横浜市港南区野庭と言う場所は、昔は鎌倉郡域だった場所で、そこを開拓したのは千葉家傍流の臼居と言う一族だった。
元は千葉家の分家で印旛郡臼井城主を祖先に持つが、千葉家臣の原家に城を乗っ取られた頃に臼居一族は野庭に移住し、小田原の北条家に臣従した。
その頃に臼居家が建てた神社が今も在って、‟カテゴリー神社”で“野庭神社”の記事として少し書いた野庭蔵王権現御嶽社だ。
野庭の臼居初代は杢右衛門と言うが、この杢右衛門さんの奥さんが東急東横線日吉駅辺りの殿様の中田加賀守の御姫様で、先日、この中田加賀守の事を纏めた論文を目にする機会が有ったので、コピーを臼居家の子孫の“cafeこやぎ”の御店主の所に持って行ってあげた。
29日土曜日は、そんな訳で午前中は家でうだうだし昼からは野庭に行った…
こやぎでは論文のコピーを持って行くと喜んで下さり、暖かい麦茶を1杯頂いてから、近くの野庭神社と浄念寺を御参りした。
最初に野庭神社(蔵王権現御嶽社)を参拝し、前回訪問は夕方だったので改めて明るい時間の写真を撮り直した。
旧鎌倉郡の神社なので、丘の多い地域の谷間に御社があり、石段の腐食具合も鎌倉のソレに似ていて趣が有る。
小さな御社だけど、瓦葺で江戸時代の当地への遷座再建とも造りには歴史と整合性が有る。
神社仏閣や偉人の御廟所で祈願する事は決まっている。
神社仏閣と歴史史跡の保護で少しでも世間様の御役にたてれます様に、そして出来れば人として普通の幸せも経験できます様に、国籍人種問わず世界中の親日家の民草が平穏に無事に過ごせます様に、いつも神様仏様に御参りする。
野庭神社で臼居杢右衛門サンにも御参りしてから、臼居家が建てた浄念寺に移動した。
ここは正式には蔵王山正定院浄念寺と言う。
野庭神社から直ぐ近くに在るのだが、まだ写真撮影に来た事が無かったので御参りしに行って見た。
階段を上ると左手に本堂とは別の御堂が在る。
そして階段の正面が本堂。
谷間の目只ない場所に在るが、流石に在郷武士の建てた御寺だけあり規模は小さくない。
御住職様がたまたま法要後は御手隙だったとの事で今日は色々と御親切に臼居家の事や初代御住職と鎌倉光明寺との関係を御教授頂いた。光栄な事に臼居家の家譜が記された原本写しも見せて頂く事が出来た。
ひとしきり御住職様と話し込んだ後に周辺の谷間を散策して一度帰宅し、今度は小机城址に移動した。
夕方17時半から小机城址で竹灯籠祭りが開催されるので、それを見る為だった。
先日、母が大病を患い、もっと多くの時間を一緒に過ごさないといけないなと思い、母にもこの風景を見せてあげたくて一緒に行くか聞いてみいた所、興味を示したので例年は友人を誘うのだが、今回初めて家族を連れて来た。
受付を開始した頃に少し雨が降り始めたが「ポツリ」・・・又「ポツリ」と言う程度だったので祭りも中止にはならなかった。
竹の灯篭が城の切岸や空堀の壁面に生えた竹を綺麗に浮かび上がらせる・・・
雨天に成ったが人の足は少なくなく、逆に今年は天候を危惧して入場者の誘導道を捕捉していた分、渋滞してしまったようだ。
今年は前日の雨天のせいで灯篭の準備も例年より少ないが、見せ方をカラフルにしており綺麗だった。
この行事に毎年参加している城郷小学校の生徒さん達の協力にも頭が下がる。
こう言った活動を通じてもっと日本中の城址や神社仏閣等の歴史史跡の保護に成れば良いなと思うんだな。
小生は小生で個人でもっともっとやれる事をやりながら、諸先輩方のアドバイスを頂いて荒廃する神社仏閣と城址と、そこに関わった先人達記憶と教訓を後世に伝えたいと思いを強くした1日でした。
今年も竹灯篭綺麗だった。
元は千葉家の分家で印旛郡臼井城主を祖先に持つが、千葉家臣の原家に城を乗っ取られた頃に臼居一族は野庭に移住し、小田原の北条家に臣従した。
その頃に臼居家が建てた神社が今も在って、‟カテゴリー神社”で“野庭神社”の記事として少し書いた野庭蔵王権現御嶽社だ。
野庭の臼居初代は杢右衛門と言うが、この杢右衛門さんの奥さんが東急東横線日吉駅辺りの殿様の中田加賀守の御姫様で、先日、この中田加賀守の事を纏めた論文を目にする機会が有ったので、コピーを臼居家の子孫の“cafeこやぎ”の御店主の所に持って行ってあげた。
29日土曜日は、そんな訳で午前中は家でうだうだし昼からは野庭に行った…
こやぎでは論文のコピーを持って行くと喜んで下さり、暖かい麦茶を1杯頂いてから、近くの野庭神社と浄念寺を御参りした。
最初に野庭神社(蔵王権現御嶽社)を参拝し、前回訪問は夕方だったので改めて明るい時間の写真を撮り直した。
旧鎌倉郡の神社なので、丘の多い地域の谷間に御社があり、石段の腐食具合も鎌倉のソレに似ていて趣が有る。
小さな御社だけど、瓦葺で江戸時代の当地への遷座再建とも造りには歴史と整合性が有る。
神社仏閣や偉人の御廟所で祈願する事は決まっている。
神社仏閣と歴史史跡の保護で少しでも世間様の御役にたてれます様に、そして出来れば人として普通の幸せも経験できます様に、国籍人種問わず世界中の親日家の民草が平穏に無事に過ごせます様に、いつも神様仏様に御参りする。
野庭神社で臼居杢右衛門サンにも御参りしてから、臼居家が建てた浄念寺に移動した。
ここは正式には蔵王山正定院浄念寺と言う。
野庭神社から直ぐ近くに在るのだが、まだ写真撮影に来た事が無かったので御参りしに行って見た。
階段を上ると左手に本堂とは別の御堂が在る。
そして階段の正面が本堂。
谷間の目只ない場所に在るが、流石に在郷武士の建てた御寺だけあり規模は小さくない。
御住職様がたまたま法要後は御手隙だったとの事で今日は色々と御親切に臼居家の事や初代御住職と鎌倉光明寺との関係を御教授頂いた。光栄な事に臼居家の家譜が記された原本写しも見せて頂く事が出来た。
ひとしきり御住職様と話し込んだ後に周辺の谷間を散策して一度帰宅し、今度は小机城址に移動した。
夕方17時半から小机城址で竹灯籠祭りが開催されるので、それを見る為だった。
先日、母が大病を患い、もっと多くの時間を一緒に過ごさないといけないなと思い、母にもこの風景を見せてあげたくて一緒に行くか聞いてみいた所、興味を示したので例年は友人を誘うのだが、今回初めて家族を連れて来た。
受付を開始した頃に少し雨が降り始めたが「ポツリ」・・・又「ポツリ」と言う程度だったので祭りも中止にはならなかった。
竹の灯篭が城の切岸や空堀の壁面に生えた竹を綺麗に浮かび上がらせる・・・
雨天に成ったが人の足は少なくなく、逆に今年は天候を危惧して入場者の誘導道を捕捉していた分、渋滞してしまったようだ。
今年は前日の雨天のせいで灯篭の準備も例年より少ないが、見せ方をカラフルにしており綺麗だった。
この行事に毎年参加している城郷小学校の生徒さん達の協力にも頭が下がる。
こう言った活動を通じてもっと日本中の城址や神社仏閣等の歴史史跡の保護に成れば良いなと思うんだな。
小生は小生で個人でもっともっとやれる事をやりながら、諸先輩方のアドバイスを頂いて荒廃する神社仏閣と城址と、そこに関わった先人達記憶と教訓を後世に伝えたいと思いを強くした1日でした。
今年も竹灯篭綺麗だった。