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タグ:鎌倉市

名刀「正宗」をご存知ですか?
鎌倉時代から日本中に知れ渡った名刀で、安土桃山時代には豊臣秀吉が天下一の名刀と認定したことから全国の大名がこぞって入手した日本刀です。
正宗工芸美術製作所
今でも鎌倉駅のすぐ近くに工房があり、初代様から代々製法を受け継ぎ御子孫のダンディな刀匠が正宗を製作されています。
写真がそのお店です。
正宗工芸
今では規模は小さくなってしまいましたが、工房併設の店舗で日本刀も販売しています。
ここ、映画もののけ姫で刀の鍛造の参考にロケハンに協力した工房でもあります。
現在は日本刀以外にも普段使いの包丁も製作されており、購入すれば日常生活に日本文化を取り込め有る意味財産で作る料理を食べれますね(笑)。
価格も1万数千円〜有り、少し良いお値段だけど手の出る値段です。しかも刀工の御店なので、ちゃんとメンテナンスもしてくださいます。
研(と)いで下さったり、研ぎ減り包丁の刀身が小さく成ったら「小刀」や「ペーパーナイフ」に改造して下さったりもします。
だから刀剣女子には持って来い(笑)!
小生は趣味で歴史散歩やグルメ以外にもシルバーアクセサリーを作るのですが、銀粘土を加工するのに正宗のペーパーナイフを使っています。
皆さん、鎌倉に訪れる際は是非立ち寄って見てください。
正宗工芸美術製作所がある事は神奈川県にとっては誇らしい文化的歴史的な遺産でもありますね。
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因みに、正宗工芸から歩いて15分位の鎌倉歴史文化交流館では正宗が展示してあります。
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そして平安末期~鎌倉時代の名将、畠山重忠公着用の鎧が武蔵御嶽神社に奉納されているのですが、甲冑制作師が制作した完レプリカの赤糸縅(あかいとおどし)大鎧も展示されています。
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この鎌倉歴史文化交流館の素晴らしい所は展示物が全て写真撮影可能な所です。
是非、鎌倉歴史文化交流館と正宗工芸、鎌倉観光の際にセットで訪れて見ては如何でしょうか?
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鎌倉歴史文化交流館
何でここを紹介するかと言うと、実はここは元は無量寿寺と言う大寺院の跡で、御寺が廃れた後は鎌倉時代~江戸時代迄正宗工芸の親方(社長)の御先祖様が住んでいて、ここで名刀正宗が生み出されていたんです!
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鎌倉歴史文化交流館の広い御庭の谷の奥、そこに刀の工房が在りました。
今は小町通の近くに在りますけどね~。
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無量寿寺跡の谷の台地の上には、名刀正宗の工房の守り神だった御稲荷様の台座だけが現存しています。神様はここが公共の施設に成る際に法律の問題で葛原岡神社に遷宮されました。
さて、実はこの正宗や平安時代の鎌倉で武士が佩刀した刀の鉄の産地も鎌倉郡に在りました。
上郷深田遺跡
上郷深田遺跡
飛鳥時代から平安時代の製鉄遺跡が発掘されており、後に武士達から軍神と呼ばれた源❝八幡太郎❞義家公達、古代の豪族や坂東武者達の武具の玉鋼の根源地だった場所があります。
ここは神奈川県現存唯一、関東最大の蹈鞴(たたら)製鉄遺跡である事が判明しています。更に30年前の調査発掘で最大規模だったのが更に追加調査で範囲も広がっています。また、山裾伝いに更に後の時代の蹈鞴遺跡も近在する可能性があり、その山の向こうには鍛冶ヶ谷地区が存在しています。
東急建設破壊範囲瀬上沢ホタルと上郷深田遺跡
2019年05月現在、上郷深田遺跡も東急建設の開発計画で消滅の危機にされされています。
出来れば坂東武者達が身に付けた刀剣武具の産地であり、現在は横浜市に入っている栄区~港南区~磯子区~金沢区~鎌倉市にまたがるこの緑地、刀剣の文化と共に永久に存続する様に文化財指定して保護するべきだと思います。
ホタル10
ホタルが飛ぶ姿も見られるしね。
これから6月初旬、第二週の週末位になると蛍の飛び交う姿が最盛期を迎え、下旬に入り7月には蛍達は次第に命を終え数を減らします。
そんな蛍も生きる川を破壊されてしまえば、翌年から見る事も出来なくなります。
さて、正宗工芸!
小町通からも直ぐ近く!
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是非是非、鎌倉観光の際には訪れて、もし刀剣女子が彼女さんの男性や奥様が刀剣乱舞ファンの旦那様はプレゼントに❝正宗❞の包丁なんて如何でしょうか~!







金曜日、この日の当初の予定は小田原市に行き曽我梅林と小田原城を見て廻り、夕方から湯河原町に移動して湯河原梅林の夜間ライトアップを見物する予定だったが、午前中は生憎(あいにく)と観梅には適さない空模様で予定を変えた。
横浜中央図書館に午前中出掛けて、午後の帰路そこから順繰りに梅の名所を幾つか見て廻る事にした。
中央図書館の次は三渓園、環状3号線に出て大船フラワーセンターへと遠回りしてから円海山の麓に戻って来る事にした。
横浜中央図書館の在(あ)る野毛から車で中区本牧半島の三渓園に行こうとすると“平戸桜木道路”を少し南下するルートを通るので、途中で日ノ出町の旧問屋街に乾物問屋や駄菓子問屋が今も少し残る界隈を通る。
ちょっと気に成っていた問屋さんが有ったので立ち寄る事にした。
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佐野屋本店

今では本当に少なくなってしまった玩具や駄菓子の問屋サン。時代の流れで流通形態も変わり町の中の駄菓子屋もコンビニの登場で役目を横取りされ、玩具屋サンも家電量販店に市場を奪われた。
大きな店が各主要駅と幹線道路沿いに出来た代りに、住宅街の身近な子供のコミュニティーは破壊され消え失せてしまった。
たまにブログも自分の部屋以外で書きたくて息抜きに地区センターに行くと、子供達は公園でボール遊びをする事も無く成り夏は横浜市内各区の地区センターのロビーで冷房泥棒しながらゲーム機やカードゲームに興じ、肥満児と眼鏡っ子の割合が異常に高く成っているのが目につく。
・・・日本の子供大丈夫か?とか思うが中国に仕事で行ってた時の事を思い出すと、中国の子供の方が公園すらろくに無いし空気も悪く不健康な環境で育ってるなと、外で遊びたくても遊べない中国の子達と比較してしまった。
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佐野屋サンは駄菓子と玩具の両方を取り扱っている問屋さん。でも昔と違ってプラモデルなんかは家電量販店に市場完全に奪われて現在は本当に玩具と言える玩具しか取り扱ってない。
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「御店主に写真撮って良いですか?」と聞いたら快く許可して頂きました。
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本当、甥っ子とか連れて来たら喜ぶだろうな~珍しい物が沢山有って。
でもウチの妹の所の甥と姪は、甥が私立の小学校に入学決まったし下の姪が今度は小学校受験準備で遊ぶ時間を確保出来ない様だ。
横浜に遊びに来たら連れて行ってあげよう。
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何故かジャニーズのアイドルのポスターも売っていた。需要は有りそう。
佐野屋サンの2Fが駄菓子コーナーなのだが買物に一生懸命に成って写真撮影忘れていた(笑)。
巨大なマシュマロの袋詰めを購入して職場に持って行き主婦連中に差し入れし、山分けして持って帰って貰った。
そこから小生は今度は横浜三渓園に梅を見る為に移動。
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小島屋(雷神堂)
三渓園の手前に小島屋サンと言う巣鴨が本店のフランチャイズ“雷神堂系列”の手焼き煎餅の店が在るのだが、ここの割れ煎餅が美味しくて三渓園に来ると大体いつも購入する。
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でも生憎と寒い金曜日で人手が少なく、この日は販売して無かった。
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国指定景勝 横浜 三渓園(旧:原財閥邸宅)三渓園は以前は入場料金500円だったのだが、横浜市は中田市長以来“緑税”の緑地公園整備費を徴税し始めたのに一昨年から三渓園の入場料を林文子市長が800円に値上げしてしまった。
何でだろうね?税金徴収してるのに300円もの値上げに矛盾を感じる小生。
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ともあれ三渓園はとっても和(なご)むので好き。
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本当に花の綺麗な日本庭園。
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そして重要文化財指定された日本建築が日本各地から移築保護されている。
その建物のどれもが各季節の植物に良く合い四季を通じて散歩と軽食を楽しめる。
三渓園を入口から入って来て右手奥に廻って行くと織田信長公や豊臣秀吉や徳川家康公や織田有楽斎所縁の建築文化財が多く有るエリアが有る。
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臨春閣という建物がこの写真の右側の映ってない所に在るのだが、今年から屋根の吹き替えで向こう三年位は工事中だそうだ。ここは秋の紅葉がとても綺麗なのだが完璧な風景を見るには3年間は我慢が必要らしい。仕方ない。
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そんでも充分に風情を楽しめる。
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2019年03月01日は白梅も綺麗に咲いていました。
三渓園の真ん中の池の畔に戻る。
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旧灯明寺三重塔と梅と松の縁起良い美しいコラボ。後は竹だけ有れば完璧なんだけどね(笑)。
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ここの梅は少しだけピンクがかっていて綺麗だった。
三重塔の山の下、池の畔に小生行きつけの茶屋が在る。
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冒頭は昨日書いた姪が遊びに来た内容と同じだけど・・・
2019年02月23日、この日は朝08:30に弟の家の姪っ子が遊びに来た。
・・・小生は起床直後に姪から奇襲を受ける事に成った。
ガチャガチャ!
小生「何だ(ビクビクッ)?」
ガラガラ・・・
「オジちゃ~ん♪‼」
・・・姪っ子の施錠解除からの奇襲攻撃だった。
姪が遊びに来るのは知ってたが、こんな早く来るとも知らんしビックリした。
う~ん・・・いつも素っ裸で寝てるから偶然寒くて服着て寝てて良かった。だらしないオジちゃん見せないで済んだな。
朝食未だだったが、夫婦共働き(弟は自営業)の弟夫婦、弟が大阪出張なので、代りに昼前に姪を英会話教室に送り届ける事に成っていた。10時過ぎで良いって言ってたのに早すぎる!
で、昨日書いたブログの通り、姪と一緒に駄菓子の所にある風船作るオモチャを買いに行って時間潰しに遊ぶ事にした。
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最初は上手く行かなかったけど直ぐに上手に成って風船タワーが出来ました(笑)。
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姪は文房具とか小物とか駄菓子とか雑貨とかが好き(叔父の小生と気が合うのよ)なので、その手の場所に連れて行くととても喜ぶ。小生の両親は自分の考えを押し付ける人だったので、小生は子供にはそうするまいと心に誓っている。
遊びも手本を見せてコツを口で説明して、一緒にやって見せて直接手は出さない。
だから姪と雑貨屋さんとかに保育園~低学年の姪や甥を連れて行っても100円~300円とか渡して自分で好きな物を選ばせて自分で買うか決定させるし、これが良いアレが良いと言う誘導もしない。
買った物も「自分で持てる量だけ買うんだよ~?」と前置きして姪達が買った物は自分達で運ばせる。
ウチの親と伊勢原の義伯父は小生達が子供の頃、ザリガニを獲(と)りたいと言い出し伊勢原市の義伯父宅の近くの田んぼの用水路にザリガニを獲りに行ったら、親達がザリガニ獲りに必死に成り獲ったザリガニを子供に渡して来た・・・そう言う事じゃないし面白くないんだよな、それじゃ。
子供が自分で決めて自分の責任で行動するから、充実感も得られて失敗も成功も経験に成って自尊心も育つんだよ。
小生は親に自尊心を圧し折られる事ばかりされて来たので、絶対にそうしたく無いんだ。
・・・幸い小生の発想は子供に合ってるらしく妹とこも弟とこも子供達が懐いてくれていて嬉しい。
姪を送り届けてから遅い朝食を食べに11時ごろ横浜南部市場に移動した。
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最初、場外市場の御菓子問屋で買物してから場内の‟がってん食堂”に移動した。
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がってん食堂
がってん食堂は市場の食堂らしく安価で新鮮な海鮮と、鳥や豚等出汁(だし)の元に成る材料も調達できるので驚愕の値段で海鮮丼と拉麺のセットや美味しいハヤシライス等、市場の食堂定番メニューを食べる事が出来る。
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昨日は本日の海鮮丼&拉麺750円!
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超新鮮じゃないと食べられない生白魚、鯛(たい)、サヨリ、鱸(スズキ)の海鮮丼と超美味い醤油拉麺。
これで750円て、小生のブログで‟がってん食堂”初見の人はビックリするだろう。
但(ただ)し、横浜市営から外れて独立した南部市場の商店主達を潰したいのか横浜市の再開発(嫌がらせ?)で市場のど真ん中に在(あ)った買出し者用の駐車場が不可解に場外市場と場内市場を視界から寸断する様に工事壁が築かれて、場外~場内に移動し方が解(わ)かり難(にく)く成ってしまっているので小生が衛星写真に順路を書き込んで置こうと思う。
がってん食堂順路
―赤線が‟がってん食堂”の在(あ)る場内市場“水産棟”への順路。
〇青丸がってん食堂一般客用駐車場の位置。
がってん食堂の在る場内市場の水産棟と、対面の青果棟は朝の05:30~06:00くらいに一般客も買物出来るが07:00にはだいたい店は営業終了する。
もう横浜市営じゃないので一般市民も業者用の超絶新鮮な青果も海鮮も場内で買物出来る。

入口はシーサイドライン南部市場を降りて直ぐ目の前、其処(そこ)から入って直ぐ左に御客様駐車場も在る。
駐車場の目の前が場外市場で、こちらは大体、朝07:00から営業開始される店が多く13時位であらかた閉店する。
がってん食堂は朝の7時~12迄営業時間で、プロの仕入れ人だけでなく、近隣のビジネスマンや夫婦で買出しに来ている御客さんも食事に来る。本店が関内のフグ料理屋なので料理の味は本当に美味しい。
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この醤油拉麺も本当に美味い!
そして昨日は新鮮な鯛や白魚やスズキやサヨリの丼・・・
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繰り返すけど、これで750円て凄いでしょう?
腹ごしらえも終わり、会社に用事が有ったので電話で連絡して上司とコンタクトとってから車に乗り込んで田浦梅林に移動した。
この日の南部市場以外の行動予定は当初は曽我梅林&湯河原梅林だったのだが、午前中雨天で午後から晴れたのだが恐らく相模湾~箱根~青木ヶ原樹海は湿度が高くガスって梅林越しに富士山が綺麗に見えないだろうと予定を変更して田浦梅林&鎌倉市歴史文化交流館の企画展の大正時代の関東大震災の被害の展示を見に行く事にした。
南部市場から田浦梅林は車で30分程度。
でも到着したら駐車場が全て何処も満車だらけで、駐車できず先に鎌倉市歴史文化交流館を見に行き、田浦梅林は夕方に人が少なく成ってから再度来る事にして田浦から離れた。
位置関係 久良岐のよし
別に南部市場~横須賀市田浦~鎌倉市扇ヶ谷は車でそれぞれ30分の移動時間で大したロスには成らないし帰路も小生の家は円海山の麓なので六浦経由か大船経由に成るかの差で大して時間をロスする訳では無い。
しいて言えば正三角形に近い移動がS字の往復に変わる位(笑)。
鎌倉市に入り車を御成通りのコインパーキングに駐車、そこから徒歩5分で歴史文化交流館に到着。
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逗子で少し渋滞したので移動時間、だいたい40分くらいだったろうか?
この歴文は今は企画展で関東大震災の被害の様子と復興をテーマに当時の写真をふんだんに見る事が出来る。
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建長寺なんかの大寺院も悉く関東大震災で倒壊して、復興に檀家サン達の支援による相当な資金がかかったらしい。
今は当時と違って寺社建築の部材を作る職人も宮大工其の物も減ってしまったので、あと30年以内に来ると言われる次の関東大震災が発生したら鎌倉市の建築文化財も御神像や仏像等も元通りに修復~復興出来るかはハッキリ言って望みが薄い。
住宅販売業者が海外からプラモデルみたいな住宅キットを輸入して暴利むさぼり、ちゃんとした職人を壊滅の危機に追いやった責任は重い。だからこそ東急不動産のごとき土建屋は文化と自然の保護を重視すべきでトヨタ自動車やDENSOの様に技術継承をちゃんと行う職人育成や、円海山瀬上沢の蛍群生地の保護等に力を注ぐべきなんだな。
さもなくば、文化軽視のアナタ等の父祖の墓、日本文化と自然を大切にしないんだから祖先の墓も要らなかろう?先ずは自分家の墓所を破砕し父祖の遺骨をゴミに入れて捨ててしまえば?と思う。
まぁ辛辣な表現だが土建屋の中の無文化な部類の連中は、そうされても文句を言えない事を自分達がやってる自覚を持った方が良い訳だ。
ゼネコンの中の無文化な連中は本当に悪でしかない。司馬遼太郎先生も敵視してたがな。歴史作家のみならず自然学者や歴史学者以外にも宗教者の中にも、土建屋の無倫理史跡破壊や自然破壊を極左や極右のテロ行為並みに敵視してる人間が多いと言うのも自覚するべきだ。
さて・・・
企画展を見終えて、学芸員さんに幾つか質問をしてから田浦梅林に移動した。

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2019年02月23日時点、今年は冬至~初春が寒かった事もあり開花が遅れていて樹によっては2分咲き~多くても五分咲きと言う所だった。
まぁ~それでも涼しい空気と田浦梅林の今上天皇の生誕記念に1933年に大規模植林された梅林なので、古木も多く成り暖かくならないと咲かない株も多い。
なので見て来た感じとしては3月第一週の土日位が丁度見頃だと思う。
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一部陽当りの良い斜面は見頃に近い。
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紅梅の方が開花が早い様(よう)だ。
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まぁ少し早かったけど、ここは頂上からの眺望が良いので少し咲いた梅と足元の推薦を見ながら頂上展望台に向けて歩を進めた。
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水仙はそろそろ終わりの季節かな?多分、今頃は鎌倉市の稲村ヶ崎公園の水仙が綺麗に咲いているんじゃないかな?
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ここ等辺りはまだこれから、あと2週間は観梅を楽しめそうだ。
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3年前に来た時は、丁度良い満開に鶯(うぐいす)が群がりとても可愛らしく風流で日本らしい季節感を演出してくれていたんだな。
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その時にスマホで撮った写真。
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まぁ、昨日は午前中雨だったので晴天とはいえ空もガスっていて少し暗かったのだが、空気感は清々しくとても良かった。
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この山の向こうに“田浦廃村”と言う再開発計画が頓挫して500戸程の住宅が放置されてたゴーストタウンが在り廃墟マニアには有名だったのだが、今年、再開発計画が再始動して取り壊しが始まってるらしい。一度見て見たかったが、やはり浮浪者が住み着いたり放火されてしてしまうので警察官が頻繁に巡回していると情報があり行かなかった。
まぁ~史跡には興味有るけど廃屋は色々と怖いからいいや・・・と言いながら人が何千人も死んだ古戦場に普通に行くのはやはり趣味趣向の微妙な差の問題(笑)。
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梅って白にピンクがかってとても綺麗だね~。
花の中で一番好きなのが梅、次が山吹かな~。
桜も好きだけどね~。
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そして頂上に到着。
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めちゃ景色良いし、頂上は芝生で気持ち良い。
だからデートに来てるカップルや夫婦や子連れもいて、寒い天気でもホッコリする空気感が流れる場所が田浦梅林なんだな。天皇陛下は今年御退位されて上皇に成られる訳だけど、今上天皇の誕生日に植林開始された梅林が寒空でも天皇陛下の御人柄の様に人々をホッコリ暖かくさせる憩いの場に成っているのは何だか感慨深い。
そして古木も多く成り梅も疲れ始め新しい株の植林も始まっているので、天皇家と同じく田浦の梅林も代替わりが始まっているんだな。
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高速道路、横浜横須賀道路が見える。少しいくと衣笠インターチェンジ、つまり鎌倉武士団で源頼朝公の最大の支援者だった三浦一族の居城、衣笠城がこの先に在る。
少しストレス溜まっていた小生、午前中に姪が遊びに来てくれて、昼に美味しい魚食べて食欲を満たし、久しぶりに歴史欲(笑)を鎌倉歴文の学芸員さんとの情報交換で満たし、田浦梅林で清々しい気分に成り良い一日に成った。
そうそう・・・
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今年も帰りに田浦商店街の“ふじみや”の絶品スイーツ“梅どら”を買った。
田浦 ふじみや 位置 久良岐のよし
ふじみや菓子店
ここは米軍基地の軍人サン達も観梅に来た御土産として人気の店で、本当に和菓子が全て美味しい。
特に田浦梅林の梅で作った爽やかな甘露煮が入ってる“梅どら”が美味しい。
以前は息子さん夫婦が三浦海岸駅の近所で支店をやっていたのだが、そちらは場所柄人口も少なく店を閉店してしまったので今は横須賀市田浦の本店でしか買う事が出来ない。
とにかく美味しいので田浦梅林に観梅に行く予定の在る人は必ず食べて!と強硬に推薦する程に本当に美味しい。
小生は職場の上司と友人と両親への御土産と自分用(笑)に10個買った。
あと横須賀の相模湾側名物の“へらへら団子”もこの店で生産しているので購入する事が出来る。

最後に美味しい梅どらも食べて、良い一日に成った。

そう言えば本日2019年02月23日と来週は岡村梅林でもイベントが有りますよ~♪
2019年岡村梅林の夜間ライトアップ
岡村梅林2019年茶会
小生は仕事で行けませんが、御近所の方は行かれて見ては如何でしょう?
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昼なら車で直ぐの近所には横浜市電保存館もあって子連れでも楽しめると思います。

次は中田加賀守の御城址の御寺と菩提寺のどちらかの記事を書こうと思っています。
・・・では次の記事で御会いしましょう。






本日、日本は旧暦の小正月。
いよいよ、旧暦の正月も終わり季節も本格的に花やぐ春に入ります。
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今年は猪年。
因(ちな)みに日本で猪(いのしし)の意味で使われている“猪”の漢字ですが、本来の意味は“豚”です。
“豚”の本来の漢字の意味は日本語の“瓜坊(うりぼう)=子猪”の意味です。
日本人の言う所の豚は漢字では白猪と呼ばれています。黒豚なら黒猪に成るのかな(笑)?
中国、台湾、香港、マレーシア等の中華文化圏では豚は富の象徴であり財運と結び付けられています。
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日本で言えば井伊家の殿様を出世させた事で幸運の象徴化された世田谷豪徳寺発祥の“招き猫”文化みたいなモノかな?
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まぁ、だから彦根市のゆるキャラは彦根城主の井伊家の殿様、井伊直孝公の兜(かぶと)を被(かぶ)った豪徳寺の招き猫をデザインした“ひこにゃん”なんですよ。
そこら辺は以前、豪徳寺紹介記事で解説してるので御興味有る方は読んで見て下さい。
下⤵️クリックで記事リンク

それと小正月は満月を見る古代の祭事に由来しているんですよ~♪

明晩は満月🌕ですね~♪
だから猪=豚+金色の満月=金豚=発財=財運向上の日です(笑)。
なので写真も金豚(笑)。

神話の時代は考古学の縄文~弥生~古墳時代に当たりますが、当時の人々の生活と神社に残る神事は実は密接にリンクしてるんです。

現代の太陽崇拝の影響を受けた太陽暦で活動する欧州文化圏の暦に明治時代に改められる以前は、タイや台湾等のアジアの友邦と同じく日本でも月の満ち欠けを暦の基準にした陰暦(旧暦)で世界を見ていたんです。
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この間の皆既月食の写真ですが、古代の人にとって皆既月食はさぞかし恐怖に感じたんでしょうね~。
渡来人が来て稲作が持ち込まれる以前の我々日本の本来の在来種は縄文系の海洋民族遺伝子なので、海の潮の満ち引きに深い関係の有る月が生活の基準で、太陽信仰よりも月読(つきよみ)の神様つまり月読命(つくよみのみこと)が生活基盤だった名残りが今も有るんですよ~♪
今でも神職の方々が念じる蘇民祭=半年毎の大祓神事で祝詞(のりと)の口上は、天皇家の直接の皇祖神の天照大神ではなく、日本の原形=民族集団=各氏族の祖先神(部族長)の治める村々=原初の国々を生み出した、つまり初期の統治機構や交易の流通網を作り出したであろう伊邪那美命と伊邪那岐命の女夫(めおと)神様の名前ですよね。
その女夫神様から夜の世界を任せられたのが月読命で、大祓神事で半年間の“厄除”“魔除”“悪行をチャラ(笑)に”する御利益を授けて下さる素戔嗚命(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)=武塔天神(むとうてんじん)様が治められた“海の世界”の生活にも深く関わっているんです。

あぁ~そうそう。
小生は敢えて夫婦(ふうふ)の字で夫婦(めおと)と書かずに江戸時代迄の人と同じ様に女夫(めおと)と書きます。
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“めおと”に夫婦の漢字を当て嵌めるのも近現代の漢字誤植ですから嫌いなんですよ。
同じ意味だから当て嵌めちゃったんですね。
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鎌倉観光すると昔からの鎌倉名物は女夫饅頭なので知ってる人も多いかも知れませんね。
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溝(みぞ)と書いて溝(どぶ)と読ませるのも近現代の漢字誤植です。
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田舎の人や城廓ファンは知ってますがドブは発音の通り“土腐(どぶ)”と正しくは書きます。
これは漢語ではなく、ずっと使われている日本語です。
よく城の沼堀の解説なんなかで目にします。

そして大祓は半年毎ですが、古代の人の1年は半年間でカウントしてたのだろうと言うのが最近の考古学の説だそうです。

途中から天照大神が重視されたのは、卑弥呼の頃の弥生時代の終わり~古墳時代の始まりに稲作が大々的に普及して生活基盤が農耕に移行したから、作物の実りや農耕に必要な灌漑用水の水の確保に支障が出る旱魃(かんばつ)=日照り=気温や日照時間、つまり天候と直接関係関係深い太陽信仰が重視されたからかも知れませんね。

さて!
今日、明日が発展と財運向上の金豚(笑)の日、御目出度(おめでた)い日です。
我々日本人の使う平仮名、片仮名、和体漢字のルーツ、漢字発祥地の漢人や友邦台湾の人なら日本の恭喜發財の日(笑)かな?

そして明日の満月の日~水戸市では水戸梅祭りが始まりますね~。
土曜日は皇太子殿下が天皇に即位される前の皇太子として最後のお誕生日でもあります。

皆さんにとっとも小生にとっても世界中の親日国の人にとっても向上と進歩と実りと幸の多い1年間に成ります様に~。



平安時代の人々は梅の花を見て春の訪れを感じたそうです… 
そんな訳で神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生がブログ写真の未撮影の梅林については公式ホームページ写真を転用紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。
※過去記事転載でイベント日程が以前のまま記載されている部分が有りますので、詳細は掲載された問い合わせ先にご確認ください!

湯河原梅林
住所〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし  
湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる夜間ライトアップも行っている。
梅の宴 例ねん02月初旬~03月中旬開催※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
夜間ライトUP 02月末~03月初旬の18:00~20:30の時間 ※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし



【辻村植物公園】
住所
〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月末~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所小田原城址公園
見頃:2月中旬~3月初旬
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イベント
梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし


小田原フラワーガーデン
住所
〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:2月中旬~3月初旬
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 


曽我梅林
住所
〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:2月初旬~3月初旬
曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
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イベント
小田原梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 


松岡山東慶寺 金峯山浄智寺
住所
東慶寺〒247‐0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月下旬~3月初旬

【東慶寺】

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駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。 

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【浄智寺】
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浄智寺は鎌倉五山で京都の征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺だった。
現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。 

東慶寺から徒歩5分。
※2015年06月14日に撮影
イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。ともに歴史が深く、東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山瑞泉寺 異名:花の寺&荏柄天神社】
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 


日比谷花壇 大船フラワーセンター
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月中旬~3月初旬
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イベント:

※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜を楽しもう
大船フラワーセンター様公式 拝借4 久良岐のよし
※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。

梅花は本数は大量ではないが、植物園だけあり他所より多くの種類を一度に観られる上に他の花や樹木も楽しめる。
連絡先:
日比谷花壇 大船フラワーセンター TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 


田浦梅林の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月下旬~3月初旬

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※写真は2015年03月07日
イベント:
梅林まつり 2月中旬~3月初旬
田浦梅林は今上(現在の)天皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで、現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林


岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月下旬~3月中旬
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イベント
岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
夜間ライトアップ
※公式ホームページから御確認下さい。
梅まつり
※公式ホームページから御確認下さい。
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この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス


根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月下旬~3月初旬
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)
※下写真は松任谷由実の歌“海の見えていた午後”の舞台の“ドルフィン”
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イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
歌の通り、ドルフィンソーダを頼むと、この曲をかけて貰えます。
連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月下旬~3月中旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り。
もうすぐ観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※イベント一覧は公式ホームページで御確認下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし


大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月下旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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イベント
大倉山観梅会
※開催日は公式ホームページで御確認下さい。
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235


本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月下旬~3月初旬 
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イベント:
本沢梅園祭り
※開園期間はホームページで御確認下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 


今月は休日も色々と遊びでは無くて人に会う用事が立て込み、週末なのにスーツや少しカジュアルだけどカチっとした格好で過ごし慌ただしかった。
そして今日(現時点では前日)10月27日の日曜日は久しぶりに休日らしい日を過ごす事が出来た・・・

今月中旬、はまレポの記者もやってるブロガーの❝知の冒険❞サンの中の人(笑)と初対面した時以来、やっと今月2回目の完全な休日だった。
知の冒険さんは近世~近代の色町の文化や、現代に影響を与えた民間事故の記録等を掘り下げるニッチなジャンルの歴史オタク記者で、小生の知らない事を多く知っていて記事も面白い。
知の冒険ホームページ⤵
https://chinobouken.com/

今日会ったのは知の冒険の中の人(笑)ではなくて、鎌倉市の文化的な仕事をしている歴史仲間と言いましょうか、何と言うか安心して色々と将来の事も話せる先輩と言うか、こんな大人に成りたいなと思う先輩。
日本と中国の歴史と文化が好きで小生より色々と詳しい人。
奥さんも美術品とか好きで御夫婦で文化的な事が好きらしい
共通する文化が好きな人同士で夫婦に成った先輩の話を聞いて正直に羨ましいなと思う。でも今日会ったのは旦那さんの方の先輩。
以前は仕事で御一緒する機会が良く有ったのだが最近は顔を合わす機会が無くて・・・
「どうされていらっしゃるだろうか~?」
「こちらも色々と人生の岐路に差し掛かり近況報告も有るし、お会いしたいなぁ~」
・・・と思い、久しぶりに今月中旬に連絡をとって約束をしていた。

朝方、午前11時に先輩が住む鎌倉市の浄明寺地区近くの某駐車場で待ち合わせをして先輩をピックアップした。当初の計画では何ヶ所か小生がランチの候補地を先輩に提案して、先輩は佐島マリーナの❝海辺❞と言う和食レストランをチョイスしたのだが朝方暴風雨で昼近くに成っても天気が安定しなかった事と、先輩はよりにもよって前日に飲み会で❝刺身❞をたらふく食べていて生物を立て続けに食べさせるのも悪いと思い予定変更を早朝にメールで提案しておいた・・・
「鎌倉から近い金沢区の❝柴漁港の天丼小屋❞か❝喜多屋❞にランチ変更しませんか?」
・・・と提案した所、喜多屋をチョイスされたので車で先輩をピックアップして朝比奈峠を越えて金沢区へと出発した。実はこの先輩が小生に博物館のチケットや鎌倉市の調査報告書等を下さる人なんだな。

先輩から15時迄に鎌倉に戻りたいと事前に申告されていたので、それに合わせて食事以外に何ヶ所か喜多屋付近の歴史観光地を車中で推薦した。
・野口英世博士がペストの日本上陸を食い止めた旧横浜検疫所の長浜野口記念公園
・金澤山彌勒院稱名寺
・野島の伊藤博文公金沢別邸
先輩は神奈川県立金沢文庫(博物館)は仕事で用事が有り珍しくも無いと思い、敢(あ)えて選択肢として提案しなかった。まぁ、仏像に詳しい御方だし。
で、浄明寺地区某所から車を走らせる事20分位だろうか?直ぐに長浜野口記念公園の長浜ホール(旧横浜検疫所)に到着した。
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長浜ホール(長浜野口記念公園内、旧横浜検疫所事務所棟)
ここに来るのは小生2回目で、今年初春にも紹介記事も書いている。
以前書いた記事⤵
旧長濱検疫所の細菌検査室  野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡・・・横浜市金沢区長濱。
今年初頭に写真撮影に訪れた際は旧横浜検疫所事務所棟の❝長浜ホール❞はペンキ塗り直しで外観撮影が出来なかった。今日は外観も化粧直しされ、素敵な近代西洋建築としての価値を自負する様に立派な姿を見せてくれていた。
先ずは管理室の職員さんに確認して1Fの展示を見学した。
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綺麗な応接室の様な階段下のエントランス。
その横に簡単な説明が有り、詳しい内容は別棟の❝旧細菌検査室❞に展示されている。
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長浜ホールの方には福島県の野口英世先生の生家の模型とか・・・
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・・・明治時代当時の周辺のジオラマとかが展示されていて、埋立による地形変化前の様子が良く解る。現在は目の前に団地が広がる長浜野口記念公園だが、当時は埠頭に囲まれ横浜港に入港する前の船を停泊させて防疫検査を行っていたんだな。
言い換えれば明治時代の日本における感染病原菌防疫の最終防衛ラインが、この横浜市金沢区長浜地区だった訳だ。
長浜ホールをサクっと見学してから旧細菌検査室にも行き、野口先生の人生の解説展示をたっぷり見て、それから細菌検査室内にも先輩を案内した。
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簡単な野口先生の足跡。
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細菌検査室内の様子とかは以前の記事でも紹介したので端折るが当時の機材がそのまま展示されているのだが見学すれば皆例外なくこう思うはず・・・
「え~!当時こんなショボい機材でペストから日本を守ったの‼」
・・・ってね。本当に野口英世先生の偉大さが判るから、横浜市の小学校は付近の横浜市南部市場で働く人の見学と八景島シーパラ遠足と合わせて社会科見学遠足させるべきだと小生は思う。
見学を終えて先輩と車に戻り、そこから10分かかるかかからないかで喜多屋に着いた。
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喜多屋 & CaféDiningぼたん実はつい最近も知の冒険サンとオフ会で来たばかり!歴史好きな人はいくつか食事処を提案しても皆ここに来たがる。歴史好きだけでなく女性にも人気が有るので、着いた頃には若い女性の友達同士らしい二人組や近隣の夫婦らしい御客様で昼の12時前に既にほぼ満席の賑わいを見せていた。
先輩は昔からの横浜の名物の❝小柴の穴子❞の天ぷらを食べれるランチを、小生は秋刀魚を使ったランチを注文したのだが・・・
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御店の人の間違いで小生には横浜の新名物❝ハマポーク❞と柿のソテーが調理されて来た。一応、御店の人に注文と違う事を伝えた。
「僕が注文したのは秋刀魚の料理なのですが・・・」
「もし、まだ秋刀魚を調理して無ければコレでも結構です。でも一応、他の御客サンと間違えでは無いか確認して頂けませんか?」
・・・と申告した所、御店の調理担当の方の配慮で「秋刀魚の料理も後から出すのでハマポークのソテーもサービスさせて下さい。」と何ともラッキーな展開に成った。
「結構ですよ、御気遣い無く。」
・・・と再度言ったのだが店員さんが謝罪として料理を提供して下さったので、先輩と半分こして食べた。
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ハマポークも秋刀魚もとっても美味しかった!
でも・・・う~ん・・・男同士で料理シェアするって変な気分だった(笑)。早く奥さん見つけて奥さんと料理半分こ出来る様に成らんといけないなぁ(笑)。

この時に先輩にも披露した小話を皆さんにも紹介すると、心理テストで実は飲食店で間違えて提供された料理を店員に間違いを告(つ)げず食べる人は不誠実で異性に対しても恋人がいても別の異性から告白され浮気のチャンスが有れば拒まず肉体関係を安易に持ってしまう確率が高いそうだ。
そりゃそうだ、来る者拒まずって事だからね、そうなるだろう。更に食べてから店員に「自分が注文した物を出せ」と喚く奴は悪人で相手に間違いを告げず騙して食べてしまい食べてから言う訳だから妻子がいても相手に何も教えず不倫して、相手が本気に成ってから妻子がいる事を告げて異性を捨てるクソ野郎って事に成るな。
・・・先輩は笑いながら聞いていたが、本当に結婚前からの彼女とは結婚せずに別の女性と結婚し子供まで作りながら彼女と別れず不倫して、挙句の果てに「好きでも無い女と腐れ縁で結婚前から続いている」なんて言い腐る悪人も小生の知ってる男性にいる。

まぁ、そんな事を思い出したりした。
このランチは1500円でデザートも付く。小生と先輩は二人共、栗のクリームブリュレを頼んだ。
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これもとても美味しかった。
食事を終えてから文化財していされている喜多屋の館内を少し見学させて頂いたのだが、生憎(あいにく)と昨日は研修旅行客で満室になっており客室の見学は出来なかった。
しかし明治時代の建物で、大正時代には確実に存在して品川~横浜~現在地へと移築されて来た浴室だけは御厚意で見学させて頂けた。
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写真は以前の物だが、大正ガラスのステンドグラスがとても綺麗な御風呂。
喜多屋については以前、紹介記事を書いているので御興味有る方は其方も御覧頂ければ客室の写真が掲載して有ります。
これ記事⤵
金沢区の喜多屋は元料亭の日本建築文化財の旅館&cafe。
館内を少し見学させて貰ってから鎌倉の入口朝比奈峠へ向かう途中に在(あ)る横浜市がマンション建設容認して破壊させた上行寺東遺跡の模造復元地にも先輩を案内して来た。
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上行寺東遺跡模造再現地
ここを横浜市は遺跡として主張するが、正確には背後のマンション敷地が昔の遺跡跡地。破壊直前、高名な東大や有名大学の歴史学者や神奈川県の郷土史家や地元住民たちが多く保護を要求し破壊反対したのに横浜市は文化保護意識が低く、日本屈指の矢倉研究の貴重な遺跡だった上行寺東遺跡を消滅を容認させてしまった。その批判が殊(こと)の外(ほか)大きく成ると、今度は横浜市教育委員会は批判の矢面に立たされた事に恐怖して慌てて強化プラスチックで模(かたど)りして、この偽物遺跡を造った挙句に❝保護❞と嘘の主張を始めたのだが・・・

・・・残念ながらその嘘は記録フィルムで拡散され、ライオンズヒルズ金沢八景が言うなれば壮大な事故物件に等しい程に開発中に敷地から夥(おびただ)しい武士や僧侶の人骨が掘り返された事は歴史家や正義の横浜市民達の知る所に成っている。
まぁ事故物件どころの騒ぎでは無いな、源頼朝公と文覚上人と言う鎌倉時代の偉人が建立した寺院跡なので壮大な聖地&墓地を破壊した訳だ。
横浜市は現在も12万人弱も開発反対署名が集まり、横浜市の有識者で評議し議決で過半数も反対した❝円海山瀬上沢流域一帯の横浜市最大最後の蛍群生地❞すら、林市長以下役人と東急グループはその反対を無視して東急グループに開発させ様としており、現在多くの横浜市南部地域の市民から東急諸共批判にさらされていたりする。
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詳しくは蛍観察出来る場所の様子や歴史を合わせて以前、記事で紹介しているので御興味有る方はソチラも御覧頂ければ宜しいかと思う。
これ⤵
円海山で蛍が観察出来る季節です。横浜市磯子区~金沢区~栄区~港南区に跨る横浜市最大最後の自然保護区。
上行寺東遺跡のハリボテを文化財を大切にする鎌倉市に住む先輩はコンコン叩きながら笑っておられたが、横浜市の築地育ちでハマっ子ではない林横浜市長と同じく、現在の鎌倉市長も郷土文化歴史への知識が欠落した上に物事を自分一人で判断出来ない人で、釈迦堂切通しや釈迦堂口遺跡や名越邸址等の重要な歴史史跡&文化財の保護や住宅道路や散策路の再整備を行わず放置したまま❝とりあえず封鎖❞したまま放置していたり、先年から問題に成っている北鎌倉の隧道も市民と土建屋の板挟みのまま保護も補強もせずに放置して無能振りを晒して鎌倉市職員や教育委員会や文化意識の高い市民からも白い目で見られているそうだ(笑)。
一頻(しき)り上行寺東遺跡の❝ニセモノ(笑)❞を見物してから先輩を鎌倉に送る為に車に乗り込み、車中で先輩にずっと疑問に思っていた鎌倉市のとある遺跡について質問をした・・・
「そういえば今年の正月に鎌倉幕府初代政所別当の大江広元公の所領だった厚木の毛利台に行って来たのですが、大江広元公の御廟所の矢倉って法華堂では無くて十二所山中に有ると言うのは知っているのですが、場所御存知ですか?」
・・・と質問をした所、実際の所、伝承によって大江広元公の御廟所と伝わる矢倉が十二所山中に在るそうで先輩も調べに行ったのだが結局詳しい事は解らなかったとの事だった。でも十二所の朝比奈峠入口近くに「❝大江広元公邸址❞は在るよ、案内しようか?」と思いもよらない回答が出て来たので、近くのコンビニに車を停めて先輩の案内で石碑を見に行って来た。
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本当に熱心な大正時代の鎌倉町青年団、この先人の御陰で小生達現代の若い世代は史跡の場所を確認する事が出来る。先輩と鎌倉町青年団の先人達に感謝。
先輩を御自宅近くの某駐車場まで送り別れ、一度帰宅してから今度は夕刻に❝小机城址竹灯籠祭り❞を見物に行って来た。
2018年度小机城址竹灯籠祭りポスター
昨年は大雨で中止に成り見物出来なかったんだな、毎年行ってたのに。
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今年は5千本の伐採した竹で作ったキャンドルの展示の仕方を例年とは変え、順路の導線が混雑しない様に工夫されており非常に見易(やす)かった。
・・・あ~、来年の竹灯籠祭りは大切な女性を連れて来てあげられたら良いのになと思いながら一人で見物。
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今年は今までと少し違って時期的にハロウィンも意識しているのだろうか(笑)?
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綺麗綺麗!
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近所の小机小学校と城郷小学校の生徒達によるキャンドル作品も出展されていた。
うん!こう言う事を子供の頃にやっていると自分の地元に関わった歴史偉人が凄い人だったって大人になって改めて知る事が出来るんだな!
小机城代だったのは戦国時代の関東の覇者、北条家で家老と外交を務めた笠原家、特に有名なのは笠原信為公だな。KOEIは横浜の歴史ゲーム会社なのに歴史知識が浅い奴等ばっかで笠原信為公や間宮康俊公等、東海地方の武将を痛撃した名将達を登場させなかったり登場させて以後も実績に反して低評価のままにしていたりするのだが、こうやって子供の頃に歴史偉人の足跡を学ぶ機会を得ていると、人のデマや噂に騙されず自分で情報を確認する分析力も身に付く。
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何か可愛らしいキャンドルが多かったな。
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竹取物語の再現は少し不気味だった(笑)。
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でも今年は部分部分にキャンドルを集中さえた御陰で竹が幻想的に照らされとても見応えが有った!
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日本の竹ファンクラブの皆さん、今年もご苦労様でした。
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この活動は非営利団体❝日本の竹ファンクラブ❞がボランティア活動で行っている。
ホームページ→http://takefan.jp/
誰でも参加出来るので御興味有る方は是非、御連絡を!皆さん喜ぶと思います。
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今年は残念ながら昼まで天候不順で雨もパラパラしていたので屋台が無かった。
でも住宅街の駐車場で地元の人が焼き鳥の屋台を出していたので晩御飯代わりに6本購入して頂きました。
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とても美味しかったですよ♪
小机城に関しても以前に解説記事を書いているので、御興味有る方は記事を読んで見て下さい。
中には城の解説、各武将の関連解説記事へのリンクも貼ってあります。
コレ⤵
2017年度 小机城市民の森竹灯籠まつりは10月28日に開催!小机衆家臣団の紹介も!
城からの帰り道、月明かりと日産スタジアムが綺麗に見えた。
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もう涼しく成りスッカリ秋の夜空だなぁ~。
そうそう、先輩からこんな御土産を頂きました。
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鎌倉市の調査報告書。これ去年の奴なんでとても楽しみにしていた物。必要なくなった分を下さいました。内容も当然、小生の興味対象ばかり。
先輩、ありがとうございました♪

さて、次回は何か歴史解説記事を書きたいなぁ~。




夏も海水浴シーズンを過ぎて、鎌倉の由比ヶ浜からは若者の姿も減って来ました・・・
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もう直ぐ秋ですね~。
海水浴やナンパ待ちナンパする側の若者達と微笑ましい家族達の姿もそろそろ減る由比ヶ浜ですが、その目の前の長谷地区寄りの道路を跨(また)いだ場所に御洒落(おしゃれ)なCaféが在(あ)るのを皆さんは御存知でしょうか?
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Daisy's Cafe
Daisy's Cafeと言う御店です。
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鎌倉の長谷駅から徒歩で10分位?目の前は由比ヶ浜の良い景色、海まで徒歩1分と観光客にも御薦めなのですが・・・
ここは小さな御店で、我々地元の人間が楽しむ御店なんです、どちらかと言うと(笑)。
もう本当に御店の前の道を渡れば由比ヶ浜で、沢山の漁船の間を抜けると砂浜に辿(たど)り着きます。
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小生は人の多い、普段は泳ぎもしないのにナンパやシーズンだからと言って来る御客さん達に混じるのが❝苦手❞でして、どうしてもユックリ出来る季節に独(ひと)りで、或いは彼女がいる時期は彼女と一緒に海に行きたくなるんです。小生にとっては海は癒しの場で、静かに散歩して風景を見て潮風に当たり潮(しお)さいを聞いて過(す)ごしたい場所なんですね。
だから食事した後に直ぐに海を散歩出来るDaisy's Cafeが好きなんです。
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店内はアメリカンでクラシックなイメージの内装です。小生アメリカに行った事が無いから(爆)!
でも、小生は日本庭園も好きだし古民家も落ち着くから好きなのですが、横浜の大桟橋のJack cafeとかCJ Caféとか、横須賀のドブ板通りのサーフタコとかアメリカっぽい御店も心が何だか落ち着くので良く友人とも独りでも食事に行きます。
Caféに行っても御酒嫌いだから飲まない(笑)。
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Daisy's Cafe、良い感じの御店でしょ?
歴史小説家の神様みたいな司馬遼太郎先生も生前この辺りが好きで散歩して❝街道を行く❞ってシリーズの❝三浦半島記❞で直ぐ近くの極楽寺坂の切通しを通過してんだよ。
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御霊神社参道入口の❝力持家❞とか・・・
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・・・江ノ電が参道の鳥居の目の前を通過する御霊神社とかの事を書いてたりする。
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この鳥居の目の前を本当に電車が通過するんだよ。

御霊神社は以前、紹介記事を書いているので興味が有ったら読んで見てね!
コレ記事リンク⤵
鎌倉の御霊神社の神様鎌倉景政公は上杉謙信の祖先。
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そんな長谷の由比ヶ浜に面したDaisy's Cafeの窓際の席に座ると眼前に海、とても和む。
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小生はこの御店を長谷に住んでるサーファーの知人から「行って見て!御薦めだから!」「デイジーズライスが美味しいから食べて見て!」って言われて食べに来たのが初めての来訪の切っ掛けで、要するに口コミですよね。
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そしてコレがデイジーズライス。・・・混ぜた後でスイマセン(笑)。猫まんまみたいな写真だな。
名前はオーナーさんの名前からデイジーズと成っていますが、実際は所謂(いわゆる)❝ガパオライス❞みたいな物を想像して頂くと良いかと思います。
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小さいけれど海も近くて良い御店でしょう?皆さん、由比ヶ浜や長谷観音や御霊神社に御散歩に行って、もし食事する所に迷ったらDaisy's Cafeでドリンク飲みながらゆっくりするのも良いですよ~♪

さて・・・
小生のブログは腐っても❝歴史旅行❞のブログ、ここで少し由比ヶ浜の歴史を通じて❝自称❞霊能者って連中の大半が嘘吐きって事を暴露してみたいと思います。
皆さんは由比ヶ浜や材木座海岸のイメージってどんな印象ですか?
きっとこんな感じかな?
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弓なりに続く波の穏やかな砂浜・・・
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稲村ヶ崎と富士山の影を横にして水平線に沈む夕日・・・
凄く綺麗なイメージだったり、夫婦ならまだ彼女や彼氏だった頃に一緒に海水浴に来た思い出とか、付き合い始めのカップルも最初の夏の思い出♡(笑)とか明るいイメージが有りますよね?
実はね、そんな鎌倉の由比ヶ浜、夏は海水浴に来る若者で賑わう海として知られますが奈良~平安時代には❝公共墓地❞だったって知ってますか(笑)?
よく偽霊能者が霊能力有ると標榜(ひょうぼう=勝手に嘘ついたり)して不敬にも日本の発展に寄与して多くが神社に祀られて御祭神と成っている鎌倉幕府の先人達の御廟所を心霊スポットとして紹介したりしていますがハッキリ言ってデマなんですよね、彼等の能力。
もし彼等が本当に何か見えるなら最大の心霊スポットは江戸の大火で3万人、関東大震災では10万人以上、大戦中の大空襲でも10万人が死んでる東京都23区全域(笑)が最強の心霊スポットな筈なんです(笑)。
だからね・・・
「心霊何て誰にも見えてない」
・・・ってのが霊夢を見たり轢き逃げに何回か遭っても死んでない小生の歴史事実も根拠にした持論なんです。まぁ、偽霊能者の中にはカウンセラーとして優秀な人もいるのかも知れないけど❝嘘❞で金もうけをしている時点で小生は敵視します。カルト宗教と変わらない、人を騙して金を巻き上げている悪。
仮にさ・・・
本当に心霊ってのがいたとするわな?そもそも人間は2人の原種が交尾して繁殖して増えたのに、何で魂がソンナに大量に増殖するのかね?だから生まれ変わりも小生は信じていないと言うか、もし生まれ変わりが有るならば今迄の人生で大恩有る親友や恩師や恩人や支えてくれた昔の彼女(笑)とか恩人達が皆亡くなる迄は守護霊として此の世に留まって❝悪い者❞を打(ぶ)ん殴り守ってあげたいのね。
勿論、今、彼女がいたら生きたまま彼女の守護生霊(笑)なんて物に成るかも知れない(爆)!
・・・つまりさ、もし小生が皆の守護霊に成っちゃうと、皆が彼女や彼氏や旦那さんや奥さんと❝子作り❞してる所とか見ちゃうわけじゃない(笑)?
そんなん守護霊化した小生からしたら「オェ~(ToT)」って成るわ(笑)!
て事はだよ?その自称霊能者達はHしてる時に大勢の空襲で死んだ人とか自分の御爺ちゃんとか御婆ちゃんとかに囲まれながら❝〇ン〇ン堅く成ってる❞のかね(笑)?
「無いわ~(笑)!絶対イヤ!」
・・・ってのが戦争や天災や墓地の歴史を知っている小生の意見だったりするんだよね。
出来たら神様にも仏様にも守護霊様にも小生はコレから先、又彼女が出来て結婚して子作りする時に見ていて欲しくない(笑)。でも守ってもらってるから我慢しないといけないのか(笑)?

だからね~、皆も古代の公共墓地だった由比ヶ浜とか、和田合戦で激戦地だった材木座海岸とか散歩しても❝癒される❞でしょ?
それが正しい感覚なの。
詐欺師に先入観を与えられる前の。
だってね、例えば以前紹介した❝女性を守る縁切寺の北鎌倉の東慶寺❞を舞台にした大泉洋さんと戸田恵梨香さん主演の❝駆け込み女と駆け出し男❞って映画が有るんだけれど・・・
駆け込み女と駆け出し男
この映画の序盤で戸田恵梨香サンがDV夫の武田真治サンから東慶寺に逃げて離婚するか、家に帰るか占いをする❝六地蔵❞って場所が有るんだけれど・・・
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これね、昔はもっと由比ヶ浜寄りに在って、それが墓地の入口だったんだよ。
東慶寺については以前、映画と一緒に紹介する記事を書いているので興味の有る人は読んで見て下さい。
コレ記事リンク⤵
女性救済の寺院、北鎌倉の東慶寺と映画「駆け込み女と駆け出し男」
・・・あとね、小生ね、金縛りに遭って茶運び人形や般若の面が自分の部屋を歩いたり浮遊してるのを見た事が有るのだけど、アレも自分で解明したんだよね。
アレね、身体と脳は寝てるのに意識だけ起きてて夢と現実が重なり合ってる状態なんだよね。そして疲れてる時に良く成る。
最初に茶運び人形を見た時に前身金縛りに遭って、身体動かなくて、その時に「次が有ったら絶対に捕まえれるか確かめてやる( ̄~ ̄)/」とか決めて本当に次が有ったんだよね・・・
それが般若の面だった。
般若の面の時もやっぱり金縛りに遭ってね、でも前回の経験から「指先から少しづつ動かして動ける様に成ったら一気に掴(つか)んでやる!」って決めてて、指先から慣らして行ったら本当に手が直ぐに全部動く様に成って「ブン!」って一気に目の前の般若のを掴もうとしたけど、不思議な事に手が届かないんだよね。
・・・それで確信したのさ、「あ~、これって今、意識だけ起きて目に見える風景と脳内の無意識の夢が一緒に見えちゃってんだな~」って。
どうも疲れ過ぎてるとそうなり易いみたいだね。あとね、両方とも蛍光塗料の緑色みたいな色に見えたんだよね、それも科学的に調べたら目の網膜とかなんかや、当時の家のガラスに透過した外の光とか科学的に説明が着(つ)くのかも知れないけれど、生憎(あいにく)と小生は科学的な知識も脳科学的な知識も皆無なので解らない。
でもね!
小生達の様な歴史オタクや司馬遼太郎先生の様な歴史小説家や歴史博物館の学芸員サンや鎌倉の神社仏閣の和尚様や宮司様達は皆、由比ヶ浜が墓地だったり戦場だった歴史を知っているから我々歴史の証人達からすると❝自称霊能者(笑)❞達の言ってる事が「妄言だと断言出来る」訳です。
だって司馬遼太郎先生も書いてるし、小生達の様に鎌倉が好きで子供の頃から良く行ってる人や地元民は知ってるけれど、昔は鎌倉市内の小学校や中学校の校庭の砂には良く人骨が砕けてキラキラ光るのが混じってたんだよね(笑)。
だからさ、本当に自称霊能者が何か見えるなら「由比ヶ浜に行くな!」って言うでしょ?しかも彼等はだいたいが勝手に僧侶や神職の装いをしていますが、根本的にちゃんと仏教大学や國學院大學で勉強もした事も無ければちゃんとした宗派の道場で修行すらした事の無い「詐欺師」同然の輩だし、まして日本最高の謂(い)わば古来は大王から天皇に成った実際は❝教皇❞の様な霊力に優れた天皇家の皇族にも出来ない神通力を、只の金髪豚男やガリガリ細目ババアが天皇家を凌駕する霊能力なんて持ってる訳が無いでしょう(笑)?
古来、宮司や天台宗の座主や真言宗の高僧や日蓮宗の僧侶等は密教的な学問も良く学ぶ宗派だったので、所謂(いわゆる)退魔や地鎮の法力や神様の力をお借りする神通力と言うのは目に見えなくても有るのかも知れませんが、まぁ、小生は「真っ当に生きる事」を教えてくれる場所や「精神的な支柱」に成る場所が神仏を祀る人々の守る神社仏閣で御奉仕される神官僧侶の役割なんだろうと思っています。
だから大学の先生に会いに行く様に和尚様や宮司様を尊敬するんですがね~♪

まぁ、そんな訳で偽霊能者が公共墓地だった歴史を知らなかったり、海の家を出店する❝ヤクザが怖いから(笑)❞由比ヶ浜を❝心霊スポット❞って言わないってのは歴史好きなら誰でも知ってるんですよ(笑)。
しかも神道や仏教の日本古来の考え方では、自分の信念に基づいて戦って亡くなった武士の魂は❝英霊❞であって、その人達を尊敬していれば❝守護❞して下さる側に成ってくれる心強い存在なんだよね。
だからね、小生は偽霊能者とカルト宗教が心から許せないの、偉大な先人達を愚弄する連中だからね。

小生は色んな人が眠る静かな季節の美しい由比ヶ浜の長い湾曲した砂浜がとっても好きです。
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これから秋に成ったら海の家も無く成って、又、静かに散歩出来る美しい由比ヶ浜~材木座海岸に戻ります。若いカップルや若夫婦の皆さん、デートで静かな浜辺を散歩してから司馬遼太郎先生が愛した長谷地区の、サーファーや地元民の憩いの場のDaisy's Cafeで一服お茶して行きませんか?

では、又、次の解説記事で!

皆さんは平安時代末期~鎌倉時代を通じて❝坂東武者の鑑(かがみ)❞と評された名将の畠山重忠公を御存知でしょうか?
きっと少し歴史が好きな人ならば必ず名前を聞いた事の有る名将だと思います。清和天皇の直系子孫で臣籍降下した源氏一族を代表する武将であり鎌倉幕府を樹立した征夷大将軍の源頼朝公に最も信頼された人物が畠山重忠公でした。重忠公の所領は今の埼玉県南西部辺りでしたが、実は畠山家の御一族が鎌倉市や横浜市に御縁が深かった事を知る人は移住者だらけの現代横浜市民には❝知る人ぞ知る❞と言った所でしょうか?
横浜市金沢区釜利谷南と鎌倉市の鶴岡八幡宮の直ぐ隣りに現在も伝承地の石碑や供養塔が残っています。
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江戸時代の歴史学者地理学者であった間宮士信サンが❝新編武蔵風土記稿❞と言う文書の中で疑いの余地有りと推測しているものの❝畠山重保公墓❞として紹介している場所です。
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伝畠山重保墓
※住所クリックでGoogle mapにリンクします⤴
普段は御墓の写真は掲載しないのですが、史跡としても又、現代では余り横浜市との関係を語られ無くなった武家の名家畠山家との御縁を再認知して貰う為に畠山重保公の御霊に御活躍して頂きたく、敬意を込めて供養塔の在る御廟所の写真を掲載させて頂こうと思います。
この畠山重保公は鎌倉武士を代表する名将の畠山重忠公の御子息でした。
今日は横浜市金沢区の史跡であり畠山家の武将、畠山重保公の❝御霊を供養する御廟所❞の紹介をする為に、少し源頼朝公と畠山家と源氏最大の協力者の三浦家との因縁(いんねん)を交えて解説したいと思います。
さて、源頼朝公の最初期の協力者として有名な武将は以下の方々でしょうか?

【坂東平氏の祖、桓武天皇の孫の平高望王の後裔達】
●三浦家・・・三浦半島を治めた一族。
三浦義明公、岡崎義実公、三浦義澄公、和田義盛公、佐原義連公、真田義忠公等・・・
●鎌倉家・・・旧鎌倉郡の鎌倉市~藤沢市域を治めた一族。
村岡家(鎌倉の権五郎御霊神社の2015年迄の宮司家)、懐島(大庭)景義公、梶原景時公等
●中村家・・・伊勢原市~小田原市~湯河原等の西湘を治めた一族。
中村重平公、土肥實平公、土屋遠宗公等
●千葉家・・・房総半島北部を治めた一族。
千葉常胤公、千葉胤正公、相馬師常公等
●秩父家・・・埼玉県域を治めた一族
熊谷直実公等。

【宇多源氏の祖、醍醐天皇の皇子の敦実親王の後裔達】
●佐々木秀義公、佐々木経高公、佐々木盛綱公、佐々木高綱公等

【秀郷流藤原氏の後裔】
●比企尼、比企能員公等。
さて、冒頭で鎌倉武士を代表する名将の畠山重忠公や今回の主役の畠山重保公の名前は源頼朝公最初期の協力者として登場しませんが、歴史好きなら誰でも知ってる石橋山合戦で源頼朝公が反平家政権の挙兵を行った際、以前は源氏の家来だった畠山家は平治の乱での源氏が衰退すると平清盛公に従属して平家政権の豪族として武蔵国の軍権を任せられる程に❝平家側❞から信頼されていました。
まぁ、能力高く真面目な人でもあった様なので源氏からも平氏からも重用された人物だった訳です。
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その当時の重忠公を模写した人物画や彫像は小生の知る限り現存していないと思いますが、畠山重忠公が着用した武具は現在も武蔵御嶽神社に奉納された物が現存し、真紅の威しで結った煌(きら)びやかな鎌倉武士らしい甲冑を着用した華実兼備(かじつけんび)の武者だった事が窺い知れます。
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写真は鎌倉市歴史文化交流館に展示されているレプリカ。同館は写真撮影自由の珍しい博物館。
鎌倉市歴史文化交流館この畠山重忠公の母上は三浦義明公の姫君でしたが、源頼朝公が兵300を率いて石橋山で挙兵した時に京都で勤務していた畠山重忠公は平清盛公に代わって武蔵国の兵20000の大軍を率いて源氏討伐を任されてしまう立場に成りました。真面目だった畠山重忠公は職務を全うしますが、祖父の三浦義明公率いる三浦党は三浦半島の衣笠城(横須賀市)で挙兵し源頼朝公を支援しました。
そして畠山重忠公の大軍は鎌倉逗子境の住吉城を手始めに三浦家の葉山町桜山の鐙摺城~本拠地の衣笠城を攻める事と成ります。
三浦義明公は衣笠城に手勢で籠り、子息の三浦義澄公や佐原義連公や孫の和田義盛等の三浦一族を久里浜の怒田城の舟倉から水軍で房総半島に逃がす時間稼ぎをして最期は自害したと伝わります。
コレが後の畠山家と三浦家の決定的な対立関係を生む因縁と成りました。
因みに三浦義明公がいなければ源頼朝公は佐原義連公や和田義盛公等の軍略家や軍政家を配下に出来ず、組織立ち上げすら出来なかったかも知れないし横須賀市佐原城主の佐原義連公と横浜市茅ヶ崎城主の多田行綱公が献策した鵯越の逆落としと曲解された迂回挟撃も発生せず源義経公と源範頼公兄弟による挟撃は成功するはずも無く日本は東西に分れ戦況は膠着し鎌倉幕府は樹立されなかったでしょう。
この話は以前に幾つか書いた関連記事が在るので下記にリンクを貼って置きます。
●三浦義明公と衣笠城址。源家最大の盟友、坂東武者の鑑。…三浦半島横須賀市。
●満昌寺…源頼朝公の開基の三浦義明公菩提寺…横須賀市衣笠
●清雲寺…三浦(横須賀市大矢部)…三浦家の菩提寺
●平良文公と二傳寺。日本全国の平氏系大名の祖先。…藤沢市渡内〜村岡。
さて、この真面目で華やかで高い能力の有った畠山重忠公には汚れ役も任された逸話も残されています。
その舞台は鶴岡八幡宮と美しい由比ヶ浜です。
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鎌倉市を代表する鶴岡八幡宮、その朱漆塗りの舞殿は現代では結婚式が執り行われる場所として、参拝客も新郎新婦から幸せの御裾分けをして頂ける場所ですが・・・
ここは鎌倉時代には拝殿や舞台の役割をした施設で、この舞殿から鶴岡八幡宮の本殿の台地を取り囲む様に渡り壁が伸びていました。そして、ここは頼朝公の実弟の源義経公の側室だった❝静御前❞が義経公の子を妊娠した身体で舞を舞った舞台でもありました。
当時、源義経公は源頼朝公に反逆し奥州に逃げていました。そんな中で身重の静御前は逃避行から脱落して頼朝公側に捕縛され鎌倉に連行されてきました。静御前が子を妊娠している事や義経公と一緒に逃避行した愛情の深さに対して、女性として恋愛に情熱的な人物だった北条政子様は大変に同情されて源頼朝公に対して静御前の助命嘆願を自ら行いました。すると源頼朝公はこう条件をつけました・・・
1、生まれて来る子が女子なら生かす。
2、男子が生まれて来たら敵対するので殺害する。
・・・これは頼朝公にしても鎌倉幕府を運営する武士達にとっても非常に静御前に対して寛容な条件で許している事が判ります。何たって敵対勢力に成った人物の奥さんの命と生まれて来る子も女児なら助けると保証している訳ですからね。
しかし不幸な事に生まれて来た義経公と静御前の子供は姫ではなくて男児でした。
この死刑執行を任せられたのが源頼朝公から❝生真面目さ❞と❝能力❞を信頼されていた畠山重忠公でした。静御前の生んだ男児は由比ヶ浜に生き埋めにされたと伝承しています。
もしかしたら・・・殺したと幕府御家人達には報告させて頼朝公の密命で助けたかも知れませんが、まぁ伝承では由比ヶ浜に埋めた事にされています。
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今では夏が来ると海水浴客で賑わう材木座~由比ヶ浜の砂浜や砂丘は実は平安時代頃からは❝公共墓地❞として利用された土地だったので、最近でも発掘調査をすると人骨が普通に出て来たりするのですが❝霊感が有るニセ霊能者(笑)様達は、この辺で何も感じない霊感音痴だらけ❞の様ですね(笑)。
ついでに言えば鎌倉市で戦火に巻き込まれていない場所の方が少ないし、昔は鎌倉の小学校の校庭に砂には普通に風化した昔の人の人骨が混じってるのなんて有名な話だったんですよ!
小生達、地元神奈川の人間だけでなく関西人の司馬遼太郎先生ですら、この事を御存知で❝街道をゆく❞シリーズの鎌倉散策の巻で逸話として紹介していたりします。
さて、この義経公と静御前の嬰児の話の舞台の一つが由比ヶ浜なのは恐らくは❝嬰児の処分❞の命令を受けた畠山家の鎌倉市内での御屋敷が由比ヶ浜と鶴岡八幡宮の隣接地に存在した事に由来すると小生は推測しています。
正確に言うと幕府に出仕していた畠山重忠公の御屋敷が鶴岡八幡宮の横に存在し、海側にも畠山家の別宅が在り畠山重保公等の家族も住んでいた様です。
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大蔵幕府跡鶴岡八幡宮から東に行くと源頼朝公の邸宅兼幕府役所の機能が在った大蔵幕府跡の清泉小学校一帯に大正時代の郷土愛の強かった生粋の神奈川県民の鎌倉町青年会によって建てられた顕彰碑が有ります。
ココと鶴岡八幡宮を結ぶ謂(い)わば源頼朝公の邸宅の最終防衛ラインに成る中間地点の横浜国大付属中学の一帯が畠山重忠公の屋敷地と伝わり、やはり大正時代に鎌倉町青年会が建立した顕彰碑が今も観光客が歩く景色の一部として現存しています。
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畠山重忠邸址さて、源頼朝公は相模川に架けた大きな橋の開通式に参列した際に前日から❝ヒ素中毒❞ぽい症状の記録が残る状態で式典中に馬上から落馬して死んだ事にされていますが、小生は北条時政と稲毛重成の義理の親子による暗殺事件だったと推測しています。小生と同じ説の歴史ファンも結構多いんですよ。
この頼朝公の死の後、鎌倉幕府の御家人達は各家毎に集団として分裂の様相を呈して有力武家vs有力武家の権力抗争が始まってしまいました。鎌倉幕府最初の危機ですね。
この権力闘争で最も権力に執着した梶原景時公は実務力と謀略に優れた知将で頼朝公亡き後も跡継ぎで二代将軍の源頼家公を補佐していましたが、最初期から他の武将をハメてまで出世に執着したので最初の犠牲者に成り、鎌倉御家人66将連名による連判状で弾劾され幕府を追放、更に殺害されました。
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因(ちな)みに相模国一之宮の寒川大社の門前に梶原景時公晩年の居館が在りました。
梶原景時公の次に犠牲に成ったのは比企能員(ひきよしかず)公でした。
比企能員公の実伯母(おば)であり養母の比企尼は源頼朝公の乳母(うば=授乳係兼養育担当者)だった御縁で頼朝公と非常に信頼関係が深く、比企尼の三女の平賀義信公に嫁いだ姫も二代将軍と成る源頼家公の乳母を務めた家柄でした。源頼家公が不可解な危篤状態に陥ると更に不可解な事に未だ頼家公が亡くなっていないのに北条時政が独断で源頼家公の財産分与を取り仕切る事態が発生しました。これも小生は北条時政によるヒ素を用いた暗殺未遂だと推測しています・・・
頼家公は運よく回復すると事の顛末(てんまつ)を比企能員公から聞かされるや北条時政討伐の謀略を比企家や近臣と計画します。
・・・しかし、これが運悪く母で北条家の人間の北条政子様に聞かれ北条時政に通報されてしまいます。北条家との縁が深い源実朝公擁立を鼻から画策していた北条時政は先手を打って比企能員公を北条家の邸宅と要害城を背後に抱えた名越邸に「仏事で相談があるからチョット来てyo~♪」と軽く、且(か)つ本当は源頼家公と比企家と頼家公近臣達が北条家討伐を画策している事を知っているのを微塵も感じさせない様に呼び出し、比企能員公を逆に暗殺してしまいました。
そして・・・
その次に標的に成ったのが頼家公の近臣だった畠山重忠公です。
畠山重忠公史跡二俣川古戦場 久良岐のよし
今の神奈川県運転免許試験場から程近い帷子(かたびら)川~二俣川や鶴ヶ峰は八王子街道から連結する渡河地点でした。「鎌倉で事件が発生した!」と北条家に嘘の連絡をされた畠山重忠公は130騎の兵で埼玉県の菅谷館から馬を走らせ駆け付ける途中、二俣川の河畔で対岸に北条家率いる鎌倉幕府軍20000の大軍を目の前にして全てを悟り、潔(いさぎ)く「ここを死地とする」と覚悟を決めて応戦しました。
因みに、この合戦で畠山重忠公は弓の名手の愛甲季忠公に射殺され討死しました。
愛甲季忠公は現在の厚木市一帯に勢力を誇った古豪で、鎌倉幕府で糟屋有季公等と並び屈指の弓射の名人でした。
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小野神社
愛甲季隆公は神奈川県内で14座しかない延喜式内社の神社の一つ、閑香大明神小野神社を平安時代に支援した事でも有名な人物です。
さて、二俣川の合戦で圧倒的な劣勢の畠山重忠公は自ら弓を取り奮戦し、鎌倉時代を代表するスナイパーの愛甲季隆公に射殺されて討死にしたのですが、御子息で鎌倉にいた畠山重保公も殺害されました。
その異変の発生を鎌倉で察知した畠山重保公は「鎌倉から山中を逃げて来て、この辺りで自害した」と横浜市金沢区釜利谷一帯には古くから伝承しています。
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でも新編武蔵風土記稿の編集者だった間宮士信サンの部下の記者は、この伝承を以下の文章で否定しています・・・
「按に東鑑(吾妻鏡)元久二年六月二十二日の條に、寅刻、鎌倉中驚遽軍兵競争于由比濱之邊、可被誅謀叛之輩、畠山六郎云々・・・(以下省略)」
・・・つまり、❝「鎌倉の由比ヶ浜辺りで謀反を画策した畠山六郎が誅された」と書かれているから、金沢区の畠山重保公がここで自害したのは誤りだ❞と指摘しているのですが、これは悪いが間宮士信公と部下の記者の推測がいい加減だと言えるだろう。
まず、吾妻鏡の内容は「誅罰の兵が差し向けられ戦闘に成った」情況の説明しか書かれておらず、又、討死したとも書かれていない!
そして記者が理解していないのは、この墓所の有る場所は立地が鎌倉~横浜市旧久良岐郡域~八王子~埼玉に抜ける八王子街道への最短ルートだったりする。
この記者の意見は一帯の南部には❝金澤道=六浦道❞と言う主要街道と円覚寺方面に抜ける鎌倉道が存在する先入観からの推論だろう。
伝畠山重保公御廟所位置関係 久良岐のよし
しかし、この畠山重保公の御廟所の場所は❝白山道❞と言う、新編武蔵風土記稿が書かれた頃にはマイナーな道に成ってしまっていた古道が眼前を通り、鎌倉の玄関口である朝比奈峠の切通しへ直結する最短ルートであり、更には久良岐郡の氷取沢へ抜ける六浦道のショートカットコースでもあり、六浦湾から船で逃亡も図れる逃走経路としては打ってつけの道なのだ。
由比ヶ浜の畠山邸から朝比奈峠を超えようとすると北条家の名越邸の眼下を通る必要が有るので、その道は恐らく通れなかっただろう。
当然ながら鶴岡八幡宮の横を抜ける巨福呂坂の切通も兵が待機していただろう。残る八王子街道へ抜けて~埼玉の畠山重忠公に危険を知らせる事が出来る逃走経路は❝金沢区の伝承どおり山中を超える❞しかない、即(すなわ)ち大蔵幕府背後の未開発だった地域の鎌倉カントリークラブや鎌倉霊園の獣道を無理矢理でも越えればショートカットの❝白山道❞まで逃げて来れる訳だ。
白山道は鎌倉幕府が滅亡して室町時代に成っても重視されていたので、最後の鎌倉公方で初代古河公方の足利成氏公が重視して宿泊所としても機能を持つ寺院を開基している。
以前紹介した禅林寺だな。
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竹嵓山 禅林寺そして❝伝畠山重保墓❞の地形を改めて見ると、ここが切腹するに相応しい❝施設❞が在ったであろう事が神社仏閣参拝や御朱印集めが趣味の人なら一目瞭然だと思おう。
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谷戸に囲まれてるんだよね、明らかに谷間を削平して丘陵を裾切りした人工地形。
しかも昭和の埋め立て迄は、この直ぐ近くまで海の入江が迫っていた。
平安~鎌倉~室町時代初期の鎌倉文化を受け継いだ神社仏閣と武士団の邸宅跡は修験道と真言宗の施設以外は十中八九が❝谷戸❞に邸宅や御堂が作られる場合がほとんどだったんだな。
だから、ここには江戸時代には名前も記録も伝わらなくなっていた寺院の跡か畠山家の景勝地金沢における船着き場近くの別邸が在り、畠山重保公は山を越えて来たものの菅谷館まで辿(たど)り着く困難を悟り、ここ白山古道前の六浦❝山中❞に在った何某(なにがし)かの施設内で自害したのではなかろうかと小生は推測する。因(よ)って新編武蔵風土記稿の❝この場所に対する解説に関しては❞解釈も地形と古道への理解も中途半端だと小生は断言出来る。
では、金沢区の禅林寺以外にも室町時代以前、鎌倉時代初期の武士達の横浜市や鎌倉市内における武士邸宅跡の伝承地を既に紹介した事が有る場所の記事で実例として列挙しておこう。
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鳥山八幡宮
・・・佐々木高綱公/佐々木泰綱公邸址、背後の鳥山地区は詰城で神社の前は旧道。正に金沢区の伝畠山重保墓と同様の立地。
※クリックで記事にリンク⤵
●横浜市港北区鳥山の八幡神社…鎌倉幕府の名将:佐々木高綱公の城跡
●2015/04/02時点の横浜の桜名所状況
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稲荷山 浄妙広利禅寺(略寺名:浄妙寺 旧寺名:極楽寺)
●浄妙寺 足利将軍家の祖先の菩提寺にして臨済宗鎌倉五山の一つ。紅葉も綺麗だよ!…鎌倉市浄明寺地区。
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亀谷山 寿福金剛禅寺
源家の本拠地…寿福寺。鎌倉市亀ケ谷。…北条政子様と源実朝公の菩提寺。
まぁ~他にも例を挙げればキリが無い。
そんな訳で、小生は伝畠山重保墓との現代の仮名で登録されている御廟所の主は伝承通り畠山重保公が自害した❝屋敷か御堂❞の跡地だと推測する次第だ。
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今では目の前はマンションが立つ。
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しかし隣接地の宅地の崖には、近くに寺院が有った証拠である矢倉=鎌倉文化の横穴式の御廟所跡が有る民家も在る。
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法輪塔も恐らく後世に再建立されている物だが、デザイン自体は三浦家の三浦義澄公や清雲寺の歴代三浦家御当主の物に酷似しているので最初の墓石を模造したか、谷戸なので劣化のスピードが遅かったのだろうか?
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卒塔婆(ストゥーパ)にはメジャー文献だけ読んでいても伝わらない畠山六郎重保公の戒名がちゃんと書かれています。
大圓鏡智 為 重安(=重保)院 龍嶽雲公大居士 祥月
ね?文献だけ読んでても現地に行かないと歴史には解らない事も有るでしょう?
だから歴史オタクは行動力が有る人が多いんですよ~。城ファンとか神社仏閣ファンとかね。
さて、この畠山重保公や御父上の畠山重忠公が領地の埼玉県西部や鎌倉市だけでなく横浜市一帯にも深い御縁が今では何気ない場所に成っている所で有った事を確認出来るの皆さんにも伝わったでしょうか?
きっと皆さんの御近所にも平安~戦国時代の武士達の城跡の山や歴史偉人の関わった神社仏閣や、古代からの聖地の池や泉や奇岩が有ったりすると思います。そして、そう言う場所は豊かな緑が残っていたりして散歩すれば疲れをすっ飛ばして癒してくれる、先人が我々に残して下さった文字通りのパワースポットや、昔の人が日本文化を残してくれた感謝を感じられる空間に成ってくれます。
・・・みなさんも御近所の山や神社や御寺を散歩してみませんか?

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう・・・って!
前回のこの休日雑記で⤵
【休日雑記】2018年05月13日の訪問先・・・友人と鎌倉の幻の遺跡ハイクと横浜駅で火鍋晩餐。
「さて、今回の休日雑記はここまで!
次は多米元忠公の解説記事の最終章を書きたいな~と思います!
その翌週からは暫く繁忙期と私用と神事と仏事が立て込んでブログ更新遅れたらすみません!」
・・・なぁ~んて書いてたのに全く関係ない鎌倉時代の史跡と偉人紹介してますね(笑)。

多米元忠公の記事、又、ゆっくり書きますよ~♪
では、今日は趣味の外国語学校とジムに行ってきますので、今週の記事はこれで!
皆さんにとっても、小生にとっても今日が良い日に成り、新たな1週間が実り有る時間に成ります様に~♬



先月の話・・・
関西の親友で妹の次に小生の性格の理解者だろう人間のデザイナーITが展示会の東京出張で来訪。
来訪の1ヵ月以上前から「宿泊地決めないと予約難しいぞ~」と散々せっついたのに直前の1週間前までノンビリ屋で決めてなかったIT・・・
その結果、廃墟マニアと変わった趣味で今回は鎌倉の❝廃墟?❞的な場所を観光地として希望してた割には出張先の渋谷区からも、小生の地元横浜で一番の蛍の大生息地である円海山の在る栄区界隈からも、横浜の中心街で一番便利な横浜駅や関内界隈からも❝中途半端❞な鶴見区と言う謎の立地のホテルを予約しやがった。鎌倉行くのに迎えに行くのが少々面倒(笑)。
・・・まぁ、鶴見なら今のNHK大河でタイムリーな薩摩藩関連の史跡や、鎌倉向かう途中で横浜中華街の朝食も食べれるので「楽しみを詰め込めば良いか!」と前向きな発想が直ぐ湧く。
待ち合わせはAM:08:00、ホテル前。
この日も小生は当日の夜中03時に仕事から帰宅し風呂入ったり何かしてたら既に朝の5時、もう目が冴えたまま寝るのも諦めて「ホテルの前に車停めて仮眠しよう」と6時に移動。7時には到着した。
しかし車中でも眠れず、諦めてITにLINEする・・・
「もう着いたけど寝てるから準備できたら適当に出て来てユックリしてて良い」
・・・とは送りながらスマホ弄(いじ)くり当日の不安定な天候も有り到達地点別の天候に訪問地分岐案の再確認をGoogle mapでしておいた。こう言った❝遊び❞は「手伝うよ~」と適当な事して邪魔する同僚の介入も無いので❝好きに完璧に予定を組める❞から好き(笑)。
ホテル前でITをピックアップ、御土産に太らない京都の宇治の御茶とかくれた。
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生麦事件発生地
・・・と言う訳で、最初にITをピックアップして連れて来た❝観光地❞がこの住宅街(笑)。
ITには来る途中で交差点の看板とか電信柱の看板とかを故意(わざと)音読させてヒントを出したのだが現地に着(つ)いても解らない(笑)。まぁ~そりゃそうだ。今じゃ只の住宅街の道だから。
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・・・実はここ、薩摩藩が参勤交代中に乗馬した白人至上主義の白人連中に隊列に侵入されテロ排除の為に数度のジェスチャーと日本語による警告の上でも騎乗した白人は止まらず薩摩藩の隊列に突入、島津久光公の籠に迫ったので止む無く惨殺したと言うのが真相の❝生麦事件❞の発生現場なのだ。
ITは別に歴史好きと言う訳では無いが廃墟好きなので小生の話題にも少し付いて来られる、まぁ京都育ちだし神社仏閣歴史史跡に囲まれて育った❝文化的歴史的素養❞と言うのは移住者だらけの普通のハマっ子よりは並の京都人の方が遥かに高い。
歴史に特別関心が無くても義務教育で習う生麦事件程度は当然知っている訳だ。だからもう直ぐNHKの❝西郷どん❞で登場するであろう、この事件現場を見て「ほ~」と言う感じの反応をしていた。
まぁ、鶴見から中華街に向かう通り道を少し裏の旧道に入っただけ、途中に立ち寄った場所なので凄い場所と言う訳ではない。
しかしこの後、小生がやらかす。
散々地図を見て予備学習して置いたのにGoogleMapのカーナビではなくてポンコツの純正カーナビに任せて音声に合わせて道を走ったら関係の無い側道に入らされたり住宅街をグルグル・・・
朝食を買う予定の中華街まで大分と遠回りになってしまった。
ナビを放棄し自分の目視と記憶で大黒ふ頭に経由地を変えて海沿いの道を選択、多分横浜市民以外は知る人の少ない大黒ふ頭を経由して横浜ベイブリッジの一般道~新山下へ抜けて早朝の中華街に到着した。
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道を迷ったせいで鶴見駅近くを8時に出発したのに到着したのはAM:09:00位に成ってしまった。
しかし普通の中華街の店は10時~11時開店なので人気は極端に少ない。
中華街の加賀町警察の前には小生が立ち食い点心を購入する際に行きつけにしている店の内の一軒が有る。そこの大根餅や肉と高菜の細切り炒めが入った揚げ饅頭が美味いんだな。
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金福粥記
ITは服飾関係のデザイナーと言う仕事の都合上中国にもよく出張するのだが、中国では現地企業に接待される側に成るので中々こう言った普通の中国の朝食を食べたり好きな火鍋とか庶民的な料理を食べる機会が無いとの事。慌ただしい鎌倉へ向かう車中での朝食と成ったが「美味しい!」と喜んでいたので何より。
中華街近くの石川町入口から横浜横須賀道路に入り高速で横浜市金沢区の朝比奈峠へ抜け鎌倉に侵入、鎌倉市街の手前の報国寺近くの駐車場に車を停めた。ここの辺りは実は凄く安いタイムズ駐車場とか浄妙寺の駐車場も有り、朝比奈~十二所~浄妙寺地区~名越地区の観光の基点とするのに適している。
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最初、報国寺を訪問し御本尊の御釈迦様に御参りしたが竹林は後回しにした。
この日の目的地はあくまで❝廃墟散策❞が主旨なので、報国寺の散策は後、でも御本尊を拝まずに素通りすると、この後❝少し危ない山の中❞を散策するので❝旅の安全祈願❞も含めて先にちゃんと御挨拶する事にした次第だ。
この日の主要目的地の廃墟と史跡を目指すのには新幹線で関西から来たITをわざわざ山登りさせる必要が有る、観光じゃないんだな最早(笑)。
最初に目指したのは、その廃墟と史跡の入口と成る木々の枯れる❝冬季ならば❞鎌倉市で一番眺望の良いであろう衣張山の山頂だ。
その道は巡礼古道と呼ばれ、報国寺の所在する宅間谷(たくまがやつ)から鎌倉武士達が三浦半島の逗子方面に抜けたり、名越邸こと鎌倉幕府執権の北条時政館の史跡に行く間道として利用された古道を通る。
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目標的には報国寺~かまくら幼稚園を目指すと緑地帯から自然に衣張山入口の公園に出る事が出来る。
この日に備えてITには❝運動靴❞❝Gパン等の歩きやすい服装❞をちゃんと指定しておいた。
まぁ~この辺は廃墟観光に成れたITだから言わないでも大丈夫なのだろうが、山歩きの度合いを軽視されて準備不足に成ると本人が楽しめなく成るので敢(あ)えて念を押した訳だ。
衣張山は城郭オタクが登れば一目で判るが、山道が裾切りされて人工的に鋭角な崖地化された登山道が多く足を滑らせると死ぬ構造に成っている(笑)。
平安以来の鎌倉武士、三浦家の居城だった衣笠城と同じ構造だな。
衣笠城址に関しては以前書いた記事が有るので御興味有る方は御覧頂くと平安~鎌倉時代の武士の城の構造が良く解ると思う。
これ以前の記事⤵
三浦義明公と衣笠城址。源家最大の盟友、坂東武者の鑑。…三浦半島横須賀市。
かまくら幼稚園側から20分も登ると衣笠山山頂に着いた。
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衣張山山頂
材木座~由比ヶ浜~名越~雪ノ下~扇谷地区が一望できる絶景だが、この辺りは❝神奈川県の富士山100景❞にも選ばれた景勝なのだ。本来、天気が良ければもっと遠く伊豆半島なんかも綺麗に見える。
生憎(あいにく)と当日の天気予報は降雨、幸い登山中は天候が持ってくれたが曇天で遠くは見渡せなかったが、それでも綺麗だった。この辺りから獣道を通って行くと現在は鎌倉市によって通行者の安全確保が十分でないとの判断から仮設封鎖柵が設置されている❝釈迦堂切通し❞や❝釈迦堂遺跡❞へも通じる抜け道が有る。
その抜け道へ行く為にわざわざ衣張山へ上った訳だな。
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色んな場所に鎌倉時代~室町時代の矢倉(やぐら)と言う名の武士の御廟所である横穴式墳墓が在る。
これも有る意味❝廃墟❞だが、先人を尊敬する小生は一々、ここに埋葬されていたであろう名を知らない御霊にお祈りすると京都育ちのITも心得ていてちゃんと手を合わせていた。
因みに、一々拝みながら「通行者を御守り下さい」「鎌倉の住民を御守護下さい」「御霊が大切にされますよう、安らかに過せます様に」とお祈りした。
鎌倉幕府を運営し、朝鮮人と中国人とモンゴル人による日本侵略戦争の元寇を撃退する基盤と成ってくれた人達だから感謝と尊敬の念を御伝えするのは当然の事だと小生は思う。
程なくして落ちたら死ぬ犬懸谷(いぬかけがやつ)の奥の山から釈迦堂口に出て、釈迦堂切通しに到着した。
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釈迦堂切通し
ここは先述の通り先年の落石発生以来鎌倉市が封鎖しているのだが、周辺住民の生活道路なので金網の無い場所を通行する人は今でも多い。まぁ、山越えて抜け道を通ればそんな事する必要も無いが労力が大変な訳だ。
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「お~凄いな」
・・・と男前な感想のIT、こう言った史跡も有る意味廃墟、ここは恐らくは鎌倉市街地~名越北条家の居宅と成った北条時政邸と詰城(つめじろ)だった衣張山登城口への関門だったので名ばかりは❝切通し❞だが隧道(すいどう=トンネル)形状にした上で入口に梁(はり)を渡して櫓門(やぐらもん)が築かれていたのだろうと城好きの小生は予想している。恐らく多くの城郭ファンも同じ推測をするだろう。
だから上部左右には梁を通した様な材木を打ち込んでいたであろう穴跡も見て取れる。
ここから又、獣道に戻ると今度は別の名越側から封鎖された❝幻の釈迦堂跡❞の釈迦堂遺跡へ行くことが出来るが、私有地側から入る人がいると困るので詳細は掲載しない。
山頂からの行き方をネットでも生き方を書いている人もいるので探して見ると良いと思うけど、途中には崩落した橋の欄干を渡らなければいけないデンジャラスゾーンが有ったりするので、やはり小生は道順はボヤ化して置こうと思う。
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釈迦堂口遺跡
釈迦堂遺跡は山の中に削平地が広がる。
名越邸跡と伝わり鎌倉幕府二代執権と成った北条義時公が、そこに北条時政公の没後に供養の為に釈迦如来を安置した御堂を建てたのが始まりとか何とか伝わるのだが、大半が私有地と言う事も有り現在の鎌倉市教育委員会や神奈川県教育委員会はその場所をちゃんと公開していない。しかしながら昔の鎌倉市教育委員会は無文化な部類の一部土建屋による鎌倉市の森林と史跡破壊を糾弾し新聞社と一緒に吊るし上げたり、この私有地を保有する国際自動車タクシー会社さんも一般に公開したりしていた。
前代の鎌倉市長主導で封鎖された次第だが、何と言うか民間会社の方が文化史跡保護と公益に資する公開の意識が高いと言う・・・皮肉な話だ。
釈迦堂遺跡の奥に山道から降りて来る昔の登山道である❝抜け道❞が有る。まぁたまに見学会も開かれるので鎌倉市のホームページをチェックしてると良い。団体で見学希望申請何かすると、鎌倉市教育委員会もガイドしてくれる可能性も有るかも知れない。
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登山道には昔の看板も残っているのだが鎌倉市の前の市長が封鎖してしまって通行量が減っているので❝廃道❞寸前の状態。貴重な遺跡が保護管理されず放置される悲惨な状況に成っている・・・
「訪問したい人は安全管理は自己責任でどうぞ」
・・・と言っておこう。
まぁ❝廃道寸前の道❞含めてITの趣味に合わせたチョイスなのでそうなるな。
こちら側から登って行くと唐糸矢倉と言う、源頼朝公と源義仲公の間の悲しい同族同士の争いの終結の場所となった史跡が在る。
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説明の看板の通り、源義仲公の家臣の娘の唐糸サンが源頼朝公の様子を探る為に侍女と成り、源頼朝公が源義仲公討伐の相談をしていたのを聞いてしまい頼朝公暗殺を企て幽閉された場所だそうだ。
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どうも看板の矢倉よりも直ぐ右隣の矢倉の方が土牢としては適した構造だと小生は思う。
そして看板の伝承は少し違うと思う、状況的には源義仲公の御子息で源頼朝公に人質として預けられていた源義高公が頼朝公によって処刑されそうに成ったので、義高公に仕えていた唐糸サンが頼朝公の暗殺を企てたと考えた方が状況的には自然だろう。当時の伝承も後世に伝える伝言ゲームで行き違いが有ったのかも知れないし、小生の予測が外れているかも知れないが郷土の伝承レベルの事なので事実は今では確認しようも無いが小生の予測通りならば源義仲公と源頼朝公の因縁の終わりの場所と成るだろう。
事実、三浦半島の初瀬和田の和田城には元は源義仲公の側室だった巴御前が和田義盛公に惚れられて側室として同居したと伝わり、源義仲公の乳兄弟(乳母の子)で重臣の今井四郎兼平公は横浜市保土ヶ谷区の今井城址に居住したと伝承するので、実際は平家物語では書かれていない木曾(源)義仲公の家臣団は頼朝公に降伏し鎌倉幕府の幕臣と成っていたのだろう。
・・・源義高公の命と引き換えに信濃の武士団は命を助けられ、源義高公に仕えていた唐糸サンは納得が行かず組織としての正義よりも忠義としての正義を優先したんだろうね。
この唐糸矢倉を過ぎると人工的な切通し状の堀切(ほりきり=尾根道を断ち切り敵の侵入を防ぐ構造)が在る。
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そこに橋が架かるが、最大の見どころ。廃道化の原因の床の抜けた通行不可能な橋。
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でも欄干と橋梁は鉄筋コンクリートなので❝自己責任❞で渡りたい人はどうぞ。
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ここさへ渡れば釈迦堂遺跡も釈迦堂切通しも衣張山から来られるからね~。・・・落ちたら運が良くて骨折かな?
ここに来たい人は、ちゃんと安全確保のワイヤーとか準備してね。
でも一番、城郭としての構造が解り易い。
ここを通らないと詰城の山頂側に行く事は出来ない。そして平時は引橋(ひきはし=戦時に引いて撤去出来る橋)が架けられていて戦闘時には堅固な防御構造と成った事だろう。
唐糸矢倉に降りて来る分岐点の前に衣張山登山道の休憩所跡が有る。
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途中には廃墟化した東屋。これも有る意味廃墟かな。
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さて、東屋の下の分岐点から唐糸矢倉方面と反対に行くと釈迦堂切通しの真上に出る事が出来る。
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落ちたら死ぬから気を付けてね、あくまで自己責任でどうぞ(笑)。
本当に気を付けて。
そして釈迦堂切通しの上を通り抜けると、重要文化財にするべき❝日月矢倉❞に抜けれる。
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恐らく名の有る武士の御廟なのだろう。
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壁に穿った穴の形状に矢倉の名前が由来する。
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日輪と月を模した意匠が施されているので、そう名付けられたようだ。
恐らくこの月の意匠からして、千葉家所縁の武将の矢倉かも知れない。千葉家一族と家臣団には月の家紋と九楊紋を家紋にする武将が多い。ここは大町に抜ける場所でもあるし、大町には戦国時代に成っても千葉一族臼居家の菩提寺であり平安時代の武将の千葉常胤公と千葉家所縁の寺院でも有った蓮乗院が存在する。
蓮乗院は元は弘法大師空海和尚所縁の真言宗の寺院だったが、直ぐ隣に浄土宗の大本山の天照山光明寺が開かれると浄土宗に改宗し、その光明寺の重要な塔頭寺院と成った。
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因みに今回紹介している衣張山も山頂の風景が綺麗だが・・・
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光明寺の天照山から見た風景は❝神奈川の景勝50選❞にも選ばれ、最近では映画シン・ゴジラでゴジラの上陸地点としてロケハンされたりしている。非常に風景が美しい。
そこ等辺りは以前に記事に書いているので興味の有る人は読んで頂くと解ると思う。
以前の記事⤵
休日雑記 2017年01月25日の訪問先・・・【鎌倉市】住吉城址前の材木座海岸と和賀江嶋と江ノ島と富士山と夕陽の見える場所。
●臼井城主の子孫の店❝Cafeこやぎ❞は旧鎌倉郡域にある緑に囲まれたカフェ。美味しい葛餅と焙茶(ほうじちゃ)が頂ける店。ランチも人気。…横浜市。
・・・さて、日月矢倉に話を戻す。
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風雨に晒された矢倉は風化が激しい。
ここ数年、鎌倉市は釈迦堂切通し仮封鎖後に訪れる人が少なくなったせいで樹木の浸食が早く少しでも早く釈迦堂切通しと釈迦堂遺跡側の遊歩道の再整備を急ぐべき理由の一つでも有る場所なのだ。
ここを見学した後で、元来た道を抜けるのが面倒臭くて鎌倉市の設置したフェンス側の❝抜け道(笑)❞を通って大町に出て、谷底側の住宅街から又かまくら保育園の方に戻り報国寺に戻って抹茶を頂く事にした。
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途中、せせらぎに綺麗な花が咲いていた。
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その川沿いに黄金矢倉の跡が有る。
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黄金やぐら
昔は光苔(ひかりこけ)で綺麗に輝いていたらしいが、今では御覧の通りシダ類に浸食されてしまって光苔は死滅したようだ。
そこから宅間谷に戻る長い階段の遊歩道に復帰した。
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かまくら幼稚園近くに戻ると可愛い御地蔵様が出迎えてくれるのが、巡礼古道に復帰した目印。
そこから報国寺に戻る時に最近ドラマ❝モンテクリスト伯ー華麗なる復讐ー❞でもロケ地に成っている旧皇族華頂宮邸が在る。
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旧華頂宮邸
この時既に11時半位だったろうか?
予定通り(笑)丁度公開されている時間、廃墟では無く綺麗な文化財の洋館だがITを案内。
薔薇の見頃の季節だったので御庭が綺麗だった。
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今年は横浜イングリッシュガーデンに薔薇を見に行かなかったので、ここで見られて良かった。
本当は、この後で天候が雨が降らず持てばITを鎌倉市の薔薇の名所として有名な❝鎌倉文学館❞に連れて行く計画だったのだが、後で大雨に成ってしまったのでここで薔薇を見て置いて良かったと思う。
報国寺に戻ると抹茶付の拝観券を購入し報国寺の竹林を散策・・・
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功臣山 報国寺
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以前と違って経路が定められており、小生が通い出した10年前の様な自由度は昨年末のリニューアルから無くなったが、それでもここは良い。
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抹茶を一服頂きながら景色に心を落ち着かせ和んだ。ここを開いた足利尊氏公の御祖父さんの足利家時公と宅間上杉重兼公に感謝!
いい加減に昼食の時間と成ったのでITに「地魚海鮮の和食と、地魚地野菜のイタリアンとどっちが良い?」と選択肢を質問、イタリアと言ったので車で少し葉山方面に移動し秋谷海岸の行きつけのイタリアンの店❝DON❞に到着。
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DON秋谷店
残念ながら当日、予約がいっぱいで1時間半待ちとの事でウェイターの青年がとても丁寧に申し訳なさそうに状況を説明してくれた。
「まぁ、和食も美味しいし!」
・・・と言う事で小生と同じく美味しい物が大好きで男前(笑)なITは、せっかくの観光を楽しむベクトルで納得してくれて、DONから車で5分と直ぐ近くの佐島マリーナの❝海辺❞と言う、これまた小生行きつけの海鮮和食屋サンに移動する事に成った。
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海辺ここは本当に海の目の前のレストラン。
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デッキ席からは海が一望出来る。天神島が見え、ともて清々しいのだが・・・
この写真は生憎当日の物では無い。IT連れてった時は既に雨がポツリ来た後で店内で食事と成った。
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それでも特別セット(刺身盛り合わせ+ブリ角煮+アラ汁+金目鯛煮付け+米お代わり可能)が来ると「美味しい!」と満足してくれた様で何よりだ。
京都育ちで舌が肥えているITが納得してると自分も嬉しいもんだな。
他の親友も何人か連れて来た事が有るが、やはり皆美味しいと喜んでくれる、そして自分が美味しいと思う物を一緒に美味しいと親友達が感じてくれると皆の喜ぶ様子を見て自分も嬉しく成る。
そう言う意味において小生と親友の共通点は皆、食べる事が好きだと思う。
だから小生デブったりジムでダイエットしてシボんだり繰り返すんだな(笑)。
この後、鎌倉市街に戻り扇谷(おおぎがやつ)地区と小町通と若宮大路と鶴岡八幡宮を散策する予定だった。
しかし雨が・・・
扇谷地区から正宗工芸を見学したり若宮大路に抜け鳩サブレ―の豊島屋サンや鎌倉彫りの店を見物してから鶴岡八幡宮に着き御参りを済ませると、もう雨がドシャ降りに成り散歩どころではなくなってしまった。雨傘さしているのに二人共靴下までビッチョビチョ、止むを得ず車に戻った。夕飯は小町通のマザーズオブ鎌倉で葉山牛の鉄板焼きを食べる予定だったが、それまで時間を潰すのは無理。
小生も徹夜で一睡もしていない事をITが配慮してくれて「神奈川東京名物の黒湯炭酸泉のスーパー銭湯に行こう」と予定していたコースの前倒しを提案してくれた。
・・・仕方が無いし夕方にも成っていたし、帰りも渋滞するだろうしスーパー銭湯での時間も含めて夕飯時に成る事を想定して夕食は横浜駅で中国の火鍋の名店❝小肥羊❞で食べる予定に切り替えた。
前もって色々と候補地を準備して置いてITに通知していたのと、ITが小生の体力も考慮してくれた事と辛い物好きのITの全ての折衷案でそうなった訳だ。
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極楽湯 横浜芹が谷店
※写真撮影し忘れたので冬の写真。
港南区の極楽湯へ移動。鎌倉街道から少し環状二号線を入った場所に在るので横浜横須賀道路で横浜駅に戻るには別所インターへのアクセスも都合が良い立地だし、この先は南区の弘明寺の三浦湯か、川崎まで行かないと無いし三浦湯よりは広いのでコチラにした。
風呂上がりは1時間後の待ち合わせ。
しかし、この日は男子風呂は子供だらけ、しかも親のマナーが悪く子供が露天風呂で行儀悪く風呂にバシャ―ン!バシャ―ン!と飛び込み台の様にしており親の集団は注意せず放置。
仕方なく小生が「お風呂では飛び込んじゃダメだよ~♪」と言うと固まる子供・・・
そこへ別の年配の男性客が「オイ、ガキ!あぶねーぞ!怪我すんぞ!」と凄みながら注意した。
・・・するとマナーの悪い子供は、これ又、行儀悪く風呂場を走って室内浴場へ❝逃げた❞のだが、一体全体、あの子供の親はどんな家庭環境で育ったんだろうな?と思った。
騒がしくユックリする気分でも無いし凄まじく眠かったのでITの配慮を無駄にしない様に10分で風呂を上がると、待ち合わせ場所のマッサージチェアにしこたま100玉を投入し40分位マッサージされたまま寝た。
人間40分も仮眠すると結構頭がスッキリするもんで、目も覚めてスマホ弄くりながら小肥羊の場所を確認しているとITが風呂から上がって来たのでソフトクリームを食べながら関内店が良いか横浜駅東口店が良いか相談し、横浜駅へ移動。
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地下駐車場に愛車を停めるとモアーズ側の出口から小肥羊に移動。
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中国火鍋専門店 小肥羊 横浜店火鍋と言う料理を御存知無い方もいるかも知れないが、これは中国でポピュラーな料理で薬膳スープと辛みスープの二種類に羊肉や牛肉や野菜を浸して加熱して食べる中国東北地方の料理で、言わば中国版のシャブシャブと言った感じの料理だ。
小生は辛い物は嫌いでは無いが得意でも無いので、辛いスープはもっぱらITの担当に成った。
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4000円弱のコースを頼んで二人で「肉少なくね?」と思って追加注文したらトンデモない!コースはやはりちゃんと考えられていて、二人共追加分は腹一般で可也(かなり)無理しないと胃袋に入らない量に成ってしまった。
しかし、とても美味しく、又何回でも食べたいと思う中国に良く出張していた小生にも懐かしく、中国にしょっちゅう出張しているのに接待漬けのせいで食べる機会が少ないITにとっても神奈川旅行を喜んで貰える一助に成った様でとても良かった。
二人とも満腹で満足すると、翌朝早くには表参道に出張出勤せねばならないITを眠気もすっかり覚めたので安全に鶴見のビジネスホテルまで送り届けると小生は下道で帰宅した。
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帰宅してITに貰った御土産を開くと冒頭で紹介した宇治茶と山椒昆布だった。
「ありがとう」と感謝の念を持ちながら有難く頂き、御蔭で体型も理想体型に成る事が出来た。
毎回、東京出張の旅に訪ねてくれる親友で理解者の存在は、人としてとても有難い。
ありがとう。

ITや千葉に引っ越してしまった後でなかなか会えなくなっていた親友O型君等の様に、常日頃から馬鹿みたいにつるまなくても、大切な人間と言うのは信頼出来るしバカ騒ぎしなくても楽しめるもんなんだよな~。

親友だけでなく、普段、御世話に成っている師匠の様な宮司様達や和尚様達や、尊敬する歴史偉人や神話の残る神達様や武将達が拝んだ仏様達、御先祖様や小さい時に可愛がってくれた義祖母はじめとした恩人の皆さん、学生時代からの恩師達に感謝をも再確認する一日と成りました。
ITありがとな~!

さて、今回の休日雑記はここまで!
次は多米元忠公の解説記事の最終章を書きたいな~と思います!
その翌週からは暫く繁忙期と私用と神事と仏事が立て込んでブログ更新遅れたらすみません!

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪

表題の通り、横浜市内と鎌倉市内は2017年12月第1週、今が紅葉の見ごろです!
昨日12月02日に撮影して来た写真を添付羅列しますので、旅の御参考にして頂ければ幸いです!

横浜三渓園
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山下公園~横浜三塔KING(神奈川県庁旧庁舎)前銀杏並木DSC_3852
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鎌倉市浄明寺地区宅間谷(たくまがやつ)界隈(報国寺~旧皇族華頂宮邸~犬懸谷)
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旧皇族華頂宮邸
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犬懸谷(いぬかけがやつ)~衣張山~田楽辻子の道周辺CIMG5827
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関取(戦国期北条氏康公関所跡)~ニュージャーマン~鶴丘八幡宮
248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下636−1



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鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館
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もう有名な場所ばかりなので解説は不要だと思い、先ずは皆さんの必要な現在の画像情報を掲載しました。
もし、「余り詳しくないよ~」と言う人はブログの記事の下の方のタグから検索したいキーワードを;クリックしてみて下さい!
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近い内に22日の神奈川県西部の紅葉見物の休日雑記の続きを書きますので、その記事も御興味有る方は御覧下さい。

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これは前回の記事です。

皆さん、晩秋の景勝、楽しんで下さいね~♪
では、又、次の記事で!




















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