歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:間宮綱信

中国現政権は自ら香港市民に対して確約していた一国二制度の“約束を違え”た、そして成功していた融和統治を自ら失敗に引きずり込む墓穴を掘った。
現政権は失敗した政策を、面子の為に更に強硬に進め更衣兵を送り込み武力弾圧に発展させた。
最近は習主席が自ら威嚇と統制の為に更なる大虐殺に発展させる可能性を述べた。
外国人である小生から見て、その様子は文化大革命を引き起こし中国の高文化階層と有能な人材を大虐殺した毛主席末期の姿に酷似する。
必ず唐山大地震の時の毛主席と同じ失政をするだろう。
唐山大地震の発生時、毛主席は文化大革命を引き起こし劉政権を転覆させた直後であり己の統治力の沽券を重視する余り、世界諸国からの緊急救援要員及び物資の供給支援を断固固辞した。
結果、中国では公称で被災者25万人が“死亡”し、アメリカ合衆国調査では60万人超が死亡している。
赤十字等はアメリカから派遣されているはずなので、アメリカ側の情報がより正確だろう。
今の習主席のロジックと酷似する。
当時、毛主席は優秀な相国の劉少奇主席と周恩来首相と趙紫陽総書記等を遠ざけ政敵とした。
自政権を維持する為にヒトラーのナチスSSと同じロジックで紅衛兵を組織させた。
毛主席は戦略家としてはアジアの歴史を見ても優秀で、先導者としてカリスマも備えている優秀な“大将軍”だと個人的に評価している。
が、彼はあくまでも軍事政権を纏める棟梁であり知力と統率力に長けたが、内政力には欠けた。
それを補っていた人材が劉少奇主席と周恩来首相と趙紫陽総書記等だった。
彼等の名前を上げると不愉快に成る中国人もいると思うが、彼等がいた。
加えて英国と米国を対日戦線に引き込む外交を成功させたのは中華民国の蒋介石総統であり、中国共産党の功績ではない。
彼等がいたから、我が国日本はアメリカの中国支援の事態を招いて中国侵略に失敗した。まぁ、昭和天皇は孫文先生の作った中華民国支持者で対中開戦に反対し命令撤回の要求まで軍部にしたんだけど、それを知らない中国人だらけ。
昭和天皇は漢末期の皇帝みたいに成ってしまっていたのよね。
漢末期の皇帝と違い今の習主席には正面と背中を守る信頼出来る親友の様な人材は居ても、文革直後の毛主席同様に彼に直言し補佐を為し得る人材が左右にいないのかも知れない。

日本の右派は毛沢東主席達を侮るが、中道派の小生から見れば事実として彼等は撤退しつつ太原と重慶に籠城し見事に戦線を膠着させて米国の参戦まで耐えた名将達に見える。
戦の上手さは局地戦で勝てば良いと言う物ではない。周辺の状勢も利用する又は誘導するのが名将だと思う。
恐らく習主席の周囲には“軍閥”がおり彼を支える“参軍”系武官の優秀人材はいるのだろう。公安と軍人だな。
彼等は“軍師”として謀略や政略を用いて“煽動”と“制圧”と“逮捕”と“統制”する事は得意でも、説得したり相手の立場を組み仲間に成る事は不得意。
但し敵を制圧する事には長けているので新型肺炎の対応も事実が習主席に伝われば忽(たちま)ち国全体を動員し戦闘態勢が整い新型肺炎にすら完勝する。又、日本政府みたいに何でも反対するだけの無能な野党もおらず幹部の判断で物事が決まるので、幹部が頭柔らかく優秀だと新しい技術もスルスルと滑かに導入される。
これが今の頭が老人化した日本政府の色々決めようとして決められず国家公務員から御飾りにされる大臣達と、血生臭い生死に関わる権力闘争をやって来た中国政府との違いなんだろう。
中国は軍人側から出た思想の政治家。
日本は貴族的な輩と文民統治、当然ながら貴族より武士の方が何でも判断は優れていて当たり前。

まぁ自衛官は国民には銃は向けないが、彼等人民解放軍と武警は中国国民と香港市民には攻撃を加えた事がある。
ソコを見てると、トランプさん州兵動員してデモ隊攻撃する寸前の発言する低俗さと変わらず中国の香港対応は良くない。
平和ボケした日本人はずっと平和が続くと思い込んでるから結局、中国やアメリカよりも「判断遅くてもマシ」と洗脳されてしまう。
この30年、日本人以外の時間軸は凄い早さで動いている。
日本は置いてきぼり。

でも中国政府は人民解放軍寄りの武官気質だから当然、香港市民との交渉なんか出来ない。
縛る事と鎮圧し“降伏”させる事しか選択肢が無い。
今の習主席は起きてる事態の本質つまり香港市民は元々は外国人である事実と世界世論を理解出来ていないのではないか?
まぁトランプ大統領も経済に強いけどやってる事は武力弾圧の一歩手前まで行ってしまい、魅力薄れたね。

中国と香港は同じ文化圏ではあっても香港人のマインドは民族主義ではない。
と、言うか民族的には中華民族ですらなく南越国の後裔で南越人だから物事の見方も違う。
どちらかと言うとベトナム人みたいに独立心が強いんじゃないだろうか?
中国大陸人の民族主義者にとって香港は“土地=領地”にしか見えていない様だが、香港で重要なのはソフト面だ。
例えるならば咸陽宮に有る“ソフトウェア”の重要性を認識出来ず、士兵の郷愁に駆られ江東の徐州彭城に首府を遷移した頃の項羽に酷似する。
彼の前後に范増や項荘や鐘離眛の様な優秀な将軍と公安の“武略型人材”はいるんだろう、しかし、その左右には己の足りぬソフトに対応する部分を得意とし代理を行いつつ大局的に判断を下す“大将軍”や“丞相”型の人材や外交を用いれる劉邦にとっての蕭何も陳平も韓信も、そんな自分より優れた面を代理で行う様な人材は少ないのだろう。
李国強首相は習主席とは異なるタイプに見えるし、今回も武漢に自ら乗り込み新型肺炎封じ込めを指揮した手腕は習主席とは違った面で素晴らしい。
しかし独裁の限界と言うのが項羽の前例で正に唐山大地震の毛主席だな。
物事を一人で全て万全にこなせるスーパーマン等はこの世に存在しない。
安倍晋三首相も同じ。
政権初期の回りに気を使っていた頃は素晴らしかったのに、最近は傲慢さから来るのか判断遅くミスも多かった。
結果として1月初旬の感染開始から本気の対策を始めるまでタイムラグが3ヶ月も間が空いて、最初の補償無しの自粛期間に小生の様に失業する者もいれば店を潰して借金だけ残った飲食店や観光産業の経営者もいるだろう。

諫言や助言を聞き取る棟梁が真に国を豊かに出来る。
又は優秀な人も老人に成れば情報過疎に成り一度に判断出来る処理能力も下がり“老化”する。そのまま前線に立ちたがり権力を若い人材に移さない事を世の中は“老害”と呼ぶ。

老害化防止の情報過疎を補正するのがパブリックコメントであり、老害化して判断力低下した人物をリーダーに居座らせない為の定年制であり、老害化どころか腐敗させない為の制約が任期な訳だ。
ところが既に老害化した政治家の場合、パブリックコメントを活かすよりもパブリックコメントを無視する事に終始する。
東日本最大のタタラ遺跡の上郷深田遺跡と瀬上沢西側を削り消し去ろうとしてる横浜市が悪例だな。栄区民12万人、反対署名11万人を無視した。
新型肺炎で感染者が出た保育園の保育士達に「他言しないでくれ」と口封じしようとして反感買い暴露されたりもした。

戦国時代、関東を統治し現代に残る日本最初の飲用水道の小田原用水や、荒川大堤防建設の大治水工事や、楽市楽座による市場活性化、近代日本の主産業になる横浜シルクの養蚕を北関東一円に振興させた小田原北条家は“目安箱”を日本の諸大名に先立ち採用した。
つまりパブリックコメントだ。
それにより領主の不正徴税等や町村間の争いが起きると調停する裁判官になる内政に長けた武将を奉行として派遣した。
最も有名な事積を残したのが現横浜市港南区野庭に有った野庭関城代の安藤良整公だ。
安藤枡と言う年貢米の測量器を北条家の度量衡フォーマット化し不正徴税を行えない体制を確立したり、水争いでも名奉行として活躍した。
又、他にも外交官や執政官としても家柄高く古典礼儀と高い能力を有した横浜市港北区小机城代大曽根城主の笠原信為公や、滝山衆付家老の間宮綱信公等がいた。
更には張良の様に君主には出来ない作戦立案を代行し監督する役割を果たし河越夜戦で活躍した横浜市神奈川区青木城主の多米元忠公。
戦国時代未曾有の鶴岡八幡宮と鎌倉市街復興で鎌倉復興を総奉行として計画立案指揮した埼玉県川越市の河越城代だった大導寺盛昌公や、敵対大名からも金銭や資材を提供させる事に成功した東京世田谷城主横浜市南区蒔田城主の吉良頼康公、材木奉行鎌倉玉縄城主北条綱成公の業務を代行した磯子区と港南区の笹下城主間宮康俊公がいる。
優秀な君主には、君主の不得意や手の届かない業務を補佐又は代行する優秀な代表代行が各分野にいる。
そして現場にいる民衆や兵卒の抱える問題を吸い上げ政策に反映させる。

今回の公明党の山口県代表が正に目安箱を活用し総理に食ってかかって翻意促した名奉行と言う事なんだろう。
さしずめ南町奉行大岡忠相みたいな存在だった訳だ。

無論、名君は国を富ませ臣民と愛情を共有する。その様な環境では弾圧統制では無し得ない良策が湧く様に実現してくる。
弾圧を用いた上杉謙信と武田信玄は配下の離反が相次いだ。特に武田信玄は末期に金山からの金産出量が低下すると国の維持が困難に成り同盟国にすら略奪侵略に出かけ、次代の勝頼公に負の財産を沢山残した。
北条家では豊臣軍20万の大軍勢に小田原城が攻められた“必ず死ぬ”必死の状況で、それまでの北条の善政に報いる為に・・・
「“於途様(おとのさま)を守ってやんべ!」
「やってやろうじゃん!」
・・・と言葉は現代の相州武州訛りと同じかは知らないが(笑)農民が自発的に武装蜂起し三万人も小田原城に籠城する北条の援軍に駆け付けた。
小田原城の威勢を見て豊臣軍は包囲長期戦を決めたが、方針に反して攻めた一部豊臣軍は“北条の武装農民”に返り討ちにされ実に三千人超が死亡し北条側はほぼ無傷だった。
国を守る真の愛国心は百姓(本来の意味は全国民)の生活と安全と自由を保証する統治者に対して自然に生まれるモノであり、軍国主義的な共産主義的な“統制”や“国威発揚”の為の“軍事パフォーマンス”は実に虚しく旗を振る愛国表示行動しか産み出さず士気も上がらない。
徳川政権ですら統制のみの政治が行われた最初の100年間、武士を除いたあらゆる階層の百姓による反抗が起きた。
生活保障と民の声を無視した初期徳川幕府では、徳川直参旗本つまり家臣団による不正徴税腐敗と農民弾圧や商人町人への蔑視政策行われた結果、江戸城下は都市開発中に旧北条統治を懐かしむ旧北条臣民により家康公の存命中にも計画的に放火され灰塵に帰している。挙げ句、天領(徳川領)全土で一揆(反乱)が長期に単発的に続発した。
前統治者が治世のフォーマットを徳川に託したのに、徳川では面子に拘り実に100年に渡り内政では失政を行い続け赤字経営も続いた。周辺大名が反逆しないように公共事業を負担させ、諸大名の経済も破綻させる事でしか統治が出来なかった。
徳川家は綱吉公の失政から生まれた経済破綻から立ち直る為に紀州徳川家から徳川吉宗公が宗家後継指名を受け征夷大将軍となり幕府を運営する際、北条家の関東支配から遅れる事200年余、漸(ようや)く北条家が託した“パブリックコメント(目安箱)”が採用された。
そして吉宗公は配下の大岡忠相公等の内政官僚を登用し、治世を成功させた。
名君主には必ず名臣名補佐役がおり、独裁統治ではなくLive(実況)で現場の意見を吸い上げ政策に反映出来る補佐や任務を代行する優秀な人材が沢山いて、彼等も君主も同様に万能ではなく各々に優れた得意分野を以て活躍した
君主は優秀な家臣を見抜き、議論が膠着した際に意見を聞いて決裁するのと人を惹き付ける魅力が有る事が仕事。
軍人と警官だけでは文化と思想の違う国民は懐かない。懐かなければ郷土愛も愛国心としては発揮されない。
民草を屈服させても心から従わない。

今の習主席のロジックは項羽と初期徳川家に酷似している。
外国の中国史好きから見ていると、香港市民を弾圧し続けエスカレートするなら、必ず同じ“楚”の出身でも項羽とは異なり己の不得手な面を理解し多才な人材を登用する劉邦の様な“共産党の身内”に政権転覆させられて終わる様に思う。
そうならない為には劉邦の様に優秀な自派閥や同タイプに拘らない人材登用の制度を設置するか・・・
北条家の様にパブリックコメントを吸い上げる政策に反映し、実務力に長けた人材を多岐に渡り登用し諸民の現況を統制し不満を弾圧するより、民百姓から解決策を採用し富ませ安全を保証し愛情を以て国を発展させるか・・・
古来中国語で後者を“王道”と言う。
日本人は王道の意味を“セオリー”とか“定番”と勘違いし誤用しているが、本来の意味は“名君の行い”と言う意味であり習主席は世界のリーダーを目指すのであれば有る程度には民主主義を導入した方が良いんじゃないかと思う。
無論、今回の武漢市長更迭から直々の指揮発動後の対応は素晴らしかったとは思う。
日本に関して言えば・・・
安倍首相も3ヶ月遅れた後、本気を出してからは良かったのだと思う。
でも安倍首相より国家公務員の腐敗も見えてきたりした新型肺炎対策。
電通の下請け孫請騒動を介して見えたのは、日本国の情報処理がオンライン化簡略化されず紙での処理で動かされ続いけているのは“中抜き”で恩恵を受けたい人達が国家公務員にいるからだと何となく見えてきた。
国家公務員はネットワーク化に非積極的どころか否定的非協力的なのかもしれない。安倍総理がIT担当大臣に適正の無い無能な老人を任命するのは、どうせ国家公務員に骨抜きにされる無力感を感じているからかも知れない。
もしそうなら国家公務員は国賊だらけと言う事に成る。
野党は安倍首相を攻めるより国家公務員を攻撃し、人命や莫大な血税に関わる汚職や失政には降格や懲戒解雇どころか死刑を含めた懲罰を法制化するべきなんじゃないだろうか?

習政権は安倍政権より優秀だった。
でも香港人を国民として愛し時間と愛情を以て融和させる道を選択しないと自身が項羽の道を進む事に成るかもしれない。
項羽が鉅鹿の戦いで降伏した秦軍20万人の将兵を生き埋めにした様に香港市民を武力討伐するのだろうか?
そんな事をすれば、トランプさんはおろか完全に中国は我々の様に中国文化を好きな人間からも恐怖の対象に成り友邦とは思えなくなるし、中国国民が全世界で差別対象に成ってしまうのではないだろうか?
日本人は比較的冷静に中国人の友人を大切にし続けるだろうが、白人の国は白人至上主義と言うよりキリスト教の唯一神教文化で善悪しか無いために、大戦中にドイツはホロコーストを行い、アメリカも日本人の私財を放棄させて強制収容所に入れた。
黒人が今、反差別といいながら商店を襲い略奪をしているが白人文化圏の黒人も日本人をJapやYellowと長らく差別して来た。
その屈辱感は日本人にもある。

中国が香港で武力弾圧をもしやれば、アメリカを筆頭に旧西側諸国は大戦中日本人にやったのと同じ事を中国系移民にもやると思う。
それを恐れて、もしかしたら中国はアメリカで有色人種差別反対のデモをエスカレートさせる“グループ”を煽動しているかも知れない。
そんな事は有って欲しくない。

中国は項羽や白人の唯一神教文化と同じ事を香港民主派にしてはいけないのでは無いだろうか?
鉅鹿の戦いの後の様な悲惨な未来しか想像がつかない。

中国は素晴らしい文化が有り、個々の人間は親切で友好的で優しく、日本人と国境を超えて兄弟付き合いが個人レベルでは出来る。
中国人より親日的な台湾の人も同じ。

習主席は素晴らしいリーダーだと思うけど強引で中華民族に対するのと同じ様に南越人の香港や、新疆のウイグル人にも対峙してしまう。
それでは異文化圏や異民族に被差別感情や対立感情を生んでしまうと思う。
唐を目指すなら日本人の阿倍仲麻呂を大臣に登用した様な民族主義ではない民族主義を利用しない運営をし、“親族外”からも意見を登用しないと、“安氏の乱”は収束させれないんじゃないだろうか?

この際、香港で“中国共産党員”に成る事を前提でも良いから、派閥としての政党政治を認めて公正公明公平な選挙を実施させてやり、その中から代表者を軍事閥と違った視点から近臣として採用した方が、中国は更に選択肢を増やし発展するのではないだろうか?
多くの異人種や外国人を大臣として登用した唐朝はそうして反映した。
中国人は中国の先人からも、諸外国からも学ぶべきであると思う。

アメリカはブロック経済による包囲を準備している。
ある国の外国人との問題に向き合うには、その国の異なる価値観を知り尚且つ優秀な相手国出身の人材を登用しないと解決や対応は無理だろう。
徳川幕府も白人至上主義の脅威から日本を救ったのは、英国人の三浦按針公だったように、相手側を味方にしないと相手の後ろの組織と話し合うのは難しいんじゃないだろうか。

香港の問題は香港市民により公正な選挙で代表に選ばれた者の意見を採用しないと解決出来ないだろう。
中国12億人
アメリカ人は3億人
日本人1.3億人
アメリカ人と日本人を合計しても中国の25%
でも、経済力1位と3位はアメリカと日本。
中国人は12億人で2位、そして、それ以外は資本主義、民主主義西洋諸国。
中国が弾圧するウイグル族と同宗派のイスラム諸国。
香港での武力統制やウイグル族へのイスラム教武力弾圧等諸々の対応は必ず世界からの孤立化を招くし、習主席自身がそれを望んでいる様に見える。
中国は本気で独りでやる自信が有るのだろうか?
それを踏まえてのシルクロード構想で中東と直接繋がるつもりなんだろうが、それは必ずやイスラム教過激派の中国侵入とイスラム教徒の反抗による中国本土内でのテロを招くだろう。
もしそうなれば、その様子は隋の煬帝の様な存在として後世評価される物かも知れない。

今の習主席は大災害が起きれば必ず文化大革命当時の毛主席と同じく面子に拘り海外の救助隊を拒み、唐山大地震の震災被害と同じ様な結果を導いてしまう気がする・・・
日本人の中にも神社の神様に成ってる呉王の後裔の呉太伯(ごたいはく)や漢帝室の後裔の阿智使主(あちのおみ)みたいな中国人から日本に帰化した神様がいて、その同じ遺伝子を受け継ぐ子孫も沢山いる。
そればかりか、ユダヤ系の太秦氏や百済王の家系の大内氏なんかもいる。
日本はかつての唐と同じ多民族文化を更に発展させ混血し民族主義を捨て日本文化に昇華させて文化を重んじ今に至る。
民族主義は良くない。

小生は中国が好きだから中国の友人とずっと往来し食事をともにしたい。
まぁ、中国の女子は簡単に自分で言った事を反故にしたり、それを指摘すると逆ギレしたり、正論でメンツ潰されると友人達に簡単に信頼関係破壊する罵詈雑言拡散したり困る事も有るけど。
男は優しいし、まぁ女の子怖いけど性格は可愛いし情も深い。
仲良く信頼関係を維持できて家族同然に成ってしまえば問題はない。
銃や威圧では家族には成れない。

少なくとも、一人の中国史好きな歴史オタクの目にはそう写るかな?
中国文化と歴史好きな日本人の寝言。

中国ともアメリカともずっと仲良しでいたいなぁ~。
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平安末期以来の武士金子家と岡本家が守っていた要害化された“観音山”と言う山が横浜市にありました。
Google mapに簡単な解説投稿しました。
御興味ある方は御覧下さい⤵️
現代では近くの横浜横須賀道路建設の影響か地図から山の名前も行政によって消されてしまっています。
戦国時代の岡本家と金子家の主流は北条家臣として北条所領役帳にも登場します。
岡本家は綾瀬市辺りを治め、金子家は鎌倉時代には青梅市を治め戦国時代には北条家臣化し新横浜駅近くの篠原城の城代を務めました。
磯子区域の両家分家は1560年頃には笹下城主間宮与力となり、磯子区の岡本家は江戸時代には分家し徳川直参旗本に成った氷取沢間宮家の宿老となり江戸在住の氷取沢間宮の殿様に代わって氷取沢陣屋を守り続けました。
氷取沢陣屋の跡が氷取沢神社の旧境内地です。
岡本家は直系の他にも能見台辺りを治めた野本家から婿入りした家が有り、それぞれに屋号が今も残ります。
屋敷家、藤左衛門家、酒屋家、星山家、前家等です。
其々の由来を推測すると面白いですね。
屋敷家は陣屋を守っていたのでしょう。
藤左衛門家の左衛門は官職名由来で、左衛門は間宮家が付家老として仕えた上官、北条綱成公の左衛門督に由来する官職です。
間宮家は豊前守(ぶぜんのかみ)と左衛門尉(さえもんのじょう)を代々名乗っていました。
氷取沢市民の森は今では鳥の囀ずり美しい緑地に山城地形のふんだんに残る遊歩道です。
過去に間宮家や岡本家や金子家や氷取沢周辺磯子区の関連記事を幾つか書いています。
以下にリンクを貼るので御興味有る方は御覧下さい。











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明日、2016年10月23日(日)、元八王子で❝北条氏照祭り❞が開催されます。前日22日土曜日は八王子城址の案内所で解説者による講演も有ります。
北条氏照祭り公式様拝借 久良岐のよし 
※画像は公式様拝借。
2016年第5回 北條氏照まつり←八王子市のホームページ該当ページ
北条氏照(うじてる)公は武田信玄が南関東に兵23000の大軍を率いて略奪に来た際に、農民を滝山城内に保護し手勢3000で籠城しました。防御構造の複雑な滝山城三ノ丸に武田勢を引き込み痛撃し撤退させた部将で小田原北条家の一門でした。
方面軍総指揮官としての実績には疑問は残りますが、自ら率いる滝山衆(後の八王子衆)だけで行った合戦では負け知らずでした。そして内政力が高く城の水掘り代わりの溜池を利用して城下の農村の水田を灌漑水田にして生産力を上げた実績も有る方です。
付家老は北条家相模十四騎筆頭の間宮家、その間宮綱信(つなのぶ)公と言う殿様や後に水戸徳川家の家老にも成った中山家等の古来の坂東武者の一族達でした。
2016-02-13-09-03-48
元八王子には❝日本100名城❞の一つに選ばれた八王子城も有ります。
この城は間宮綱信公の縄張り(なわばり=設計)と伝わっています。間宮綱信公は北条家の外交官として横浜市の小机城代笠原政尭公と共に織田信長公に謁見し、名将の滝川一益公に接待され安土城下を遊覧されたりした人物でもあります。
八王子城自体は立派な規模の居住区の御殿や武家屋敷だけ完成し、背後の城塞部分が完成する直前に豊臣秀吉配下の上杉景勝・真田昌幸・前田利家・裏切った大道寺政繁の大軍28000に攻められ、防御準備不足、更に北条氏照公が不在だった事も有って落城してしまいました。
もし完成していたら、この城も成田甲斐姫の籠城した忍城、北条氏規公の籠城した韮山城と共に豊臣軍の北国軍を足止めし、北条氏勝公の籠城した玉縄城とも連携して小田原北条家は豊臣軍を苦戦させた事でしょう。
もしくは滝山城を更に改修するだけでも、武田信玄を撤退させた名城だっただけに豊臣軍を苦戦させ長期戦に持ち込めたのは間違いないのですが…
しかし、この城が完成する前に豊臣家と開戦する事態を招いた事自体は、北条氏照公の実兄で北条家当主の北条氏政公の戦略眼や戦力比較分析力の低さ、北条氏照公自体の性格にも原因が有るので歴史にif無く結果が全てとも言えます。
2016-02-13-09-07-04
御殿跡の近くには❝御主殿の滝❞が在りますが、ここは多くの神社仏閣を巡礼している小生には延喜式内社の聖地と似た様な雰囲気を感じるパワースポットの様な場所で、高さ3mほどの小さな滝です。
御主殿や滝の有る場所は谷間で、とても清々しい空気感が漂っています。
ここに姫様や家臣達が飛び込んで自殺したとアホな事を書く学者がいます。それを鵜呑みにする自称霊能者もいます(笑)。
現地に行けば一目瞭然(笑)高さ3mの滝に大勢で飛び込んでも下の人は良くて骨折、飛び込める人数も狭いのでせいぜい1人~3人(笑)、アホ学者や偽霊能者が言う様な事は起こり様も無い(笑)!
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そして山上の要害部分からはとても眺望が良く、空気が澄んで居れば新宿副都心やスカイツリーも見渡す事が出来ます。
そして❝御主殿の滝❞の説明でも申し上げましたが、ここは延喜式内社の様な正常な空気が漂っています。
実は、古来、この八王子城の山自体が牛頭天王信仰の聖地でして、京都の東山や祇園八坂神社、愛知県の津島大社、と同じ様な神道で言う所の素戔嗚尊信仰の聖地だったんです。
八王子市の名前が牛頭天王の八人の王子と姫を祀(まつ)る、この八王子神社に由来している事を知っている人は現在では多くないかも知れません。
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しかし八王子城本丸には現在も八王子神社が鎮座しています。
夏も過ぎて大分と涼しく成ったので山登りがてら八王子城を散策するのも良いと思います。
八王子城の麓には宗関寺と言う御寺が在ります。
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この御寺は旧北条氏照公家臣団によって江戸時代初期に建てられた北条氏照公の菩提寺です。
氏照公の御廟所は小田原市内と、この御寺の背後の山に在ります。御朱印も既に作成して有る物を頂けます。

ちなみに、この元八王子から車で30分位の距離に❝新選組❞所縁(ゆかり)の日野市があり、新選組幹部の子孫が運営している資料館が沢山有ります。でも御子孫の資料館は日曜日しかやっていないので注意して下さい。訪問するなら❝日野本陣❞と言う甲州街道の陣屋で、土方歳三さんの親戚の佐藤彦五郎さんの自宅 兼 天然理心流の道場だった旧庄屋の邸宅が見所として御進めです。
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ここには近藤勇さんも土方歳三さんも沖田総司さんも井上源三郎さんも度々稽古だけでなく遊びにも来ていたそうです。
この御屋敷の前に道場が在りました。明治天皇もこちらに在った専用の部屋に宿泊されたそうです。
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そして、もう一つ。この❝新選組のふるさと歴史館❞も日野本陣から車で10分程度の場所に在ります。
中には日野市の歴史と新選組に関する展示物が有って、学芸員さんに色々質問すると詳しく解説して下さいます。
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近藤さんのお兄さんの宮川さんの御子孫、土方さんのお兄さんの御子孫、井上源三郎さんの養子の御子孫が一緒に檀家になっている高幡不動尊も、日野市に在ります。
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とても大きい昔ながらの神仏習合の伝統を守る真言宗の古刹で、境内には明治時代以前のまま、御寺と神社が融合して存在しており飛鳥時代~江戸時代までの本来の日本文化を見る事が出来ます。
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ここでも土方さんは多摩地域の誇りとして銅像が立っています。

どうでしょう?こんな戦国時代にドップリつかれる元八王子と北条氏照祭り、近くの日野市の新選組関連の史跡、是非、お散歩がてら見に行って見ませんか?

では!又、次の解説記事で!



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朝6時半に友人と駅で待ち合わせ車でピックアップ…
なかなかの日帰りで日程パツパツに詰め込んだ遠出強行軍をする日に、人の同行を許す事は無いんだけどね。
今日は特別な場所にアポを取り参加を御許し頂いていたので、先方に同行者を連れて行っても良いと許可を先に頂いてから、友人に同行するか声を掛けていた。
6時半出発
→午前7時ちょい、海老名SAで朝食を物色。
名物メロンパンを購入。
再び出発
→東名高速〜圏央道経由して本日第1の目的地に到着。予想に反して早く1時間チョイで到着。
そこは日本100名城の一つ、八王子城址。
まぁ、八王子城址は別記事で詳しく書くつもり。
実は、文献しか読まず現地を訪れないステレオタイプ歴史学者を小馬鹿にする素材がここに在るんですよ(笑)。
2016-02-13-09-07-04
御主殿の滝。
高さ2~3m程度の小さい滝、滝つぼの深さは僅かに20cm程度。
このすぐ隣が嘗(かつ)ての御殿(ごてん=殿様の普段の家)跡が在る。
ここは現地も訪れない❝誰かが書いたいい加減な資料をコピペするだけで現地視察もしない無能な小説家と学者❞達が❝城が完成前に真田昌幸公・上杉景勝公・前田利家に2万超の大群で攻められて、守る兵士が僅かの八王子城は北条氏照公配下の武将と御姫様達が御主殿の滝に飛び込んで自害した❞と有り得ない事を妄想で書いて心霊スポットにしてしまった場所なんだな(笑)。
酷い風評被害(笑)。
2mの場所から飛び降りても、やれて酷い打撲か骨折…死ねるか(笑)!
しかも!御姫様や家臣達が皆で飛び込む程広く無いし!
アホのウィキペディアで飛び降りて死んだとかコピペ編集したバカは、ここで飛び降りてどうぞ(笑)。
この小さい滝は水も綺麗で寧ろパワースポットの様に小生は感じましたよ。
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八王子城は未完成でしたので1日で落城した。
写真の通り、居住区の御主殿付近だけ防御施設が完成しており山上の要塞部分は石垣化は進行中だったものの、まだまだ防御施設は不十分な状態だったと思われる。
中腹ぐらいまでは大規模な畝掘り(うねぼり=山の斜面に縦に空堀を掘って、敵が山を自由に横移動出来なくする施設)も見受けられた。
…と、言うか又、八王子城を別記事で書く時に詳しく城址の説明はしますが、落城の原因は恐らく未完成だっからでは無いと小生は思った。
2016-02-13-09-16-25
※山城に行く恰好じゃない↑友人。
1日で落城した原因は、裏切者のせいで周辺の狼煙台が抑えられ機能しなかった事と、直接城内に通じている旧陣馬街道の存在のせいだと思う。
推測だけれども…
恐らく元身内で裏切者の大道寺政繁が、前田利家達の大群を先導し、北条側から補足され難く尚且つ直接八王子城内に続く山間の陣馬街道に現れたから、山上の要害部を守る武将はろくに交戦も出来ず尾根伝いに撤退するしか無く、陣馬街道より下に在る御殿に住む姫様達は逃げる間もなく自害するしか無かったのが真相なんじゃないかと思う。
それが、たまたま御主殿の滝のそばだっただけで、別に滝壺に飛び込んで死んだ訳じゃないと思う。
だって、御主殿の滝は飛び込んでも死ねないからね~。
2016-02-13-10-33-11
実は八王子城の本丸は関東の素戔嗚尊=牛頭天皇信仰の本場だった八王子神社の付近に在る。
八王子の地名の由来も、この八王子神社が起源だったりする。
関東は関東最古の大社で関東総鎮守と言われた鷲宮神社でも、武士団から関東総守護と呼ばれた神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社でも、関東は出雲系の神様が開拓した神話が残っている。
つまり、鹿島神宮も本来は出雲系の神様のいた場所を、藤原氏が乗っ取って自分の氏神を祀ってしまった事が良く解る場所の一つが、この八王子神社だった。
古来の関東人の信仰を守り伝える場所が八王子城と八王子神社だったりするので、場内には古代からの山間の尾根の古道旧陣馬街道が在ったりする…
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城址には梅も綺麗に咲いていた…
植物に例えると梅の花の様な女性が素敵だと思う。
早く梅林紹介の記事も完成させないとな。

八王子城を見終わったら、城址駐車場の手前にある八王子城の資料館を見学してから、更に手前に在る北条氏照公の菩提寺宗関寺を御参りして来た。
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曹洞宗の御寺。
北条家は曹洞宗を主に信仰する家風が有る。
だから、神奈川県内や東京都内で曹洞宗の古い御寺を御参りすると、大体が北条家やその家臣と関係が有る。
無論、北条家は他の宗派の御寺も保護されていましたし、家臣団は北条家臣として曹洞宗の御寺を守る以外にも自分の信仰する宗派の御寺を菩提寺にしていたりもしています。八王子神社や鶴岡八幡宮の様に神社も多く復興していて、北条家が文化を厚く保護する家風だった事も、歴史を好きに成ると解ったりする。
御参りし終わり、次は隣の日野市に移動…
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日野館と言う手打ち蕎麦の名店で食事。
実は、この店、元は旧甲州街道沿いの宿場町だった日野宿(ひのじゅく)の本陣で元々営業していましたが、建物が重要文化財に指定されてしまった為、元の場所から1㎞有るか無いか位の離れた場所に移転して営業している。
でも内装も落ち着いて綺麗。
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小生は鴨汁つけ蒸籠(せいろ)食べてきた。
その後、新選組ゆかりの日野宿本陣に移動。
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電車だと日野駅から徒歩5分~10分て処か?
小生は約10年振りの来訪。以前、友人と来た時に写真を撮影していなかったので、今回は写真撮影が目的。
ここの住人が実は新選組副長、土方歳三サンの御姉さんが嫁いだ日野宿の名主の佐藤彦五郎サンだった。
この門の在る辺りに昔は天然理心流の道場を佐藤彦五郎サンが所有していて、そこに近藤勇サンが稽古を付けに来て、土方サンや沖田総司サン、新選組六番隊隊長の井上源三郎サンが修行をしていた。
ここも、また、改めてブログで紹介したいと思う。
一しきり見学を終えると、次は…
❝日野市立新選組のふるさと歴史館❞に移動。2016-02-13-13-29-18
ここで、友人を放置したまま(笑)、学芸員の方を捕まえて色々、地元ならではのコアな話を教えて頂いた。
ついでに戦国期の後北条と日野市の関連性も教えて頂けた。
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エントランスの土方さんの写真。イケメンなんだけれど、なんかヒロミチお兄さんに似てる…
見学終わり、今日のメインディッシュ!
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なんと天然理心流の稽古に加わらせて頂いた!
奥に見える白い道着を着用されている人物は、新選組六番隊隊長の井上源三郎サンの跡を御継に成られた親族養子の御子孫で、井上源三郎さんから数えて5代目の方。
そして、今日は宮川先生もいらっしゃったが、宮川先生は近藤勇サンの実兄の御子孫。
行く前はピリピリした雰囲気を想像していたが、実際は三谷幸喜さんのドラマ❝新選組!❞のアットホームな近藤さん友人隊士達の関わりそのまま、とても暖かくて優しい雰囲気の不思議な空間でした。
とにかく、宮川先生も井上先生も親切で御優しい方だった!

この天然理心流の道場の近くに立派な御寺が在ったので、多摩に来た御土産購入ついでに立ち寄ったら…
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なんと、この御寺…
土方歳三サンの菩提寺の高幡不動尊こと真言宗高幡山金剛寺だった!
日本の神道も大切にされている真言宗だけあり、境内には稲荷社や弁財天様の神社も在った。
昔の平安~江戸時代の武士の価値観を受けつく由緒正しい御寺だ。
開基も清和源氏の家祖である清和天皇だったりする。
天然理心流や坂東武者に相応しい御寺だ。
土方さんの菩提寺なだけあり、どうりで商店街の饅頭屋の看板が↓コンナのに成ってる訳だ。
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御土産も買えたし、沢山、北条家と新選組の資料も集めれたし…
新選組所縁の御子孫にも御会いできたし、有名な御寺で奈良時代~江戸時代まで続いた日本人の神様も仏教哲学も大切にする思想であり、清和天皇の価値観でもある神仏習合の御寺も御参り出来て、良い休日に成った。
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