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タグ:鶴岡八幡宮

ブログネタ
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【注意事項】
※通行止め
2019年11月現在、台風15号19号の影響による倒木で鎌倉市内の以下の紅葉の名所は通行止めです。
●浄智寺~葛原岡~化粧坂~源氏山のハイキングコース
●建長寺~横浜市円海山に続く天園ハイキングコース
●報国寺~衣張山~釈迦堂切り通しのハイキングコース

さて、秋も深まり11月下旬にもなると紅葉の季節です。
過去に書いた記事をベースに新しい写真に差し替え、アドレスも掲載し何ヶ所か追記して紅葉の名所紹介をリニューアルします。

【紹介箇所】
東京都中央区  
浜離宮恩賜庭園

東京都世田谷区 
大谿山豪徳寺~世田谷八幡宮
 
横浜市中区   
国指定名勝:横浜三渓園

鎌倉市雪ノ下  
鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館

鎌倉市浄明寺  
功臣山報国寺~華頂宮邸~稲荷山浄妙寺

伊勢原市大山  
大山国定公園~雨降山大山寺~大山阿夫利神社

秦野市曽屋   
弘法山公園~鶴巻温泉

秦野市今泉   
震生湖~福寿稲荷社

南足柄市大雄町 
大雄山最乗寺

足柄下郡箱根町 
公時神社~金時山周辺

【浜離宮恩賜庭園】
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中島の御茶屋では抹茶と和菓子を頂く事が出来る。
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【偉人】
甲府藩主松平綱重、
ドイツ帝国フリードリヒ皇太子、アメリカのグラント大統領、ハワイ王国カラカウア国王等。
江戸時代の寛永年間に徳川幕府四代将軍徳川家綱公の実弟で甲府藩主の松平綱重公が海を埋立て屋敷地として造成した。その後は徳川将軍家の鷹狩場として利用され、明治に成り天皇家の所有を経て恩賜公園として開放された。
【交通】
一般車両向けの駐車場が無いので、車で行く場合は築地市場の駐車場に停めてから徒歩で来ても5分程度と近い。公共交通機関の方が便利だろう。
【周辺】
築地場外市場や場内市場も近く、築地本願寺等の見所も有るので合わせて訪問すると良い。
【記事】
浜離宮と周辺紹介記事は「ココ」←クリック!

【豪徳寺と世田谷八幡宮】(井伊家菩提寺と世田谷城鎮護の神社)

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豪徳寺は戦国武将で徳川四天王の井伊直政公の跡継ぎ、彦根藩第二代藩主の井伊直孝公以来の井伊家菩提寺。戦国時代には鎌倉公方の代理も務めた蒔田吉良家最期の本拠地として機能した世田谷城だった寺院。
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井伊家所縁の御寺だけあり規模が大きい上に、まねき猫の発祥の御寺でもある。
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豪徳寺の寺務所で大小各種の招き猫を購入出来ます。御朱印もやってる。
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NHK大河ドラマ“女城主直虎”の人気で観光客も増えている。紅葉の名所としては規模は多くないが境内には素晴らしい仏塔があり美しい紅葉の景色が撮影出来るので外国人にも有名。
【名物】
招き猫
【交通】
駐車場は台数少なく直ぐに満車に成る上に周辺に駐車場が無い住宅街なので電車での訪問が良い。
【周辺】
戦国時代は世田谷城と言う御城だったので、近くには世田谷城址公園として一部空堀と土塁が保存されている。
直ぐ近所に蒔田吉良家鎮護の神社であり、江戸三大大相撲の開催場所の一つだった世田谷八幡宮が在り、隣町はサザエさん一家の住む桜新町も存在する。

世田谷八幡宮
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江戸時代には深川の富岡八幡宮等と合わせて江戸三大大相撲の興行地として有名だった。
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そもそも軍神としても武士に崇拝された源氏の棟梁、源 八幡太郎 義家が前身の八幡社を平安時代に建てたと伝承する由緒有る八幡宮で、戦国時代にも鎌倉公方の代理を務めた蒔田吉良頼康公が社殿を造営している。その後は徳川家康公に支援される等、軍神として勝負の神様として申し分ない歴史を持つ八幡宮。
【周辺】
紅葉の名所で井伊家の菩提寺として有名な豪徳寺から徒歩5分と近いので合わせて参拝すると良い観光に成る。

【国指定名勝:横浜三溪園】(横浜市中区、旧原財閥私邸) 
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【催事】
紅葉の古建築公開(重要文化財 聴秋閣、林洞庵)
近年、聴秋閣は一般公開されておらず裏側から撮影出来ないので、秋限定の撮影チャンス到来です!
交通
紅葉シーズンと春の桜の季節は駐車場が混み合うので早い時間に訪問する事をお勧めします。
15時以降は聴秋閣等の多くの建築文化財の在る区域が封鎖れてしまいますので、土日の場合は駐車場に入るのに1時間は余裕を見て置けば間違い無いでしょう。
※公共交通機関推奨。
【名物】
三溪碗(さんけいわん)と言う、三種類の味の御椀に盛られた手打ちの汁蕎麦が美味しい。 
●団子各種と抹茶 
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【偉人】
原三溪(旧原財閥当主、横浜銀行・富岡製糸場の創設者、関東大震災横浜復興の恩人)・タゴール(インドの文学者)・芥川龍之介 
【関連記事】 
●三溪園の紅葉の風景写真の記事「ココ 」←クリック! 
●三溪園の夜桜ライトUPの特別公開の紹介記事「ココ 」←クリック! 
●三溪園に私邸としていた明治~昭和の富豪、原財閥と三溪園の紹介記事「ココ 」←クリック! 

鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館
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【名物】
●女夫饅頭(めおとまんじゅう)。
現代の若い人は知ってる人が少ないが、実は江戸時代からの名物と言えば女夫饅頭で、今も老舗の饅頭屋が鎌倉市内には数軒残っている。鎌倉駅前野若宮大路側にも老舗の“松風堂本店”等が営業している。
●鳩サブレ―
言わずと知れた豊島屋の銘菓で、鎌倉駅と北鎌倉駅前に御店が在るので御土産としても重宝する。
●鎌倉カスター
鎌倉ニュージャーマンと言う御店の御菓子で、最近はデパートでも取り扱いがある新しい部類の銘菓。フワフワの生地の中に色んな季節の果実のクリームを閉じ込めた洋菓子。最近、御店が鎌倉駅前に移転したので御土産としても重宝する。
【交通】
鎌倉駅から徒歩10分。
有料駐車場周辺に多数有り。
【周辺】
小町通りでランチも出来るし、他の神社仏閣や博物館、由比ヶ浜散歩等と合わせると良い。
浄明寺地区や二階堂地区まで徒歩20分で、そちらの報国寺や瑞泉寺、北鎌倉の東慶寺等と合わせても良い紅葉散策が出来る。

【報国寺~華頂宮邸~釈迦堂切通し~浄妙寺】(鎌倉市浄明寺地区の紅葉)
 功臣山報国寺(足利家時公、宅間上杉家、鎌倉公方の菩提寺)
 ※ミシェランガイド☆☆☆の竹林の寺
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報国寺の在る宅間谷~徒歩5分で旧華宮邸。
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旧華頂宮邸
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報国寺や華頂宮邸から徒歩10分の近くには釈迦堂切通しと言う絶景も有る。

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報国寺や浄妙寺から徒歩圏内の景勝地であり史跡だったが鎌倉市により2019年現在は何故か通行止め中。 手前から見られる。地元の人は自己責任で危険な獣道から入ってます。

稲荷山浄妙寺(鎌倉幕府時代の足利家の鎌倉の菩提寺)
※枯山水庭園の美しい茶室“喜泉庵”で和菓子と抹茶を頂ける御寺。境内裏山に在る明治時代の洋館レストラン石窯ガーデンテラスで食事も出来る。
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浄妙寺境内の喜泉庵では日本庭園を眺めながら抹茶を頂きゆっくり出来る。
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本堂と喜泉庵の左手から境内地の裏山に回ると紅葉が綺麗で、その先に石窯ガーデンテラスも在る。
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浄妙寺だけでも十分に鎌倉の原風景を堪能できるし、報国寺も徒歩5分と近いので合わせて観光しても良い。
鎌倉市最古の寺院の杉本寺や、日本三古天神社の一つ荏柄天神社等、源頼朝公所縁の神社も近くに在る。
【浄明寺地区の催事】
報国寺の12月31日除夜の鐘 
寺院なので仏事に準じる。 
浄妙寺と報国寺は四季を通じて風景が綺麗なので、いつでも鎌倉文化の美しさを満喫出来る場所です。 
報国寺では毎週末に座禅会も開催される。
【鎌倉市の名物】
報国寺や浄妙寺で飲める「抹茶と和菓子」 
●鎌倉彫りの食器やアクセサリー
●湘南のシラス 
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●サザエ 
●干物 
●鎌倉野菜 
【偉人】
北条時政・青砥藤綱公・足利家時公(室町幕府初代征夷大将軍足利尊氏公の祖父)・宅間上杉重兼(しげかね)公(足利尊氏公の従弟)・伏見宮博恭殿下。 
【関連記事】 
●報国寺と華頂宮邸の景色写真と歴史を紹介した記事は「ココ 」←クリック! 
●報国寺公式ホームページ「ココ 」←クリック! 
●浄妙寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!

【大山阿夫利神社と大山寺】(伊勢原市丹沢大山国定公園) 

雨降山大山寺
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秋は期間限定で夜間ライトアップと灯篭祭りも有るので、大山ケーブルのホームページを確認するとケーブルカーの夜間運航期間と灯篭祭りの期間も確認できます。
桜も有名で大山桜と言う樹齢千年を超す古木が数本ある。
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参道の温泉街の多くの宿坊では美味しい猪と鹿と豆腐の料理を食べる事も出来る。
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【催事】
紅葉の夜間ライトUP(開催日は大山ケーブル公式ホームページ を御覧下さい!)
山麓から大山阿夫利神社までの参道の灯篭祭り
ケーブルカーの運行時間20:00迄延長
(下り線の時間。逃すと徒歩で山道下山)
春と夏も夜間ライトアップあり。
【交通】
夜間ライトアップ期間中の土日祭日は自家用車は非推奨。
電車バス推奨!
渋滞が酷く辿りつけません!バスで麓まで行き渋滞次第で降車し徒歩登山でケーブル駅を目指すのが良。
●電車とバス
小田急線伊勢原駅から神奈中バス。
北口(改札口を出て右)バス4番線
伊10系統「大山ケーブル」行き乗車(36分:渋滞無し)~終点「大山ケーブル」下車
●登山方法
バス終点(駐車場)から徒歩(15分)~大山ケーブル駅から乗車or徒歩登山1時間半程度。
駐車場…(ハンパない渋滞!)
※一昨年・昨年とTVで有名に成ったせいで、大山の麓から駐車場の5km未満進むのに3時間かかりました。
やむを得ず、夕食を予約していた宿坊で食事と入浴だけして帰る羽目に…
大山渋滞情報
…毎年行ってる小生からすれば、有名に成るのは嬉しい反面、渋滞等の現実問題は心情的に複雑ですね。
【名物】
●温泉…参道自体が平安時代~江戸時代にも大変賑わった古い温泉街で宿坊が立ち並ぶ。日帰り湯有り。
●日本酒…縄文時代からの遺跡が有る聖地で、湧水地が境内にあり、神話時代から酒造りが盛ん。
※参道に三河屋酒造と言う地酒蔵元の直売所もあり、御土産物屋にも取扱い有る場所数件。
●豆腐料理と猪肉・鹿肉料理…豊富な名水を利用した豆腐生産が有名で、江戸時代から名物。
●柿・蜜柑・梨…伊勢原市は柿と蜜柑の果樹園が多く古くからの特産品。
【偉人】
大山信仰に関係有る歴史偉人と周辺を支配した武将達。
神武天皇以来の歴代天皇家・源頼朝公と北条政子様御夫妻・相模守護大名三浦家・扇谷上杉家歴代当主・徳川家康公・徳川家光公等々…
【関連記事】
●大山阿夫利神社の記事「ココ 」←クリック!
●大山の豆腐料理の記事「ココ 」←クリック!
●大山信仰の比々多神社の記事「ココ 」←クリック!

【震生湖と福寿弁財天社】
震生湖
福寿弁財天社
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御世辞身も水質は綺麗とは言えないが、肌寒い快晴の日は鏡の様に湖に紅葉が写り込んで綺麗。
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暫く湖畔の林道を歩いていると福寿弁才天様が見える。
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ここ震生湖は大正時代の関東大震災で水源地の山が崩壊し湧水が堰き止められて湖に成ったのだが、どこの川からも水が流入せず、そして水が出て行く川も無く、水量が一定している不思議な湖。
震生湖の福寿弁財天様は神奈川県下では珍しく竹生島弁才天様の御分霊では無く奈良県天川村の❝天河伝説殺人事件❞なんて昔の映画でもモデルに成った天河弁財天様の御分霊。
震生湖自体は現在は釣りの名所にも成っている。
【名物】
●落花生
●煙草(昔)
【交通】
車以外に交通手段が無いが、駐車場は台数少ないが有る。
【周辺】
車なら南足柄市の大雄山や秦野市内の弘法山と合わせて紅葉見物するとより楽しめる。近くには縁結びの神様の出雲大社相模分祀も存在するし、鶴巻温泉郷で日帰り温泉入浴も出来るので数ヵ所合わせて良い休日を過ごせる。

弘法山公園
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一応、ハイキングコースとして有名で紅葉も楽しめる。
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実は春の桜の名所としても有名な場所で天気が良ければ下の春季の写真の様に富士山も大きく見える。
富士山と紅葉や桜の風景を楽しめる場所。
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弘法山の展望台からは丹沢山系~箱根山系~(晴れてれば富士山)~伊豆半島の山並みの絶景が一望できる。
春には手前に桜が、秋には紅が差した山の木々が景色を化粧してくれる。
【名物】
●落花生
●煙草(昔)
【交通】
電車だと最寄りの秦野駅・東海大学駅・鶴巻温泉駅から徒歩で数十分かかる。
車以外に交通手段が無いが、駐車場は台数少ないが有る。路駐可能。
【周辺】
車なら南足柄市の大雄山や秦野市内の震生湖と合わせて紅葉見物するとより楽しめる。近くには縁結びの神様の出雲大社相模分祀も存在するし、で日帰り温泉入浴も出来るので数ヵ所合わせて良いデートコースに成る。
丹沢山系の水で手作りの豆腐を製造直販している“五右衛門本店”、そして“鶴巻温泉郷”と合わせて行くと良い休日に成るだろうと推薦できる場所。震生湖大山も車での移動の人なら合わせて訪問しても良いかも知れない。

【大雄山最乗寺】(南足柄市大雄町)
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大雄山最乗寺の紅葉 久良岐のよし
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縁結びでも有名なパワースポットです。
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最後の最後で350段の急な階段が待ち構えていますよ!…足パンパンに成ります。下りも怖いし。 
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【催事】
禅宗の御寺で座禅会も開かれます。 
曹洞宗の寺院で本来の山岳信仰の文化も受け継いでおり、境内は四季のそれぞれの自然の豊かさを前面に押し出した本来の日本文化を有する美しい場所です。
ただし!禅宗の山岳修行場として信仰をあつめた場所なので、参道から歩いて奥院まで行くと結構大変。
【名物】
●自然薯…参道に「とろろめし」や「とろろ蕎麦」を出す店が多く有る。
煎餅…参道には名物の天狗の団扇(うちわ)を模(かたど)った煎餅を売る店が多くある。
【交通】
●電車とバス
※紅葉と桜のシーズン中は渋滞すると抜け道が無いので大変です。 
●駐車場
150台のみ有り。ただし直ぐ満車に成ります。とんでも無い早朝に訪問するか、駅からバスかTAXIがお薦め。 
【偉人】
室町時代の大名:大森家歴代当主:足柄郡領主で小田原城主・北条氏康公:戦国時代の関東の大大名、等々… 
【関連記事】
●最乗寺そのものは未紹介…ネタでキープ中です、いずれ記事で紹介します。 
(大規模過ぎる寺院なので小田原城の記事並みになってしまうのでゆっくり紹介します。) 
小田原城の記事は「ココクリック!             

【箱根町と金時山周辺】
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金時山の入口に鎮座する金時神社の紅葉。
(金太郎=今の神奈川県足柄郡出身の平安武将:坂田金時(さかたのきんとき)公を祀る) 
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【催事】
●金時祭り…仙石原金時神社は現在は宮司不在だが、古来、御祭神の坂田金時公の幼少期の御姿の金太郎が有名で端午の節句に飾る5月人形のモデルにも成っている程の信仰を集めたので5月5日の子供の日には今でも御祭りが開かれる。
●その他、箱根町観光協会のページ
 https://www.hakone.or.jp
【名物】
温泉
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●麦とろ飯(江戸時代からの箱根名物)
●小田原の蒲鉾(箱根の一つ前の東海道宿場町の名物)
●小田原の曽我梅干し(箱根の一つ前の東海道宿場町の名物)
●大涌谷名物の黒玉子(温泉の鉄分が付着し黒い温泉卵。1つ食べると寿命が7年延びる?昔からの名物。)
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●温泉まんじゅう
第三新東京市行ってきた(アニメおたく狙いのエヴァンゲリオンとのコラボ土産)
【交通】
登山鉄道とバス
箱根湯本駅から各目的地へは箱根登山鉄道とバス。
駐車場
箱根なら、宿泊施設・博物館・レジャー施設どこも駐車場完備だが全て有料。
【偉人】
源頼光(よりみつ)公:平安時代の摂津源氏の名将・金太郎(坂田金時):源頼光公の与力の名将・風魔小太郎:戦国時代の忍者・北条早雲(そううん)公・北条幻庵(げんあん)公:小田原城主北条早雲公の三男で箱根権現の別当職)・仙谷秀久(豊臣秀吉の部下)・豊臣秀吉。
【周辺】
当然ながら温泉旅館も多数、ガラス加工体験が出来るガラスの森美術館や、箱根の関所、芦ノ湖遊覧船、箱根神社、箱根名物の畑宿の箱根細工のアクセサリー展示館、大涌谷等が在り1日楽しめる。



mixiチェック

表題の通り、横浜市内と鎌倉市内は2017年12月第1週、今が紅葉の見ごろです!
昨日12月02日に撮影して来た写真を添付羅列しますので、旅の御参考にして頂ければ幸いです!

横浜三渓園
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山下公園~横浜三塔KING(神奈川県庁旧庁舎)前銀杏並木DSC_3852
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鎌倉市浄明寺地区宅間谷(たくまがやつ)界隈(報国寺~旧皇族華頂宮邸~犬懸谷)
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旧皇族華頂宮邸
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犬懸谷(いぬかけがやつ)~衣張山~田楽辻子の道周辺CIMG5827
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関取(戦国期北条氏康公関所跡)~ニュージャーマン~鶴丘八幡宮
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鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館
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もう有名な場所ばかりなので解説は不要だと思い、先ずは皆さんの必要な現在の画像情報を掲載しました。
もし、「余り詳しくないよ~」と言う人はブログの記事の下の方のタグから検索したいキーワードを;クリックしてみて下さい!
タグ検索
PCの場合は一番下の方に表示されてます。
そこから検索キーワードをクリックすると関連する記事を見る事が出来ます。

近い内に22日の神奈川県西部の紅葉見物の休日雑記の続きを書きますので、その記事も御興味有る方は御覧下さい。

 ↑
これは前回の記事です。

皆さん、晩秋の景勝、楽しんで下さいね~♪
では、又、次の記事で!




















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数週間くらいの期間に成ると思いますが、しばらく間宮家と寄親の玉縄北条家の顕彰活動、それと熊本支援の活動に専念するので休日雑記は途絶えると思います。
しかしながら、川越市や東京江東区越中島とに出向く用事は有るので、もしかしたら、その休日雑記は書くかも。でも人との面会が主要目的だから記事にしようが無いかな?
もっとも、解説記事は時間に余裕有る時に書きますので(記事ネタのリザーブ大量に有る)ので、PCさえ持って行けばどこでも更新します。

そんな訳で、多分、しばらく書かない休日雑記ですが・・・

水曜日の休日雑記。
この日は鶴岡文庫(鶴岡八幡宮の図書資料室)や金沢文庫博物館の資料閲覧に行く用事が有って、金沢の風景も眺めたくなり少し遠回りして丘の上を走った。
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この金沢の丘からの眺めが大好きだ。

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特に秋の称名寺の裏、金沢城址の稲荷山から眺める六浦湾は秀逸。

そこから金沢文庫博物館に向かう前に気に成り行ってみたいと思った料亭金沢園の写真を撮りに立ち寄る。
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昭和5年以来の伝統建築。...
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でも営業しておらず昼食とれなかった。
ぐるなびとかで、心無い書き込みを書いたクズがいるが、ここは建物その物が文化財級の昭和建築で素晴らしい。
そしてランチタイムには小柴の名物アナゴ丼が食べられる良い場所だったのに…
公式ホームページリンクは「ココ」←クリック!
残念な気持ちのまま、金沢文庫に移動。
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金沢文庫博物館と鎌倉の鶴岡文庫では色々と相談し、学芸員サンと司書サンの研究成果を御教授頂いた上、小生の情報と照らし合わせて少し解った事が有った。
ほんの少し源義家公の伝承の検証が前進・・・
これで御世話に成っている東京の八幡宮の禰宜サンの助けにも成れるかも知れない。
実際に鎌倉古道をいつか岩手県まで自分で歩いた方が、より収穫が有りそうだ。
何泊かかって、経費はいくらかかるんだろう?
しかし八幡大菩薩を信仰した玉縄北条家の北条綱成公と北条氏繁公、その与力の間宮康俊公の顕彰をするには源義家公の足跡を辿る事も必要な事かな…
これもライフラークに成りそうだ。

帰路
昼食と夕飯を兼ねて江戸文化のファストフード、握り寿司をチャチャッと食べて帰宅。
おしどり寿司で食事。
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この日は北条家所縁の「小田原三昧」と言うのがあったので、それを先ず頂いた。美味いなぁ~♪
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あと、本マグロの極上大トロ。
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好物の卵とイカ三昧と海苔汁。
御馳走様でした。いつもながら美味しかったです。

あ~!
調べ物多すぎて、無駄に体デカくても体が一つじゃ足りないし1日24時間じゃ足りないよ…
もっと効率よく動かなければ。
その為にはより多くの知識を抱え込んで、点を線で繋いで動く情報の関連付けをもっともっと高めなければ。

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皆さんは、水分補給と言うか…
一息つく為に何を飲みますか?
小生は御茶を良く飲みます。
御茶と言っても煎茶では無く、鉄観音の緑茶ですが。

さて、昔の御殿様達も御茶を良く飲まれた様ですが、世田谷の大谿山豪徳寺と言うそれはそれは立派な御寺にも御茶を飲みに立ち寄られた、ある殿様の御話が残っています。
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この豪徳寺さん、幕末の大老井伊直弼さんの御先祖様、徳川幕府直参大名の彦根藩井伊家と非常に所縁の深い御寺でして、大凡(おおよそ)以下の様な内容の伝承が伝わっています。

ある日、徳川家臣の井伊家2代目、井伊直孝公が今の世田谷の辺りを通りかかった時、ある御寺の前でネコが手招きしていました(出オチだよね)。
それを見た直孝公、これも縁だなと御寺の和尚さんに「ネコに呼ばれて訪問してみたんだけれど、和尚さんの話でも聞かせてくれません?」みたいな事を言った所、あっと言う間に外の天気が大崩れ、和尚さん、殿様達にお茶を出す間に…
「御寺の外は激しい雷雨に見舞われ、御寺をスルーしていたら今頃落雷で大変な目に遭っていたかも知れない」
…と殿様も一安心、これも何かの縁と和尚さんの御話を一しきり聞いた所、その説法に非常に感銘を受け、以後、この御寺を井伊家代々の菩提寺として定め支援する事に決めました。
…この逸話のネコこそ、招き猫のモデルなんです。 2015-06-13-19-06-53
これ↑豪徳寺で販売している招き猫さんです。
本家本元、元祖の招き猫だから古典的なデザインだけれど、可愛らしいでしょ♡?

井伊家の居城、彦根城のマスコットは「ひこニャン」ですよね?
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ここまで話を聞いたら、何で彦根のキャラが「ひこニャン」かお分かりですよね?
つまり、彦根城主井伊家と東京都世田谷区の豪徳寺が招き猫の発祥の由縁であるので、ネコに初代の井伊直政公の兜を被せてキャラにしたんですよ。
…こうして話を知ってしまうと以外にヒネリが無いキャラのデザインでしょ(笑)?
でも可愛いですよね?

実はこの豪徳寺は元々、蒔田吉良家の居城「世田谷城」でした。
「世田谷城」の事は後半部分で詳しく書きますが、その城内に城主の吉良政忠公が叔母の弘徳院様の菩提を弔う為に立てた私設の仏院が北条家滅亡後、その影響下に在った蒔田吉良家が下総国(千葉県)に移転してしまい支援者を失いほそぼそと寺院として命脈を保っていたのを新たに支援したのが井伊家に当たる訳です。
先程の招きネコの発祥の逸話ですね。

江戸時代を通じて大大名の井伊家の菩提を弔い代々支援を受けた御寺だけあって鎌倉の円覚寺や建長寺や京都の大徳寺や相国寺に迫る規模を有しています。
ですので、参道もとても素敵な雰囲気です…
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緑豊かでしょう?
この参道を抜けると立派な三重塔が出迎えてくれます。
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歴史にあまり関心の無い方の為に一応ご説明差し上げますが…
この様な仏塔、よく大寺院に有りますが、実は中は登れない構造に成っており元々の役割は「仏舎利(ぶっしゃり)」と呼ばれる、仏教の開祖「ゴーダマシッダルタ=お釈迦様」の御遺骨を納め奉(たてまつ)る為の建物なんです。
勿論、現代の日本の仏塔にお釈迦様の仏舎利が有る訳ではありませんよ!
あくまで文化的宗教的な役割を担い、かつ御寺の景観を美しく演出する役割が主な所になっています。
この豪徳寺の三重塔の前には楓や紅葉の木が生えていて、ボランティアガイドの方の話ですと秋は非常に美しい風景を参拝客に見せてくれるそうです。

さて、この三重塔の右手を参道にそって真っ直ぐ行くと本堂が在るのですが、そちらを紹介する前に…
こちらから!
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三重塔の前の参道の分岐点を本堂に向かって左手に曲がるとすぐの所に上の写真の御堂があります。
この塔頭(たちゅう=御寺の支店とか別部門みたいな感じ)の門をくぐると…
こんな建物↓があります。
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これだけでも、住宅街の中の小さめの御寺の本堂位の規模があります。
この写真の左側を良く見て下さい…
何か白いの居ませんか?

実は、ここが「招き猫」の御利益に与(あずか)れる御堂なんです。
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この招き猫さん達は願いが適(かな)った参拝客が納めたネコさん達かな?
この招き猫達は寺務所で購入できますよ~!
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小生が購入したのは2cm位(左)のと、右の10cm位のです。他にも同様の物を家族と友人の御土産に購入しました。

三重塔と、招き猫達がいる御堂を過ぎて真っ直ぐ行くと、その先に井伊家との歴代の殿様と、その奥方様達の御廟所が在ります。
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この奥が御廟所なのですが…
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今回も失礼に当たるので御廟所の写真は載せません。
その代わり、幕末の彦根藩旧臣達が明治時代に奉献した、御廟所入口の石柱を載せますね。

さてさて、では三重塔から本堂に向かいましょう…
本堂に向かうと、大きな大きな線香を炊き上げる炉が有ります。
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すんごい立派でしょ!!
御寺の寺紋は井伊家の菩提寺だけあって、井伊家の橘樹紋ですね。

ここを右手に行くと庫裡(こり=寺務所)が在ります。
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招き猫のパネルが有るので直ぐに解ると思いますよ~!
こちらで招き猫や御土産を買ったり、御朱印を頂けます。
御朱印の写真を掲載したい所ですが、小生の御朱印は少々特別な物を御好意で頂いているので掲載できません。御了解の程を…

で、線香炊き上げる場所の更に奥が下の写真の…
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最初の大きな仏殿が在ります。
確か…
こちらが阿弥陀如来様が祀られている方の仏殿だったと思いますが、記憶は定かではありません。

で、寺務所を右手に見ながら、この仏殿の更に裏手に本殿が在りますが本殿を紹介する前に、こちらの仏殿の屋根を見てみましょう。
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彦根藩井伊家の、もう一つの家紋「平井筒紋」が金色にキラリと輝いていますね~。
そして御堂の大きさが伝わると思います。
見切れてる狛犬さんも凛々しいですね。
この写真は仏殿を裏側から見た写真です…

…その向かい側に本殿が在ります。
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本殿前の炉も井伊家の家紋が刻まれていますね~。
如何に、この豪徳寺さんにとって井伊家が大切な存在だったかと言うのが伝わってきますね。
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現在、こちらの本堂は鉄筋コンクリートに成っています。
こちらには確か、釈迦如来様が安置されていたと思います。
入口のガラス戸ごしに拝む事が出来ます。

この豪徳寺、冒頭で少し触れましたが元々は蒔田吉良家の居城「世田谷城」だったので、境内には城時代の土塁遺構がちょこんちょこんと残っていました。
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まぁ~城好きな人以外には「ただの土のこんもりしたの」位にしか見えないでしょうけれど…
これは御城時代の土壁の名残なんですよ。
ですからこの、土塁の延長線上には「世田谷城址公園」も在ります。
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世田谷城址公園には、豪徳寺の山門を出て左手に進むと100m位さきに在ります。
この↓道ね。
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現在、世田谷城址は大部分が宅地化されてしまい余り残っていませんが、公園内には空堀と北条流築城術特有の二重土塁が石垣で補強され保存されていました。
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世田谷城址は吉良家の館を、吉良政忠公或(ある)いは吉良成高公の代に拡張し城郭化したと言われています。
小生の個人的な予想では戦国時代に当たる吉良成高公の代には横浜の蒔田城が吉良家の本城として機能していたと推測しています。
しかし、この世田谷城が本城だと言う意見が主流の様です。
ちょっと蒔田吉良家の所領を見て見ましょう…
吉良家所領域
赤いタグと黄色のピンで表示された地名と施設名が支配域の中心部です。
世田谷一帯・多摩川と中原海道沿いの川崎市高津区と中原区一帯・海運の拠点東京の品川辺り・同じく海運と河川水運の拠点横浜市南区一帯…

多くの学者の意見では、世田谷城が本城だったが、成高公は文化人だったのでしょっちゅう風光明媚な蒔田城に行ってたんじゃないの?…と言うのが定説に成りつつある様です。
小生が蒔田城が北条家時代の本拠で、世田谷城は元の本城として重視された拠点だったと思う根拠は…
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吉良成高(しげたか)公が開基(かいき=御寺を創建する事)された勝國寺が横浜市南区蒔田城址の丘の下に在るからです。
そして、この蒔田城址の大手口に当たる場所に在る勝國寺さんには「吉良政忠公の御廟所」が有るからです。
つまり、小生の予測はこうです…
吉良成高公は扇谷上杉家の執事だった名将太田道灌公と盟友でした。しかし太田道灌公は君主としての器に乏しい主の扇谷上杉定正に今の神奈川県伊勢原市に在った別荘で入浴中に暗殺されてしまいます。
この時期の前後、吉良家は扇谷上杉家の影響下に在ったはずですが、同時期に伊豆国を制圧していた北条早雲こと伊勢盛時公も主を今川氏親(うじちか)から古河公方足利成氏(しげうじ)公に乗り換えていましたので、扇谷上杉家は古河公方家との関係上、伊勢盛時公とも関わりが有ったはずで、当然、伊勢家と蒔田吉良家も関わりが有った筈です。
では何故、伊勢盛時公が伊豆を支配下に治めれたですが、これは正に古河公方家を主家とし仰いだから敵対勢力である堀越公方足利政知の支配地域である伊豆を攻める大義名分を獲得する事が出来た訳です。
ですので、伊豆と隣接する小田原城主の大森家と伊勢(北条)家は友好関係にあった訳ですが…
この関係を揺るがす政変を古河公方家が起こしてしまう訳です。
突如、古河公方は対立する堀越公方派だった山内上杉家と和睦してしまい古河公方派の扇谷上杉家と山内上杉家の関係も改善してきましました…

つまり!
伊勢家の伊豆統治の大義名分が怪しく成って来た訳です。

…しかし、この古河公方=扇谷上杉家と山内上杉家の同盟は、元々山内上杉家と戦う事で領地を拡大していた扇谷上杉家与力の大名たちに大いに扇谷上杉家に対する不信感を与える原因に成ったようです。
しかも!
吉良成高公は太田道灌公の暗殺以来、扇谷上杉家に対して恨みの様な感情すら抱いていた事でしょう。
結果、吉良家は世田谷~中原街道を攻めのぼり太田道灌公の遺領だったと思われる横浜市南区辺り迄攻め込んで来て、同じ様な動機で直ぐ隣の鎌倉郡まで制圧していた伊勢(北条)家と友好関係を結んで、前線に当たる世田谷から蒔田城に本拠を移したのだろうと、個人的に推測しています。
因みに、何故、横浜市南区が太田道灌公の遺領と推測するかと言うと南区には京急線「南太田駅」が在るのですが、その一帯は太田と言う地名で太田小学校は太田道灌公の城跡と伝わっています。
そして!
吉良家が戦国時代に蒔田城の方を主要拠点にしていた決定的な証拠は…
勝國寺の政忠公の御廟所の周辺を取り囲む様に、「森家」「佐々木家」「並木家」の立派な御廟所が有るからです。
吉良家家臣団を知っている人は直ぐに解るのですが、森家、佐々木家、並木家は全て吉良家の主要な家臣なんですね。
つまり主要家臣が戦国時代に御廟を構える場所が当然、本拠地の可能性が高い訳です。
更に言えば、隣の港南区上大岡側と磯子区峰一帯には大地主の「北見家」と「苅部家」がいます…
この北見家も「北見」=「喜多見」であり、やはり吉良家の重臣に当たる姓です。苅部家も同様に吉良家重臣の家柄の姓です。
そして、「森」や「並木」の地名は、蒔田城と一つの丘「久良岐の丘」で繋がっている地名として残っていて磯子区「森」と金沢区「並木」が現在も地名に在ります。 吉良家所縁の地名
この吉良家、北条氏の影響下に入った後の明確な支配域を見ても中原街道沿いの川崎市中原区や東京湾岸等、穀倉地帯よりも交通の要所を抑える傾向が有りました。つまり、海運と陸運を重視した家だった訳です。
そんな関係で…
船舶関係の事業に精通した家系…喜多見家、並木家等が配下にいたのでしょうね。
実際、この輸送能力を生かして吉良家は吉良頼康公の代に鶴岡八幡宮再建で材木の大量輸送に成功しています。
これは羽柴秀吉における蜂須賀小六の比ではない実務能力と経済力の高さを史実として残しています。
そんな関係で、流通の拠点として内陸の街道が沢山通る世田谷と海川の水運に適した蒔田を重視したのは言うまでも無い訳です。

まぁ、そんな吉良家ですが、北条家滅亡時に世田谷城は落城してしまいます。
その際に、吉良の殿様は千葉県に退避していて難を逃れ、そのまま江戸時代に千葉で旗本として存続しました。
江戸時代に成ると、御子孫が前回の記事で書いた世田谷八幡宮を吉良頼康公の故事に習い再興しています。
豪徳寺は井伊家の菩提寺でもありますが、そんな吉良の殿様の室町時代の居城で蒔田吉良領の中核だった訳です。
世田谷城址の豪徳寺を継いだ井伊家は、その後、吉良家の治めた横浜村を開港しています…
これも何かの御縁なんでしょうかね~?
豪徳寺は吉良家と井伊家と言う、とても偉い殿様の関わった御寺で凄いと言うのは何となく伝わったでしょうか?

きっと皆さんの御近所の御寺や神社も、思いがけず凄い殿様や歴史偉人や古代の神様の縁起が伝承して居るかも知れません…
だから少し御寺や神社を散歩してみて、説明の看板を読んで見ませんか?
思わぬ歴史人物との関わりを発見したら、きっと自分の住む地域への愛着も深まる筈です…

では、又、次の記事で御会いしましょう!





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三崎まぐろ鉄火巻き寿司作り大会
写真は標題とは無関係(笑)。

4月19日に三崎銀座商店街で開催され ます!今年は世界(日 ) 記録(笑)?を越える 555mの鉄火巻き作りに 1200人の参加者を募集して挑戦するそうです。
受付11時〜13時。14時スタート。
祭りに参加するも良し、又は三崎漁港のレストランや寿司屋や居酒屋でマグロ料理を堪能してから、近くの「城ヶ島の絶景散策」や、武地区の「イチゴ狩り」、油壺マリンパークにイルカショーを見に行くも良し!カップルにも家族連れにも最適な観光に成る事間違い無しですよ〜!
※因(ちな)みに写真な三崎漁港の毎年1月15日の祭事で、ユネスコ世界無形文化遺産の「チャッキラコ」です。

鎌倉まつり
※写真中央の鶴岡八幡宮能舞台は、昔、有名な源義経の側室(本妻以外の妻)の静御前が鎌倉武士団の前で舞を踊った舞台。
4月19日迄開催中です。 
場所:鶴岡八幡宮ほか鎌倉市内で開催。
⚫︎源義経側室の静御前の舞を再現する「静の舞」。
⚫︎騎馬武者による弓矢の射撃を伝承する「古式流鏑馬(やぶさめ)」の射的実演。
⚫︎今年の「ミス鎌倉」のお披露目など。
歴史が好きな人や、鎌倉の落ち着いた雰囲気や伝統文化が好きな人には最適なレクリエーションです。舞や流鏑馬見学の後で小町通りで食べ歩きや、江ノ電に乗ってスラムダンクの舞台、鎌倉高校前駅横の踏み切りの情景を散歩する小旅行なんて如何でしょう?

横浜大道芸
※写真は横浜大道芸の発祥地の野毛地区にある明治時代の建築群を代表する神奈川県立歴史博物館。
明日4月18〜19日、毎年恒例に成っている横浜大道芸が開催しれます。
場所:イセザキモール1・2St.、みなとみらい21、石川商店街アイキャナルストリート、吉田町通りにて、開催されます。
ジャグリングやパントマイム、手品など様々なパフォーマーが集まり小さい子供連れ家族も楽しめもすよ〜!
中華街の中華レストランや港の観光ホテル街のレストランで外食がてら、家族恋人にはもってこいのレクリエーション!

今回の記事は目前に迫ったお祭り紹介だけですが、次回は小田原北条五代祭りに向けて小田原城の記事を書こうかな…?

では、又、次の記事で御会いしましょう♪
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JR小机駅近くに雲松院と言う御寺と、小机城と言う御城の跡が在(あ)ります。
雲松院は戦国時代の笠原信為(のぶため)公と言う武将の開基(かいき=建設)した笠原家の菩提寺(ぼだいじ)です。
この笠原信為公、実は北条家の重臣で雲松院と小机駅を挟んで反対側に在る小机城の城代を務めた人物です。御本人の居城は大曾根城と言う城が近くの大曾根~太尾地区に別に在りました。
しかも、信為公は戦国大名北条家で軍隊で言う所の軍団長に当たる白備(しろぞなえ)隊の大将代行の役割を担っていた重臣でした。
ですから笠原家の菩提寺である雲松院は現在でも広大な敷地を持ち、さながら小大名の武家屋敷の様(よう)な門構えです。
昔は漆喰塀だったんでしょうね。
雲松院は、そもそも神奈川区の神大寺地区に戦国時代に存在した❝神大寺❞と言う大寺院の塔頭か別院の様な扱いで、笠原信為公が御父君の笠原信種公の菩提寺として造営したと伝わっています。
その後、神大寺が戦国時代には既に焼失してしまったので、江戸時代にも成ると笠原家の菩提寺としての機能自体も雲松院に移転して来た様です。

笠原信為公は白備えの副将格(実質上の大将)です。
戦国大名の北条家には、五色に分けて編成した有事に即応する為の軍団が有りました。
その軍団は青・白・黒・黄・赤に軍装を色分けされていました。
各部隊の大将の名前と居城を北条家最強の時代を参考にあげますと…

●青備(ぞな)え 冨永直勝 公  
  葛西城主(東京都葛飾区)
  主に房総半島の里見家に備えた部隊。
※現在の葛飾区は昔は下総国葛西郡の一部。今の感覚で言うと葛飾区は千葉県の一部だった。

●赤備え…北条綱高 公
  江戸城主(現在の皇居)
  主に静岡県方面の攻防を担当した軍団。
  武蔵国多摩地方攻略にも活躍した軍団。
※北条綱高公は実家は九州の名族高橋家で、北条家2代目当主の北条氏綱公に気に入らて養子に成った人物。

白備え…笠原信為 公  
  小机城代 大曽根城主(横浜市港北区)
  主に、武蔵国の防衛を担った部隊。
※小机城はJR小机駅近く、大曽根城は大倉山記念館の丘一帯。
※小机城主は北条幻庵(げんあん)公。幻庵公は笠原家の上司で普段は小田原在住。又、箱根権現(今の箱根神社)の宮司を務め風魔忍者の管理者でもあった。
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●黒備え…多目(ため)元忠  公
  青木城主(横浜市西区と神奈川区の間)
  主に北条家の本隊として活動した部隊。
  吉良家の護衛も担った。
※青木城は今の京急神奈川駅一帯、本覚寺〜権現山にかけての半島上に築かれた城だった。江戸時代には東海道神奈川宿が置かれた。
※多目元忠公は北条氏康公の軍師で河越合戦などで活躍した。
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●黄色え…北条綱成 公
                 副将…間宮康俊 公
  玉縄城主(鎌倉市北部〜藤沢市市境一帯)
  対外遠征と前線の援軍を担当した軍団。
※玉縄城の範囲は広大で今の藤沢市渡内〜鎌倉市玉縄〜植木〜横浜市栄区長尾台にかけて築かれた城郭で、武田信玄と上杉謙信も撃退した堅城。
※実質的に北条家最強の軍団で肝心な合戦には必ず黄備え隊が参戦した。
※北条綱成公は綱高公同様に、2代当主北条氏綱公に気に入られ婿養子に成った人物。
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さて、五色備えは何となく御理解頂けたと思いますが、実はこの軍団編成は織田信長公に先駆ける事、数十年も早く作られた画期的なシステムだったんです。
現在の軍隊と同じシステムだったんですね。
そんな北条家白備えの大将だった笠原家の菩提寺だから、当然に雲松院の境内も立派な訳です。
この写真では分かりにくいですが、本堂の上の金色の家紋装飾は笠原家の「丸に三つ柏紋」と徳川家から許された「葵の紋」が入っています。
家格の高さが窺(うかが)い知れますね。
京都の相国寺や天龍寺くらいの敷地が有るでしょうか?
周囲の山林も含めて雲松院です。

鐘楼も立派ですよね。
この雲松院は明治時代の廃仏棄釈まで、付近の白山神社の別当(べっとう管理職)も
兼務していました。
つまり、笠原家は神道では白山神社を信奉していたと言う事ですね。

白山神社は北信越地方の神様です。
そして、曹洞宗の大本山が今の横浜市鶴見区総持寺に移る前の能登国永平寺だった頃から曹洞宗の守護神として崇めらてきました。
実は雲松院は曹洞宗の御寺です。
小田原北条家には曹洞宗を信仰する武将が比較的多い様です。
しかし、笠原家が白山神社を信仰したのは、北条家家臣だったから以外にも理由が有ると思われます…

笠原家ですが…
古代神話の時代には相模国と武蔵国を合わせた広大な範囲の佐賀牟国造(さがむのくにのみやつこ)を務めた人物の子孫だとも伝承しています。
そうであるなら、長野県の諏訪大社の神様、建御名方神(たけみなかたのかみ)の御神孫と言う事にもなりますね。
まだ、神奈川県や東京や埼玉が、相模国とも武蔵国とも呼ばれる更に前の「佐賀牟(さがむ)国と呼ばれた時代、古代の国主は「国造(くにつくりのみやつこ)」と呼ばれました。
その時代、初代の佐賀牟国造に任命されたのが、建御名方神から数えて6代後の子孫だそうです。
信州出身の家系だから、古代から北信越で自然信仰で崇拝されていた白山神社を神孫の笠原家も信仰する事は当然と言えば当然だと言えますよね。
日本武尊(やまとたけるのみこと)は素戔嗚尊(すさのおうのみこと)を信奉していましたしね。

その後、佐賀牟国造の乱で笠原氏は内紛を起こし分裂してしまい、更に大和朝廷の仲裁を受け弱体化と古代大和朝廷の大王(おおきみ=天皇)に臣下化し埋没していきました。
※写真は雲松院の文化財一覧

しかし小机城代の笠原家は古代〜室町時代まで、ずっと神奈川県に定住していた訳では無く北条家が、まだ伊勢を苗字にし岡山県にいた頃からの家臣でした。
おそらく、古代の国造の子孫は時代を経て鎌倉幕府の御家人と成り、岡山県に移住したのかも知れないですね。
室町時代に領地を拡大し支配するには大義名分が必要だったので、家臣の家系の祖先が治めた土地に、その家臣を領主にする事で支配権を公言するのは上等手段でしたから、北条家は笠原家に小机城を拠点に武蔵国橘郡と都筑郡の経営を任せたのかも知れません。
北条家の歴代殿様は古典歴史にも精通していましたから、笠原家のルーツもご存知だったはずです。
武田信玄の場合は、家臣に縁も所縁(ゆかり)も無い地域の滅んだ武士の苗字を自称させて強引に支配権を主張したりしました。

岡山県の笠原家ですが…
他の武家にも岡山県に移住した具体例が有ります。
鎌倉時代初期の当時、源頼朝公より岡山県に恩賞の領地を与えられ赴任した武士には、他に梶原家や長井家がいます。
梶原家は旧鎌倉郡梶原の地名を苗字にした坂東平氏梶原景時公の子孫です。
長井家は大江家の分家で、大江広元公の子孫です。
いずれも源頼朝公の重臣です。

笠原家は他に古代から信濃国より出なかった一族もおり、武田信玄に敵対しています。
そちらは佐賀牟国造の伝承を証明する様(よう)に「諏訪神氏系図」で神孫と記され長野県佐久郡志賀に定住していた事や、鎌倉時代に源頼朝公に臣従していた事が記録に残っています。
つまり、鎌倉時代に御家人として幕府に出仕した笠原家が、元:伊勢平家(平清盛の一族)の領地だった荘園を恩賞として源頼朝公より与えられ備前国に移住したか、北条家が本姓伊勢家だった頃に室町幕府の命令で伊勢家同様に移住したんでしょうね。

この様に古代からの由緒ある家系の笠原家ですが、笠原信為公は内政でも活躍し歴史に名を刻んでいます。
1526年、房総半島の里見家に鎌倉市街地に攻め込まれ、鶴岡八幡宮が略奪・放火され焼失する事件が起きました。
その後、鶴岡八幡宮を再建するに当たり、北条氏綱公は鶴岡八幡宮再建の総奉行に笠原信為公を任命しました。
この役割りは非常に重く、「統率力」「経済力」「高貴な血筋」「文化的歴史的知識の深さ」の全てが無いと担えない役割りでした。
結果、信為公は鶴岡八幡宮再建に成功します。
因(ちな)みに、この再建事業には黄備えの副将間宮康俊公も与力(よりき=部下)の奉行として参加しています。
間宮家も宇多天皇の子孫に当たり、室町幕府鎌倉府の武士の家系でしたので有職故実(ゆうそくこじつ=古いしきたり)に精通していたはずなので、抜擢は理解出来ます。
信為公ですが、他にも減税による民衆からの支持を得たり内政面での活躍が現代にも伝わっています。
更に文化人としても和歌や漢詩に長けていた事も伝わっています。

合戦指揮だけで無く、事務処理能力にも長けて文化人としても高名とは…
現代の会社にはなかなか、こんな素養の高い高級管理職いないですよね。
仕事が出来ても人間腐ってたり、金稼げても文化的素養が欠落した無文化成金だったり、仕事出来ない癖にふんぞり返って実力無かったり…
信為公の様な上司って少ししかいませんよね。

そんな信為公の笠原家御一門は、今でも小机の雲松院から横浜市民を見守って下さっています…
これ↓歴代殿様の御廟所から見た風景
新横浜が一望出来ます。

そして、御廟所の写真を撮影するのは不敬なので、今回も写しませんでしたが、御廟の石塔の配列説明を代わりに撮影してきました。


皆さん、もし、小机城を見学する機会が有れば、雲松院を御参りし笠原家の殿様達に神奈川県北東部の発展に寄与して下さった事に、一言お礼を伝えてみませんか?

本日はここまで。
では、又、次回の記事で!
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横浜市金沢区富岡八幡宮と言う神社が在(あ)りますが、東京にも大きな富岡八幡宮が在りますよね?
でも、この金沢区の富岡八幡宮が最初の富岡八幡宮なんです。
征夷大将軍源頼朝公が、今の兵庫県の有名な西宮神社から商売と海の神様の蛭子(えびす)神=恵比寿様=戎神を勧進(かんじん)=分霊して頂き御迎えしたのが始まりなんです。
源頼朝公の御先祖様で鎮守府将軍を務めた源頼義公が現在の鎌倉市中心部(旧:鎌倉郡材木座)に鶴岡八幡宮の前身と成った元鶴岡八幡宮(由比若宮)を開き、源義家公が御父上頼義公と同じく武蔵国荏原郡(現:東京都世田谷区)に世田谷八幡宮を開いた故事に倣(なら)い、源頼朝公が金沢区富岡(旧:久良岐郡富岡)に今の兵庫県の西宮神社から蛭子様を勧進して神社を開いて、後の八幡神を合祀し富岡八幡宮が成立したんですね。
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上の写真が世田谷八幡宮です。東京都江東区の富岡八幡宮と並び江戸三大大相撲発祥地の一つです。

  ↑
これ以前に書いた世田谷八幡宮の紹介記事です、興味の有る人は参考に御覧頂ければ幸いです。
そもそも東京の富岡八幡宮は江戸時代に、鎌倉時代の源頼朝公が開いた横浜市金沢区の富岡八幡宮から御分霊を頂き開かれた神社でしたが、後から東京に富岡八幡宮が開かれたのにはちゃんと理由が有ります。
 それは金沢区富岡の富岡八幡宮が自然災害から多くの人命を救った歴史が関係しています。
東京の富岡八幡宮が在る辺りは0海抜地帯なんです。0海抜と言うのは土地の高さが海面と同じか、それ以下の標高に在り河川や運河の堤防が決壊すると瞬く間に水没する水害危険地域なんです。
それもそのはずで、江戸時代初期まで深川界隈は海の中だったんですよ。
それを江戸時代に干拓されて次第に埋立地が広がり人が住む様に成って現在の深川の下町が形成されて行った訳です。今でも海抜より標高が低く、水害の怖い地域だったりします。
富岡八幡宮周辺色別標高図 国土地理院×Googleearth×久良岐のよし
上の画像は標高の低い程土地が青く表示される国土地理院の地図をGoogleearthに重ね小生が登録した地点を表示した画像です。
これを見ると東京の富岡八幡宮を中心とした深川界隈が0海抜で江戸の町人にとって度々多くの人を焼き殺した大火事の他に津波や高波や大雨が恐怖の対象だった事が判りますね。
小生は間宮林蔵公の祖先の間宮家の顕彰活動をしており、偶然、江東区立図書館さんや江東区教育委員会、そして間宮林蔵公の菩提寺本立院、それと安土桃山時代の徳川家康公の参謀の一人で江戸幕府初代鷹匠頭の間宮信繁公の姫様が久能山東照宮の初代宮司榊原照久公に嫁ぎ、江戸屋敷だった越中島に住んでいた歴史を取材した際この地形も写真撮影し散歩して体感してきました。
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そんな深川界隈は津波や高潮の危険にさらされている町な訳ですが、津波から大昔に多くの人命を守ったのが現在は横浜市金沢区に当たる旧久良岐郡の富岡に源頼朝公が開いた富岡八幡宮の恵比寿神様と八幡大菩薩=八幡大神=応神天皇=誉田別命=大鞆別命の神様の水の神様としての御神威と、頼朝公の分析力でした。
その波除けの御神威に授かろうと江戸時代に横浜市金沢区の富岡八幡宮の御分霊を勧進して開かれたのが、昨今、取り上げられる事の多い東京都江東区の深川八幡宮です。
最近、地震津波の話題をマスコミで目にする機会も多いですが、横浜の富岡八幡宮は別名「波除け八幡」と呼ばれ津波や地震に関係が有ります。
今回はその異名「波除け八幡」の由来と鳴った歴史と地形を解説したいと思います。
その由来は金沢区の頼朝公が開いた富岡八幡宮ですが先(ま)ずはこの頼朝公が開いた富岡八幡宮の地形を御覧下さい。・・・
写真左上に池が有りますが、実は昭和の中期まで海でした。
荒波が富岡八幡宮の山を洗っていたんですね。

もう一度、参道の写真を御覧下さい。
いきなり階段ですよね?
昔は、海岸の横のだいぶ急な岩壁を持つ丘の上に造営された神社だったんですよ。
この付近の海は現代では埋め立てられてしまいましたが、昔は鮑や海鼠(なまこ)が豊富に採(と)れた海でした。
江戸時代は近くの屏風ヶ浦と言う海の海鼠が最高級品として中国:清帝国に輸出されたそうです。
また付近の小柴漁港は現代でもTVに度々紹介されますが、江戸時代から「小柴のシャコ」が名物として、江戸から「杉田の梅林」を見学に来る観光客に有名でした。
昔は観光客で賑わい海産物の豊かな海だったそうです。
その海の豊穣を願う意味で海の神様の蛭子様を勧進したのでしょうね。
そして…
海岸の丘の上、この場所が選ばれたのは頼朝公は海の安寧も願ったからでしょう。
つまり高潮や津波で領地が被害を受けない願いを込めて社殿を造営したんでしょうね。

頼朝公は鎌倉幕府開府に差し当たり、地震や津波が鎌倉付近で発生するような悪い予感でも有ったんでしょうか?
多分、神社の神様は信仰しながら仮に津波が来襲はしても被害を受けない場所、且つ、それより高い波は来ないでくれみたいな願いを込めて、この神社を造営したんだと思います。

小生、良く使う画像ですが…
昔の神話の縄文〜弥生時代、日本は今より海面が高い位置にあり陸地は狭かったんです。
頼朝公の時代より海はだいぶ内陸まで来てました。だから、津波が来れば耕作地は今より被害を受ける訳です。

頼朝公は古い家系の武家ですし、早くから関東を開拓した橘氏や紀氏、坂東平氏の武将達から昔の869年に起きた貞観地震の時に津波がどれくらいの高さまで来たか聞いていたのかも知れませんね。

頼朝公が造営した本殿と違いますが、現代の本殿の写真を…
果たして頼朝公に予感が有ったかは分かりませんが、頼朝公が世を去ってから114年後の1311年、応長の大津波が関東南部に来襲しました。

その際、富岡八幡宮の蛭子神様が頼朝公の願いを聞き届けたかの様に大津波は富岡八幡宮の海岸丘陵に阻まれ砕け散り、富岡八幡宮より内側の村々は被害を免れたそうです。
…頼朝公は分析力が優れていたんですね。

その逸話から、江戸時代、深川に富岡八幡宮が勧進され江戸を高潮や津波から守る神様、商売の神様として信仰を集めたんですね。

もしかしたら…
関東で一番、人命を守った御利益を持つ神社が金沢区の富岡八幡宮なのかも知れないですね。

現代では横浜金沢七福神巡りの一箇所としても御朱印を頂ける神社です。
可愛いでしょ?
そして、社務所横の待合所には所蔵されている文化財も見学できますよ!
撮影するのは如何かと思い、今回は境内に有る文化財の説明看板の写真を載せますね!

この頼朝公の開いた八幡様は、頼朝公が古代人から受け継いだかも知れない津波の記憶を今に伝える場所でもあるんですよ…
…これ以下、神社より低い海辺に住むなよ!って鎌倉武士の更に祖先達からの想いの遺産でもある訳です。

では皆さん、又、次のブログでお会いしましょう!

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ブログネタ
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皆さん、今年は良い年でしたか?

小生は今日、本年最後の御礼参りに、地元の宅間上杉家の殿様所縁(ゆかり)の鶴岡八幡宮、永谷天満宮、報国寺様に今年1年間御世話に成った御礼参りに上がりました。
※永谷天満宮の記事は「ココ」←クリック!
※報国寺の記事は「ココ」←クリック!


御存知(ごぞんじ)無い方も多いのですが…
鶴岡八幡宮、実は元々は現在の場所では無かったんです。

鎌倉鶴岡八幡宮は
鎌倉幕府を開いた源 頼朝 公…「の」5代祖先の、河内源氏初代鎮守府将軍:源頼義公が京都の石清水八幡宮から神様を勧進(かんじん)したのが始まりなんです。
その場所は材木座1丁目7番地で、今も付近のバス停の名前のまま、元鶴岡八幡宮が鎮座し鎌倉市民を守護しています。

昔の人の言う鎌倉とは、そもそも鎌倉郡の事です。
今の鎌倉市や藤沢市、それに横浜市港南区の半分と戸塚区栄区を加えた地域ですね。
その土地を開拓したのが坂東平氏の祖である鎮守府将軍の平 良文(たいらのよしふみ)公でした。
その事業を平良文公の御子孫の方々と供に、盟主として引き継いだのが…
鎮守府将軍を務めた源 頼義 公と、その嫡男(ちゃくなん=本家を相続する子)で軍神とも渾名(あだな)される源 八幡太郎 義家 公なんですね。
つまり関東の交通網の起点に成る鎌倉市街の更に基礎は源頼義公と源義家公や、盟友の坂東平氏が築いたとも言える訳です。
※河内源氏に纏(まつ)わる鎌倉市横浜市の記事は以下。
●源氏の邸宅跡の寿福寺の記事は「ココ」←クリック!
●本郷ふじ山公園の記事は「ココ」←クリック!

今は御覧の通り鎌倉市街地の中心に鎮座まします鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府草創時に源頼朝公が、今の元八幡様の場所から遷宮されたんですね。

昔の殿様達は平安時代に神奈川県や東京都や千葉や埼玉がこんなに発展すると思ってらっしゃったでしょうかね〜?

下の写真は鶴岡八幡宮の御朱印所から、能舞台を見た風景です。
この能舞台は源義経公の愛妾:静御前が鎌倉武士団の前で舞を踊った場所です。
勿論(もちろん)、各時代により再建されていますが。

何で御朱印所からの写真を撮ったのかと言いますと…
実は小生、神奈川の発展に寄与して下さった神様や偉人の歴史的偉業の顕彰活動で、どなたが開基された寺社仏閣か調べた上で参拝して回り、皆様の御厚意で少々特別な御朱印を頂いています。
もちろん御武運や加護も賜りたいと思っています。

神奈川県東部における歴史偉人の顕彰活動の本年〆に、本日、鶴岡八幡宮に御参りして来たので、今年最後のブログ内容に選んだ次第です。

さっきの衛星写真の右上の方が浄妙寺地区で有名な報国寺が有ります。
今日の報国寺の竹林の庭園には、まだ紅葉も見られ非常に安らぎました。
この報国寺は時代は異なりますが永谷天満宮と同じく関東管領宅間上杉家の殿様が開基した寺院なんですね。
正確には盟友の足利家時公と御一緒に開基された様です。
足利家時公は室町幕府の初代征夷大将軍足利尊氏公の御爺様に当たる方です。

平安時代の関東の発展は平家と源氏と菅原家が担い、古代は日本武尊と蘇我氏と橘家と紀家により基礎が築かれました。

古事記に頻繁に登場した後、平安時代に成ると再び関東は急速に発展します。
平 良文(たいらのよしふみ)公と源 融(みなもとのとおる)公が武蔵国で一騎打ちをし、互いを認め合い盟友として関東の開発に協力した時期に飛躍的に開拓地が増えました。
※平良文公に関する記事は「ココ」←クリック!

東京や神奈川は地方からの移民だらけで歴史を知らない人も多いですが、今の発展が突然起きた訳ではないんです。

神社や御寺で願い事をしたら、出来れば御世話に成った神社仏閣の神仏と開基された偉人の皆様に参拝し、そして宮司さん和尚様に年末に御礼参りもしたいですね!

小生は本日、永谷天満宮の神主様の御厚意で納天神祭と言う儀式に参列させて頂きました。
クリスマスに神社でサンタクロースならぬ菅原道真公に参拝してました(笑)。
今年の自分らしい名誉で光栄な〆に成りました。

来週は大掃除でブログ更新できないかも知れません(笑)。
出来たらします!

では…
皆さん、本年もありがとうございました!
来年もよろしく御願いします!



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