歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:鎌倉市歴史文化交流館

冒頭は昨日書いた姪が遊びに来た内容と同じだけど・・・
2019年02月23日、この日は朝08:30に弟の家の姪っ子が遊びに来た。
・・・小生は起床直後に姪から奇襲を受ける事に成った。
ガチャガチャ!
小生「何だ(ビクビクッ)?」
ガラガラ・・・
「オジちゃ~ん♪‼」
・・・姪っ子の施錠解除からの奇襲攻撃だった。
姪が遊びに来るのは知ってたが、こんな早く来るとも知らんしビックリした。
う~ん・・・いつも素っ裸で寝てるから偶然寒くて服着て寝てて良かった。だらしないオジちゃん見せないで済んだな。
朝食未だだったが、夫婦共働き(弟は自営業)の弟夫婦、弟が大阪出張なので、代りに昼前に姪を英会話教室に送り届ける事に成っていた。10時過ぎで良いって言ってたのに早すぎる!
で、昨日書いたブログの通り、姪と一緒に駄菓子の所にある風船作るオモチャを買いに行って時間潰しに遊ぶ事にした。
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最初は上手く行かなかったけど直ぐに上手に成って風船タワーが出来ました(笑)。
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姪は文房具とか小物とか駄菓子とか雑貨とかが好き(叔父の小生と気が合うのよ)なので、その手の場所に連れて行くととても喜ぶ。小生の両親は自分の考えを押し付ける人だったので、小生は子供にはそうするまいと心に誓っている。
遊びも手本を見せてコツを口で説明して、一緒にやって見せて直接手は出さない。
だから姪と雑貨屋さんとかに保育園~低学年の姪や甥を連れて行っても100円~300円とか渡して自分で好きな物を選ばせて自分で買うか決定させるし、これが良いアレが良いと言う誘導もしない。
買った物も「自分で持てる量だけ買うんだよ~?」と前置きして姪達が買った物は自分達で運ばせる。
ウチの親と伊勢原の義伯父は小生達が子供の頃、ザリガニを獲(と)りたいと言い出し伊勢原市の義伯父宅の近くの田んぼの用水路にザリガニを獲りに行ったら、親達がザリガニ獲りに必死に成り獲ったザリガニを子供に渡して来た・・・そう言う事じゃないし面白くないんだよな、それじゃ。
子供が自分で決めて自分の責任で行動するから、充実感も得られて失敗も成功も経験に成って自尊心も育つんだよ。
小生は親に自尊心を圧し折られる事ばかりされて来たので、絶対にそうしたく無いんだ。
・・・幸い小生の発想は子供に合ってるらしく妹とこも弟とこも子供達が懐いてくれていて嬉しい。
姪を送り届けてから遅い朝食を食べに11時ごろ横浜南部市場に移動した。
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最初、場外市場の御菓子問屋で買物してから場内の‟がってん食堂”に移動した。
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がってん食堂
がってん食堂は市場の食堂らしく安価で新鮮な海鮮と、鳥や豚等出汁(だし)の元に成る材料も調達できるので驚愕の値段で海鮮丼と拉麺のセットや美味しいハヤシライス等、市場の食堂定番メニューを食べる事が出来る。
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昨日は本日の海鮮丼&拉麺750円!
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超新鮮じゃないと食べられない生白魚、鯛(たい)、サヨリ、鱸(スズキ)の海鮮丼と超美味い醤油拉麺。
これで750円て、小生のブログで‟がってん食堂”初見の人はビックリするだろう。
但(ただ)し、横浜市営から外れて独立した南部市場の商店主達を潰したいのか横浜市の再開発(嫌がらせ?)で市場のど真ん中に在(あ)った買出し者用の駐車場が不可解に場外市場と場内市場を視界から寸断する様に工事壁が築かれて、場外~場内に移動し方が解(わ)かり難(にく)く成ってしまっているので小生が衛星写真に順路を書き込んで置こうと思う。
がってん食堂順路
―赤線が‟がってん食堂”の在(あ)る場内市場“水産棟”への順路。
〇青丸がってん食堂一般客用駐車場の位置。
がってん食堂の在る場内市場の水産棟と、対面の青果棟は朝の05:30~06:00くらいに一般客も買物出来るが07:00にはだいたい店は営業終了する。
もう横浜市営じゃないので一般市民も業者用の超絶新鮮な青果も海鮮も場内で買物出来る。

入口はシーサイドライン南部市場を降りて直ぐ目の前、其処(そこ)から入って直ぐ左に御客様駐車場も在る。
駐車場の目の前が場外市場で、こちらは大体、朝07:00から営業開始される店が多く13時位であらかた閉店する。
がってん食堂は朝の7時~12迄営業時間で、プロの仕入れ人だけでなく、近隣のビジネスマンや夫婦で買出しに来ている御客さんも食事に来る。本店が関内のフグ料理屋なので料理の味は本当に美味しい。
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この醤油拉麺も本当に美味い!
そして昨日は新鮮な鯛や白魚やスズキやサヨリの丼・・・
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繰り返すけど、これで750円て凄いでしょう?
腹ごしらえも終わり、会社に用事が有ったので電話で連絡して上司とコンタクトとってから車に乗り込んで田浦梅林に移動した。
この日の南部市場以外の行動予定は当初は曽我梅林&湯河原梅林だったのだが、午前中雨天で午後から晴れたのだが恐らく相模湾~箱根~青木ヶ原樹海は湿度が高くガスって梅林越しに富士山が綺麗に見えないだろうと予定を変更して田浦梅林&鎌倉市歴史文化交流館の企画展の大正時代の関東大震災の被害の展示を見に行く事にした。
南部市場から田浦梅林は車で30分程度。
でも到着したら駐車場が全て何処も満車だらけで、駐車できず先に鎌倉市歴史文化交流館を見に行き、田浦梅林は夕方に人が少なく成ってから再度来る事にして田浦から離れた。
位置関係 久良岐のよし
別に南部市場~横須賀市田浦~鎌倉市扇ヶ谷は車でそれぞれ30分の移動時間で大したロスには成らないし帰路も小生の家は円海山の麓なので六浦経由か大船経由に成るかの差で大して時間をロスする訳では無い。
しいて言えば正三角形に近い移動がS字の往復に変わる位(笑)。
鎌倉市に入り車を御成通りのコインパーキングに駐車、そこから徒歩5分で歴史文化交流館に到着。
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逗子で少し渋滞したので移動時間、だいたい40分くらいだったろうか?
この歴文は今は企画展で関東大震災の被害の様子と復興をテーマに当時の写真をふんだんに見る事が出来る。
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建長寺なんかの大寺院も悉く関東大震災で倒壊して、復興に檀家サン達の支援による相当な資金がかかったらしい。
今は当時と違って寺社建築の部材を作る職人も宮大工其の物も減ってしまったので、あと30年以内に来ると言われる次の関東大震災が発生したら鎌倉市の建築文化財も御神像や仏像等も元通りに修復~復興出来るかはハッキリ言って望みが薄い。
住宅販売業者が海外からプラモデルみたいな住宅キットを輸入して暴利むさぼり、ちゃんとした職人を壊滅の危機に追いやった責任は重い。だからこそ東急不動産のごとき土建屋は文化と自然の保護を重視すべきでトヨタ自動車やDENSOの様に技術継承をちゃんと行う職人育成や、円海山瀬上沢の蛍群生地の保護等に力を注ぐべきなんだな。
さもなくば、文化軽視のアナタ等の父祖の墓、日本文化と自然を大切にしないんだから祖先の墓も要らなかろう?先ずは自分家の墓所を破砕し父祖の遺骨をゴミに入れて捨ててしまえば?と思う。
まぁ辛辣な表現だが土建屋の中の無文化な部類の連中は、そうされても文句を言えない事を自分達がやってる自覚を持った方が良い訳だ。
ゼネコンの中の無文化な連中は本当に悪でしかない。司馬遼太郎先生も敵視してたがな。歴史作家のみならず自然学者や歴史学者以外にも宗教者の中にも、土建屋の無倫理史跡破壊や自然破壊を極左や極右のテロ行為並みに敵視してる人間が多いと言うのも自覚するべきだ。
さて・・・
企画展を見終えて、学芸員さんに幾つか質問をしてから田浦梅林に移動した。

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2019年02月23日時点、今年は冬至~初春が寒かった事もあり開花が遅れていて樹によっては2分咲き~多くても五分咲きと言う所だった。
まぁ~それでも涼しい空気と田浦梅林の今上天皇の生誕記念に1933年に大規模植林された梅林なので、古木も多く成り暖かくならないと咲かない株も多い。
なので見て来た感じとしては3月第一週の土日位が丁度見頃だと思う。
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一部陽当りの良い斜面は見頃に近い。
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紅梅の方が開花が早い様(よう)だ。
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まぁ少し早かったけど、ここは頂上からの眺望が良いので少し咲いた梅と足元の推薦を見ながら頂上展望台に向けて歩を進めた。
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水仙はそろそろ終わりの季節かな?多分、今頃は鎌倉市の稲村ヶ崎公園の水仙が綺麗に咲いているんじゃないかな?
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ここ等辺りはまだこれから、あと2週間は観梅を楽しめそうだ。
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3年前に来た時は、丁度良い満開に鶯(うぐいす)が群がりとても可愛らしく風流で日本らしい季節感を演出してくれていたんだな。
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その時にスマホで撮った写真。
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まぁ、昨日は午前中雨だったので晴天とはいえ空もガスっていて少し暗かったのだが、空気感は清々しくとても良かった。
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この山の向こうに“田浦廃村”と言う再開発計画が頓挫して500戸程の住宅が放置されてたゴーストタウンが在り廃墟マニアには有名だったのだが、今年、再開発計画が再始動して取り壊しが始まってるらしい。一度見て見たかったが、やはり浮浪者が住み着いたり放火されてしてしまうので警察官が頻繁に巡回していると情報があり行かなかった。
まぁ~史跡には興味有るけど廃屋は色々と怖いからいいや・・・と言いながら人が何千人も死んだ古戦場に普通に行くのはやはり趣味趣向の微妙な差の問題(笑)。
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梅って白にピンクがかってとても綺麗だね~。
花の中で一番好きなのが梅、次が山吹かな~。
桜も好きだけどね~。
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そして頂上に到着。
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めちゃ景色良いし、頂上は芝生で気持ち良い。
だからデートに来てるカップルや夫婦や子連れもいて、寒い天気でもホッコリする空気感が流れる場所が田浦梅林なんだな。天皇陛下は今年御退位されて上皇に成られる訳だけど、今上天皇の誕生日に植林開始された梅林が寒空でも天皇陛下の御人柄の様に人々をホッコリ暖かくさせる憩いの場に成っているのは何だか感慨深い。
そして古木も多く成り梅も疲れ始め新しい株の植林も始まっているので、天皇家と同じく田浦の梅林も代替わりが始まっているんだな。
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高速道路、横浜横須賀道路が見える。少しいくと衣笠インターチェンジ、つまり鎌倉武士団で源頼朝公の最大の支援者だった三浦一族の居城、衣笠城がこの先に在る。
少しストレス溜まっていた小生、午前中に姪が遊びに来てくれて、昼に美味しい魚食べて食欲を満たし、久しぶりに歴史欲(笑)を鎌倉歴文の学芸員さんとの情報交換で満たし、田浦梅林で清々しい気分に成り良い一日に成った。
そうそう・・・
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今年も帰りに田浦商店街の“ふじみや”の絶品スイーツ“梅どら”を買った。
田浦 ふじみや 位置 久良岐のよし
ふじみや菓子店
ここは米軍基地の軍人サン達も観梅に来た御土産として人気の店で、本当に和菓子が全て美味しい。
特に田浦梅林の梅で作った爽やかな甘露煮が入ってる“梅どら”が美味しい。
以前は息子さん夫婦が三浦海岸駅の近所で支店をやっていたのだが、そちらは場所柄人口も少なく店を閉店してしまったので今は横須賀市田浦の本店でしか買う事が出来ない。
とにかく美味しいので田浦梅林に観梅に行く予定の在る人は必ず食べて!と強硬に推薦する程に本当に美味しい。
小生は職場の上司と友人と両親への御土産と自分用(笑)に10個買った。
あと横須賀の相模湾側名物の“へらへら団子”もこの店で生産しているので購入する事が出来る。

最後に美味しい梅どらも食べて、良い一日に成った。

そう言えば本日2019年02月23日と来週は岡村梅林でもイベントが有りますよ~♪
2019年岡村梅林の夜間ライトアップ
岡村梅林2019年茶会
小生は仕事で行けませんが、御近所の方は行かれて見ては如何でしょう?
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昼なら車で直ぐの近所には横浜市電保存館もあって子連れでも楽しめると思います。

次は中田加賀守の御城址の御寺と菩提寺のどちらかの記事を書こうと思っています。
・・・では次の記事で御会いしましょう。






皆さんは鎌倉市の二階堂地区に源頼朝公が建立した壮麗な“永福寺”と言う御寺が曾(かつ)て存在していたのを御存知でしょうか?
その御寺は有名な京都府宇治市の平等院鳳凰堂や奥州藤原氏の拠点平泉の毛越寺と比肩して壮麗と当時は言われた寺院でした。
近年その永福寺跡の発掘調査が進み、この度、鎌倉市によって史跡として整備された記念に鎌倉歴史文化交流館で企画展“甦る永福寺”が12月09日(土)まで開催される運びと成りました。
鎌倉歴史文化交流館 企画展甦る永福寺 
小生は直接知り合いがおり今回の招待券を頂いていたので企画展の見学に行って参りました。
知り合いの職員の方と情報交換も有ったり調べ物を御願いしてあったので丁度良かったんですね。

先ず、鎌倉歴史文化交流館自体が今年開館したばかりの博物館で余り知名度も高くないので全国的には御存知の無い人も多いと思いますが、小生の個人的な感想として・・・
中規模の博物館ながら「恐らく南関東で一番、展示と解説の見せ方が美しく解り易い」美術館の様な素敵な博物館なのです。
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それもそのはず、この場所は旧三菱財閥岩崎家が住んでいた邸宅跡にして鎌倉時代の大寺院、無量寿院の跡地でもあります。建物も岩崎家の後にココに住んだ某出版社社長の巨大な自宅を改装しているので現代建築としても見応えが有りますよ。
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どんな場所かは以前に“今年6月の休日雑記”の中で解説しているので、博物館自体の様子を知りたい人は御参考までに以下の記事タイトルをクリックして記事を御覧下さい。

さて、では今回の解説の本題に戻ります。

この鎌倉歴史文化交流館の素晴らしい所は“館内の展示物の全てが写真撮影OK!”な上に、“触れる為の展示物も存在している”所です。常設展の素晴らしさは休日雑記の中でも紹介して有るので、其方(そちら)を御覧頂ければ良く感じ取って頂けるかと思います。
学芸員さんは歴史の楽しさを伝える為に、来館者と鎌倉時代の人の“歴史の時間を共有して貰いたい”との思いから、今回は発掘された永福寺の瓦2種類を実際に触ったり持ってみたりする事が出来ます。
体験を大切にする素晴らしい学芸員さんの素晴らしいアイディアですね。
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ジムで筋トレしまくってる小生でも「ん?」と感じる程度の重みは有ります。
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これは女性や子供からしたらソコソコ重いんじゃないかと思いました。実際に持つ事で御寺の規模を感じられれば子供にも良い経験に成りますね~♪。学芸員さんGood job👍
他の博物館はショボいレプリカの写真撮影すら拒む場所が殆(ほとん)どですからね~。
企画展で最初にパネルの解説で興味を惹かれたのが源頼朝公の彫像の写真でした。
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色が落ちちゃってますが、造形は良く姿を留めていますね~。
甲斐善光寺に保存されているらしいので、本来は信州の大寺院の善行寺から武田信玄が略奪した彫像の様ですね。武田信玄は信州や関東に来ては略奪と強姦と腐女子の奴隷売買を行った悪逆非道な輩として有名です。まぁ、この頼朝公像も鎌倉時代のまま信州の善光寺に在ったら、武田氏の滅亡で後ろ盾を一時無くした甲斐善光寺に保存されるよりも色彩も状態良く残ったのかも知れませんね。
次に目を引いたのが宇治の平等院鳳凰堂と平泉の毛越寺跡の写真です。
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実はこの両方が鎌倉の永福寺に酷似しているのです。
鎌倉歴史文化交流館 永福寺CG 
それもそのはず、そもそも頼朝公は都の文化が御好きな風流人だったのですが、奥州征伐で藤原氏の拠点の栄え様をまざまざと見せつけられ、そして自分と同じ様に風流を愛した奥州藤原氏の文化をリスペクトし、“平等院と毛越寺の両方の良い所を取り入れて永福寺を造営した”と言うのが通説に成っています。確かに発掘調査後の予想復元CGは両方にソックリですからね。
そんな頼朝公に建てられた永福寺も各時代に火災で再建されたり規模も様子も少しづつ変化した様で、その調査結果も見取り図で解説されていました。
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こんな感じで説明が有るので、素人でも良く理解できます。
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他にも経塚から出土した経筒や龜も展示されています。
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とても美しい水晶と純金製の数珠や・・・
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・・・盒子(ごうす)等も展示されています。
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800年前の人も素敵な装飾品を身につけてらっしゃったんですね~。
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他にも出土した柱や永福寺の瓦を組み上げた展示物が有ります。
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屋根や柱の装飾品も。
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・・・う~ん、全部の写真を掲載してしまうと企画展の面白みが薄れてしまいますので、展示物の写真の掲載はここまでにして置きましょう(笑)。
実は学芸員サンのアイディアと大学生有志ボランティアで今回、この他にも見所が有ります!
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これらの復元CGをバーチャルリアリティーで体験出来るんです!
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台数は3台有り、上映時間は一人につき5分程度、恐らくこの企画展に人が殺到すると混みあうので、まだ博物館の知名度の低い(笑)今の内が、この体験をしに行く絶好のチャンスだと思いますよ~♪
なんせ博物館の中は風雨も寒さも関係無いので、これから秋冬に向けても良いレクリエーションに成ると思います。
今週末、又、天気荒れるらしいですがソレも関係無く楽しめますしね(笑)。

皆さん、どうでしょう?
企画展“甦る永福寺”を見学して見たく成りませんか?小生の様に招待される客で無くても、ここは広く歴史と鎌倉文化を広め様と言う志の高い経営方針の博物館なので一般来場者の入館料も500円と激安です!

そして鶴岡八幡宮の近くの鎌倉国宝館では今年の10月21日時点~12月03日(日)の間、「鎌倉公方足利基氏」企画展も開催されています。永福寺展と合わせて見に行くなら今がチャンス!
・・・まぁ、紅葉の季節に成ってから扇ヵ谷地区の海蔵寺や佐助稲荷神社界隈の紅葉散策や、反対側の浄明寺地区の浄妙寺や報国寺の紅葉散歩と合わせて見学に来るのもアリですね♪
一応、以下に鎌倉歴史文化交流館のアドレスと企画展のホームページ掲載して置きます。
【鎌倉歴史文化交流館】
【CGによって復元された永福寺ホームページ】
http://www.bukenokoto-kamakura.com/yofuku-ji/cg.html

皆さん、そろそろ肌寒さを感じる季節に成りました。風邪等引かれません様に~。

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪



















2017年05月、鎌倉市に新しい歴史博物館がオープンした。
その名も鎌倉市歴史文化交流館。
どちらかと言うと地元民向けなのだが、歴史が好きなら観光客にもお勧めしたい場所が増えた。
実は、その歴史文化交流館の招待入場券を頂いていたので、昨日土曜日に訪問して来た次第だ。

来月に妹の方の甥っ子姪っ子を連れてキャンプ場に行く予定が有り、午前中は予約をしてから少しウダウダしていた。余り寝てないから二度寝した。
昼の12時頃、お腹も減ったので鎌倉の小町通りに以前から気に成っている葉山牛を出すステーキハウスが有り、ついでに、そこにも行こうかと思い出発の準備を始めた。
結局出発したのが1時過ぎだったので栄区方面から朝比奈峠へ入り鎌倉へ車を走らせた所、シッカリ週末の鎌倉の渋滞に嵌(はま)ってしまい結局近所なのに、駐車場の有る❝御成り町❞着いたのは2時近くだった。
ゴジラ御成町周辺 公式借り物 久良岐のよし
今日車を停めた駐車場が最近、丁度ゴジラに踏み潰された辺りだな(笑)。
御成り町の辺りは鎌倉時代は大名達の屋敷が立ち並び、問注所と呼ばれる裁判所が最初に設置された辺りだったりもした。
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近代に成ると多くの文豪が住み、これらの人を昔の❝鎌倉武士❞今の❝鎌倉文士❞と土地の人は言ったものだ。
まぁ、そんな訳で文化的な町で関西に例えるなら京都の哲学の道の様な雰囲気の有る地域だろうか?
銀閣寺周辺に似ている雰囲気かも知れないが、近現代の文化人が多く住んだので大正や昭和初期の近代西洋建築の私邸が多く残り、簡単に言ってしまうと❝上品な文化人と御金持ちの町❞と言った所だろうか?
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町を歩けば立派な邸宅が文化財指定されている看板をちょくちょく目にする。
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まぁ、一般の方の御宅も多いので公開されていない場合が多いが・・・
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古我邸の様に立派なフレンチレストランとして転用されている様に、飲食店として活用されている場所も少なくない。ここら辺は横浜の山手地区にも似た雰囲気なのだが、横浜の場合はガチの外国人居留地で鎌倉は元大名や財閥や文化人の大邸宅なので横浜の方とは違って何だかドイツの貴族の屋敷の様な雰囲気の規模と場所が多い。
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敷居が高い様に見えてランチは3800円と庶民の小生でも少し高いランチとして気張れば入れる。
本当はここで昼食でも良かったのだが・・・
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・・・生憎(あいにく)門前に「ウェディングパーティーで本日貸し切り」と看板が出ている。
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鎌倉で仙❝道❞だったら七里ヶ浜の鎌倉高校が湘北高校のモデルなのでスラムダンクっぽいが、この日の新郎は仙❝頭❞さんで一文字違い(笑)。
仙頭さん、宇山さん、オメデトウ♪
古我邸でランチするのは又の楽しみにして、当初の予定通り博物館見学後に小町通で葉山牛を食べる事にした。
古我邸を過ぎると緑も多くなって来た。
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直ぐに鎌倉市歴史文化交流館に着(つ)いた。素敵な石畳が続く。
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この素晴らしい自然に囲まれたデッカイ建物、実は最近まで某出版社社長の個人宅だったと言うから驚きだ。
この場所は古くは無量寿院もしくは無量寺と呼ばれた鎌倉時代の大寺院の跡だった。詳しい事は解っていないが、近くには鎌倉幕府の重鎮だった安達家の邸宅も在ったので安達家と関係の深い御寺だったのかも知れない。
その後、廃寺と成り、近代に三菱財閥の岩崎家が別邸を建てた。その為に敷地内の寺院としての遺構も良く残っていたので後で紹介しようと思う。
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中世の昔、御寺だった地形らしく谷戸(やと)に成っている。
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この博物館、案内状を頂いた際にパンフレットを読んでとても期待をする一言が書かれていた・・・
❝館内の展示物は全てフラッシュをたかなければ写真撮影自由❞
・・・この文言は普通の博物館では中々目にしない。
東京上野の国立博物館でも撮影は部分許可、ケチ臭い無文化な神奈川県と横浜市教育委員会の関わる横浜市歴史博物館や神奈川県立歴史博物館は撮影不許可。
流石、鎌倉の方々は子供を歴史を好きにさせる❝仕掛け❞を心得てらっしゃると思う。
中に入ると受付の女性は皆さんとても❝言葉遣い❞❝立ち振る舞い❞❝基礎知識❞等の接客を叩き込まれておりとても立派だった。そして愛嬌も有る美人さんで英語対応も可能だった。
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エントランスには鎌倉を代表する工芸品の鎌倉彫が展示されていた。
鎌倉彫りの彫刻って習える教室が沢山有るので彫ってみたいのだけど時間が無くて通えない。
こんな立派な入物、購入したらいくらするんだろう?きっと万単位の金額なんだろうな。
展示品だから数十万~数百万円はするのかも知れない。

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ホールの雰囲気はとても武士文化の鎌倉らしいレイアウト。
京都の下級貴族の侍(さむらい)の格好とは違う、関東武士の装いの流鏑馬の写真。
余り知る人は多くは無いが鎌倉市の扇谷地区には流鏑馬の武田流弓馬道場が有ったりする。
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ま、今回の訪問地は源氏山を挟んで反対側なので、そちらの説明はしないでおく。
歴史文化交流館は展示スペースの入口にも、非常に興味深い物が有った。
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日本を代表する名刀、正宗。その現代の工房、正宗工芸の社長が鍛えた刀と説明が有った。
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そしてもう一つ・・・
こちらはレプリカなのだが日本の歴史に登場する鎌倉にも関係の有る名将が着用した甲冑の完全なコピー。
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畠山重忠公着用の鎧の完全なレプリカ。
重忠公は源頼朝公から信任厚く、2代目の将軍と成った源頼家公の事を託された名将だ。
頼朝公の挙兵時に京都に居た為(ため)に止む無く平清盛の軍の指揮官として討伐軍に参加させられ、身内の三浦家と対立、三浦家の本拠地で有った現在の横須賀市衣笠の衣笠城を攻めて身内の三浦義明公を攻め殺す悲哀に見舞われた武将だ。この悲劇が頼朝公へ帰参後も後を引いて北条⇔三浦連合の陰謀により頼朝公亡き後に逆賊扱いされ横浜市の二俣川で数十人の手勢で数万の敵軍に囲まれ討死した。
その後は源頼家公は北条家に暗殺され、北条家と血縁の深い源実朝公が三代将軍に擁立された。
様は、野心は無かったのに権力争いに巻き込まれた悲運の武将と言う訳だな。
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この鎧の本物は現在も武蔵御岳神社に保管されており、現代に伝わる。
よく源義経が着ている鎧のイメージは、この重忠公の鎧のイメージだろう。
ついでに言えば源義経は猫背で明石家さんまみたいな顔だったと推測されているブ男だ。まぁ、義経は内面も私利私欲の塊だったんだがな。
他人の手柄を自分の手柄の様に報告する最低な今で言ったらモンスターパワハラ上司だったのは歴史が本当に好きな人には有名な話。
実際に俗説に❝鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし❞と呼ばれた迂回奇襲戦を立案したのは名軍師で三浦半島の佐原出身の三浦一族の佐原義連(よしつら)公だったし、その作戦を実行実現したのは摂津源氏で関東では横浜市都筑区センター南の茅ヶ崎城に住んでいた多田行綱だった。ましてや木曽義仲討伐戦で活躍したのも近江源氏の佐々木高綱公と我が郷里鎌倉郡の梶原景季(かげすえ)公だった訳だ。
まぁ、そんな事を畠山重忠公の鎧の色を見て思い出した。
最初の展示室に入ると鎌倉の歴史が解る年表が有る。
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小生が体得した歴史観と同じく、やはり鎌倉も弥生時代に海面下だった現在の平地部分が隆起している事が書かれている。
だから言う。日本武尊の東征は地殻変動に由って隆起した海底が湿地と成り、耕作地に向いたために現在の神奈川県中央部の新たな開拓利権で係争が起きて、そして佐賀牟国と磯長国の再統合と分離によって相模国と武蔵国の再編が行う為の大和朝廷に由る軍事介入だったと言う事を。
そして、それが証拠に現在恐らく❝武蔵国造の乱❞との名だけで伝わるこの係争を纏めたのが日本武尊で、実際は学者が言うよりも数百年前の話だろう。実際、武蔵国造の乱で朝廷に接収された久良岐郡や橘樹郡や多摩郡は非武装地帯の様に配置され、更には軍馬の生産地としても有名だった場所と港の有る土地だ。
まぁ、考古学を危険視する宮司もいれば、神道をコケにする左派歴史学者もいるが、小生に言わせれば考古学と日本神話は必ずリンクしているんだな。
つまり日本の神様ってのは、自然の聖地が神格化されて大切にされたパターンの他に、弥生時代~古墳時代の天皇家や豪族王後の貴族の弥生時代の祖先の事ってのが良く解る訳だ。
宮司さんの中には弥生時代を原始人の時代位の認識のトンデモ人間もいるが、日本の弥生時代末期は結構農耕も栄えた上に金属鋳造技術も獲得していたし、例えればギリシャのポリスみたいな連合体がいくつも有って原子国家が既に成立していたんだな。
まぁ、そんな事も年表見ながら考えていた。
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壁面には、こういった解説パネルに合わせて下に実物も展示されていた。
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こんな感じ。
中でも小生の興味を引いたのは、下の文書(もんじょ)。
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小生が毎日御参りする足利持氏公の文書。
戦国時代の幕開けとなる永享の乱を戦った鎌倉の将軍、くじ引きで室町幕府の征夷大将軍に成った比叡山の僧侶出身の残忍王とも言える足利義教と対立して滅ぼされた関東の将軍様だな。
この御子孫が、横浜の殿様の間宮家や吉良家が御仕えしていた足利成氏公な訳だ。
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まぁ、日本の歴史の中で国家の宰相に成ってまで同氏族同士で殺し合ったのは、後にも先にも、この足利家と藤原一族くらいだ。まぁ、足利尊氏公以後の足利家はハッキリ言って血縁的には半分以上の遺伝子が藤原遺伝子なんだけどね。
藤原が治めると日本は治まらないんです。
桓武天皇の御子孫の平氏か、宇多天皇や清和天皇の御子孫の源氏が統治しないと日本駄目なんだな史実として。
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まぁ、戦国時代に伊勢平氏の子孫の北条家が統治した土地はやはり善政が敷かれていたし。
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小生が顕彰活動をする玉縄北条家の北条綱成公の居城、鎌倉市大船駅近くの玉縄上司の縄張り図も玉縄城址まちづくり会議の荒井会長達が作成した物が展示されていた。
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あと建築利権と結びついた横浜市長と市の役人とは違い、鎌倉市は歴史風致を乱した過去の開発業者も曝し上げている(笑)。
本来、文化保護の為に教育委員会は斯(か)く在るべきだ。この施設の館長は良く解っている。
ここに来ると林文子横浜市長や横浜市役所の役人による城址破壊の許可と不保護、神社仏閣の関連する風致地区の破壊と商業開発が如何に文化的にレベルが低いかが良く解る。
だから横浜市は全国でもワーストの文化財保護法の設置の遅さだったんだろうな。
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ここは合戦で武士が着用していたと思われる武具の展示も有る。
恐らくコレを着用していた人物は死んだんだろうな。
これが和田合戦か宝治合戦か鎌倉幕府滅亡の時かは解らない。或いは安達家の滅亡の時かも知れないし。
まぁ、こう言った発掘されたまま修復せずクリーニングを施した展示物は生々しく血の匂いが伝わって来そうで現在の平和の有難みも解って良いと思う。本当に見せ方が上手い。
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この鎧は着用していない脱がれた状態で埋蔵された様だ。
形式から見て鎌倉時代の物だろう。
他にも色々あったので写真を張り付けて見る。
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まぁ、他にも沢山有り、適度な量を解り易い説明で展示されていて、とても頭に入り易い。
よく考えられた構成に成っていると思う。
中でも特に面白かったのがコレ・・・
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立体地形図にプロジェクションマッピングを利用して、各時代の様々な情報を地形図上に再現する。
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これは基礎知識も無い人でも本当に解り易いと思う。
ただ、言葉は大人向けなので対象年齢は中学生以上と言った所、馬鹿は大学生なら何言ってるか解らないだろう(笑)。
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他にも、多分、武士か商人のヘソクリみたいな4万枚の宋銭なんてのも有った(笑)。
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まぁ、本当に良い展示の仕方だよ。感心するばかり。レイアウトも綺麗。
これは若い女性の学芸員さんだったり、職員さん達が鎌倉の洗練された感覚を持ってるだからだろうね。センスが良い。
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近代まで全時代を網羅した博物館なので近代文学の事も紹介されている。
小生は横浜の有島武郎と、妹が大学時代を過ごした松山市を舞台にした坊ちゃんの夏目漱石の小説は高校生の頃にいくつか購入して読んだ。担任の先生に「オマエ、そんな趣味あるのか?」と驚かれたが嵌ったのは一時だけだった(笑)。
その後は孫氏の兵法や史記や心理学の本を何故か読み漁り、後は現代で言う所のラノベと言うジャンルの小説を読んでいたかな。
部活では格闘技をやっていたが、何をやっていたかは敢えて言わない(笑)。
さて、ここは博物館の建物自体も現代建築として価値の有る場所な訳だが・・・
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建物の中から御寺時代の名残も見える。気持ちいの良い谷戸と草原の風景。
そして面白いのが神社風の建物も有った。
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茶室か何かに使ったのかな?パっと見は神社建築の幣殿部分みたいな感じ。
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別館が有り、エントランスから庭に出て移動する必要が有る。
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少し散歩してみた。池が有る。
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鎌倉の寺院に良く見られるのだが、鎌倉市街は平地で井戸を掘ると昔海だった影響で塩分濃度が高く引用に適さなかったそうだ。そこで埋葬用の矢倉とは別に岩窟を掘る、すると鎌倉石は水を良く通すので岩窟に水が溜まる。その水を一か所に集めて生活用水にしたり、池を満たして庭園を整備した様だ。
まぁ、下の写真みたいに低所に有るのは石塔が建てられ石塔内に納骨された埋葬地だったのだろう。
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鎌倉時代の骨壺は、戦国時代や江戸時代に茶器として転用する目的で多く盗掘されてしまった。
横須賀市衣笠の三浦義澄公の御廟も石塔の納骨部が叩きわ割れてしまって中身が無くなっていた。
罰当たりな盗掘者はきっと不幸な死に方をした事だろう。
それと同じだよ、横浜市と神奈川県の役人と政治家で古代からの聖地や先人の歴史史跡を調査も保護もせずに開発利権の為に破壊する奴は。
まぁ、その話は置いておいて・・・
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別館も展示物が並んでいる。
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こちらは流通や経済や人々の暮らしが解る展示解説が多かった。
そして、綺麗で国際派美人の受付の御嬢さんに色々と親切に対応して頂き、とっても物腰柔らかく美人で皇族の眞子様の様な学芸員さんと色々と話し情報を交換したり、周辺の郷土史をレクチャーして頂いたり出来た。
本当に丁寧な接客をする施設だな。感心する。
そして個人的に女性は才色兼備で内面も出来た人が多いと思う。
そして人意外にも素晴らしいものがココには有った。
博物館の敷地には、昔の御寺時代の奥院だったんだろうか?稲荷神社の跡地が展望台に成っていた。
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ここに在った御稲荷様は、博物館の建設の際に宗教的な見地から同じ源氏山の山麓に在る葛原岡神社に遷宮したそうだ。
まぁ、そのまま稲荷様として鎮座して頂いて良かったとも思うけれど、神社として多くの人に拝まれる方が神様的には幸せかもしれない。
ただ、御稲荷様ってのは御祭神が宇迦之御魂(うかのみたま)神で、本来は水の湧く洞穴何かに祀られた湧水地の神様なんだな。そしてこの歴史文化館の稲荷社の跡の崖地からは水が湧いているので、宗教的な本来の意味から言えば、ここにいらっしゃらないと意味が無いんだとも個人的に思うのだが・・・
古代人とって飲用水の確保ってのは命を繋ぐ財産の確保だった訳だ。だから神様を奉って大切にした。それが宇迦之御魂神だった、それが弥生時代に稲作が普及すると、水の役割が農業用水としての重要性に代わって来た。
そして漢字の導入が始まると宇迦之御魂神の字に倉稲魂命が当てはめられる訳だ。財産が水から米に変わったからだな。
更に平安時代末期に成ると、貨幣経済の普及によって財産の象徴が米から貨幣に代わり、財神としての性格を持つ弁財天様が宇迦之御魂神様と同一視されて祀られる様に成った。
この経緯が良く解るのが❝銭洗い弁天❞こと宇賀福神社や・・・
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江ノ島の弁財天様だな。
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もっとも、弁財天様には軍神としての性格も強いので昔は弁才天と書いた訳だ。
頼朝公が弁財天様を信仰したのは、その為だな。まぁ、頼朝公は熊野信仰や富士山信仰、大山信仰等の山岳信仰マニアで横浜市金沢区六浦にも浄願寺って大寺院を山の上に建てたりしたんだが、そこもやはり横浜市教育委員会が多くの学者と地元民の反対を無視してマンション建設許可を出してしまったんだな。戦後に横浜市から消された歴史史跡と宗教史跡は数が多すぎる。
本当、横浜市の横浜市歌すら歌えないカッペ職員は罰当たりな奴が多かったんだよ、昔は。
今は市長がクソだけどな。
そこを行くと、左翼横浜市と違って昔から文化人の多い鎌倉市の教育委員会は鶴岡八幡宮や御寺さんと関係が密接な有り、文化保護や調査に対する意識が高い。
だから、この歴史文化交流館みたいな素晴らしい施設を創生する事が出来るんだろう。
さて、歴史交流館の稲荷社跡地には宝物が有る。
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それは鎌倉市街~材木座~由比ヶ浜~小坪~住吉城址を見渡す眺望だ。
この写真は小生の撮影技術の未熟さで余り良くないが、本当に素晴らしい景色だった。
ここは鎌倉の中央図書館からも近いので、又、文献読みに来る時に是非、立ち寄りたい。
さて、鎌倉市歴史文化交流館を後にして、腹もすいたので小町通に葉山牛を食べに向かった。
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途中、踏切を渡る直前に正宗工芸の前を通ったので刀の製造過程の展示の写真を改めて撮影して来た。
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ショーウィンドーに常設されているので誰でも見る事が出来る。夏季は刀を打たないので、冬季に成り予約をすれば製造している所を少し見せて貰えるかも知れない。
小生は幸運な事に高校生の頃に自分で電話番号を調べて刀が好きな事を伝えて見学させて頂きたいと伝えた所、粋な計らいで学生と言う事も有り機械のハンマーで鍛える行程と使用する道具、昔の道具を見せて貰う事が出来た。
本当は高校卒業したら刀鍛冶か宮大工に成りたかったのだが親の反対で断念した経緯が有る。
もし高校生の頃に戻れるなら親の言う事を無視して、正宗工芸に弟子入りしたいなぁ・・・。
この日は外国人のお客さんが牛刀を買って、社長と中で写真撮影をしていた。
ふむ・・・無文化日本人より親日家西欧人の方が日本文化に理解が有り、今では余り知る人もいなくなった名刀正宗の工房を訪ねて来る訳だ。
正宗工芸を過ぎて踏切に差し掛かると小町通が見えて来る。
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相変わらず週末は賑わっている。歩くのも少し気を付けないと人にぶつかりそう。
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目的のステーキ屋に着いた。そして絶望・・・
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・・・以前見た時はランチで3800円位のコースが有ったと記憶しているのだが、朝5時~7時とかとんでも時間に御試しコースが設定されていた。
そして通常のランチは一番安くても5000円前後だった。小遣い予算オーバーに成るので断念。
小生の味方、小町で小腹を満たす場所と成ったここ・・・

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この路地を入った場所に有るシラスたこ焼きの店。
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たこ焼きの中にシラスが入っているのだが、正直シラスの風味は余り感じない(笑)。
でも京都に住んでいた事の有る小生からしても、ここのシラスたこ焼きは普通にタコ焼きとしてとても美味しい!
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先ずはこれを食べて、そして帰りにコロッケを別の店で食べると安く上がる(笑)。
食事を終えて、小町通にある芸林堂と言う行きつけの古書店に立ち寄ったのだが、生憎写真を撮影し忘れた。
しかも欲しい本が高くて手持ちの小遣いで買えず(笑)、何故かトンボ玉を買ってしまった。
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芸林堂を出ると、次は社塔と言う和紙専門店に移動。
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ここには1年間に2回位来る。
色んな要望に応えて下さるので助かる。
以前、御朱印の収納するアルバムを作成した時に千代紙をシールに加工して下さったり、特殊な御朱印を頂く為専用の色紙等を用意して下さったり、本当にお世話に成っている。この店は小生の土地神様の神社の宮司様から教えて頂いた場所だ。
今回は延喜式内社用の御朱印帳がいっぱいに成ってしまったので、分解してページを継ぎ足し外装も新調しようと思い改造用に和紙を購入した。
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綺麗でしょ?
和紙もちゃんと持ち運びに耐えれるように梱包して下さる。
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本当に親切なお店だし、品揃えが豊富で鎌倉で好きな御店の一つだな。
帰りにマメヤによって、青梅味の豆菓子を買い、帰宅前に寄る弟の所の姪っ子達の御土産にした。
無論、自分の家用も買って。
そして鎌倉を離れ横浜市域に戻り、弟の娘達に先日製作して上げたストラップと豆菓子を渡して来た。
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ふむ・・・
良い博物館が出来て嬉しい。
そして綺麗な風景も見れたし、綺麗な御嬢さんと沢山話せたし(笑)。
行動範囲は狭かったが良い休日に成った。

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