中の学生達やスタッフらしき人に確認した所、どうぞ中に入って自由に見学して下さい!と言って頂けました~♪
2015-09-02-15-07-13
玄関の石の彫刻…
綺麗ですよね~。
中はさほど広くは無いものの、非常に高い天井で空間はゆったりとした感じに思いました。
2015-09-02-15-07-50
これ玄関入った所。
2015-09-02-15-08-03
天井のフチには渡り廊下的な?中二階的な?回廊的な構造でした。
2015-09-02-15-08-19
当然、天上の漆喰か石の彫刻も施され、当時の人の細やかな仕事を見る事が出来ます。
コレ↓なんか本当、凄いですよね~。
2015-09-02-15-08-26
こんな環境で先人の技術に触れながら美術を学ぶ学生は、本当、幸せでしょうね~。
2015-09-02-15-08-37
ただ気に成る事が…
薄暗くない(笑)?
旧安田銀行横浜支店、まぁ薄暗くても、そのデザインは綺麗でしょう?

旧安田銀行の存在を掻(か)き消している(笑)第二合同庁舎も実は、昔の税務署なんかの建物だったのを下層部分の外観を保存し、中央部分を高層化しています。つまり、こちらも建築遺産の遺構と言う事になりますね。
2015-09-02-15-09-07
更に、この旧安田銀行横浜支店と第二合同庁舎の目の前には、ドラマ「ハケンの品格」でよく篠原涼子さんが撮影していた近代建築遺産の遺構です。
2015-09-02-15-03-09
確か昔の大同生命かなんかのビルだったような…?
第二合同庁舎もこのビルも、横浜市の条例で外観が保護対象に成っている為、横浜市の景観を守ろうとした先代までの歴代横浜市長の共通の文化意識によって、その遺構としての存在価値を以て我々の住む町に文化的な豊かさを残っています。
ありがたい…
この先代までの歴代市長の意識の高さによって、横浜市の中心街の町並みは東京みたいなクソつまらない現代のコンクリートの只の箱みたいなビル群に成り下がらないで済んだ訳です。

横浜市内、こうやって昔の建築職人の仕事を見れる近代西洋建築遺産が残っています。
ですから、もし、中華街や山下公園に行ったら、出来れば町の中を歩いてみて、歩道にある近代建築の説明板を読むと結構、楽しめますよ!
ですから皆さんも関内辺り、西洋建築に注目しながら散歩してみませんか~?

今日はここまで!
出来れば明後日からの京都出張中も更新出来る様に頑張りますが、更新できなかったらすいません!

では!
又、次のブログ記事で!

横浜市中区の日本大通りに、1931年に建築され英国領事館として1972年まで使われ続けた素敵な近代西洋建築遺産が在ります…
2015-08-01-13-55-40
現在は横浜開港資料館と言う名前の博物館 兼 近代資料の図書館に成っています。
横浜市の開港の歴史に関する資料を保存していて市民に公開している場所です。
…公文書館と博物館の中間で近代に特化した感じ?

※ここで注意!※
名前が似ていますが以前紹介した「横浜市開港記念会館」とは違いますよ!
これ↓開港記念会館。開港記念会館の記事は「ココクリック!
2015-08-05-14-53-34
…開港記念館と開港資料館の区別をつけて貰った所で話を「横浜開港資料館」に戻します。
この横浜開港資料館は近代に建てられ近年までイギリス領事館として機能していたので、余り目立たない場所に在りますが建物は素敵です。

これ、以前紹介した県庁旧本庁舎
2015-08-05-14-13-31
そちら側から見た開港資料館の入口。
県庁旧本庁舎の記事は「ココクリック!
2015-08-01-13-55-15
ね?目立たないでしょう(笑)?
でも、この緑豊かな生垣に囲まれた中に入ると、建物は素敵なんですよ。
英国領事館だったから、外から余り中が見えないようにしたのか…
…中から道路の喧騒が見えないように生垣で囲ったのでしょうかねぇ~?
では、入ってみましょう…
2015-08-01-13-55-40
県庁側の入口は、こんな感じですが、実はこちら側は正門ではない様です。
ここは昔は海に面した場所だったので、北東側の海側が正門だったようです。
位置関係はこんな感じ…
横浜開港資料館位置関係
横浜開港資料館の右、北側の「キング」が県庁旧本庁舎。そちら側から見る開港資料館の構造より、明らかに海側から見た開港資料館の方が設計的に「正面」ですよね?
因(ちな)みに、開港資料館の海側の入口はこんな↓感じです。
2015-08-01-14-25-28
海側には資料館として別棟で増築された建物があり、中の素敵な英国領事館時代の眺望を台無し(笑)にしています。
この正面に見える樹木有りますよね?これ「たまくすの木」なんですが…
実はペリー提督が横浜の市名の元に成った、この地に有った「横浜」と言う名の半島に上陸した時から存在している樹です。
横浜港幕末
ね?右側に生えてるでしょう?
この絵を見ると、今は伊勢佐木町(羽衣町)に遷座された洲干弁天神社(現:厳島神社)は元々、この旧英国領事館のタマクスの木の前に在ったんですね~!
羽衣町の弁財天様が横浜半島の上に在ったのは知っていましたが、まさか英国領事館に成っていた場所がそうだったとは知りませんでした。
このタマクスの木、正確には、一度燃えたのですが残った幹から又、枝葉が芽吹き、この様に大樹として元気に往時の姿を取り戻してくれました。
…健気ですね。そして横浜の歴史の生き証人として残ってくれてありがとう!

さてさて、旧英国領事館=開港資料館の建物そのものに話題を戻します。
県庁側から入ると正門じゃないので、すごく素っ気ない廊下が冷たい感じで出迎えてくれます(笑)。
2015-08-01-13-55-54
消火器とかね、全然っ!風情(ふぜい)無いけれど、防火設備は大切よね(笑)。
そんでも、まぁ~中に入って天井とかみると「おっ!」と思う漆喰の彫刻っぽい天井と、何やら権威を感じる様な冷たい光沢のタイルさんで作られた壁で装飾されています。
2015-08-01-13-56-06
この廊下の左手には金属製の銘板がはめ込まれています。
2015-08-01-13-56-19
鶴見区の生麦村で起きた生麦事件から勃発した薩英戦争(薩摩藩島津家vs大英王国)の際に戦死した英国士官だけ弔う為に作られたモニュメントですね…
…これ、日本人だったら英国人日本人の区別なく弔うよね、普通。流石、白人様って感じですかね。
しかも、この生麦事件ね、どう考えても英国側が悪いんですよね。
少し脱線して生麦事件の経緯を辿ってみましょう…
2015-08-01-13-56-31
実は生麦事件、横浜の殿様、間宮家一族も関わっているんですよね~。…なんと被告側で
先ず最初に言っておきたいのは、生麦事件は白人至上主義の当時の英国人が、土人と馬鹿にしていた日本人の社会ルールを無視し、事も有ろうに英国なら貴族に相当する大名の島津家の大行列に平民英国人が騎馬のまま乱入した事に、島津家警護の人間がこれを島津の殿様を守る為に切り殺した事が国際事件化したのが生麦事件の概要です。
それに対し日本人を下に見ていた白人様の英国政府が見くびり幕府に対して賠償金を請求して、それを島津家の責任と突っぱねた徳川幕府の代わりに島津家の本拠地鹿児島を英国軍が海軍で攻撃したと言うのが薩英戦争の概要です。

この事件、主犯(日本側から見たら正当防衛)は間宮一(はじめ)と言います。
実は元は笹下城跡の本丸跡に建つ由緒ある御寺の成就院の身内で、還俗(げんぞく=僧籍から一般人に戻る事)して間宮家に養子に入った人物です。
因みに成就院↓の山門は、江戸時代の笹下間宮家の屋敷から移築したものです。
2014-09-11-14-09-53
事件の際、当然、この横浜市(旧久良岐郡と橘樹郡)を通過する大名を地元の人間が警護するのは参勤交代でも定められている規則ですからね、当然、川崎市や横浜市に領地の有る在地武士の間宮一族から誰か出て行くでしょう、農民と一緒に。
実は、この事件、発生直後、島津家と徳川家で言い合わせて幕臣の間宮一と別のダミー犯人を仕立てあげ英国人殺害犯として処刑して事件を片づけた「つもり」でいました。
…別に、英国なら貴族に相当する薩摩藩の大名の行列に騎乗したまま突っ込んだ英国人が悪いんだから、下に出ず堂々とその問題を突き付けて抗弁すれば良かったと思うんですがね。
でも、当時の幕府は国際問題に敏感な時期に事を荒立てずに処理したかったんでしょうね…
本当!日本人って外交下手糞(ヘタクソ)ですね。
海外で一般人としての生活経験の無い、日本しか知らない育ちの良いボンボンに外交なんか出来る訳が無い(笑)。
中国や韓国じゃ、買い物する時に商売人の言値を飲むのは阿呆の極み、言われた金額の半値じゃないと買わないと言って交渉始めるのが通常ですからね(留学と仕事の実体験)。
契約書交わしたって、インボイスと全く違う物勝手に送りつけて来るのが外国人なのに。
中国韓国に限らず、欧米でも海外では訴訟や交渉で妥協したら「被告確定/負け」なんですがね。
日本の常識なんて日本国内でしか役に立たないっつぅ~の!
…今の外務省も本当に朝鮮韓国中国との外交で同じ失敗繰り返してますけれどね(笑)。
…で、時間が経過するにつれて間宮一が真犯人じゃないかと、段々、解ってきてしまう訳です。
そこで、間宮一は「急進的な攘夷主義(じょうい主義=外国人排斥主義)者」を演じて自首し、徳川幕府の参勤交代制度と関係の無いテロの単独犯として名乗り出ました。
そして幕府役人は英国の介入が有る前に間宮一を打ち首にして事の解決を計りました。
しかし!
この幕府と間宮サンの打開策はまだまだ甘かった!
当時の大英帝国は白人至上主義で中国に阿片(あへん=麻薬)を大量に流通させて社会混乱を起こし中国王朝転覆を計っていたような国だったので、日本の徳川政府の迅速な「打開策」にも難癖付けて払う必要の無い賠償金を請求して来た訳です。
そして徳川幕府が賠償金を払わないと解るや、英国内の世論を納得させる為に八つ当たり的に起こしたのが薩英戦争だった訳です。
結果どうなったでしょうかね~?
英国に負けた薩摩藩、この後は今の横浜市中区本牧に在る妙香寺の敷地に駐屯していた英国軍に入りびたり、様々な技術を導入するように成りました・・・つまり、事実上の従属同盟ですよ。
まぁ、しかし…
この薩摩人達の学習能力の高さや、幕府や間宮家の対応が他のアジアより素早く意識の高いものだったので英国人の日本人に対する評価はこの事件後一変し、一貫して日本新政府には「"超"が付く位に協力的」に成ります。
そして対馬海戦での東郷元帥率いる連合艦隊がロシア帝国バルチック艦隊と対決するに当たり、英国政府は世界に日本軍に協力する様にロビー活動をし、ロシア海軍がアフリカ喜望峰を回って日本の対馬海峡に辿りつくまで、バルチック艦隊にろくな補給を出来ない様に政治工作をして多数の港湾を封鎖し東郷元帥と秋山中佐の丁字戦法成功の切っ掛けを演出して下さったのも友好的な歴史事実でもあります。
ちなみに間宮一族には杉田玄白や間宮林蔵なんて国際人がいるので、どちらかと言えば開明的な要素が強い家系だったってのも真相です。
戦国時代に間宮家の属した玉縄城主北条綱成公の部隊は既に鉄砲隊が存在していたのも、「三増峠の戦い」でも記録されていますからね~。
…間宮家は、どちらかと言えば主君に対する忠誠心は強いけれど、新技術導入には積極的な家風と言うのが実態ですかね。
おっと!
脱線が過ぎましたかね。
開港資料館に話を戻します…
2015-08-01-13-56-53
廊下を過ぎると、簡単な説明の有る部屋に行き当たります。
そこには関東大震災で犠牲に成った英国人を追悼する銘板が有ります。
2015-08-01-13-57-06
あと、当時の横浜の様子を再現したレリーフ状の模型。
2015-08-01-13-57-30
その部屋を出ると、直ぐに中庭への出口が有ります。
2015-08-01-13-58-19
その中庭に通じる出入口、この日、玄関には特別展示の内容の看板が有りました。 
2015-08-01-13-58-41
本来の英国領事館時代の玄関からの風景なんですが… 
2015-08-01-13-58-35
玄関の正面に樹が見えますよね? 
これが、ペリー提督の来航時代から有った、さっき紹介したタマクスの木です。
2015-08-01-13-58-58
一度燃えたけれど、今では当時と同じ大きさに…
2015-08-01-13-59-50
横浜の開港~国際港湾都市への文明開化~関東大震災~原財閥による横浜復興支援~太平洋戦争の横浜大空襲~昭和の復興~高度経済成長期~バブル崩壊~現在…ずっと横浜の歴史を見守って来てくれた、横浜市民の仲間でもある樹木です。
2015-08-01-13-59-15
玄関横の石柱。…道路に面してないから今じゃ意味なし(笑)。
さて、このタマクスの生えている中庭には、横浜の開港の歴史が解り易いモニュメントが設置されています。
2015-08-01-14-00-22
2015-08-01-14-00-34
2015-08-01-14-00-40

2015-08-01-14-04-56
2015-08-01-14-05-13
2015-08-01-14-05-24
これを見ると、横浜開港の歴史の基礎の基礎の部分がザックリ理解出来ますよ~。
中庭には、昭和初期から残る共用水道も有ります。
2015-08-01-14-05-44
当時の水道は共用だったらしいのですが、デザインが格好良いですね!
2015-08-01-14-05-32
この中庭が昔の玄関口だったので、こちら側から見た英国領事館の建物の装飾の方が、県庁側より綺麗です。
ここにはベンチも有り自由に出入り出来るので、お弁当持ってきてココで食べるのも良いです。
2015-08-01-14-04-43
ここなら日陰もありますからね~。
この日も観光客や読書に来たハマっ子がベンチに数人居ましたが…結構穴場で人は多くはいません。
おちついて御弁当箱を広げれますよ~(笑)。
でも、せっかく港に来たんだから向かいの象の鼻パークや国際客船ターミナルの芝生で食べるのも良いですね♪
2015-08-01-14-26-23
この開港資料館の目の前、海側にはCJ Cafeと言う、アメリカンなカフェレストランが有ります。
2015-08-01-14-26-46
…オムライスとかもアメリカンサイズで女性だと食べ残しちゃうくらいの量ですが、太平洋戦争後の米軍占領時代っぽい雰囲気を味わえると思います。
小生はこの近くのJack cafeにも良く行きます。 2015-08-01-14-31-52
ここはハンバーガーが絶品!
2015-08-01-14-55-21
ランチに御勧めですが、料理が美味しいだけでなく御酒も飲めるので夜来るのもお薦めです!大桟橋の夜景も綺麗ですしね。夜景散歩に来てからここで食事するのも良いですよ。
また、Jack cafeの記事は別個に書きますね!
あと、古き良きアメリカ的な雰囲気を味わいたい時はだいたい、中華街の中のWind Jammerと言うJazz Barに行きます。
※Wind jamerは以前、記事にしていると思うので興味ある方はカテゴリー「Hotel Restaurant/Restaurant-Bar/Jazz-Bar/Bar 」←ここクリック!
…又、開港資料館からすんごい脱線しましたが、話を戻します。
本来の玄関、彫刻が凄いでしょう!
2015-08-01-13-59-24
これ見に来る価値有りますよ。
この凄い彫刻の玄関の前のタマクスの中庭で、ベンチのある日陰を探して、そこで読書して時間を過ごすだけでも良い休日に成りますね。

最後に、この開港資料館が英国領事館だった頃の、この前に広がる横浜港の風景を現代と比較した画像を載せます。
横浜港今と昔
写真は県庁(KING)の屋上から撮影したものです。
右の森が開港資料館=旧英国領事館です。
昔の写真とほぼ、同じ位置。
昔の写真の方は、今は象の鼻パークに成ってる辺りに在った「神奈川運上所」か、CJ Cafeなんかが入居している当時から有る煉瓦造りのビルの屋上から撮影した物と思われますね。
開港資料館の展示を観覧して、横浜の発展の歴史の基礎知識を付けてから中華街や山下公園や山手地区の一帯を散歩すると、感慨深い物が有ると思いますよ~♪
皆さん、近くを通りかかって時間が有ったら、是非!開港資料館、立ち寄ってみて下さい!

では!又、次の記事で!
来月10月1日~5日は彦根、安土、京都に行ってるので第1週は更新できないかも知れないです。
今月、時間が有ればまとめて書き溜めしておいて、予約投稿出来る様にしておきますね~!

ブログネタ
リフォーム に参加中!

家を建てる時やリフォームする時に個人では出来ない規模の建築物と言うのがありまして…
ビルでも無い、それは文明開化の明治時代~昭和初期に建てられた横浜や神戸の近代建築遺産群の様な美しい洋風の塔を持つ建築物です。
そして、恐らく関東地方で最も美しい外観を持つのが横浜市中区の「JACK」の愛称で呼ばれる横浜市開港記念会館です。
2015-08-05-14-54-15
この「横浜市開港記念会館」は、大正15年、前政権の江戸幕府大老で旧彦根藩主井伊直弼公により横浜が開港されてから50周年に、新都市「横浜」に参集し日本武尊の開拓したこの土地に鎌倉武士の気概を持ちながら新たな西洋文化の息吹を積極的に取り入れようとする横浜市民の強い郷土愛の寄付金に由(よ)って建てられた記念講堂です。

前回の「KING」こと旧県庁本庁舎の記事でも横浜の三塔伝説を紹介しましたが、この横浜市開港記念会館「JACK」に横浜税関のQUEENを含めた3つの塔を持つ近代西洋建築を横浜港の船上から同時に見る事が出来る位置に船が停泊出来れば、見た人に幸運が訪れると言う伝承です。
横浜三塔
これが3塔の位置関係図。
横浜山下地区:3塔位置関係
…で
横浜三塔と周辺位置関係
…海からの位置関係はこんな感じ。
さて今回は、このJACKを紹介します。
2015-08-05-14-55-08
横浜市開港記念会館の前には近代西洋建築遺産群の一つなので、建物前の歩道には当然、この説明銘板が在りますので散歩や通勤中に気が付いたら、是非!足を止めて読んでみて下さい。

このJACKは本当に美しい近代西洋建築なんです。
外観の美しさも然(さ)ることながら…
2015-08-05-14-54-53
…内装の美しさもずば抜けています。
2015-08-05-14-55-36
入口入ると正面に大講堂の扉。
この日は講堂内は県教育委員会による教科書採択会議を開催中で撮影不可能でした。
しかし、天井を支える石柱の彫刻の美しさは見て取れると思います。

このJACKが他の西洋建築と比較して、特に異なる造りは協会の様なガラス窓からの採光を美しく見せる工夫がなされている点です。
2015-08-05-14-56-21
2Fに上がる階段の何気ない鉄格子も、武骨な物ではなく美しくデザインされています。
2Fに上がった瞬間にも建物の造りこみに「凄い!」と思う人は少なくないと思います…
2015-08-05-14-57-17
本当に綺麗でしょう~♫
1Fと2Fを繋ぐ階段を2Fのフロア側から…
2015-08-05-15-03-47
美しいでしょう~?
しかし「まだまだ感動するには早い!」んですよ~♪
なんと2Fには大型ステンドグラスが2枚有ります。
2015-08-05-14-58-16
それが教会の様な雰囲気を演出してくれます。
それと同時に、幕末から一気に近代化を成し遂げた明治~大正時代の人々の美的意識の高さにも驚きを感じますよね~。
2015-08-05-14-58-28
本当、鉄格子ですら素敵なデザインです。
JACKの時計塔にも登ってみたいのですが…
2015-08-05-14-58-45
残念ながら時計塔の螺旋階段は進入禁止で上に登る事は出来ません。
ここを奥に進む通路には、このJACKの建築模型や説明展示物が有るのですが…
2015-08-05-14-59-33
…展示物より、この廊下その物の空間の雰囲気と建築の美しさに見惚れてしまいます。
まぁ、展示されているものも少し…
2015-08-05-15-03-04
この様に中区日本大通り周辺の近代西洋建築の説明文なんかもあり、一応読んでおくと他にも行ってみたい建物が見るかるかも知れませんし、何気なく前を通り掛かった時に「ここがアレ~!」なんて町に対する理解が深まって楽しいかとは思います。
このスペースを過ぎると、いくつか部屋が有ります。
2015-08-05-15-03-41
貸し会議室としても利用出来ます。
なので、大切なお客様を迎えての会議、ここでやって昼食は周りのオシャレな老舗ホテルのランチを食べに行ったり海辺のカフェでコーヒー飲んで一服すると、良いアイディアが思い浮かんだり生産性の高い打ち合わせの時間に成るかも知れませんよ?
2015-08-05-15-04-16
いくつかの部屋を繋げる通路も全てレトロで高級感が有りながら落ち着いた雰囲気で素敵です。
2015-08-05-15-04-32
少し、公開されている元貴賓室の中を見て見ましょう…
2015-08-05-15-05-39
部屋は八角形…
大きくは無いですがシックで高級感がありながら、現代の下品な成金趣味とは異なり、質実に美しさを兼ね備えています。
天井は…
2015-08-05-15-06-09
現在は特に彫刻は有りません。しかし、これは修復された際に簡略化されたもので、開館当初は天井には彫刻がされていました。
写真が残っています。
2015-08-05-15-06-03
鳳凰のデザインですね。
日本風の意匠を上手く西洋建築と融合させていたんですね~。
昔の人って芸術的な感性が優れていたんですね。
現代の建築デザイナーは訳のわからない品の無いコネクリ回した奇抜な汚い建物を造りたがるので、この時代の建築物の美しさを少しは見習って欲しいです。
東京オリンピックの競技場、いっその事、大正時代の近代西洋建築ぽいデザインとか逆に奇抜で格好良いんじゃないのかな?
一応、貴賓室の説明も。
2015-08-05-15-05-49
貴賓室の窓の夕日の光が、黒光りする机に反射してなんだか…
2015-08-05-15-06-29
…当時の正装をした紳士達の幻影が見えそうな雰囲気でした。
さて!
近くの階段には日本に対する米国大統領の開国要求の親書を持参したペリー提督の旗艦:ポーハタン号を描いたステンドグラスが有ります。
2015-08-05-15-04-59
2015-08-05-15-04-50
こちらも綺麗ですが、神々しさの有るステンドグラスでは無く、近代横浜の発展のきっかけに成った歴史を伝える為のモニュメントとしての存在意義を強く持っていますね。

他にも、何気ない壁のデザインや…
2015-08-05-15-11-14
天井の灯り…
2015-08-05-15-08-06
全てのデザインが、周辺の近代西洋建築の中で特に優れていると思います。

中庭は殺風景ですけれどね(笑)。
2015-08-05-15-07-01
当時は中庭にベンチが有って、職員がお弁当食べたりしたんでしょうかね~?

如何でしたか「JACK」こと横浜市開港記念会館?
美しい建物だったでしょう?
誰でも入って見学出来るので、近くの中華街や、老舗のニューグランドホテルや、小生御勧めのJack Cafeでランチする時は是非!ここに立ち寄って見て下さい!
近所のKINGこと県庁旧本庁舎屋上や、大桟橋:国際客船ターミナルからの風景もお薦めですよ!
全部、過去に記事に書いて有るので是非!御覧下さい!
カテゴリー「風景の綺麗なスポット/映画・ドラマのロケ地 クリック!
カテゴリー「Hotel Restaurant/Restaurant-Bar/Jazz-Bar/Bar クリック!
カテゴリー「中華料理店 クリック!
カテゴリー「近代西洋の建築・文化・鉄道の史跡/文化財 クリック!

では!又、次の記事で!

HERO
映画版HEROの8年ぶりの新作が現在公開中ですね。
※公式ホームページは「ココ 」←クリック!
実は、このHEROは映画とドラマを通じて神奈川県を多くロケ地として使っています。
特に横浜市中区は群を抜いて多くの撮影がされている様です。
横浜市は幕末に神戸と並び逸早く開港された町なので、この様な明治~昭和初期の近代西洋建築遺産が沢山残っています。 
例えば、この建物も…

三井住友銀行として今も使われています。
仮に耐久性に問題があり立て直す際も、必ず建物の外観をそのまま残し保全されます。
明治時代の横浜市長~先代の市長まで、こうやって先人の目指した国際都市に相応しい美観を備えた都市計画を目指して来た御蔭で、関内地区にはオシャレな西洋建築が今も博物館に姿を変えたり、そのまま多く活用されています。

代表格が、前回のブログでも紹介したKing Jack Queenの三か所です。
その内の一つが神奈川県庁旧庁舎でもある訳ですが…
2015-08-01-13-52-51 
実はここ、県庁旧本庁舎の在る場所は幕末、ペリー提督が上陸した場所の歴史的な場所でもあります。
つまり、幕末の徳川幕府大老、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼(なおすけ)公による横浜開港の歴史史跡でもある訳です。
2015-08-01-13-53-17
因みに、この道標の様な説明銘板が中区の近代西洋建築遺産の前には必ず建っているので、御散歩する人は是非!見逃さずに読んで下さいね~!
きっと普通の観光や通勤中でも、読んで見れば思いがけない先人と自分とのタイムトンネルの様な小さな発見をさせてくれると思いますよ~♫

さて、この県庁旧庁舎、平日に一般公開されています。
小生は週休2日の内、一日の定休が平日の仕事なので拝観出来ました。無論、無料です!!
勿論!神奈川県民以外も無料です!神奈川県民太っ腹でしょ!
…東京都庁の展望台も無料だって?
この手の場所は、概(おおむ)ね無料ですよね(笑)。

KINGは、とにかく内装の石材彫刻や煉瓦のデザインが素敵で豪華なんですよ…
2015-08-05-14-14-31
なんか変なのがいますね(笑)。
コイツ、神奈川県のユルキャラです。
2015-08-05-14-14-51
微妙でしょ(笑)?
実は童話の金太郎は実在した人物で神奈川県出身の平安時代の歴史偉人で武将です。
その名も坂田金時(さかたのきんとき)公です。
摂津源氏の大将の源頼光(みなもとのよりみつ)公の与力(よりき=組織上の部下)として大江山の鬼退治で活躍した伝承の残る豪勇の名将でした。
金太郎サンて神奈川県下足柄群箱根町の金時山に住んでいた歴史人物なんですよ~。
坂田金時の出身地だから「金時山」なんですね~。
因みに息子さんの「坂田金平」さんは料理の「きんぴらごぼう」の名前の由来になったりしたそうですよ。

こんなユルキャラは放っておいて(笑)…
この入口を入ると、西洋貴族の御城みたいな玄関ホールが在ります。
2015-08-05-14-15-07
画面暗くて見づらいですかね~?
この写真だと分かりづらいですが、正面階段の手すりにも立派な彫刻が有ります。
2015-08-05-14-21-52
これ、遠目に何か解らなかったのですが、すぐ下を見ると「装飾灯」と書いてありました。
2015-08-05-14-21-49
少し暗めの照明の中で、この装飾灯は映(は)えるでしょうね~。
2015-08-05-14-21-41
階段の手すりの石材も何だか高級感たっぷりでしょう?

逆に玄関ホールから外を見た方が造りの立派さが解るかも…
2015-08-05-14-17-22
携帯の写真だとこれが限界、すいません。
2015-08-05-14-16-26
もう、なんか半ば美術館状態ですね。
このホールには周辺地図や建物の外観が解る模型も展示されています。
2015-08-05-14-15-48
2015-08-05-14-15-53
で…
実はこの場所も、ドラマの撮影が行われた場所なんです。
2015-08-05-14-16-01
この玄関上品だけれど貴族チックだから華麗なる一族にピッタリ過ぎですもんね。
そのすぐ横の各部署のオフィスが並ぶ回廊も…
2015-08-05-14-16-10
別のドラマのロケ地でした。
2015-08-05-14-16-18
深田恭子サン、御綺麗なまま劣化しませんね~。
…年齢そんな変わらないはずなんですが。
根本的に素材が違うから比較するのがおかしいか(笑)。

さて…
最近、マスコミが何故か箱根だけをターゲットにして火山の件で風評被害をまき散らしていますが、神奈川県は必死に箱根をサポートしています。
2015-08-05-14-18-01
不思議ですよね~?
馬鹿マスコミ、なんで箱根より危険な鹿児島や熊本、北海道の火山群についてはあんまり報道しなかったり噴火しても観光に被害が及ばない様な報道の仕方をするんですかね~?
箱根は左派系某チャンネルの「アイツ」とか「アイツ」とか有名レポーターやアナウンサーが、箱根の観光産業を意図的に潰す様な報道をして風評被害まき散らしまくりましたよね~?
警戒度「2」の時から普段から「3」の鹿児島県の観光資源化している某火山には全く触れず!
これって、箱根温泉に押し寄せる中国人観光客を、箱根や日本から奪い取りたい某国に近しいTV局に、風評被害まき散らす報道が多かったのは偶然なんですかね~(笑)?
まぁ~いいや。
箱根は安全ですよ~!状態も安定しています。現在のLVですら鹿児島の桜島なんかと同じレベルですよ!
安心して箱根温泉に泊まりに来て下さいね~♫
あと、縄文時代からの聖地、伊勢原市大山も観光地としてプッシュしているのと、今年は大山ケーブルが列車交換で10月01日まで運休なので必死にフォローしています。
2015-08-05-14-30-06
うん!素晴らしい!
※大山観光に関しては大山ケーブル公式ココ 」←クリック!
※大山阿夫利神社の灯篭祭りと名物豆腐懐石はココ 」と「ココ 」←クリック!

さてさて、県庁に話を戻します。
2015-08-05-14-18-40
この回廊を進むと別の出入口があるのですが、そこもロケ地です。
2015-08-05-14-18-33
うん。何か雰囲気在りますよね。
2015-08-05-14-18-56
この入口の前には、昭和初期のエレベーターが…
2015-08-05-14-19-14
昭和世代のハマっ子には懐かしいですよね~!
昔は横浜駅西口の高島屋とか、伊勢佐木町の有隣堂とか、昭和後期世代が子供の頃はまだまだエレベーターガールがいて、こういうレトロなエレベーターで接客してくれましたよね!
もう高校以来有隣堂にも高級文房具をなけなしの貯金で買いに行って以来、暫く行ってないな~。
こんど有隣堂にも行ってみよう。有隣堂は良く歴史関係の展示もしています。
小生はもっぱら博物館や公文書館や市庁舎の資料を読み漁る方なので、余り新しい小説とか買わないんですが、有隣堂にはコアな郷土史の本なんかも売っています。
小生も神奈川県史の1万数千円の本を持っていますが、コアな本が有ります。文具館も文具の品ぞろえはデパート以上。

さて…

階段を登ってみましょう。
2015-08-05-14-21-58
階段の途中にも何ぞ有名な画家さんの絵が有りました。
小生、幼少期に彫刻と絵画も習っていたのに、西洋風の絵画には余り興味が無いのでスルーしてしまいました。
2Fに登ると…
2015-08-05-14-22-17
2Fの装飾、すんごい素敵でしょう!
小生、この見事さに感動しました。
2015-08-05-14-23-18
2Fのこのタイル?煉瓦?凄く素敵ですよね~!
そして神奈川県庁には「宝相華」の彫刻やレリーフが沢山あしらわれています。
2015-08-05-14-22-50
1Fの装飾灯の説明文に有りましたが、これ、極楽浄土に咲く花らしいですね。
小生は人生思う様に行きませんが人間界の方が好きですし、すでに神仏に成られた先人達にアノ世で御会いするより、この世で先人の偉業を体感したり人の役に何か立ったり出来る様になる方が極楽に行くより嬉しいです。

まぁ~小者の小生の事なんてどうでもいいや!
2015-08-05-14-23-51
これも2Fです。
もう本当素敵ですよね~。余り見た事の無い内装です。他の横浜の近代西洋建築遺産も素敵なのですが、このKINGは独特の様相を呈しています。古っぽいのにテカテカな感じ(笑)?
3Fに行くと…
2015-08-05-14-25-32
大会議場とか、比較的重要な部屋が在ります。
2015-08-05-14-29-16
2015-08-05-14-29-24
勿論、この回にも美術品が展示されています。
2015-08-05-14-28-42
う~ん。
綺麗だけれど、凄いのも何となく解るけれど、やっぱり西洋絵画に興味が湧かない。
2015-08-05-14-26-02
この階にも例のレトロなエレベーターが当然あります。
4Fは…
2015-08-05-14-34-28
宝相華のレリーフ。
資料室。
2015-08-05-14-34-44
ダクトが通っているのは、旧式の除湿器でしょうか?
文書類はちゃんと湿度管理しないと直ぐにカビやダニが湧いて破損して使い物に成らなくなってしまうんですよ。
ですから歴史文献の古書もちゃんと湿度管理して保管しないといけないのですが…
神奈川県には金沢文庫博物館と言う、鎌倉時代の文化を引き継ぐ素晴らしい博物館が有るのですが、そこの古文書を管理する部屋のエアコンの予算を「神奈川県教育委員会がケチって出さなかったせいで貴重な古文書がカビて腐食してしまった」事件が昨年発生しています。
※県教育委員会の怠慢による金沢文庫の古文書腐食の記事は「ココ 」←クリック!

4Fはエレベーターの様子が少し違う…
2015-08-05-14-30-54
この4Fは、このKINGが本庁舎だった時代に中枢を担った上級管理職や知事の部屋が在ります。
2015-08-05-14-31-27
ボヤケちゃった(笑)。
で、新庁舎との連絡橋も。
2015-08-05-14-35-56
この階を上がれば残すは屋上に繋がるKINGの塔部分。
2015-08-05-14-36-42
その塔の中には、このKINGの設計や建設に関する歴史資料展示が常設されていて誰でも見学出来ます。
2015-08-05-14-38-16
2015-08-05-14-38-29
2015-08-05-14-38-51
2015-08-05-14-39-16
2015-08-05-14-41-00
2015-08-05-14-44-20
ここを見れば、周辺の西洋建築群の事や同時代の他県の建物の事も知る事が出来ます。
県民やハマっ子ならずとも一見の価値は有ります。
残念ながら塔の上部には登れません。
2015-08-05-14-38-51
しかし、屋上の展望デッキは無料でいつも公開されていて、横浜港の絶景が一望できますよ~!
2015-08-05-14-47-38
左手にQueenが見えますね。
右手には…
2015-08-05-14-47-09
緑に囲まれているのが旧イギリス公使館、ビルの合い間には団塊世代のデートスポット(笑)だった灯台のマリンタワーが見えますね。
今ではマリンタワーはオシャレなカフェレストランが営業していて、よく結婚式かなんかをやってます。
後ろ側は横浜スタジアムが…見えませんね。
2015-08-05-14-46-48
正面は絶景!
2015-08-05-14-49-24
国際客船ターミナルと横浜ベイブリッジが見えます!
2015-08-05-14-49-30
そして手前側には、昔の蒸気機関車の線路を改修造られた遊歩道と、真ん中には幕末~明治期に作られた外国貨物の荷卸しに使われた波止場史跡の「象の鼻」が見えていますね~。

素敵な所でしょう?
この日本大通り界隈や山手地区は本当に素敵な建物と風景が多いんです。
せっかく横浜、神奈川に住んでいるなら、皆さん、文明開化の素敵な西洋建築群を散歩してみませんか?
きっと恋人同士のデートや小中学生の学習に成るだけでなく、当時の先人達のオシャレさを身近に感じる良い機会に成ると思いますよ!
周辺には素敵な洋食レストランやJazz Barや中華街も有りますしね~♫
カテゴリーの「綺麗な風景」か「レストラン」のジャンルで、そこら辺の事も少し紹介してます。

では!又、次の記事で、お会いしましょう!















皆さん、横浜の三塔ってご存知でしょうか~?
幕末~昭和初期の横浜市の旧中心街の日本大通りに、KingとQueenとJackと呼ばれる江戸幕府が終了し文明開化を迎えた頃に建てられた美しい近代西洋建築遺産があります。

本当は今回の記事で、公開中の映画「HERO」のロケ地にも成っている神奈川県庁旧庁舎に特化した記事を書くつもりだったのですが…
その前に、この地域の近代西洋建築と発展の歴史を写真と衛星写真で軽く解説させて頂く事にしました。
じゃないと、何で西洋建築をブログで取り扱うか意味も解らないと思うので。

冒頭で述べた「横浜三塔」と言うのは、実は横浜発展の歴史とも関係が有るんです。
では、まず、三塔の外観の写真を御覧下さい…

KING
2015-08-01-13-52-46
キングは神奈川県の旧庁舎の塔の事。

QUEEN
2015-08-01-14-30-35
クイーンは横浜税関の塔の事。
JACK
2015-08-05-14-53-34
ジャックは横浜開港記念館の事です。
横浜三塔
別角度でもGoogle Earthの3D地図で位置関係を見て見ましょう。
横浜山下地区:3塔位置関係
すべて幕末から文明開化を迎えて建設された近代西洋建築ですが、昔、海外から来日する国際航路の船舶の乗船者が船上から、この3塔を同時に見られたら幸運に成れると言われたそうです。
美しい建築遺産ですね。

実は、この3塔の前に今は山下公園や象の鼻パークが在りますが…
キングこと県庁旧庁舎の辺りは昔は今の横浜市の市名の由来に成った半島があり、その半島は海側から見ると本当に横に長い浜だったそうです。
ペリー提督
そこにアメリカのペリー提督が上陸し、その際、米国艦隊の海兵軍楽隊が演奏する吹奏楽を聞いたのが日本人が初めて西洋の音楽に触れた瞬間でした。
これを契機に日本と西洋諸国の間で通商条約が結ばれ、江戸幕府が国際船舶の貨物の荷揚げ積み下ろしの為に作った波止場が象の鼻パークでした。
ですので、現在も国際航路客船が停泊する「大桟橋」こと国際客船ターミナルが、象の鼻パークの前に建設された訳です。

では、三塔と象の鼻パーク周辺の位置関係を見て見ましょう。
横浜三塔と周辺位置関係
横浜市の都市設計は、今の林市長以前は海から来る外国の客船に綺麗に見える様に設計されていたと言うのは割かし有名な話で、明治時代から先代市長まで歴代市長が景観を大切に都市を創造されてこられました。
ので、大桟橋から見ると、正面に横浜スタジアムが見え… 横浜三塔と山下公園
右手には「赤レンガ倉庫」の立ち並ぶ旧新港埠頭やランドマークタワーとクイーンズスクエアが立ち並び夜景を彩るミナト未来地区…
横浜山下地区:大桟橋
左手には関東大震災以降に、市民の退避場と海浜公園の機能を兼ね備えて造られた「山下公園」や「みなとの見える丘公園」のあるオシャレな山手地区への海岸が在ります。

次回、HEROの公開中と言う事もあるので、HEROや華麗なる一族等のロケ地である、神奈川県庁内の写真を掲載したブログを書きますが、実は神奈川県庁、一般公開されています(ただし平日に限る)。
で、屋上のキングもすぐ目の前で見れますし、横浜市民も余り知らないのですが屋上からの横浜港の絶景を眺める事も出来ます。
2015-08-05-14-49-07
この県庁旧庁舎屋上からの写真、象の鼻(メリケン波止場史跡)の手前の方に左右に横切る陸橋の遊歩道が見えませんか?
実は、この遊歩道、昭和末期まで活用されていた鉄道輸送網の一部で、西郷さんや伊藤博文公が乗車した新橋~初代横浜駅(現:桜木町駅)を走ったSL(蒸気機関車)の路線を新港埠頭の赤レンガ倉庫へ延伸し、更に後に建設された新山下埠頭や本牧埠頭にも延伸されたその路線の線路の跡なんです。
ですので、小生が子供の頃この遊歩道にまだ線路が通っていて、開港記念日には記念にSLが走ったりしていました。

この地域、幕末に逸早く開かれた関内(かんない:関所の内側の外国人居留地)だったので、県庁の目の前には又じずれ別記事で詳しく書きますが、旧イギリス大使館の横浜開港資料館も在ったりします。
image
この他にも沢山の近代西洋建築遺産があります。
いずれ順番に紹介しますね!沢山写真は撮り溜めてありますがか♫
なんで日本大通り周辺にこの様に近代西洋建築が密集しているかは、先程ちょっと触れましたが、横浜の地名の由来に成った半島が有ったので、その地盤がちゃんとした半島の上や山手地区から先に開発が進み、その後で埋め立て地である関内は旧吉田新田方面が発展していったんです。

実は地形を見ると、昔、この辺りが半島だった名残りが解ります。
それは横浜中華街に有る特徴で解るんです。
横浜の地名由来説明
横浜中華街だけ、他の道と違って斜めに町が設計されていますよね?
実は、この画像で赤い範囲で囲った辺りが、おおよそ横浜とも弁天半島とも呼ばれた半島だった場所なんです。
中華街が斜めに成ってしまったのは、最初に山手の丘の麓の、今の元町商店街がある海岸と半島の付け根に当たる部分から埋め立て始めたから、その様に斜めに道路が設置されてしまったんですね。
元々は町では無く、海を干拓し水田にする予定だったので、その畦道(あぜみち)の名残なんです。

さて、そんな訳で、この地区は日本の中でも兵庫県神戸市と並んで逸早く文明開化を迎えたので、沢山の西洋建築や文化の発祥地に成っている訳です。
数回前のブログ記事で紹介した「かをり」と言う老舗洋菓子店の話で少し触れましたが、この地域が西洋文化の日本発祥地に成った物は本当に多くて…
※「かをり」の記事はカテゴリー「スイーツ」から探してください!
●国家「君が代」
●鉄道
●電話事業
●西洋式ホテル事業
●吹奏楽
●テニス
●石鹸
●西洋野菜(現在一般的に売られているニンジンやキャベツやネギなどは西洋種で神奈川奉行が幕命で栽培)
●アイスクリーム
…他にも腐る程あるのですが、小生、不勉強なので余り知りません。又、機会が有ったら調べて見ます。

さて、次回からは、今回の記事を契機に、この地域の近代西洋建築遺産を順々に紹介しますね!
まずはHEROのロケ地のキングの内部の写真を次回の記事で沢山載せるので、また御覧頂ければ幸いです。

↑このページのトップヘ