歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:間宮綱信

平安末期以来の武士金子家と岡本家が守っていた要害化された“観音山”と言う山が横浜市にありました。
Google mapに簡単な解説投稿しました。
御興味ある方は御覧下さい⤵️
現代では近くの横浜横須賀道路建設の影響か地図から山の名前も行政によって消されてしまっています。
戦国時代の岡本家と金子家の主流は北条家臣として北条所領役帳にも登場します。
岡本家は綾瀬市辺りを治め、金子家は鎌倉時代には青梅市を治め戦国時代には北条家臣化し新横浜駅近くの篠原城の城代を務めました。
磯子区域の両家分家は1560年頃には笹下城主間宮与力となり、磯子区の岡本家は江戸時代には分家し徳川直参旗本に成った氷取沢間宮家の宿老となり江戸在住の氷取沢間宮の殿様に代わって氷取沢陣屋を守り続けました。
氷取沢陣屋の跡が氷取沢神社の旧境内地です。
岡本家は直系の他にも能見台辺りを治めた野本家から婿入りした家が有り、それぞれに屋号が今も残ります。
屋敷家、藤左衛門家、酒屋家、星山家、前家等です。
其々の由来を推測すると面白いですね。
屋敷家は陣屋を守っていたのでしょう。
藤左衛門家の左衛門は官職名由来で、左衛門は間宮家が付家老として仕えた上官、北条綱成公の左衛門督に由来する官職です。
間宮家は豊前守(ぶぜんのかみ)と左衛門尉(さえもんのじょう)を代々名乗っていました。
氷取沢市民の森は今では鳥の囀ずり美しい緑地に山城地形のふんだんに残る遊歩道です。
過去に間宮家や岡本家や金子家や氷取沢周辺磯子区の関連記事を幾つか書いています。
以下にリンクを貼るので御興味有る方は御覧下さい。











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明日、2016年10月23日(日)、元八王子で❝北条氏照祭り❞が開催されます。前日22日土曜日は八王子城址の案内所で解説者による講演も有ります。
北条氏照祭り公式様拝借 久良岐のよし 
※画像は公式様拝借。
2016年第5回 北條氏照まつり←八王子市のホームページ該当ページ
北条氏照(うじてる)公は武田信玄が南関東に兵23000の大軍を率いて略奪に来た際に、農民を滝山城内に保護し手勢3000で籠城しました。防御構造の複雑な滝山城三ノ丸に武田勢を引き込み痛撃し撤退させた部将で小田原北条家の一門でした。
方面軍総指揮官としての実績には疑問は残りますが、自ら率いる滝山衆(後の八王子衆)だけで行った合戦では負け知らずでした。そして内政力が高く城の水掘り代わりの溜池を利用して城下の農村の水田を灌漑水田にして生産力を上げた実績も有る方です。
付家老は北条家相模十四騎筆頭の間宮家、その間宮綱信(つなのぶ)公と言う殿様や後に水戸徳川家の家老にも成った中山家等の古来の坂東武者の一族達でした。
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元八王子には❝日本100名城❞の一つに選ばれた八王子城も有ります。
この城は間宮綱信公の縄張り(なわばり=設計)と伝わっています。間宮綱信公は北条家の外交官として横浜市の小机城代笠原政尭公と共に織田信長公に謁見し、名将の滝川一益公に接待され安土城下を遊覧されたりした人物でもあります。
八王子城自体は立派な規模の居住区の御殿や武家屋敷だけ完成し、背後の城塞部分が完成する直前に豊臣秀吉配下の上杉景勝・真田昌幸・前田利家・裏切った大道寺政繁の大軍28000に攻められ、防御準備不足、更に北条氏照公が不在だった事も有って落城してしまいました。
もし完成していたら、この城も成田甲斐姫の籠城した忍城、北条氏規公の籠城した韮山城と共に豊臣軍の北国軍を足止めし、北条氏勝公の籠城した玉縄城とも連携して小田原北条家は豊臣軍を苦戦させた事でしょう。
もしくは滝山城を更に改修するだけでも、武田信玄を撤退させた名城だっただけに豊臣軍を苦戦させ長期戦に持ち込めたのは間違いないのですが…
しかし、この城が完成する前に豊臣家と開戦する事態を招いた事自体は、北条氏照公の実兄で北条家当主の北条氏政公の戦略眼や戦力比較分析力の低さ、北条氏照公自体の性格にも原因が有るので歴史にif無く結果が全てとも言えます。
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御殿跡の近くには❝御主殿の滝❞が在りますが、ここは多くの神社仏閣を巡礼している小生には延喜式内社の聖地と似た様な雰囲気を感じるパワースポットの様な場所で、高さ3mほどの小さな滝です。
御主殿や滝の有る場所は谷間で、とても清々しい空気感が漂っています。
ここに姫様や家臣達が飛び込んで自殺したとアホな事を書く学者がいます。それを鵜呑みにする自称霊能者もいます(笑)。
現地に行けば一目瞭然(笑)高さ3mの滝に大勢で飛び込んでも下の人は良くて骨折、飛び込める人数も狭いのでせいぜい1人~3人(笑)、アホ学者や偽霊能者が言う様な事は起こり様も無い(笑)!
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そして山上の要害部分からはとても眺望が良く、空気が澄んで居れば新宿副都心やスカイツリーも見渡す事が出来ます。
そして❝御主殿の滝❞の説明でも申し上げましたが、ここは延喜式内社の様な正常な空気が漂っています。
実は、古来、この八王子城の山自体が牛頭天王信仰の聖地でして、京都の東山や祇園八坂神社、愛知県の津島大社、と同じ様な神道で言う所の素戔嗚尊信仰の聖地だったんです。
八王子市の名前が牛頭天王の八人の王子と姫を祀(まつ)る、この八王子神社に由来している事を知っている人は現在では多くないかも知れません。
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しかし八王子城本丸には現在も八王子神社が鎮座しています。
夏も過ぎて大分と涼しく成ったので山登りがてら八王子城を散策するのも良いと思います。
八王子城の麓には宗関寺と言う御寺が在ります。
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この御寺は旧北条氏照公家臣団によって江戸時代初期に建てられた北条氏照公の菩提寺です。
氏照公の御廟所は小田原市内と、この御寺の背後の山に在ります。御朱印も既に作成して有る物を頂けます。

ちなみに、この元八王子から車で30分位の距離に❝新選組❞所縁(ゆかり)の日野市があり、新選組幹部の子孫が運営している資料館が沢山有ります。でも御子孫の資料館は日曜日しかやっていないので注意して下さい。訪問するなら❝日野本陣❞と言う甲州街道の陣屋で、土方歳三さんの親戚の佐藤彦五郎さんの自宅 兼 天然理心流の道場だった旧庄屋の邸宅が見所として御進めです。
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ここには近藤勇さんも土方歳三さんも沖田総司さんも井上源三郎さんも度々稽古だけでなく遊びにも来ていたそうです。
この御屋敷の前に道場が在りました。明治天皇もこちらに在った専用の部屋に宿泊されたそうです。
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そして、もう一つ。この❝新選組のふるさと歴史館❞も日野本陣から車で10分程度の場所に在ります。
中には日野市の歴史と新選組に関する展示物が有って、学芸員さんに色々質問すると詳しく解説して下さいます。
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近藤さんのお兄さんの宮川さんの御子孫、土方さんのお兄さんの御子孫、井上源三郎さんの養子の御子孫が一緒に檀家になっている高幡不動尊も、日野市に在ります。
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とても大きい昔ながらの神仏習合の伝統を守る真言宗の古刹で、境内には明治時代以前のまま、御寺と神社が融合して存在しており飛鳥時代~江戸時代までの本来の日本文化を見る事が出来ます。
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ここでも土方さんは多摩地域の誇りとして銅像が立っています。

どうでしょう?こんな戦国時代にドップリつかれる元八王子と北条氏照祭り、近くの日野市の新選組関連の史跡、是非、お散歩がてら見に行って見ませんか?

では!又、次の解説記事で!



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朝6時半に友人と駅で待ち合わせ車でピックアップ…
なかなかの日帰りで日程パツパツに詰め込んだ遠出強行軍をする日に、人の同行を許す事は無いんだけどね。
今日は特別な場所にアポを取り参加を御許し頂いていたので、先方に同行者を連れて行っても良いと許可を先に頂いてから、友人に同行するか声を掛けていた。
6時半出発
→午前7時ちょい、海老名SAで朝食を物色。
名物メロンパンを購入。
再び出発
→東名高速〜圏央道経由して本日第1の目的地に到着。予想に反して早く1時間チョイで到着。
そこは日本100名城の一つ、八王子城址。
まぁ、八王子城址は別記事で詳しく書くつもり。
実は、文献しか読まず現地を訪れないステレオタイプ歴史学者を小馬鹿にする素材がここに在るんですよ(笑)。
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御主殿の滝。
高さ2~3m程度の小さい滝、滝つぼの深さは僅かに20cm程度。
このすぐ隣が嘗(かつ)ての御殿(ごてん=殿様の普段の家)跡が在る。
ここは現地も訪れない❝誰かが書いたいい加減な資料をコピペするだけで現地視察もしない無能な小説家と学者❞達が❝城が完成前に真田昌幸公・上杉景勝公・前田利家に2万超の大群で攻められて、守る兵士が僅かの八王子城は北条氏照公配下の武将と御姫様達が御主殿の滝に飛び込んで自害した❞と有り得ない事を妄想で書いて心霊スポットにしてしまった場所なんだな(笑)。
酷い風評被害(笑)。
2mの場所から飛び降りても、やれて酷い打撲か骨折…死ねるか(笑)!
しかも!御姫様や家臣達が皆で飛び込む程広く無いし!
アホのウィキペディアで飛び降りて死んだとかコピペ編集したバカは、ここで飛び降りてどうぞ(笑)。
この小さい滝は水も綺麗で寧ろパワースポットの様に小生は感じましたよ。
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八王子城は未完成でしたので1日で落城した。
写真の通り、居住区の御主殿付近だけ防御施設が完成しており山上の要塞部分は石垣化は進行中だったものの、まだまだ防御施設は不十分な状態だったと思われる。
中腹ぐらいまでは大規模な畝掘り(うねぼり=山の斜面に縦に空堀を掘って、敵が山を自由に横移動出来なくする施設)も見受けられた。
…と、言うか又、八王子城を別記事で書く時に詳しく城址の説明はしますが、落城の原因は恐らく未完成だっからでは無いと小生は思った。
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※山城に行く恰好じゃない↑友人。
1日で落城した原因は、裏切者のせいで周辺の狼煙台が抑えられ機能しなかった事と、直接城内に通じている旧陣馬街道の存在のせいだと思う。
推測だけれども…
恐らく元身内で裏切者の大道寺政繁が、前田利家達の大群を先導し、北条側から補足され難く尚且つ直接八王子城内に続く山間の陣馬街道に現れたから、山上の要害部を守る武将はろくに交戦も出来ず尾根伝いに撤退するしか無く、陣馬街道より下に在る御殿に住む姫様達は逃げる間もなく自害するしか無かったのが真相なんじゃないかと思う。
それが、たまたま御主殿の滝のそばだっただけで、別に滝壺に飛び込んで死んだ訳じゃないと思う。
だって、御主殿の滝は飛び込んでも死ねないからね~。
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実は八王子城の本丸は関東の素戔嗚尊=牛頭天皇信仰の本場だった八王子神社の付近に在る。
八王子の地名の由来も、この八王子神社が起源だったりする。
関東は関東最古の大社で関東総鎮守と言われた鷲宮神社でも、武士団から関東総守護と呼ばれた神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社でも、関東は出雲系の神様が開拓した神話が残っている。
つまり、鹿島神宮も本来は出雲系の神様のいた場所を、藤原氏が乗っ取って自分の氏神を祀ってしまった事が良く解る場所の一つが、この八王子神社だった。
古来の関東人の信仰を守り伝える場所が八王子城と八王子神社だったりするので、場内には古代からの山間の尾根の古道旧陣馬街道が在ったりする…
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城址には梅も綺麗に咲いていた…
植物に例えると梅の花の様な女性が素敵だと思う。
早く梅林紹介の記事も完成させないとな。

八王子城を見終わったら、城址駐車場の手前にある八王子城の資料館を見学してから、更に手前に在る北条氏照公の菩提寺宗関寺を御参りして来た。
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曹洞宗の御寺。
北条家は曹洞宗を主に信仰する家風が有る。
だから、神奈川県内や東京都内で曹洞宗の古い御寺を御参りすると、大体が北条家やその家臣と関係が有る。
無論、北条家は他の宗派の御寺も保護されていましたし、家臣団は北条家臣として曹洞宗の御寺を守る以外にも自分の信仰する宗派の御寺を菩提寺にしていたりもしています。八王子神社や鶴岡八幡宮の様に神社も多く復興していて、北条家が文化を厚く保護する家風だった事も、歴史を好きに成ると解ったりする。
御参りし終わり、次は隣の日野市に移動…
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日野館と言う手打ち蕎麦の名店で食事。
実は、この店、元は旧甲州街道沿いの宿場町だった日野宿(ひのじゅく)の本陣で元々営業していましたが、建物が重要文化財に指定されてしまった為、元の場所から1㎞有るか無いか位の離れた場所に移転して営業している。
でも内装も落ち着いて綺麗。
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小生は鴨汁つけ蒸籠(せいろ)食べてきた。
その後、新選組ゆかりの日野宿本陣に移動。
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電車だと日野駅から徒歩5分~10分て処か?
小生は約10年振りの来訪。以前、友人と来た時に写真を撮影していなかったので、今回は写真撮影が目的。
ここの住人が実は新選組副長、土方歳三サンの御姉さんが嫁いだ日野宿の名主の佐藤彦五郎サンだった。
この門の在る辺りに昔は天然理心流の道場を佐藤彦五郎サンが所有していて、そこに近藤勇サンが稽古を付けに来て、土方サンや沖田総司サン、新選組六番隊隊長の井上源三郎サンが修行をしていた。
ここも、また、改めてブログで紹介したいと思う。
一しきり見学を終えると、次は…
❝日野市立新選組のふるさと歴史館❞に移動。2016-02-13-13-29-18
ここで、友人を放置したまま(笑)、学芸員の方を捕まえて色々、地元ならではのコアな話を教えて頂いた。
ついでに戦国期の後北条と日野市の関連性も教えて頂けた。
2016-02-13-13-30-09
エントランスの土方さんの写真。イケメンなんだけれど、なんかヒロミチお兄さんに似てる…
見学終わり、今日のメインディッシュ!
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なんと天然理心流の稽古に加わらせて頂いた!
奥に見える白い道着を着用されている人物は、新選組六番隊隊長の井上源三郎サンの跡を御継に成られた親族養子の御子孫で、井上源三郎さんから数えて5代目の方。
そして、今日は宮川先生もいらっしゃったが、宮川先生は近藤勇サンの実兄の御子孫。
行く前はピリピリした雰囲気を想像していたが、実際は三谷幸喜さんのドラマ❝新選組!❞のアットホームな近藤さん友人隊士達の関わりそのまま、とても暖かくて優しい雰囲気の不思議な空間でした。
とにかく、宮川先生も井上先生も親切で御優しい方だった!

この天然理心流の道場の近くに立派な御寺が在ったので、多摩に来た御土産購入ついでに立ち寄ったら…
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なんと、この御寺…
土方歳三サンの菩提寺の高幡不動尊こと真言宗高幡山金剛寺だった!
日本の神道も大切にされている真言宗だけあり、境内には稲荷社や弁財天様の神社も在った。
昔の平安~江戸時代の武士の価値観を受けつく由緒正しい御寺だ。
開基も清和源氏の家祖である清和天皇だったりする。
天然理心流や坂東武者に相応しい御寺だ。
土方さんの菩提寺なだけあり、どうりで商店街の饅頭屋の看板が↓コンナのに成ってる訳だ。
2016-02-13-16-03-10
御土産も買えたし、沢山、北条家と新選組の資料も集めれたし…
新選組所縁の御子孫にも御会いできたし、有名な御寺で奈良時代~江戸時代まで続いた日本人の神様も仏教哲学も大切にする思想であり、清和天皇の価値観でもある神仏習合の御寺も御参り出来て、良い休日に成った。
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